ブチャ大虐殺の件について。
ブチャでの虐殺は、プーチン擁護ないしウクライナ批判に熱中してきた皆さんにとって、軌道修正の機会でもあったはずだ。しかし実際には、この虐殺も「偽情報」だと見なしたり、重大性を過小評価しようとしている方々が多い。政治を論じる人が、弁明不能な権力の悪行を弁明するようになったら終わりだ。
— AKIO (@AKIO197508) 2022年4月6日
その最悪の例が「世に倦む日日」(田中宏和)のツイートだろう。前々からしばしばこの御仁を批判してきたが、ここまでどうしようもなく堕落した人間だとは知らなかった。
中でも呆れたのは、いつだったかプーチンがウクライナの民族自決権を認めて独立を許したレーニンを批判したことに言及して、「世に倦む」氏自らもプーチンと同じ立場に立つ意見を表明したことだ。要するにプーチンは旧ソ連よりも帝政ロシアに郷愁を抱くとんでもない反動人士なのだが、「世に倦む」はプーチンの反動の立場に与したのである。
「世に倦む」の系統とは別に、右の「反グローバリズム」が権威主義と結びついてプーチンびいきに走る池戸万作のような例があり、かと思うと右のネオリベラリストが権威主義に惹かれてプーチンびいきに走る橋下徹のような例もある。もちろん「右」も「左」もない反グローバリスト・山本太郎を数え落とすわけにはいかない。
そういえばプーチンはロシアの文学や芸術が排除されつつあるとしてチャイコフスキーの例を挙げていたが、プーチン自身は全く音楽に関心などないのではなかろうか。というのは、チャイコフスキーはロシア5人組のような民族主義を掲げた立場をとらず、むしろ西欧かぶれの作曲家だったからだ。それと関係があるのかどうか、ソ連は特にチャイコフスキーの音楽を誇示しなかったし、西側の演奏家たちは冷戦時代にもチャイコフスキーを好んで取り上げた。ソ連(スターリン)はむしろ「社会主義リアリズム」を作曲家たちに強いていたのであった。
私はずっと「チャイコフスキーは帝政ロシアを代表する作曲家」というイメージを持っていたし、それは今も変わらない。
もちろんチャイコフスキーの音楽に罪はないが、かつて政敵を毒殺しまくり、今ではウクライナに侵略真相を仕掛けて継続中である復古主義者・プーチンなど万死どころか億死に値する極悪人でしかない。