kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

今の立憲民主党に単独主戦論は無理があるよ。支持率や比例での票の出方を流石にきちんと見たほうがいい。理由は地力が不足し「過ぎている」。(マストドン政治おじいちゃんお化け氏)

 クソ長かった今年の猛暑にもどうやら終わりが見えてきた。

 私はYahoo! 天気を見る時いつも天気図を真っ先に開くが、今晩は日本列島を秋雨前線が横断する予想天気図になっている。もっとも明日までの東京の気温予想を見ると、明日夜に前線はいったん少し北上するらしく、明日の夜は猛烈な南風が吹いてまたしても不快極まりない高温多湿の夜になりそうだが、明後日から明々後日(しあさって)、これは1970年頃に東京では「やのあさって」と言うと小学生向けの学習雑誌で知って当時阪神間在住だった私は驚いたものだが、実際に東京に住んで「やのあさって」という言葉を耳にしたことは一度もない。

 

東京のほぉ~言!!

やのあさって

 

《意味》 4日後

 

 《分布》 東京都心部→衰退中

 

 今日、明日、あさって、しあさって、その次は? ご存じでしょうか。「やのあさって(やなさって)」ということばなら、聞いたことがあるかもしれません。東京都心部で「4日後」を指すことばです。

 

 「やのあさって」=「弥の明後日」。「弥」は「いよいよ、もっと」という意味なので、「あさっての翌日」、つまり「3日後」。変ですね。実は、東日本全域や多摩地域、23区でも都心部以外は「3日後」を指すことばなのです。

 

 江戸時代、関西と交流の深い江戸では、西日本方言の「しあさって」が「3日後」のことばとして普及しました。江戸の「やのあさって」は「3日後」の座を奪われ、1日押し出されて「4日後」になりました。

 

 1980年代の調査報告には、都心部の「しあさって」が普及して、周辺部で「やのあさって」の意味が混乱していると記録されています。いまは、都心部も含めてこのことばを聞かなくなりました。「4日後」はどうなるでしょう。

 

 (鑓水兼貴・国立国語研究所非常勤研究員)

 

出典: 朝日新聞デジタル:やのあさって - 東京 - 地域

 

 東京の言葉が上方の言葉の影響を強く受けていることは周知であって、地名の「深川」に至っては豊臣秀吉の晩年の1596年(慶長元年)に摂津から当地にやってきて土地を開発した深川氏の人名からとられているという。私も摂津国の出だ。その東京でも「やのあさって」が3日後か4日後かが、関西から来た「しあさって」のせいで混乱したあげく、「やのあさって」という言葉自体が死語になりつつあるらしい。なお大阪弁の語彙の減り方は東京言葉の比ではないくらい激しいと私は認識している。1980年代以降に大阪芸人が撒き散らした下品な「大阪弁」(あくまで括弧付き)が私は大嫌いだ。1960年頃の甲子園球場のヤジは「関西弁だから迫力がない」と言われていたと井上章一氏が書いていた。

 話が脱線したが、「やのあさって」の本来の意味である3日後の23日土曜日、秋分の日に予想される雨を境に、ようやく大陸の移動性高気圧による秋の乾いた空気が入ってくるらしい。本当に長くてつらい夏だった。

 今年の夏は「Xから排除された夏」でもあった。アカウントがなければ読めないからやむなくXのアカウントを取得した人も少なくなかったようだが私はそうはしなかった。Xへのアクセスが制限された立場からの発信にも意味があるはずだと考えたからだというといささか格好のつけすぎであって、実際には「渇しても盗泉の水を飲まず」程度の意味合いだ。

 いまだに惰性でX中心の発信をしている人たちに対し、政治おじいちゃんお化け氏は、どうやらXと並行してのようではあるがマストドンで発信をされているので助かる。おかげで現在立民支持者、特に泉健太を支持する人たちの間では立民は国政選挙を単独で戦うべしという意見が主流になっているらしいことを知った。

 以下政治おじいちゃんお化け氏のマストドンから拾う。

 

