kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

若年層の岸田内閣支持率が急激に下がった

 最近、若年層の政治に対する意識に大きな変化が起き始めているようだ。

 少し前に、日本維新の会政党支持率は30〜50代でもっとも高く、それ以下の若年層になるとガクッと下がる傾向が出始めた。

 今度は、若年層の岸田内閣支持率が急激に下がった。特に30代で顕著だという。

 普通、15〜64歳を「現役世代」という。その折り返し点が40歳だから、30代といえばこれまで「現役」だった時間よりこれからも「現役」であり続ける時間の方が長い世代だ。私など「現役時代」はあと少ししか残っていない人間であり、概ね歳をとるほど「我が亡き後に洪水よ来たれ」的な発想をする人間が増える。よく為政者が「私の任期中は×××(不人気な政策)はやらない」と言うが、そうした言葉を聞く度に私は、なんて無責任な奴なんだ、「我が亡き後に洪水よ来たれ」的発想の最たるものだと思ったものだ。小泉純一郎にも安倍晋三にもこの傾向はあった。

 なお、この言葉に関するWikipediaが結構面白いので、途中まで以下に引用する。

 

我が亡き後に洪水よ来たれ」(わがなきあとにこうずいよきたれ[1]フランス語Après nous le déluge / Après moi le déluge)は、フランス王ルイ15世の愛人であったポンパドゥール侯爵夫人の言葉とされる、もともとはフランス語の語句[2]日本語では、「わが亡きあとに洪水はきたれ[3]、「我亡き後に洪水は来たれ[4]、「大洪水よ、わが亡きあとに来たれ[5]、などとも訳され、「アプレ・モア・ル・デリュージュ」と音写されることもある。

2通りの解釈[編集]

この表現は、2通りの解釈が可能である。「我が亡き後に、洪水が来るだろう」と解するならば、「革命によって自分の統治が終わりを告げることになれば、国民は混乱に陥ることになるだろう」と断言していることになり、「我が亡き後に、洪水よ来い」と解するならば、「自分が去った後に何が起ころうと知ったことではない」という含意になる[2][6]。後者を踏まえ、日本語の言い回し「後は野となれ山となれ」に近い含意だと説明されることもある[1][7]

起源[編集]

(主語を複数にした)「Après nous, le déluge」という言葉は、七年戦争のさなかに1757年11月5日ロスバッハの戦いで麾下の兵力の7分の1を一挙に失ったルイ15世に対し、ポンパドゥール夫人(ジャンヌ=アントワネット・ポワソン)が彼を励まそうとして、この敗北がもたらす今後の劇的な影響のことを考えるのをやめるよう勧めたものとされる[8]

ルイ15世は、この利己的な格言を(主語を単数にした)「Après moi, le déluge」という形にして、王太子(後のルイ16世)について言及するときなども含め、しばしば口にしたという[9]

マルクス資本論[編集]

カール・マルクスは『資本論』第1部「資本の生産過程」第3篇「絶対的剰余価値の生産」第8章「労働日」において、この言葉に言及し、こう述べた[10]

“大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!”これがすべての資本家およびすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない。

 

出典:我が亡き後に洪水よ来たれ - Wikipedia

 

 ああ、マルクスもこの言葉に言及してたんだっけ。私はへそ曲がりな人間だから、『資本論』は第1巻だけ、日経BPラシックス中山元訳で2014年に3か月かけて読んだ。日経BPラシックス版は第1巻しか出てなかったから第2巻と第3巻は読んでいない。でも第1巻はデヴィッド・ハーヴェイの『<資本論>入門』(作品社)を副読本として結構真面目に読んだ。どのくらい理解したかは全くさだかでないが。第8章「労働日」は確か当時のイギリスの労働状況を活写した章で、『資本論』第1巻はチャールズ・ディケンズ(1812-1870)の晩年の1867年に刊行された本だから、私はディケンズの長篇を読むたびにしばしば『資本論』を思い出す。なおディケンズは、ロワーロワーミドルとでもいうべき、中流階級の中では最下層の出身であり、弁護士の子として生まれてアッパーミドルに属したフランスのスタンダール(1783-1842)などよりはずっと苦しい環境にいたけれども、それでも下層階級の出身ではないからそれ相応の階級意識を強く反映した小説を書いた*1。しかしそれでも当時のイギリスのエスタブリッシュメント層からは危険人物と睨まれ、彼らはディケンズの小説をマルクスの『資本論』と同列に論じて大いに貶めたという。

 話がそれた。若年層の意識に話を戻すと、彼らの多くが岸田内閣不支持に回った動機にはいくつかが考えられる。まずあのドリル小渕優子を選対委員長に抜擢した人事だ。小渕は世襲貴族の権化のような人物であり、しかもあだ名が示す通り前科があり、その総括もろくにしていない。だから実力よりも血統で人事を決めやがって、と思うのが普通の人間だ。中には長年政治ブログをやっている某都会保守氏のように、野党支持でありながら小渕に期待する酔狂な人もいるけれども。

