最近は専らプーチンにシンパシーを抱くような「権威主義的な左翼」に対する批判ばかりやっていたが、維新の参院選比例区候補予定者・猪瀬直樹が東京選挙区から立候補を予定している海老沢由紀の街宣でセクハラ行為をやったのではないかと言われている件について、そういや石原慎太郎系列の人間だった猪瀬が「参院自民のドン」とやらを批判した時に、それに乗っかって喜んでいたブログ*1の運営者はどんな記事を出したのだろうかと思って、『日本がアブナイ!』を久々に見に行った。
猪瀬の件についてはまあ普通の記事だったが、先の通常国会の終わり近くで立民が出した内閣不信任案に関する記事が、同ブログの記事の中では最近もっともアクセス数の多い記事だったようだ。それに注目した。
上記ブログの記事を引用するのは久々でもあるし、上記リンクの記事の中にブログ主のスタンスが表明されているので、まずその部分を引用する。
いつも書くように、mewは基本的には中道系無党派であって、個々の方針や政策を是々非々に判断するタイプだ。
それゆえ、決してアンチ自民党ではないし。<アンチ超保守・新自由主義ゆえ、アンチ安倍ー菅、維新だけど。>
泉・立民党の支持者でもない。<基本的に自由主義者なので、共産・社会党も支持していない。>
ただ、どの政党が政権与党になったとしても、常に拮抗した勢力の野党が存在することが必要だと考えている。その方がより多くの&多様な国民の意思が国政に反映しやすいし。政権与党の独裁的な国政運営、暴走などから、国民を守ることができるからだ。(**)
<与野党が拮抗していないと、与党は野党の声に耳を傾けず、数の力で法案を押し通したり、好き勝手な、時に偏った国政運営を行なおうとするので、できれば6:4ぐらいまでの方がいいかなと。もし与野党がきちんと議論できるなら、衆参ねじれでもいいかも。逆に与党側に2/3以上の議席を持たせるとアブナイと考えている。>
申し訳ないけれどもコメントさせていただくと、「自由主義者」という自己規定から、ブログ主のスタンスとともに年齢層がある程度推定できる。後者については、2015年にラグビーの五郎丸が注目された時に、かつてプロ野球の阪神タイガースからドラフト1位指名を受けた源五郎丸洋選手を思い出したという記述からも推定でき、まあ私と同世代または少し下、あるいは仮に上であったとしてもほんの少しだけ、という世代だろうと勝手に思っているのだが、昔は「社会主義」の対義語として保守の人たちが専ら用いていた用語が「自由主義」だったのだ。
しかし、今では保守層の間でも(政治を語る場合での*2)「社会主義」の対義語は「資本主義」だ。現に首相の岸田文雄自身が「新しい資本主義」と言っている。
かつてはそうではなかった。中には「資本主義」の用語を嫌って「自由主義と言え」などと怒り出す人もいた。しかしそんな人もほとんどいなくなった。
この件で私がいつも思うのは、元号と西暦の関係と似ていることだ。
日本では1980年代末頃まで年数を元号で表記するのが一般的で、西暦ばかり使っていると「左翼ではないか」と警戒された。しかし、今では元首相・安倍晋三が国会の答弁でしばしば西暦を用いた事実にも反映されている通り、西暦を使う方が当たり前で、元号は某政党(組)の名前か役所に出す書類くらいにしか使われない。元号と西暦との関係は「自由主義」と「資本主義」との関係に似ている。
なおブログ主が用いる意味での「自由主義」は「経済自由主義」というべきものだ。純粋な経済自由主義は「市場原理主義」として新自由主義の一つの側面になるが、それに縛りをかけて「資本の暴走」を制御しなければいかな保守政権であっても政治はできない。これを左側の言葉では「修正資本主義」といい、より一般的な言葉を用いれば「福祉国家を目指そうとする動き」等になる。
