kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

松尾匡「れいわ新選組のウクライナ侵略非難国会決議への反対理由について思うこと」(22/3/9) の指摘は鋭い

 ウクライナ戦争に関しては日本共産党が正しく、×××新選組は決定的に間違っているというほかないだろう。この件を機に、×××の信者が一斉に共産党批判を始めたとの話も聞くが、先祖返りをしたようにしか私には見えない。奴らの一部はオザシンをルーツとしているが、10年前のオザシンは「共産党は自公の補完勢力」と口癖にように言っていたものだ。

 また、主張を突如豹変させた橋下徹については、あんな奴に丸め込まれる方がおかしいとしかいいようがない。例の「ヒトラー呼ばわりは御法度」の一件を私は未だに根に持っているのである。元フジテレビのアナウンサーにして現フリーの加藤綾子は論外だが、あの件で江川紹子氏や黒川滋氏らが橋下寄りのツイートを発信していたことを私は忘れていない。

 ×××新選組の論調は、ほぼ同組の独裁権力者である山本太郎の意見に支配されていると言える。ウクライナ戦闘に関する同組及び山本に対する批判として、もっとも説得力があったのは同組の支持者である松尾匡のnoteだ。弊ブログが更新を休む1週間前の3月9日にリリースされているが、紹介しようと思っているうちに暇がなくなったのでずいぶん遅くなってしまった。松尾氏は同組の支持者だけあって批判がいくぶん腰が引けていることだけが難点だが、その指摘は実に鋭い。以下に紹介する。

 

note.com

 

 長いので、以下要点のみ引用する。

 

(前略)今度、れいわ新選組(以下しばしば「れい新」)が国会のウクライナ侵略決議に反対したことで、支持者・非支持者を横断して同党に批判、反批判の議論が起こり、混乱を深めている感じがします。私はれい新の声明の中に、混乱のもとになる重大な問題点があると感じました。

 

(略)

 

私の名前の声明では、日本を重ね合わせるべきはウクライナではなくてロシアである、日本をプーチン・ロシアのような国にしないために立ち上がることが、プーチン政権と闘うロシア、ウクライナの民衆に真に連帯することなのだと言って締めているわけです。

 

(略)

 

「上と下」に分ける階級的視点からの反戦声明の数々

 

私がこの声明を作るときに心掛けたことは、この侵略戦争に責任を負う者として批判する相手は、あくまでプーチン大統領とそのとりまきのごく一部の支配者たちであって、ロシアの民衆は関係ない、むしろ被害者だということです。
そして、プーチン政権の侵略戦争に反対して立ち上がった、ロシアとウクライナの民衆の側に立ち、その犠牲によりそい、闘いに連帯する姿勢で書いているつもりです。これらの人たちこそ、問題の真の解決をもたらす主体だと言えます。
さらに、この戦争につながった「米露の勢力圏争い」という表現で、勢力圏争いの餌食にされる民衆の目線から、アメリカ政府の勢力拡大政策をも批判しています。
すなわち、支配する階級の者も支配される階級の者もいっしょくたにして国ごとに一つの単位にまとめて、「ロシアvsウクライナ」「ロシアvs欧米」といった図式にしないよう、世界を「上と下」に分けて、「下」側の民衆の国際連帯で、理不尽な苦難を押し付けてくる「上」と闘うという視点を貫くよう心掛けて作ったわけです。
この目線から語るかぎり、どれだけアメリカ政府を批判しようとも、餌食に食いついたプーチン政権を擁護するニュアンスは一切入らないことはおわかりになると思います。

(略)

れいわ新選組の国会決議反対理由の何にひっかかるか

 

(略)

さて、今回のこの声明のどこに混乱のもとがあると私が見ているかですが、やはり次の文章です。

・今回の惨事を生み出したのはロシアの暴走、という一点張りではなく、
米欧主要国がソ連邦崩壊時の約束であるNATO東方拡大せず、を反故にしてきたことなどに目を向け、この戦争を終わらせるための真摯な外交的努力を行う

たしかに、私の名前の薔薇マーク声明でも、「米露の勢力圏争い」という表現で、戦争につながったものとして批判している中身は、かなりの部分、NATOの東方拡大をイメージしています。上で紹介したいろいろな声明も、みんなこの問題を取り上げてアメリカ政府を批判しています。
しかし、世の中を上下に分けた階級的見方で、「下」の民衆の目線からのアメリカ帝国主義批判であるかぎり、そのことがプーチン政権の擁護のようなニュアンスを持つことはありません。

