補正予算を組んだり今年度予算が「大型」化したり、それに勤労統計の粉飾が発覚したりなどの報道から、これは景気後退局面に入りつつあるんだろうなと思っていたし、そのことをこの日記の記事にも何度か書いた記憶がある。だから「やっぱりな」としか思えない。日常の生活感覚とも合う。たとえば、「安いクセして」などと言って安売りをウリにしている某スーパーが「テレビで話題」などと宣伝していたことにも、ああ、消費者が財布の紐を引き締めつつあるんだろうなと思ったりした。
『広島瀬戸内新聞ニュース』にもこの件に関する記事が2件ある。
hiroseto.exblog.jp
そうそう、大企業のリストラの報道も目につくようになった。上記記事にある通り、まずしわ寄せは外国人労働者や派遣労働者にくるし、大企業より中小企業の方がもっと苦しいはずだ。
hiroseto.exblog.jp
記事は、上記リンクに表示された書き出しの部分のあと、
今度は中国経済に責任転嫁をし、電撃的な消費税率凍結で参院選圧勝を狙う魂胆だろうか?
野党側は、消費税率5%に戻すことと、庶民生活を立て直す経済政策、そして財源は大手企業・大金持ちへの適切な課税という方向での訴えをすべきときだ。
と続く。確かに、朝日新聞も時事通信も政府の主張通り今回の景気減速(と断言して良いだろう)を「中国経済の急減速」のせいにしているが、本当にそれだけなのかとは誰もが思うことだろう。
私は、これは「リフレ派右派の敗北」ではないかと思う。彼らは、金融緩和さえやっていれば、それに「庶民には緊縮」の財政政策を組み合わせようが、「労働の規制改革」とやらをやって労働者を苦しめようが問題ないと言わんばかりのようにしか私には見えなかったのだが、やはり「お友達と軍事と原発と米露にはバラマキ」で「庶民には緊縮」の財政政策ではダメだったということなのではないか。金融緩和に組み合わされるべきは「庶民に対して積極財政」だったのではないかと考える次第。
なお、「××景気超え」が幻だったと認定された先例としてすぐに思い出されるのがバブル経済で、あれが1991年3月には減速期に入っていたと認定されたのは翌1992年になってからだった。この訂正時までは「戦後最長だった『いざなぎ景気』(1965年11月〜1970年7月)を超えた」と報じられていたのが、「実は超えていなかった」と訂正されたのだ。以下、Wikipedia「バブル景気」から引く(但し「幻の『いざなぎ景気』超え」は言及されていない)。
バブル景気 - Wikipedia より
日本の景気動向指数でみる、景気循環における第11循環の拡大期に当たる。指標の取り方にもよるが、おおむね、1986年12月から1991年2月までの4年3か月(51か月)間を指すのが通説である(昭和天皇が吐血した1988年9月19日から翌年2月24日の大喪の礼頃まで自粛ムードあり)。これは、2002年2月から2008年2月まで73か月続いた長景気(通称:いざなみ景気、かげろう景気など)や1965年11月 - 1970年7月の4年9か月の57か月続いたいざなぎ景気に次いで第二次大戦後3番目に長い好況期間となる。
バブル以前の1985年、プラザ合意直後の日本は円高不況と称された深刻な不況であり、輸出産業が大打撃を受け、東京や大阪などの町工場には倒産が続出していた。当時の日本のGDPに占める製造業比率は高く(現在は18%程度)、円高が輸出産業、ひいては日本経済に与えたダメージは現在と比較にならないほど大きく、製造業の日本国外への流出もこの時期に本格化した。内需拡大の掛け声とともに、平成元年に所得税の国税地方税を合計した最高税率が88%から75%に引き下げられ、富裕層を中心に手取り収入が最大2倍近く増えたことがバブル景気を後押ししていた。円高不況という文字がメディアから消え、多くの一般の人がいわゆるバブル景気の雰囲気を感じていたのは1988年頃から1991年2月のバブル崩壊以降少し後までの数年である[要出典]。
日本のバブル崩壊による深刻な経済問題が表面化するまでには数年の時間を要し、当初は一時的な景気後退として楽観論が大勢を占めていた。1992年には政治的に宮沢喜一などが公的資金投入による早期の不良債権処理を言及しているが、官庁、マスコミ、経済団体、金融機関などからの強い反対に遭い実行に至らなかった。バブル崩壊と同時に1973年より続いてきた安定成長期は終焉を迎え、その後20年以上にわたる長期不況(失われた20年)などの引き金となった。
上記の文章中にある「その後20年以上にわたる長期不況(失われた20年)」が民主党政権終焉時の2012年までを指すのか、それとも現在までを指すのかは不明だが、なんとなく2012年までを指すかのような印象操作がされているように思われる。しかし、このエントリの2番目に引用した朝日新聞デジタルの有料記事の無料部分にある通り、現在の(実質的には少し前までの)景気拡大期の実質成長率は、「いざなみ景気」とやらより低いのだから、「いざなみ景気(かげろう景気)」を長期不況期に含めるのであれば(「失われた20年」というからにはそのように認定されていることになる)、現在もバブル崩壊後の長期不況期が続いていると認定しなければ筋が通らない。
それから、
内需拡大の掛け声とともに、平成元年に所得税の国税地方税を合計した最高税率が88%から75%に引き下げられ、富裕層を中心に手取り収入が最大2倍近く増えたことがバブル景気を後押ししていた。
とある通り、竹下登政権はバブル景気期に「火に油を注ぐ」トンデモ財政政策をやっていたわけだ。田中信一郎は、松尾匡が唱道する「薔薇マークキャンペーン」の政策だと好況期になれば富裕層減税が行われる、などととんでもないデマというか言いがかりをばら撒いていたが、それこそ竹下政権がやらかしたトンデモ政策なのであって、左派側から提案された政策がそんなものであるはずがない。
ここで田中信一郎の名前を出したが、景気減速期に入った可能性が濃厚になった現時点で、いわゆる「民進クラスタ(あるいは旧民主クラスタ)」が財政政策を「時代遅れのケインズ政策によるバラマキ」みたいな「究極の逆噴射政策」を言い募るようでは*1、そんな人たちに支えられた立憲民主党(や国民民主党や自由党)に投票するくらいなら自民党(安倍政権)の方がまだマシだと考える有権者が多数を占めて、経済失政を犯した安倍政権が参院選なり衆参同日選挙なりに圧勝し、延々と第7次内閣くらいまで安倍政権が続くという悪夢だって到来しかねない。
「民進クラスタ(あるいは旧民主クラスタ)」の人たちにはいい加減目を覚ましてもらいたい。