蛇足ながら、自由主義の対義語は権威主義であって、最近弊ブログにキャンキャンとうるさく吼えかかる某暴犬のブログやブコメの数々が権威主義的言説の典型例だ。その特徴は、いかに「左翼」や「左派」を装っていても実際には大国の侵略行為をろくすっぽ批判できなかったり、ロシアや中国で行われている少数民族の抑圧について、抑圧された側が西側に支援を求めただけで「友敵論」に基づいて少数民族側をサディズム剥き出しで批判するという、反吐が出る醜悪さにある。
すっかり脱線したが、今回リンクしたブログ主氏は「自由主義者」つまり資本主義者を自認していることと、いかにも都市部の人らしい感覚の記事が多いので、しばしば氏のスタンスを「都会保守」と評している。
しかし、枝野立民時代には相当な立民シンパだったと思われた氏が「泉・立民党の支持者ではない」と明言していることから、立民の中でも泉健太のような右派とは一線を画していることがわかる。2016年の参院選では小川敏夫に投票したと書いていたはずだ。私もこの選挙では維新公認の田中康夫と山本太郎に応援された民族主義系右翼・三宅洋平を共倒れさせるために小川敏夫に投票した。この時には期待通りの結果になった。
以上にみる通り、社民主義的な立場に立つ私から見ればブログ主は私より「少し右」の立場の方なのだが、その方から先の不信任案提出劇がどう見えたかということが興味深かったので、以下に引用する。
先週9日、立憲民主党が、細田衆院議長と岸田内閣の不信任案を提出した。(・・)
共産、社民などは賛成したものの、ニセ野党(ゆ・よ党)の維新の会は賛成せず。反対多数で否決されてしまったのだが。
実際に、細田議長の言動や岸田内閣の政策には信任し難い面があるわけで。mewは、立民党が可決されないことがわかっていたとしても、一部議員&国民の意思として、不信任案を出したことは評価したいと思っている。
少なくとも、批判されるようなことではないと・・・。(@@)
ところが、与党ならともかく、表向きは野党(ニセ野党、隠れ与党?)の国民党や維新の会は、不信任案に賛成しなかっただけでなく、立民党が不信任案を出したこと自体を次々と批判。
しかも、先週も少し書いたのだが、本来なら政府与党の問題点を追及すべきメディアの多くが、立民党が不信任案を提出したことに関して「パフォーマンスだ」「野党に溝」などと批判的なタイトルの記事を出していたことに、唖然とさせられたし。ある種の危機感を覚えた。(~_~;)
健全な民主政治を行なうためには、与党&野党が様々な国民の意思を反映できるように国会で議論することが重要な要素になるのだが。
いまや、本来、与党と対峙する野党であるはずの維新の会や国民党が、国会活動(改憲含む)でも与党側に立つ機会が増えている上、自公与党と共にえげつないほど「立民党叩き」に力を入れているような状況に。(-"-)
しかも、メディアまでがそれに便乗して、何かにつけて立民党批判の記事を掲載するようになっていて・・・。(あまりニュース記事を読まないネット民のことを考えてか、タイトルで立民党がダメ政党であることをアピールするのよね。>
このままだと日本は、まともな野党勢力が存在せず、偏った民主主義の危険な国(=戦前の大政翼賛会みたいに、ほぼ独裁制の国)になってしまうかも知れず。
マジで「日本がアブナイ!」と、強い危惧感を覚えている。(ノ_-。)
上記引用文でまず思ったのは、不信任案に賛成しなかった野党は維新や民民だけではなかったんじゃないかということだ。×××新選組も不信任案に賛成しなかった。
さらに、立民の不信任案提出を「パフォーマンスだ」と評した、本来なら政府与党の問題点を追及すべき立場にあるのは、何もメディアだけではなく、×××新選組にも当てはまる。新選組は不信任案提出を「茶番」だと評したのである。
ブログ主の書く「このままだと日本は、まともな野党勢力が存在せず」、「戦前の大政翼賛会みたいに、ほぼ独裁制の国」になってしまうとの危機感には共感する。
新選組はロシアに対する非難決議に反対した自らの立場をアピールする際、大政翼賛会云々を言っていた。自分たちこそ「大政翼賛会化に抗う政党だ」と言いたいのだろう。