もし反戦運動に立ち上がったロシア民衆への連帯の一文があれば、彼らがプーチン政権を追い詰める、究極には政権を打倒するということに、問題解決の本筋が見えるので、それほど混乱はなかったと思います。
しかし、残念ながられい新の声明にその一文はありませんでした。

世の中を上下に分けて「下」の目線で見る立場性がはっきりしない中で、上記の文章を読むと、これは、国家間パワーゲームのプレーヤーの目線の文章として読めます。アメリカの権力者とロシアの権力者が、それぞれ思惑をもちながら、相手の出方に応じてとる手を決めるやりとりに内在した話になっているわけです。
この論理に内在するかぎり、アメリカによるNATOの東方拡大を批判的に指摘することは、プーチン大統領の罪一等減じるニュアンスを持ってしまいます。

このくだりはおそらく、れい新の山本太郎代表との対談動画に出てきた伊勢崎賢治さんの影響があるような気がします。

(略)

 

第一に、伊勢崎さんが従事されたような紛争解決現場のリアリズムは、軍事均衡論のリアリズムに負けず劣らず正義や弱者の犠牲を飲み込むものだという自覚が必要だということがあります。
そもそもウクライナ国家がどうあるべきかということを、当事者であるウクライナの人々の意図とかかわらず、日本の政治の場で勝手に仲裁案としてこしらえることは本来はおかしな話です。
多くの非武装の人々の命を無法に奪ったプーチン大統領の罪が裁かれずにすんでいいのかということもあります。

れいわ新選組というのは、ほかの誰もが現実に妥協して見ないふりをしてしまうような場面で理不尽さをほじくり出してきて、愚直に当事者の怒りを共有してその解消のために叫ぶところに存在意義があるのですから、たくさんの正義や弱者の犠牲を飲み込みかねない外交的解決を言いっぱなしにするだけではすまされないと思います。
れい新のまわりには、愚直に理不尽に怒り、当事者によりそう姿勢に共感して集まった支持者たちがたくさんいます。侵略戦争の犠牲者の報道に接して怒ることは大衆の健全な共感性の現れで、この共感性こそがれい新のこれまでの発展を支えてきたのだと思います。
こうした健全な感覚にとっての違和感を放置するとか、あるいはそれを飲み込むよう迫る態度をとってしまうとかすると、本来固い支援者になるべきキャラクターの人たちを多く失う危険があると思います。

第二に、仮に伊勢崎さんの言う通りに、ウクライナNATO非加盟と、あとせいぜい東部独立宣言地域の高度な自治で一旦おさまったとしても、それで終わるだろうかということがあります。プーチン大統領は一貫して、ウクライナの現政権を交代させることを要求しているのですから、多くの人はそれだけでは終わらないと見ていると思います。
そういう目から見ると、れい新の声明の上記項目は、それだけでは、西側に非があることを理由に、どれだけでもプーチン政権側の要求を飲む結果になってしまうイメージを払拭できないと思います。

(略)

 

当然、プーチン大統領にとって「本当の非共産化」とは、共産主義者が無理やり分離したロシアとウクライナを、再統合して「本来の」姿にもどすことを意味するわけです。
完全な併合は、統治に責任を負わなければならないので避けたいところだと思いますが、何でも言いなりにさせる傀儡国家が目指すところでしょう。結局はそこまでいかないと、プーチン大統領は終わらないのだと思います。

ロシアからウクライナを経由してヨーロッパにガスを送るパイプラインから、これまでウクライナはしばしばガスを抜き取っていた上、ロシアは通行料を払っていました。プーチン政権は、ガスの抜き取りはやめさせて、通行料も値切りたいはずです。
また、ロシアにとって唯一まともに外貨が稼げる製造業製品は兵器だと思いますが、ウクライナ軍の兵器体系が西側のものになったら市場を失ってしまいます。プーチン大統領ウクライナの「非軍事化」を要求していますが、一旦現ウクライナ軍を解体したならば、自分達のコントロール下で新しい軍隊を作り、兵器市場にしたいはずだと思います。

