kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

泉健太の維新へのすり寄りはもちろん大問題だが、参院に転出した辻元清美、幹部がオザシンに成り下がった社民・共産両党などの責任も重い

 サッカーW杯については、第1戦でオリックススーパーエース・山本由伸に勝つ「金星」を挙げながらも結局はチームの戦力に差があったために、2013〜20年の(自チームも含む)セ・リーグの球団と同じように普通に負けて終わったヤクルトの日本シリーズを思い出しただけだった。勝つこともあるし負けることもあり、優勝はたった1チームなのだから、それでWikipediaの今回の負けの選手の項を書き換えたりとか、そんなことに時間を使うなよと言いたくなる。

 しかしTwitterでその解説ぶりもてはやされている本田圭佑は全く好まない。前回のベルギー戦の最後に緩いプレーで負けたのは本田にも一因があったはずだし*1、何より彼は新自由主義者だし、ソ連ウクライナ侵攻に関してもソ連寄りのツイートをかましていた。わがまま勝手なその人間性がどうしても好きにはなれない。

 サッカーの日本代表はコスタリカを舐めて負けたといえるように思うが、昨年の衆院選辻元清美は維新を舐めて負けた。選挙戦中に「維新を相手にしない」的な発言があって、普通に勝てるはずだと高をくくっていたから負けたという面は確かにあるだろう。辻元は選挙後にそれを反省する言葉を発したし、菅直人は「要らんことしい」の感はあったけれども「維新の研究」だったかを始めた。

 しかし立民の代表選に勝ったのは元「希望の党」の右派にして新自由主義とも親和性の高い泉健太だった。泉は今年の参院選で立民が比例票を3分の1も流出させて「一人負け」する惨敗を喫したにもかかわらず責任を取らず、代表の座に居座った上にひたすら維新にすり寄っている。

 以下はまことん氏(社民党員)のツイートのスレッド。

 

 

 

 

 

 昨年秋まで「大阪で『維新』と対峙している立憲の議員」だった辻元清美参院選比例区選出の議員になってしまった。私は辻元の参院選転出に反対だったしその意見は弊ブログにも書いた。野党第一党が維新との闘いから逃げ出してはお話にならないと思った。しかし辻元は楽な道を選んでしまった。泉の術中にはまったとしか言いようがない。苦しくとも大阪で維新を倒す道を選んでもらいたかった。

 指摘する人間はほとんどいないが、2017年の衆院選で維新が希望の党ともども敗北した大きな理由の一つは、旧立民に票を奪われたことだった。大阪では既に維新が相当浸透していたので立民は辻元以外の候補が大阪の選挙区で当選することはできなかったと記憶するが、少なくとも維新の票をかなり減らすことはできた。その結果自民党が漁夫の利を得たわけだが、それは別に責められるべきことでもなんでもない。なぜなら維新は経済政策では自民党寄りももっと新自由主義色の強い、経済軸上における極右政党だからだ。一番いけないのは、かつての前原誠司(前原は維新との合流可能性が「100%」だと言っていた)や現在の泉健太のように自党から維新にすり寄っていくことだ。

 5年前に立民を躍進させたニーズは今もあるはずだ。5年前には、長年抑えつけられていたニーズに合う政党がやっと現れたと思って立民に投票した有権者が多くいた。だから結党したばかりの立民が躍進した。しかしその後がいけなかった。理念なき拡張志向は特に問題で、その結果泉健太を含む旧「希望の党」勢を大量に引き入れたあげくに泉一派に党を乗っ取られた。これが私の立民の見立てだ。

 現在の立民は、安倍晋三の横死とそれを機に噴出した統一教会問題によって自民党離れした人々をひきつける魅力などない。泉びいきの一部の人たちは、政党支持率で立民が維新に差をつけ始めたなどと喜んでいるが、あれは泉立民に魅力があるからではなく、自民党離れした人たちのうちのほんの一部が流れてきたに過ぎない。彼らはあくまでも例外で、多くは無党派層となっている。現在はどの政党も(もちろん零細元号新選組も参政党も含めて)多くの無党派層をひきつける魅力など持っていない。

 

 

 それはあの当時も今も政党人の方がだらしないからどうしようもないのよ。並立制を廃止して比例代表制中心の選挙制度にすべきだ、なんてことは弊ブログで16年前から書き続けているし、それを野党共闘の条件として呑ませろとも書いてきたけど、肝心の社民党小沢一郎衛星政党に成り下がったり、共産党が「野党共闘」路線を採るにあたって同様に小沢一郎に丸めこまれたりしてたからどうしようもない。つまり社民党共産党も幹部がオザシンに成り下がってたってことですよ。

 2019年の衆院大阪12区補選なんか最悪だった。小沢の口車に乗って共産党参院議員を辞職させて臨ませた発案者は小沢だったが、当時共産党筋から聞こえてきたのは「あんな発想はうちの党の人間にはできない」などと小沢を称揚する声だった。しかし選挙結果は共産党系「野党共闘」候補が供託金を没収される歴史的大惨敗だった。あの「かつて民主党代表選で小沢一派が推した過激な新自由主義者」である樽床伸二にまで負ける悲惨さだった。当時の旗振り人たちは今もあの補選の総括をしていない。

 時間になったので今日はここまで。この件は憤懣やるかたないので書き切れない。

*1:あの試合の失点シーンでは今回も致命的なミスをしたさる選手の動きも緩慢だったようだが、一瞬の隙を突かれて負けたり引き分けたりした点で1993年の「ドーハの悲劇」を思い出させる。しかしその裏返しが第1戦のドイツ戦だった。一瞬の隙を突く/突かれることが勝敗に直結するスポーツだから「波乱」が起こりやすいのだろう。日本のコスタリカ戦の敗戦は波乱ではなく実力だと思うが。