kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

元阪急ブレーブス・アニマル投手が死去

どういうわけか日本プロ野球で活躍した外国人選手には早世の人が多いような気がする。ラインバック(阪神)、マルカーノ(阪急−ヤクルト)、ソレイタ日本ハム)、サンチェ(読売)、トラックスラーダイエー)、オルト(阪神)、……。古くはスタルヒン(読売その他)も早世だった。その列伝に、また1人が加わった。


http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130430/bbl13043010470001-n1.htm

元阪急投手のアニマルさんが死去 派手なパフォーマンスで人気


 プロ野球の阪急(現オリックス)で投手として活躍、登録名「アニマル」で親しまれたブラッド・レスリーさんがロサンゼルス近郊のマリナデルレイで腎不全のため、死去したとTMZなど複数の米メディアが29日、報じた。54歳だった。報道によると、腎臓病のため、ここ7カ月間は人工透析を受けるなど療養生活を送っていたが、27日夜に容体が急変、緊急搬送されたという。

 アニマルさんは1978年にドラフト9巡目でレッズに入団。86年に上田監督率いる阪急に入ると、マウンド上の派手なパフォーマンスが人気を集めた。この年には抑え投手として42試合に登板、5勝3敗19セーブを挙げ、オールスター戦にも出場した。だが、翌87年は不調で2勝2敗5セーブにとどまり、そのまま現役を退いた。引退後は「亜仁丸レスリー」の名で芸能界でも活躍した。

 その後、アメリカに戻り、少年野球のインストラクターなどをしていた。

MSN産経ニュース 2013.4.30 10:46)


最近は昔の記憶が薄れてきていて、アニマルの訃報を聞いた時、80年代の阪急ブレーブスの選手というのは思い出せたのだが、在籍は阪急が最後のリーグ優勝を遂げた1984年頃だっけ、だとしたら58歳くらいかななどと勝手に見当をつけた。しかし1984年の日本シリーズ(対広島戦)でアニマルが投げていた記憶はなかったのだった。夜のニュースで1986〜87年に在籍していたと聞いて、そういえばそうだったなと思い出した次第。その分享年も若くて54歳だった。1986年の阪急は3位、87年には優勝目前まで行きながら2位に終わったが、アニマルは86年には活躍したものの、87年に不振に終わるとさっさと現役を引退して日本で「亜仁丸レスリー」の芸名で芸能活動をしたことは記事にある通り。

阪急ブレーブスはアニマルが退団した翌年の1988年にオリックスに身売りした。そのせいもあってか、アニマルが活躍していたのは遠い昔のことという印象なのだが、今も日本プロ野球で現役の山本昌(中日)とは7歳しか違わない。年をとると時間の遠近感がおかしくなる。テレビでアニマルを最後に見たのはいったいいつだったか。アニマルはいつ頃まで日本で芸能活動をしていたのか。全く思い出せないのである。

ともあれ、故人のご冥福をお祈りする。