しかし実際に新選組がやっていることは、上記ブログ記事が指摘する(既成)野党叩きなのだ。とんでもない欺瞞である。
ブログ記事を読んだ感じたことがもう一つある。それはブログ主が×××新選組を批判の俎上に挙げるのを慎重に避けていることだ。これは「リベラル」系政治ブログに働く同調圧力のなせる業だろう。このような惰性力の上にあぐらをかいているのが山本太郎と新選組であるように私には思われる。彼らのやっていることこそ、時流に阿(おもね)った既成野党批判と、自らが目立つための「茶番」としての不信任案棄権、そして誰だかわからない*3新左翼系の人間に吹き込まれたであろう「ロシア非難決議への反対」なのだ。ふざけるなと言いたい。
今回リンクしたブログ記事にも、時事通信の記事の引用の形で新選組の名前は出てくる。以下引用する。
『不信任案への賛成票は立民、共産、社民3党の計105。定数465の4分の1にも満たなかった。ただ、反対票を投じた政党も自公両党のみ。維新や国民、れいわ新選組などは棄権した。主導した立民を「参院選に向けた対決アピール」と批判する一方、セクハラ疑惑が事実なら、細田氏の「信任」は自らへの打撃となりかねないためだ。
維新の山本剛正氏は討論で「議長本人から真実が語られることを期待する」と強調。国民の玉木雄一郎代表は記者団に「十分な判断材料がないため欠席したが、(細田氏は)説明責任を果たしてもらいたい」と促した。(時事通信22年6月9日)』
引用文中の赤字ボールドは引用者によることはいうまでもない。
なお、不信任案をめぐるブログ主のスタンスはいたって妥当だと思ったので以下に引用する。
正直を言えば、mewも、特に大きな問題もないのに、会期末にやたらに不信任案を出すのは、いかがなものかと思うのだけど。<自民党が野党の時は、議長どころか、委員会の委員長の解任動議まで出していなかったっけ?>
今回は、細田議長にも、岸田内閣にも、不信任案を出すに値するような問題があったのではないかと思う。(++)
* * * * *
1・国政には中立的立場で臨むべき衆院議長の立場でありながら、アチコチで衆院選の議員定数是正(10増10減)に反対する発言を行なっている
2・「国会議員は給与が少ない」「会社社長は1億以上もらえるのに、衆院議長は100万しかもらえない」などの問題発言を行なった
3・週刊誌に複数の女性記者へのセクハラ発言を報道されているが、本人のクチからきちんとした反論や説明がなされていない<おまけ・その後、週刊誌で衆院選で買収を行なっていたの報道も>
・・・など「議長としての資質に問題あり」「信任し難い」と主張する根拠があったからだ。(++)
実のところ、自公幹部の中からも、「細田氏は自ら説明すべきだ」「議長を辞職すべきでは?」という声が出ているし。
維新の会も国民党も、本当は細田議長に問題ありだと考えているので、さすがにこの不信任案には「反対」はできず。でも、自民党への配慮もあって「賛成」はしにくいからか、何と議決を棄権するという(姑息な?)手段に出た。(`´)
(中略)
また岸田内閣も、ここに来て物価高、悪い円安(by財務大臣)が続いているのに、まともに対策を講じておらず。安保防衛の方針も経済政策も、安倍元首相らの圧力に押され、昨年、首相就任した時に表明した考えとは、どんどんかけ離れているわけで。
野党として、その姿勢を批判して、内閣不信任案を出すことは、生活に困窮する国民の意思にもかなっていることだろう。(・・)
下記はブログ記事の末尾からの引用。
しかも、メディアもこそって、『「求心力ゼロ」「茶番」 不信任案で立民批判続出 野党』(時事通信)、『自らを窮地に…不信任案の“宝刀”不発、野党の溝あらわ』(西日本新聞)、『立憲民主党の“自爆”…「不信任決議案パフォーマンス」で露呈した“薄っぺらさ”』(現代メディア)など、あたかも立民党が不信任案を出したのが悪いことであるかのようなタイトルをつけた記事を掲載。
