kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

デレク・ウォール『緑の政治ガイドブック: 公正で持続可能な社会をつくる』を読む

緑の政治ガイドブック―公正で持続可能な社会をつくる (ちくま新書)

緑の政治ガイドブック―公正で持続可能な社会をつくる (ちくま新書)


この本を最初に書店で目にしたのは2月だが、買ったのは3月31日夜。その日閉店したジュンク堂書店の新宿店に最初で最後の訪問をしたのだ。そして連休明けに読んだ。

このように抵抗があったのは、巻末に「右でも左でもなく前へ進む運動を」と題された鎌仲ひとみと西沢新一の対談が収録されていたからだ。ネット論壇(?)でひところ流行った「『右』も『左』もない」というフレーズを思い出させる上に、私は昔から中沢新一という人物に対して偏見を持っている。その偏見は、1988年の東大駒場騒動(中沢事件)の頃から持っていて、オウム真理教擁護の件で決定的になった。

結論から言うと、この巻末の「対談」には見るべきところもあるけれども、「右でも左でもなく前へ進む運動を」というのは不適切なタイトルだ。というのは、著者のデレク・ウォール自身がこのスローガンに否定的な文章を書いているからだ。以下本書から引用する。

・緑の政治は右か左か

 緑の運動家が共有する基本原理である「自然の尊重」「全体論」「成長の限界」についての概要を説明することは可能だが、保守主義にも様々な立場があるように、緑の運動家にも「環境保護主義者」「社会主義者」「アナーキスト」「フェミニスト」など様々な立場がある。したがって主要な問題について見解は分かれており、論争が続いている。緑の党内では様々に意見の変化が生じており、分裂したり合流したりすることもある。たとえば「左派の生命中心主義者」が自らを、ある時は「社会主義者」またある時は「ディープ・エコロジスト」と名乗るといった具合である。

 確かに、左翼か右翼かを区別する基準は一般的に「富と所得の再配分に対する方針」にある。「自然中心主義」か「人間中心主義」なのかという基準も右翼・左翼とは無関係である。「中央集権主義」か「分権主義」なのかという視点も当てはまらない。緑の党は「分権主義」だが、多くの左翼は「富と所得を再配分するためには、より強力な国家と中央集権的な政治権力が必要である」と考えてきた。そもそも従来の政治家は左翼・右翼どちらも、成長の限界や、全体論的視点、動物の権利について語ることはなかった。

 それでも緑の党を「右翼でも左翼でもない」と定義するのは単純化が過ぎるだろう。緑の党は社会的公正を求めて、「反企業・反資本主義」の政策を主張しており、多くの場合、左翼の立場をとってきたと言える。従来の視点で緑の党を分類することはできないが、右翼・左翼といった基準を無視することもできない。「富の再配分」と「企業活動の規制」をめぐってどのような政策を実行するのかは、環境にとっても大きな影響を与えるからだ。緑の政治の他の柱も同様に左翼的と言える。

 ちなみに「右でも左でもなく前へ進む政党」という定義は、「キリスト教民主党」を離党して緑の党の設立に参加した、西ドイツ連邦議員のヘルベルト・グルールが作った言葉である。

(デレク・ウォール『緑の政治ガイドブック: 公正で持続可能な社会をつくる』(ちくま新書, 2012年)93-94頁)


著者のこの文章と巻末の鎌仲・西沢対談のタイトルはいかにもミスマッチである。しかも、対談で中沢は「この本で物足りなかったのは、緑の政治哲学の部分でした」などと語っている*1。異論は本の巻末に対談者として登場するのではなく、別途書評でも書いてやるべきじゃないか、と正直言って鼻白む思いがした。


いきなり批判から入ってしまったが、この本は、賛成できる部分とそうではない部分があるものの、読んで良かったと思える本ではあった。正直言って私は「緑の党」は「環境問題」に特化した政党ではないか式の偏見を持っていたのだが、そういう先入観をこの本は一掃してくれた。第五章「生命のための政治」には

「所得の再配分」も重要な手段であり、緑の党は「高所得者層に多くの配分を求める累進課税に賛成する。

と書かれている*2。さらに緑の党は教育の民営化に反対し、労働組合の権利拡大を支援するという*3。ホームレス問題の解決、医療保険制度の拡充にも言及する*4。第三章ではボリビア大統領エボ・モラレスの言葉を借りて水道の民営化にも反対している*5。誰かさんとは真逆の政策がずらり列挙されているのだ。

第四章では、「ベーシック・インカム」に言及している*6緑の党ベーシック・インカムを支持する。ベーシック・インカムはやはり一筋縄ではいかない。フリードマン流の「負の所得税」があれば、マルクス主義学者に起源を持つとの話も聞いたが、「緑の党」流のベーシック・インカムもあるようなのだ。緑の党は「環境税」にも賛成するが、この税が富裕層や企業の負担を貧困層に移転するために右派が支持してきた政策だとも同時に指摘し、この問題を解決するために、緑の党は「環境税」導入と同時に消費税などの間接税を引き下げるべきだと主張している*7

