kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

国政選挙区はサンプリング調査ではなく「全数調査」だ。立民が得票率を36〜37%も減らした現実を直視しなければならない。泉健太の代表辞任は必要不可欠だ

 共産党が全国的に不振だった中で、東京都選挙区で山添拓が突出した得票で当選したのは、昨年の衆院選で立民が全国的に不振だった(とはいえ今回の参院選よりとは比較にならない多くの票を獲得した)中で、東京8区で吉田晴美が石原伸晃に比例復活も許さない圧倒的な得票差で勝ったことと同じ理由によるものだ。

 ともに「ヒール(悪役)」山本太郎の侵略許すまじ、と思った有権者が多く、吉田晴美と山添拓に共感したり同情したりする有権者が多く、それが彼らの得票を押し上げたと私は見ている。その一方で、山本太郎を救世主と見る人たちも少なからずいるから、山本は今回も辛勝した。しかし、やはり全国的に選挙区では苦戦した維新の海老沢由紀にかなり迫られる得票であって、山本と×××新選組の勢いは落ちたといえる。ことに参政党にかなり食われたのが彼らにとっては痛かった。その大きな理由として、かなりの数の若い有権者にとって、参政党があたかも「ボトムアップ」「草の根」政党であるかのような錯覚を与える演出をしたのが奏功した(私から見れば有権者を騙しおおせた)ことが挙げられるのではないか。新選組が山本の強烈な独裁政党であることは彼のわがまま放題の言動から明らかだが、今後の山本には「茨の道」が待ち受けていることは山本自身も自覚しているようだ。「茨の道」とは山本自身が発した言葉である。

 それからもっとも大事なことは、国政選挙はサンプリング調査である世論調査とは全く異なる「全数調査」だということだ。ことにその結果に表れた得票数や得票率を軽視することは決してあってはならない。それは、数字にはっきりと示された民意という現実から目をそむける態度にほかならない。たとえば下記記事にいただいた下記コメントはその典型的な悪例である。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 あ

でも泉が辞めたとして代表できる人います?共産票ないと落選しかねない枝野や維新にすり寄る小川よりは泉のほうがマシかと

 

 その枝野幸男が代表だった昨年の衆院選より、今回の立民の比例の得票は36〜37%も減った。つまり泉の立民はそれだけの数の有権者に見放されたということだ。私は枝野の復帰が良いとは全く思わず、逆に枝野が復帰するのでは支持者の枝野への強い依存心によって立民はろくなことにならないと思うし(立民に必要なのは、枝野が結党当時に口にした「ボトムアップ」「草の根」の政党になることと、組織力を強めることとを両立させることだ)、維新にすり寄る小川もダメだと思うが、それでも「泉の他に人がいない」などということは絶対にない。そもそも「他に人がいない」というのは政権支持層の常套句であって、惰性力に流される怠惰な姿勢以外の何物でもない。

 前提として、泉は昨年の衆院選で枝野立民が得た得票率よりも36〜37%も票を減らした、つまりそれだけの割合の人々が泉立民を見限ったということだ。これを「課題」として認識しないことには話が始まらない。まず現実を直視することが基本中の基本だ。

 

 

 下記は上記ツイートへの反応。

 

 

 これに対する反例は簡単に挙げられる。2005年9月に民主党代表になった前原誠司は、現在の泉健太と似た「提案型野党」路線を目指し、櫻井よしこに「健全ですね」と褒められて破顔一笑していたが、「偽メール事件」の失態をやらかして代表就任後半年しか経たない2006年3月に代表を辞任した。その後代表になった小沢一郎の代表時代に民主党の支持率はV字回復どころか未曾有の勢いに達し、2007年の参院選では安倍自民党を惨敗に追い込んで安倍晋三はその1か月半後に退陣した。小沢は「過ぎたるは及ばざるが如し」の典型例であって、前原と同じくらい有害だったと私は思うが、「何度も党首を代える」のは「イメージが良くない」という認識が間違っていることを示す例として挙げることができる。

 

 

 いや、そんなトカゲの尻尾切りではダメだ。一番上が責任を取らなければならない。それができない組織は「無責任体制」の組織である。

 繰り返すが、得票率20.0%が12.7%にまで下がったのだ。7.3ポイント、率にして36〜37%もの票が逃げていった。この現実から目をそらしては絶対にダメだ。