以上のように考えるとやはり、誤解と混乱を避けるためには声明文の中に別途、反戦を掲げてプーチン政権と闘うロシアの民衆への連帯の表明と、党の原則的立場に立った究極に目指すところを併記する必要があったと思います。
それは例えば、もう二度とロシアやウクライナの民衆が、権力者の一存で行きたくもない戦争に行かされることもなく、武力に命や故郷や健康を奪われたり暮らしを脅かされたりすることもなく、民主的政体のもと、みんなが人権を保障されて平和のうちに共存できる国際秩序を実現するために、世界の民衆と力をあわせて尽力するといった内容のものです。

そうすると、3月1日の衆議院で決議が行われたあとになされた山本代表の記者会見で、NATOの東方拡大をしないという密約があった証拠について説明するくだりがありましたが、これは、「約束を破るアメリカ帝国主義者は汚い」という批判としては意味のあることだと思いますが、だからといって、ここで密約一般に関して「守るべきだ」とのロジックになってしまったきらいがあるのは、「ロシア寄り」といった誤解を助長するものだったと思います。
れいわ新選組の立場としては、外交に密約などがあることがおかしい。すべての外交は大衆の前に公開し、民意にしたがえというべきだと思います。そして、密約があるかどうかにかかわりなく、軍事同盟には反対だし、勢力拡張政策はケシカランものなのだと言うべきなのだと思います。
なお、この会見で「フランス10」の及川健二さんが、プーチンさんと会えるようになったら何を話すかといったような質問をしてましたが、これに対する答えは、「そんなころには彼は失脚している」と言うべきだったと思います。

これは帝国主義再分割戦争である

最後に、れい新の声明の書き方が混乱をまねきかねないもう一つのことが残っていますので、その説明をします。
れい新の支持者、関係者の中には、私もそうであるつもりですが、上述の世の中を「上と下」に分けて考える階級的見方の人たち、その上で「下」の側につく人たち、要するに「ガチの左翼」がそれなりの量で存在すると思います。
そのような人たちにとって、他国を勢力圏として支配下に置く政策である「帝国主義」は、当然倒すべき「悪」なのですが、その中でも特に多くの人たちに敵として認識されているのは、アメリカの支配者の帝国主義だろうと思います。
ここでれい新声明で、私の薔薇マーク声明で「米露の勢力圏争い」と表現したような、勢力圏争いの獲物にされる側からの目線を感じさせる表現もなく、プーチン政権に対して反戦を掲げて立ち上がったロシアの民衆への連帯の表現もない中で、"ロシア暴走の一点張りではなくて、NATOの東方拡大にも目を向けろ" という表現をすると、本来は伊勢崎さん由来の平和構築のための単なる外交技術論だったものに、アメリカ帝国主義反対の階級的原則論が込められて、ひとつ懸念される受け取り方をされる可能性があります。
というのは、左翼世界の中に一部、ロシアをプーチン政権を含めてまるごとアメリカ帝国主義への対抗者として描き、ウクライナウクライナ人民衆を含めてまるごとアメリカ帝国主義の側として描く風潮が存在しています。その人たちに、れい新はその見方でOKなんだというメッセージをおくる可能性があるという懸念です。

こうした風潮は全くもって階級的見方ではありません。(後略)

出典:https://note.com/matsuo_tadasu/n/n0de95fb375c7

 

 引用文中、青字ボールド及び赤字ボールドは引用者による。ことに赤字ボールドにした部分に注目した。

 確か松尾匡は、内と外に分けて内の側に立つのが右翼で、上と下に分けて下の側に立つのが左翼だと言っていたと記憶する。その後者の観点が×××新選組が2月28日に発した声明には欠けていると言っているわけだ。

 弊ブログも、辺見庸が短いブログ記事で書いたロシアの反戦デモへの言及が×××新選組にはないと指摘した。そこから先は×××新選組支持者である松尾匡とは違って同組を全く支持しないばかりか強く批判する立場に立つので、そもそも山本太郎は「俺に権力を寄越せ。そしたらみんなを幸せにしてやる」と考えている権力志向の強い人間だから「上から目線」あるいは「権力者目線」になるのだと書いた。

 今回のウクライナ戦争で、山本太郎と×××新選組は馬脚を現したと弊ブログは断定する次第。