kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

衆院選公示日に思う

 今日が衆院選の公示日。

 東京15区を有権者たち(私もその1人)が「カオス」と言っているそうだが、確かにその通り。しかし最近は多くの地域でカオスが生じているようにも思われる。そんな結果あり得ないだという結果が平気で起きる。金融工学なんかまともにかじったことは一回もないけれども、その金融工学とやらで使われているらしいボラティリティという言葉を思い出す。また突飛な連想だが気候変動も頭に浮かぶ。気候変動が体感される時代になったと同様、日本の政治も流動化が激しくなってきた。だから、一昨年には歓呼を持って迎えられた某組長が、落下傘で舞い降りようとした選挙区の有権者から爪弾きされたりもする。

 私にとっての古巣・香川1区から立候補する小川淳也について、こんな論評があった。

 

 

 これまた、物は言いようだなあと思う。

 小川淳也が「軽い」のは確かだ。しかしそれは欠点とばかりも言えず、「フットワークの軽さ」という長所でもある。

 私は何より、初めて何かをやったことがある人を高く評価する。

 何度も書くけれども、2016年の参院選で、あの間違っても共産党の地盤とはいえない参議院香川選挙区から共産党野党統一候補を立てることを決定するのに、間違いなく小川淳也は骨を折った。当時、全国で初めて参院選の選挙区で共産党候補が野党統一候補になったと言われたのではなかったか。本来なら、四国であれば共産党が強い県として知られている高知県を含む徳島・高知合区で行われて然るべきだったと思うし、たの選挙区でもいくらでもあり得たと思うが、各自治体の民進党(当時)は惰性力で動く怠惰な姿勢のままだった。

 それが香川県選挙区で実現した。優柔不断な性格も目立つ小川淳也が2017年の衆院選希望の党から立候補してしまったときですら共産党対立候補を立てなかったのは、前年の小川の骨折りに対するお返しであろう。これこそ血の通った人間がやることだ。あの5年前の参院選での小川淳也の骨折りは、どんなに高く評価しても評価し過ぎにはならない。その骨折りは、今回の衆院選での「野党共闘」で、立民支持層ないしシンパの方々にも大きな恩恵をもたらしているのではないのか。

 それを「共産候補が立っても勝ってきた民主党系議員と違い軽い」という言い方をするなら、いささかアンフェアかと思う。なぜなら、「共産候補が立っても勝ってきた民主党系議員」は、その多くが自分の自治体の参院選挙区に共産党の統一候補を立てることなど真っ平御免なのではなかろうかと思うからだ。

 単に「軽い」に留めておくべきだった。それなら文句は言わないし、むしろ同感だ。

 香川1区では、地元紙四国新聞の悪意ある報道があるとも聞くが、小川候補の健闘を期待したい。