最近は、テレビ離れが進んで、ニュースをまともに見ない人、ネット・ニュースのタイトルだけ見る人(関心のあるものだけ開く人)が増えているようなのだが。
タイトルだけ見ていると、「あ、立民党は問題のある行動をする政党なんだ」
ダメな政党なんだ」というイメージ付けがされてしまうのではないかと懸念する。<昨年の衆院選の時には、そのようなケースが多かったしね~。^^;>
メディアについては、また機会があったら書きたいのだが。最近「与党に都合の悪いニュースは控えめに」「維新のイメージをあげるように」「立民党の報道は、批判を中心に」という傾向が見られることには、大きな問題があると思うし。
日本の未来を大きく左右する大事な参院選を前に、心あるメディアは中立的立場で、政権与党の政策や改憲などの重要な問題をきちんと伝えて欲しいと心から願っているmewなのだった。(**)
私が朝日新聞を宅配で読んでいたのは2018年4月末までなので、最近の同紙が「民民の提案路線を絶賛して立民を腐している」とか「維新寄りだ」などと立民支持層と思われるTwitterアカウント等から評されているのを見ても、果たしてそこまで劣化したのかは今でも正直半信半疑なのだが、以下にいくつかのツイートをリンクする。
悪化する日本の「報道の自由度」...大手マスコミは自ら「自由を放棄」している https://t.co/yOHtbrFjqy #ニューズウィーク日本版 via @Newsweek_JAPAN
— 西村 カリン (Karyn NISHIMURA)💙💛 (@karyn_nishi) 2022年6月16日
上記ツイート及びそこからリンクされた記事を受けた論評が下記。
安倍が朝日叩きするのを見つつ、経営がどんどん傾いていく中で、日本のマスコミも自民が政権から転落することはないので協力関係を築いた方がマシみたいな感覚が染み付いたのだろうなと。報道の自由を維持するために、日本の報道はどういう経営モデルが必要かみたいな話を結局はすべきなのだろうと。
— kazukazu88 (@kazukazu881) 2022年6月17日
安倍晋三に叩かれた朝日が白旗を掲げたのが2014年だった。あの年には毎日までもが朝日叩きの尻馬に乗っていたので「くたばれ」と思ったが、本当ににくたばりつつある現状は間違っても喜べない。なお朝日は第1次安倍内閣成立前年の2005年にも、安倍晋三と当時まだ生きていた中川(酒)こと中川昭一に屈服したことがあった。そういえば最近は以前ほどネトウヨの朝日叩きを目にしなくなった印象がある。
まぁ、経営の問題から解放されている公共放送であるNHKが政治介入に脆弱だったというのは大きいし、世論が禁じ手として反発しなかったのも大きい。
— kazukazu88 (@kazukazu881) 2022年6月17日
そうだなあ、私は第2次安倍内閣の頃からNHKの右傾化というより安倍政権への迎合に歯止めがかからなくなったのを見て、テレビのチャンネルをNHKに合わせることはほとんどなくなったが、以前からずっとNHKを見続けていると思われる人たちの考え方が急速に右に傾いたことは実感したものだ。
このように、日々眺めている山本太郎と×××新選組をめぐる「プロとコントラ」の言い合いから少し視点を変えて、私よりほんの少し右に位置するだけの方のブログ記事から現在の政治状況とその中での新選組のありようを考えてみて、権威主義的な一連の流れの中で、自身権威主義的な性格を持つ山本太郎と彼の政党が、一見大きな流れに抗するかのようなパフォーマンスをしているにもかかわらず、実際には大きな流れにすっかり乗っかって「アブナイ」役割を演じているに過ぎないのではないかと思う今日この頃なのだった。
そういえば「きっこ」が山本太郎と×××新選組を応援してるんだってね。最近は奴のツイートを見る機会など全くといってないけど、いかにも相性抜群だと思う。「きっこ」が山本や新選組を批判したなら大きな驚きだが、そうではなかった。