これはあまりにも恥ずかしい。
三浦瑠麗氏「天皇陛下の国葬は当然だ。たいものれいだ。それなのに安倍元総理の国葬はいけないというのはおかしい」
— 町山智浩 (@TomoMachi) 2022年7月31日
「大喪の礼」は「たいそうのれい」と読み、「国葬」ではありません。 https://t.co/tzAKeEL3sn
誤読にしても安倍晋三の国葬を正当化するロジックにしても、どちらもあまりにもお粗末、論外だ。
誤読に関していえば、三浦は大喪の礼(1989年2月24日)当時、8歳の小学校2年生だったようだが、「たいそうのれい」という発音を親からも担任の教師からも聞かなかったのだろうか。同世代の人たちの感想を聞きたいものだ。一般人としても恥ずかしいレベルだが、この人が国際政治学者だというから呆れる。
こんなのを講師だか何だかにしている東大も堕ちたものだ。日本の地盤沈下の象徴だろう。