kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「立憲は自主独立で行けるほど自力があるかなあと思ってしまう」(ツイッター政治おじいちゃんお化け氏)

 東京で、先の統一地方選における杉並区議選での自民惨敗に続き、少し遅れて行われた足立区議選でも自民が惨敗した。足立区議会は公明党が第一党になった。

 その公明党練馬区議選で大量4人の落選者を出した。これは投票率を読み間違えたことによるもので、厳密な票割りで当選ラインをわずかに上回る候補を全員当選させるという計画が狂ったためだ。しかしよく指摘される公明党の長期低落を示すものではあった。

 自民党の方はそうではない。

 全国的にはまだまだ地方で自民党が強く、衆議院小選挙区制がベースなので当分は「自民一強」が続きそうな状態だ。1990年代の「政治改革」は本当にろくでもなかったと思う。あれは小沢一郎山口二郎が推進したものだが、先日ネット検索をかけていたら「政治改革4法案」が可決された1994年1月31日に放送されたテレビ朝日報道ステーション」の番組開始から13分間の動画があったので見てしまった。番組には山口二郎が出ていた。細川連立政権の与党と野党・自民党の折衝によって小選挙区制の定数300、比例代表の定数を200とした上に比例区を全国1区ではなくブロック制にするという形になったことを当時35歳だった山口が批判していたが、選挙制度の改変自体はその山口が推進したものだった。一昨年(2021年)に亡くなった立花隆が「これでは民意を歪めた強力な政権ができてしまってとんでもない政治をする」と言っていたが、小泉純一郎や故安倍晋三らが立花の予言を現実のものとする悪政を行ったことはいうまでもない。番組では株価が3か月ぶりに2万円台を回復したとか細川内閣の支持率が反転上昇して77%(!)に達したとも言っていたが、同政権はその5か月後に崩壊して村山富市の自社さ連立政権が発足した。

 先日は株価が1年8か月ぶりに3万円を回復したとか岸田内閣支持率が反転上昇して四十何パーセントだかに達したとか言っていたが、30年近く経っても同じようなことがニュースになるんだなあ、しかし90年代前半と現在とを引き比べてみると、日本の国力は見る影もなく低下した。

 そんな現状なのに、昨年末に首相公邸で岸田一族がやらかした馬鹿騒ぎに象徴されるように、今や無能な自民党世襲貴族たちは何の緊張感も持っていない。私などこんな政治が続くはずがないと思うし、同じことを思う人は少なくないだろうと想像する。

 遅かれ早かれいつかは必ずやってくる自民党政治の崩壊。対抗言論があってこそ政治が改善されるのに、対抗言論がうざいからといって無理矢理それを排除してしまえば緊張感が失われて劣化する一方だ。「一強」はいつかは崩壊する。現状の延長線上だとそうなった時に日本社会は「焦土」になる。維新は日本社会の崩壊を加速させる政党でしかない。本来は維新とは反対方向から自民党政治に対峙する政治勢力が伸びる必要があると私は信じて疑わないが、立民も共産もそれを実現させる気があるようには私には見えない。

 日本で自民党の「一強崩壊」が始まる地は、やはり首都の東京しかないだろう。なぜかといえば、地方は疲弊する一方なので上京する若年者が多く、東京都は日本では沖縄県に次いで2番目に平均年齢の低い自治体だ。ちなみに3番目に低いのはトヨタを抱える愛知県だが、電気自動車に乗り遅れつつあるトヨタは没落を始めているから愛知県の今後も暗い。大阪府は8位であり、都市の規模の割には順位が低いが、それでもコロナ死を多く出した理由に高齢者が多いことを挙げた吉村洋文の言い訳は明らかに間違っている。他の道府県の多くよりは大阪府の方が高齢者の占める割合は低いからだ。あれは大阪維新の会の不正、もとい府政が悪いからああいう結果になった。

 その東京で自民党公明党との間に亀裂が走り、衆院選でも東京では両党は選挙協力をしないなどと言っている。権力機構の内側で何が起きているかは報じられてもいないので全くわからない。しかし遅かれ早かれいつかは自公の選挙協力は解消される。

 公明党に遠心力が働き始めている局面なのに「提案型野党」路線を採ろうとしたのが現立民代表の泉健太であり、それを後押ししたのが連合会長の芳野友子だ。この2人には時代の流れを把握する能力が著しく欠けているとみるほかない。泉はこの路線が失敗して参院選に惨敗すると、今後は勢いを増す野党第二党の維新にすり寄ったが、これもまた自滅以外の何物も招かず、維新に足蹴にされた上に統一地方選でも維新の大躍進を許し、「野党第一党の交代はあるか」が次期衆院選の焦点の一つになるに至った。その立民は、今後は「自主路線」を採るという。泉体制になってから早くも二度目の路線転換、つまり三度目の路線であり、立民支持層はよくこんな党首の迷走を容認するよなあ、辛抱もほどほどにしておいてはどうだろうか、などと私は思う。今のような激変の時代に無能な党首にいつまでもしがみつく必要など全くないとしか思えないのだが。

