kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

ピケティが富裕層、特に北米の富裕層による二酸化炭素排出量が突出して多いことをグラフで示した。格差縮小は世界的にも喫緊の課題だ

 前回の記事(下記リンク)にタカタ カズヒサさんから再びコメントをいただいた。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 タカタ カズヒサ

コメントを取り上げていただき有難うございます。維新馬場代表の発言があったのは7月23日です。憲法で保障されている結社の自由への挑戦だと思いましたので。あえて別記事にコメントさせていただきました。
小生は反安保法制のときのような小異を捨てて(正確には置いて、ですか)大同につく国民的うねりが世の中を変える可能性があるものと考えています。
その点泉健太の言動、行動は批判されてしかるべきでしょう。彼は新自由主義希望の党に対抗して枝野氏が立ち上げた立憲民主党を変容させようとしている。
小沢一郎については民意を反映しない小選挙区比例代表並立制を推進した大罪があります。細川内閣の時は斎藤次郎と組んで消費税増税を図り内閣を崩壊させました。その後の自社さ政権は小沢の独断専行の独裁者の影におびえる社会党(もう社民党だったかもしれません。)と武村正義につけこんだ亀井静香により成立したのでしょう。小渕内閣で自自連立、福田内閣での大連立と、本質は保守政治家でしょう。しかし民主党代表時代に生活者の視点をかかげ辻説法にたった姿が、薄れてきたとはいえ今日一定の影響力を持つ背景にあるとおもいます。
何を批判し、何を許容するのか、小生には難しい問題です。ただ主たる敵を、主たる問題を見誤らないようにしたいと思います。
スルーされたと思ったコメントを取り上げていただいた喜びに余計なことまで話が散らかり失礼しました。

 

 前回の記事は、タカタさんに対して自分でも「ここまで偉そうに書くか」と呆れるくらいの「上から目線」で、しかもそれを意識的に全面に出して書いたものでした。

 そんな我ながら「不遜極まりない」と思える記事に対して、ほかならぬタカタさんから上記のコメントをいただくとは、まさに望外の喜びでした。タカタさんに深く御礼申し上げます。

 

 それにしてもひどい猛暑だ。ことに私の住む東京東部はそれでなくてもヒートアイランド現象のために真夏は暮らしにくいことこの上ないのだが、近年はそれに地球温暖化(気候変動)が拍車をかけている。

 私には、地球温暖化(気候変動)という大きな危機に直面した人類全体と、政治や社会のあり方が大きな危機に瀕している日本という国とがみごとな相似関係にあると思えてならない。

 トマ・ピケティが2013年にオリジナルのフランス語版を出した『21世紀の資本』の邦訳が出版されて、日本でも大きな話題になったのは2014年末から翌2015年の初め頃だった。

 当時の安倍晋三政権はこの本の問題提起に対して反論するでもなくスルーした。それは私には「世の人々がピケティブームの消費を終えるのに任せている」ように見えた。狡猾極まりないなあと思ったが、どうせそうした権力側の狙い通りになるだろうなと予感した。そしてその予感は不幸にも、というより当然にもといいたいところだが的中した。

 そのピケティが2019年にフランス語版を書いた『資本とイデオロギー』の邦訳が今月下旬にやっと出るらしい。版元は『21世紀の資本』と同じみすず書房で、訳者も前回と同じ山形浩生と森本正史だ(守岡桜が外れている)。

 

www.msz.co.jp

 

www.msz.co.jp

 

 『21世紀の資本』も728頁あったが、『資本とイデオロギー』はそれよりちょうど400頁多い1128頁もある。

 幸運にも、データを統計処理したグラフを見慣れている私にとっては『21世紀の資本』の読書は全く苦にならなかった。読書記録を見ると2014年12月20日に読み始めて2015年1月2日に読み終えている。しかし、そういう作業に慣れていない多くの読者にはなかなか読み進められない本だったようだ。

 今回も買って読もうと思っているが、当時とは比べて自由に使える時間が大幅に減っている上、本も分厚くなっているので、どのくらいの期間で読めるかはわからない。

 その『資本とイデオロギー』の出版前ということで、便乗商法なのかどうか、文藝春秋からピケティが昨年3月にフランスで行った下記講演録の邦訳を先月出した。

 

books.bunshun.jp

 

 これは100ページにも満たない本だが、税込で1760円もする。しかし先日買って読んだ。

 本の終わりの方に「自然と不平等」と題された章がある。そこでは富裕層、特に北米の富裕層による二酸化炭素排出量が突出して多いことがグラフで示されている。

 こうした「不平等」の解消が、人類全体にとっても喫緊の課題であることがよくわかる。

 しかし日本では、いつだったかのサンデーモーニングで紹介されたように、2015年と現在とを比較して、気候変動に危機感を持つ人の比率が減少するという世界にも稀な国になっている。

 そんな惨状だから、自民党より過激な新自由主義政策をとり、格差拡大をさらに進めようとする維新が支持される。そんな維新と「政策があまり(あるいはほとんど)変わらない」と言って一時期維新代表・馬場伸幸に自ら声をかけて会食してニヤニヤ顔をしていたあげくに足蹴にされた立民代表・泉健太は論外であり、一日も早く立民代表を辞めてもらいたいとしか私は思わない。今の日本の危機は、泉のような微温主義でよくなるような生易しいものではないと私は確信している。

 「文春砲」とやらが馬場のパワハラを掻き立てたそうだが、この商業メディアがそれが商売になると考えているらしいことがわずかに救いといえるかもしれない。

 しかし、かつて反動出版社として長く鳴らした文春が矢を放つくらいしか目につかなくなったこの国の惨状は、本当にもうどうしうようもないところにまできている。

 時間が来たので今日はここまで。