kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

松竹伸幸氏が2017年に書いたブログ記事 "「民主集中制」を研究しなくちゃ" に感心した

 民主集中制に関して、渦中の人・松竹伸幸氏が2017年に公開した下記ブログ記事に注目した。

 

www.kamogawa.co.jp

 

 松竹氏と共産党を除籍(今回松竹氏が受けた除名処分よりは少し軽い処分らしい)された友人との対話をもとに記事が書かれている。以下、途中から引用する。

 

民主集中制」を研究しなくちゃ

2017年2月6日

 

(前略)そのトモダチは、除籍されるにあたって、共産党とかなり議論したそうで、いろんなことを明かしてくれました。もう党員ではないから、外にしゃべっても規約違反にならないということで。

 

 例えば、特定の問題で共産党と異なる意見を持っていたとしても、それを留保して行動するのということが規約に定められています。では、ちゃんと統一した行動をとっているとして(選挙の支持拡大などで共産党の政策はこうですと、自分の見解とは違っていてもちゃんと説明するなど)、留保した見解をどこかで個人の見解として明らかにするのはどうなのか。民主集中性に反していて処分の対象になるというのが、除籍を通告してきた共産党地区委員会の見解だそうです。

 

 いやあ、ホントかなあ。そんなことになると、中国研究者の学者の党員が自分の見解を学会誌で公表するのも(共産党の中国論と少しでも異なっていたら)、処分の対象になるよね。しかも、共産党の中国論もどんどん変わっているわけだから、それにあわせて変えていかないとダメだということになってしまいます。事実上、学問研究の自由はなくなるし、学者であることとは両立できないですよね。

 

 それに、そういうことになると、共産党員は全員が、共産党中央委員会が言っていることを、いつもどこでもオウム返しに言っている人、でなければならないことになります。内心の自由しか認めないということです。そんな組織に魅力を感じる人がいるんでしょうか。

 

 私は、先日「存在する多様性を紙面で見せるのが大切」というタイトルで書いたように、多様性が見えているが行動は統一されていることが大事だと思います。多様性が見えることと民主集中制は相容れると思っているんです。これは、その問題を本格的に、学問的にも研究する本を出さなければなりませんね。

 

 それにしても、そのトモダチはばく大な党費を払っていて、配達もたくさんしていて、所属する支部でも「除籍しないで」と要望していたというんですよ。難しい問題ですね。

 

(「編集長の冒険」2017年2月6日付記事より)

 

出典:http://www.kamogawa.co.jp/~hensyutyo_bouken/?p=2768

 

 引用文中青字ボールドにした部分で「多様性があるが行動は統一されている」ではなく「多様性が見えているが行動が統一されている」と書かれていることに注目した。多様性があっても外から見えないようでは多様性があることにはならない。松竹氏はそう言いたいようだ*1。そして松竹氏の主張は正しいと私は考える。なぜならこの立場に立たない限り「○○党員は全員が、○○党中央委員会が言っていることを、いつもどこでもオウム返しに言っている人、でなければならない」という理屈が通ってしまうからだ。そうなってしまってはその政党は反民主主義的な性格を持っているとしか言いようがない。

 こんな(微妙な)表現の言葉をさらっと書ける松竹氏とはなんて頭が良い人なんだろうと改めて感心させられる。改めて、というのは10年以上前にも氏の頭の良さに感嘆したことがあって、それをブログに書いた記憶があるからだ。

 今回の騒動、ちょっと役者が一枚違うんじゃないかと思った。もちろん、松竹氏と志位委員長との比較においての話だ。

*1:私が連想したのは、年初の泉健太立民代表の乃木神社参拝のツイート以来、物事はすべて外形から判断される、と立憲民主党衆議院愛知10区総支部長の藤原規眞氏がしばしば書いていることだった。