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 悪いが中野晃一氏の動画は見ていない。しかし中野氏が野党共闘を推しているらしいこと、そしてそれに賛成しない立民支持層(泉健太の支持者たち)があの界隈では主流になっているらしいことはわかる。

 

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 「現状でのベスト」というより、立民も共産もともに執行部が大問題だけれども、そうするしか仕方がないといったところではないかと思う。

 

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 上記が一連の氏の発信の核心だろう。私も全面的に同意する。確か立民の比例票は2021年衆院選の20.0%から2022年参院選では12.7%にまで急落したはずだが、泉支持者を中心とする「単独主戦論者」たちはその事実を直視できない。これが私には不思議でならない。立民への支持は昨年の参院選後も何も回復していないどころか、泉の維新へのすり寄りとその失敗を主な理由として逆に低下さえしているのに、その現実から目を逸らしている。

 

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 あの選挙では「野党共闘」は得票率では自民に肉薄したものの「小選挙区制」の壁に跳ね返されたんだよね、小沢一郎の罪の重さを改めて感じた。まあ菅直人にせよ枝野幸男にせよ同罪ではあるけど。しかし、泉健太はつい最近もインタビューで2021年の選挙の負けばかり強調して、その衆院選の翌年に行われた参院選で、衆院選の比例票から3割以上も減らしたことには何も触れなかった。泉とはとんでもなく不誠実な人間なんだなと私は思ったよ。

 

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 ふーん、こたつぬこ氏はXしかやらないから全然知らなかったが、今はそういう発信をしてるんだ。

 

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 上記は共産党支持者の怒りを買う発信かもしれないが、共産党もそれだけ追い込まれているということだろう。これが立民と公明との駆け引きになると、公明は長年自民と組んできて今も組んでいる政党だから、そりゃ要求のバリアは共産よりも桁違いに高くなる。そんなの当たり前だよね。なお上記発信からは「共産ではなく公明との提携を模索せよ」との意見があるらしいことがわかる。しかしそれはあまりにもセンスがなさすぎの考え方だ。自民とは組めない共産と長年自民と組んできた公明を並べるだけで、どちらがより交渉が厳しいかなんて考えなくてもわかることだ。

 

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 「2021年衆院選では保守票が逃げた」と叫んだのは、今や維新支持世代が中核を占めるようになった人たちが社の中核を占めるようになったマスメディアであり、その論調に立民の議員や党員や支持者たちが乗っかって誕生したのが泉健太代表だったんだよね。私はその時から、立民はなんて愚かな選択をしたのか、泉体制なんか絶対にうまくいくはずないのにと思い、その線に沿って記事を書き続けてきた。結局今のところ当時予想した通りに事態は推移している。

 

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 上記は、安倍晋三が殺されたのは一昨年の衆院選直前ではなく昨年の参院選直前だったためにやや意味がとりにくいが、2021年衆院選に関して「保守票含めて歩留まりはそれなりに良かった」というのはその通りだと思う。しかし、枝野体制に対する一定の「飽き」があって、立民の比例票が中期的に低下の傾向にあったことも確かだった。とはいえそこで立民に求められたのは、泉がやっ(て失敗し)たような「右旋回」などではなかったと思う。

 

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 いやいや、決して間違っていないと思いますよ。

 

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 この「立民支持層の危機感のなさ」は、やや大袈裟かもしれないが2012年衆院選前のオザシンたちに似ているとさえ思う。あの時は、日刊ゲンダイ東京新聞などが煽りまくっていたにも関わらず、客観的情勢は日本未来の党の惨敗しか指し示していなかった。私はそのことをブログに書きまくったが、まさか獲得議席がわずか9議席に終わるとはその私ですら想像を絶していた。

 立民の衆院選獲得議席が1桁になることはさすがにあり得ないが、再起不能の惨敗を喫して立ち直ることもできずにズルズル解党への道を歩む事態は十分あり得ると思う。

 そもそも支持者の議論が内向きで、党の権力者に対する党員や支持者の批判が憚られる空気があるなんて不健全極まりない傾向ですよ。