 ツイッター政治おじいちゃんお化け氏のツイートより。

 

 

 自力は「地力」のtypoかもしれないが、どちらでも意味は通るから間違いとはいえない。

 2014年の海江田万里衆院選に完全落選して代表交代に追い込まれた。京都3区は前回共産党が候補を出さなかった。同党はそこまでして泉にすり寄ったにもかかわらず選挙後に共闘を解除された、つまり泉に足蹴にされたから、今回はその状態のまま衆院選に突入することが確定した時点で京都3区からの候補者擁立を発表するだろう。現状はまだ共産が野党共闘にこだわっているから、早い段階での京都3区への候補者擁立発表はまず考えられない。それが行われるのは解散総選挙がほぼ確定となった時点でのことだろう。そうなった場合に選挙結果がどうなるかは知ったことではない。

 自公のほうはどうなるか全然わからない。情報が漏れ出てこないからだ。現時点で陰謀論仮説を立てていろいろ言っても仕方がない。

 下記は上記ツイートへの社民党員・まことん氏の反応。

 

 

 愛知は既に昨年の参院選の時点で比例票が立民と維新とでほぼ同じだ。現在はその頃と比べても立民は衰勢、維新は梅村騒動があったとはいえ基本的には続伸の状態にある。

 しかしお膝元の社民党に関するまことん氏の下記情勢判断は、いささか甘いとしか言いようがない。

 

 

 社民党が「全体的には健闘」したのはその左右に位置する共産と立民がともに自滅したからだろう。それより「東京などでは苦戦した」のが悪い材料だ。なぜなら前述の通り東京は若年層の比率が他の道府県よりは高く、東京での消長が今後全国に広がって行くだろうと思われるからだ。社民も立民や共産と同様に支持層が高年齢化しており、50代以下の人々の心を捉え得ていない。基本的には社民もまた衰勢にあると私はみていて、立民や共産ともども現状の延長線上では絶対にダメで、党が「変わる」必要があると考えている。というより、私自身も立ち位置も本来立民や共産より社民に近い人間なので言わせてもらうと、変わってもらわなければ困る。

 しかし、そのまことん氏も「岡目八目」というべきか、維新と立民についての観察には私も共感するところが多い。

 

 

 

 これはもう絶対にそうなる。そのようにしかなりようがない。現に昨年の参院選の時点で既に東京都や神奈川県では維新の比例区得票が立民を上回った。私が住む江東区はただでさえ立民が(新選組もだが)弱い地域なので、維新の比例区得票は実に立民の1.52倍にも達した。枝野前代表時代の一昨年の衆院選の時点で、東京4区共産党野党統一候補とするために同区から15区に移ってきて社民党の支援も受けた井戸まさえ氏が維新候補に急追され、維新の候補が井戸氏の約8割の票を得たが、現在同じ顔合わせで衆院選が行われるなら間違いなく維新の候補が井戸氏を上回るだろう。ましてや泉がたくらんでいるかもしれない右派新自由主義的な候補への差し替えが仮に行われるなら、その候補は維新の若い女性候補の半分の票も獲得できない大惨敗を喫するであろうことは疑う余地がない。下手したらトリプルスコアになる。仮に本当に候補者が差し替えられるなら私自身もその候補には絶対に投票しない。

 そうそう、東京15区といえば自民党公明党に同党が要求したという新東京28区の代わりに「候補を出してはどうか」と言った区の一つ(他は分割された片割れの12区)と報じられている。しかしこの区には野党議員時代から私が嫌って止まない柿沢未途がれっきとした自民党議員として居座っている。上記報道の誰だか知らない自民党の人間による発言は、間違いなく公明党を馬鹿にするとともに外様の柿沢に対する嫌味も込めたものだろう。公明党が態度を硬化させたのも当たり前だ。自民党が何を考えているのかは知らないが、維新と国民民主党(民民)とを巻き込み、さらに立民代表が泉のままなら立民をも巻き込む「大連立」を考えている可能性もある。いや、陰謀論かましても仕方ないと書いたばかりなのについつい書いてしまった。でも泉の続投にはそういうリスクもあるのではないかと懸念する次第。だって連合の芳野友子は平然と自民党大会に出席しようとしたもんね(結局自民党が芳野を招待しなかったので実現しなかったが)。泉はそんな芳野に民民との関係修復役をおねだりしやがった。

 万一そのようなことにでもなれば、前記立花隆がコメントした「民意を歪める小選挙区制」の害毒これに極まれりということになる。もちろん以上が私の妄想に過ぎなければそれに越したことはない。だが過去に自民にすり寄って失敗し、維新にすり寄っても失敗した泉健太の続投を楽観視することなど、私には到底できない。