 もう一つはパナソニック労組から矢田稚子首相補佐官に抜擢した人事だ。あれで岸田は労働者を「大企業の正社員」に代表されるアッパーミドル層とそれ以外との分断を露骨に狙ってきた。

 そうでなくとも、昨今の日本が今にもジェットコースターから急降下を始める初期の段階にあることは多くの人が実感していることだろう。そういえば全地球的な気候変動(地球暑熱化または地球沸騰化)も同じような段階にあると感じる。そうなったら今後は「椅子取りゲーム」の過酷なサバイバル競争の時代になることは目に見えているから、そんなタイミングで労働者の分断を露骨に狙う岸田が強い反感を買うのはあまりにも当然だ。

 こんな状況なのに野党第一党の立民の支持率が伸びないのは、いうまでもなく党代表・泉健太の微温的な姿勢のせいだ。もう何十回も書いたような気がするが、泉は就任早々には「提案型野党」路線に走り、のちには維新にすり寄った。立民は今の時代にもっともふさわしくない代表を選んでしまったといえる。また、本来もっともラディカルな政策を掲げる政党として党勢が伸びて当然と思われる共産党も、分派狩りを行ったり大阪や埼玉でのパワハラにやたらと甘かったりなどの内向きの党運営が災いして党勢が伸びていない。それどころか党員の高齢化に伴って長期低落が進んでいる。これらの結果、小沢一郎系の尻尾を引きずっていて全く信用ならない元号新選組が漁夫の利を得て緩やかながら党勢を伸ばしているというのが私の認識だ。

 維新については、少し前に堀新氏が下記Xで、被害者意識や(自らが)没落(するのではないかと)の危機感を抱く中間層や勤労者層の心をつかんでいるのではないかと指摘していた。

 

 

songbird.cloud

 

 今までは維新はそれで通用してきた。だから30代後半から50代で支持が強かった。そもそも彼らはそれ以前に「小泉構造改革」を強く支持していた層に違いない。小泉政権の成立は2001年で、今から22年前だ。2021年の衆院選党首討論松井一郎が「まだ改革が足りない」と小泉純一郎そっくりの言い方をしていたことに、維新は未だにこんな手垢のついた古臭い文句を口にするのかと驚いた。というのは、小泉式の新自由主義経済政策など2007〜09年に猛烈に起きた新自由主義批判によって人々の支持を失ったとばかり思っていたからだ。だから2021年の維新躍進は非常に大きなショックだった。そんな維新に、こともあろうに「『維新八策』に大部分協調できる」などと言ってすり寄った人間が泉健太だから、私にとって泉は絶対に許せない政治家なのだ。

 維新を支持することは、生活が苦しくなったのをギャンブルで取り戻そうとすることと等しい。新自由主義者はよく「頑張った者が報われる社会を」と言いたがるが、人間、努力だけでは決して成功できない。運も必要だ。流行歌手の世界がその典型例であって、いくら成功者が「苦節ウン年」と叫んだところで、楽曲に恵まれなければその地位を得られなかったことは誰にでもわかることだ。

 ところで過酷な競争を煽る維新が、その一方で大阪万博のために自民党政権から多額の公金を使わせようとするなどの悪行を行っていることが徐々に知られてきたから、今後はここ数年の維新の破竹の進撃は止まるのではないか。というより絶対に止めなければならない。維新こそ自民党政権の政策の起結として進んでいる日本経済や社会の崩壊をさらに加速させる最悪の政治勢力だからだ。

 ところでマストドンでは下記のアカウントに注目している。

 

toot.blue

 

 上記リンク経由で下記リンクを知った。

 

codoc.jp

 

 最近『野党第1党』という著書を出した元毎日新聞記者の尾中香尚里(おなか・かおり)氏の刊行イベントで、尾中氏の発言をまとめた記事のようだ。特に以下の部分に注目した。

 

■社会像の選択というテーマ

 

②「社会的価値に配慮しながらも経済的価値を拡大するため、個人重視・支え合いを建前とし、国家重視・自己責任を本音で追求する」が行き詰まり、①「経済的価値を最大化するため、国家重視・自己責任を名実ともに追求する」と③「社会的価値を最大化するため、個人重視・支え合いを名実ともに追求する」の社会像の選択になった。

②の中での競い合いに持っていこうとしていたのが平成中盤までの自民党民主党。①の中での競い合いに持っていこうとしているのが安倍内閣以降の自民党と維新の会。自民党は野党時代にかえって「与党になったら野党を否定する」路線を強めた。野党時代の自民党が最も攻撃したのは子ども手当と、その背景にある「所得制限なし」「社会全体で育てる・助ける」という考え方。自民党は国民には国家への奉仕を求めるが、国民はできるだけ助けない、自助と絆でなんとかしろという政策をアイデンティティーにした。今の自民党の綱領に最も忠実なのは菅義偉さん。岸田首相は当初「新しい資本主義」「分配」などと言っていたが、それは自民党では実行不可能な政策だった。今ではもはや③どころか②のふりもできていない。

 