緑の党選挙制度にも言及し、小選挙区制を批判して比例代表制を求める。「アメリカ緑の党」はアメリカの小選挙区制を廃止して比例代表制を導入することを求めている*8。さらに、連立政権入りして連立与党の政策にのみ込まれた例を紹介し*9、「既成政党を内側から改革するより、一切の妥協を排した真の緑の党として政策を競い合うことで、他姓等に影響を与える方が容易で効果的だという意見もある」としている*10。また、「ニュージーランド緑の党」は企業献金の制限を主張している*11


緑の党」と旧来左翼を分けると著者(や中沢・鎌仲両氏ら)が考えていると思われる「中央集権」と「地方分権」の問題については、私個人はその中間に解があると思っている。中央集権を原発に、地方分権地産地消再生可能エネルギーになぞらえるアナロジー、あるいは前者をホストコンピュータが全体を制御するシステムに、後者をインターネットのwww(world wide web)のようなシステムにそれぞれなぞらえるアナロジーを私は以前から念頭に置いている。それは金子勝氏や(橋下徹のブレーンになってしまった)飯田哲也氏らの影響を受けたものであり、この観点からいえば、ともに原発に強くこだわる民主党自民党は左翼政党に負けず劣らず中央集権的な政党なんだなといつも思っているが、その反面、地域間格差を縮小するためには中央政府の役割は決して無視できないとも考える。だから「小さな政府」にも反対であり、中沢新一が言うような、モジュールが結合してネットワークを形成すればコモンズを復活できる、みたいな楽観的な考え方にも与することができない。もっとも、中沢と違って「グリーン左派」に属しているらしい著者デレク・ウォールは本書で繰り返し新自由主義を批判しているから、その点に関しては著者の考え方にはそれほど違和感はない。

むしろ本書を読んで一番納得できなかったのは経済成長否定論であり、これは人類の理想としてはわかるのだが、現在の日本において、欧米やアジア諸国が経済成長をしている中で日本経済だけ(に見える)が縮小している現状にこれを短絡的に当てはめるとたまったものではないと思った。この責めを、もともとは日本人向けに本を書いたわけではないイギリス人の著者に負わせることは、もちろん不当なことなのだけれど。それこそ日本政府は「日本版グリーン・ニューディール」で内需を拡大すべきだし、省エネ技術や「ダムを壊す公共事業」だってありじゃないか、と私は思うのである。野田佳彦民主党政権にそれが期待できないことは言うまでもないが。


最後に、今年、日本の「緑の党」の結成を予定しているという「みどりの未来」との関連に言及すると、私がもっとも懸念しているのは、ずばり橋下徹との関係だ。

もともと、「みどりの未来」には新自由主義に絡めとられがちな「脇の甘さ」があった。本書に、2007年参院選で「みどりの未来」に支援されて当選した川田龍平が言及されているが、残念なことに、

川田龍平氏は後に「みどりの未来」を離れ、二〇〇九年に「みんなの党」に加わった。

との訳注*12がつかざるを得なかった。さらに懸念されるのが橋下徹との関係であることはいうまでもない。

上に見たように、「緑の党」の本来の政策は、「ハシズム」とは真逆のものである。しかし、「みどりの未来 橋下」でググってみればすぐにわかるが、日本版「緑の党」が「ハシズム」に絡め取られてしまうのではないかとの懸念を抱く向きは多い。

特にひところ話題になったのは、3月28日付の朝日新聞に掲載された尼崎市長にして「みどりの未来」の元共同代表である稲村和美氏のインタビュー記事で、稲村氏は明らかに橋下を肯定的に評価していた*13

脱原発」の一点での橋下との共闘、などといった思惑があるのかもしれないが、橋下はマスコミ(特に大阪・東京のテレビ局)をバックにした全国的な人気者であるのに対し、「緑の党」結成を予定している「みどりの未来」はごく少数派の政治勢力である。同党の良さは、橋下に妥協することでほぼ100パーセント吹っ飛んでしまうものだと私は考えている。同党が「ハシズム」から完全に自由になり得る、と確信を持てた時に初めて、子供の頃から「心情エコ派」だった私は、同党を支持することを検討するだろう。現時点は、はっきり言って「ハシズムにのみ込まれるのではないか」との懸念が大きすぎて、同党への支持を検討する気にはなれない。

*1:本書221頁

*2:本書153頁

*3:本書153頁

*4:本書154-156頁

*5:本書108頁

*6:本書130-132頁

*7:本書127-128頁

*8:本書159頁

*9:まるで「自社さ政権」の時の社会党みたいだと思った。

*10:本書172-174頁

*11:本書159頁

*12:本書37頁

*13:稲村市長が橋下を絶賛していた、として論難する向きもあるが、そこまでひどくはなかったのではないかとは思う。個人的にいえば、それよりも私が気になったのは、稲村氏が「新しい公共」の支持者だと明言していたことである。これは鳩山由紀夫が大好きな言葉で、2009年の「民主党マニフェスト」にもうたわれているが、(特に民主党政権下においては)容易に新自由主義に転化してしまう性質のものであって、軽々しくこの言葉を用いる人を、私はどうしても信頼できない。