民主党民進党から希望の党を結党したのは②から①に向かう動き、民進党から立憲民主党を結党したのは②から③に向かう動きといえる。

小沢一郎氏の場合は『日本改造計画』の時点では①の立場を代表する政治家だったが、民主党の代表に就任してから③に近い政策を標榜するようになった。小沢氏が①から動いたらそのポジションに安倍晋三氏や橋下徹氏が入ってきたが、①路線で一番徹底しているのは菅義偉氏。

 

既存の社会方針以外にないと思っている人には他の社会像は非現実的に見えてしまう。政権の側から見た史観になってしまう。

 

 今の自民党でもっとも「確信せる新自由主義者」なのが菅義偉だとの指摘だ。これは大いに当たっていると思う。

 逆に、維新側から見た場合、維新は菅義偉と菅に同調する議員らを自民党から引き抜いて、というより自民党を分裂させて政権を獲りに行くというのがもっとも合理的な戦略であることは明らかだ。そして維新から見れば宏池会はそうした自らの戦略を妨害する存在でしかないから、維新にとっては「敵の本丸」に当たる。

 岸田内閣の支持率低下には、本記事の前半で述べたような有権者が自然な感情として持つ政権への反感に加えて、上記のような新自由主義側の戦略に起因するものがあるように思われる。それは、従来のネトウヨの主張などから想像しやすい「『保守派』(実は復古主義系極右)の岸田政権への反発」とはほとんど関係なく、維新や菅義偉につながる人々が主力となって起こそうとしているものだ。だから弊ブログはトンデモ極右の「日本保守党」などほとんど脅威にならない、最大の脅威は維新だと主張し続けている。

 弊ブログにいただいたコメントを見ると、岸田は総理大臣の座を一定年数守りたいだけだろうとの意見もあるようだが、私は岸田には組織防衛への強い志向を持っているのではないかと考えている。その際、岸田が仮想敵としているのは明らかに維新であって、そのために岸田は民民だの連合だのを取り込もうとしているのだろうと推測している。民民や連合と組むことによって維新を排除しつつ、自民党を分裂させないよう菅一派を押さえ込んでおこうというのが岸田の戦略であることは疑いないように私には思われる。だから権力闘争に関する岸田の能力を軽視しては読み間違えてしまうのではないか。

 そういう流れだとしたら、昨年の今頃維新にすり寄っていた泉のやり方はとんでもない愚策でしかなかったことになる。あの頃、ネットの某軍師は立民の維新へのすり寄りにやたら容認的ないし肯定的だったが、それは彼が流れを読み違えていたからではないかと私は疑っている。私が考えるに、維新は「味方」になり得る勢力では決してない、間違ってもあり得ない。彼にはそのことがわかっていなかったのではないか。思い出せば彼は2017年の民進党代表選から希望の党騒動に至る政局でも読みを大きく誤った。民進党代表に前原誠司が選ばれようが枝野幸男が選ばれようが大して変わらないという意味のことをずっとツイートし続けていたのだ。一方弊ブログは民進党代表に前原が選ばれるか枝野が選ばれるかとでは大違いだ、この選択なら枝野しかないと書いた。結果は軍師氏の楽観的な予想に反して前原は「希望の党」騒動を引き起こした。あの時にも読みを誤った軍師氏は、昨年の立民と維新との接近時にも読みを誤ったのではなかろうか。

 また、連合が自民党と組んでしまえば良いという敗北主義も百害あって一利なしであることは明らかだ。仮にそうなれば労働者(勤労者)の分断はが岸田や玉木や芳野友子の狙い通りに既成事実となってしまうからだ。少なくとも連合内には芳野の路線に対する反発もそれなりに強いことは明らかなのだから最初から敗北主義に走るメリットは何もない。結局自分の意見は正しかったが世間の大勢が馬鹿ばかりだったせいで負けた、というのでは自己満足に過ぎない、というよりも他人を見下している分だけ尊大で鼻持ちならない態度だとしか私には思えない。

 なお、尾中氏の講演メモに小沢一郎への言及があるが、小沢というのは本当にどうしようもない奴だ。新自由主義側から社民主義側に転向したはずの小沢の立場であれば希望の党騒動に関与することなどあり得なかったはずだが、状況証拠はすべて小沢の関与があったことを指し示している。特に当時の読売新聞の報道にそれが反映されている。朝日や毎日は小沢に忖度する記者が記事を書いたせいかあの政局では精彩を欠いていた。だが、2003年に小沢が新自由主義側から(一時)離れたために空いたスペースを安倍晋三橋下徹が占めたという尾中氏の指摘は興味深い。安倍については、彼がもともと経済政策に関してノンポリであったからこそ、ある時期には小泉の後継者として新自由主義政策を推進したり、政権に返り咲くと金融緩和の一本足打法に走ったりしたことは明らかだが、尾中氏は橋下徹も安倍と同じカテゴリに入れているわけだ。私は橋下も菅義偉と同様の「確信せる新自由主義者」だとこれまでずっと信じて疑わなかったのだが、実際のところはどうだったのだろうか。

*1:総じてイギリスの小説には階級意識が強く反映していると言われる。確かに、アガサ・クリスティのミステリなどもアッパーミドルに属して保守党を支持したクリスティの階級意識が強くにじみ出ている。