kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

加藤初と張本勲と広島と

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20161220/1482243481#c1482315045

id:mtcedar 2016/12/21 19:10

加藤初って聞き覚えがあるなぁと思った名前なんで、書籍の摩天楼の中から『波瀾興亡の球譜』 http://amzn.to/2b9WCiv を引っ張り出したら、矢張りあの加藤だったかと思いました。

球界黒い霧事件のダメージから抜け出せず低迷していた西鉄球団に、「登板のチャンスが多い」と敢えて“どっかの球団”のスカウト話を蹴って入団。その西鉄球団が中村長芳オーナーの「福岡野球」に身売りされてエースとして活躍していましたけど、怪我で休養したのを奇貨としてトレードという形で“どっかの球団”に出されファンからは総スカンを喰らうことになり「福岡野球」のその後の低迷の遠因になったんですよね。

で、確か“どっかの球団”に転出した加藤が優勝に貢献した訳で、id:kojitaken様が取り上げたノーヒットノーランも確かその時のことになりますね。


その通りです。

加藤初は、同じ年に日本ハムから移籍した張本勲とともに、「どっかの球団」の優勝に貢献しました。
加藤のノーヒットノーランが加藤と張本の移籍1年目の、広島市民球場での試合だったことは覚えていましたが、訃報をきっかけに、試合の日付が1976年4月18日だったと知りました。とすると、あの「張本バット事件」と同じカードだったかもしれないな、と思って調べてみると、その通りでした。こちらは同年4月16日の試合。ということは、この試合が3連戦の初戦で、加藤のノーヒットノーランは3戦目だったことになります。

「張本バット事件」というのは、広島市民球場で9回表、どっかの球団の9回表の攻撃で、同点を狙ったランナーがホームでタッチアウトとなり、前年(1975年)に初優勝を遂げていた広島がこの年のこのカード初勝利を挙げた試合でしたが、ホームのタッチアウトの判定に、どっかの球団の監督・長嶋茂雄が審判に激しく抗議したこともあって球場の大半を占める広島ファンがエキサイトして異様な雰囲気になったあと、試合後に張本が自らのバットを使って広島ファンに暴力をふるったと報じられて非難を浴びた一件です。

ネット検索をかけて、下記記事を見つけました。

38年前のプロ野球で起きたある「差別事件」│マガ9備忘録 | マガジン9(2014年3月19日)

38年前のプロ野球で起きたある「差別事件」

J1浦和レッズのサポーターが差別文言の幕を掲げた問題は、Jリーグが浦和球団に無観客試合の処分を下し、球団もサポーターに対して旗、横断幕類の掲出を一律禁止とした。

しかしその1週間前、今季開幕戦であるガンバ大阪戦で、今シーズンから加入した李忠成選手が後半22分から出場した際、浦和の一部サポーターが指笛を鳴らした。指笛は差別の意図があり得る行為だ。私は、プロ野球でかつて起きた、巨人の張本勲選手がファンに対して暴力を振るったと報じられた事件を思い出した。

1976年4月16日、広島市民球場での広島対巨人戦の最終回に判定トラブルがあり、巨人の抗議に対して広島ファンがフィールドに乱入して混乱した。結局広島が勝ったものの、試合後巨人選手の乗ったバスを広島ファンが取り囲んで小競り合いとなった。そのとき一部ファンが「張本に殴られた」と騒いで、翌日そのまま報道されたのだ。

そもそも、張本さんは「暴力を振るっていない」と言っているにもかかわらず、振るったことを前提に記事になっている。またそれまでにも、張本さんがバッターボックスに立つ度に、心ない民族差別ヤジが彼に浴びせられていた。この事件の際にも酷いヤジが飛んでいたらしい。読売新聞大阪本社社会部長だった黒田清さんは「読者への手紙」という欄で次のように書いた。

 この種の事件のあと、かならず関係者が言う。「プロ野球はお客さんあっての商売だ。どんなことがあっても暴力はいけません」。暴力否定の金科玉条。まさにその通り。これにタテつく人はいない。だけどわたしは疑問に思う。果たしてそうだろうか。ファンは金をはらって見に来ているのだから…という前提は、果たして絶対的なものなのか。
 逆に言えば、どんなに大金を積んでも、人間がしてはいけないこと、できないことがあるのではないか。母に対する愛情とか国に対する誇りとかいうものは、人間の尊厳にかかわる問題であろう。そういうものに対して侮辱を与えられたとき、怒らないのはおかしい。それはプロ野球の選手だからというようなことではなく、人間としてのことなのだ。

単なる暴力事件として報道されたが、黒田さんは差別事件なのだと喝破したのだ。しかし、警備強化やフェンス増設などの対応策がなされた程度で、広島ファンと張本さんが暴力的だという印象を残したまま、事件はいつの間にか忘れ去られてしまった。

その後、暴行していないことが明らかになった後、数十人の広島ファンが頭を丸刈りにして張本さんに謝罪した。また、黒田さんの兄がゴルフ場で偶然張本さんと会い、自己紹介したところ、張本さんは「黒田さんには、いくらお礼を言っても言い足りません」と感激至極だったという。

振り返って今回の指笛についてはどうなるのだろうか。Jリーグと浦和球団はさらに調査と問題の検証を進め、サポーターの意識向上を図るべきだ。

スポーツに胚胎するレイシズム。これを撲滅するのは至難の業だが、ヘイトスピーチが横行する社会風潮とは一線を画し、スポーツ界は差別を許さないという強い意思を示し続けなくてはならない。(中津十三)

参考文献:黒田清『新聞が衰退するとき』(文藝春秋)、有須和也『黒田清 記者魂は死なず』(河出書房新社


大阪読売の「黒田軍団」で知られた黒田清氏が差別事件だと喝破したとのことですが(当時は同じ読売でも東京と大阪とではまるで別の新聞みたいでした。その後ナベツネに全国統一されてしまいましたが)、私の家では読売をとっていなかったので知りませんでした。ただ、このような論評をしたのは何も黒田清ばかりではなく、同じ主旨の論評を毎日新聞の「余録」子もしていました。毎日新聞は、今でもそうだと思いますが、スポーツ面や社会面などでアンチ読売の色彩の強い記事を書く新聞で、この事件の時にも社会面の記事では張本を批判していましたが、1面のコラムで正論を放ったのでした。当時の大新聞のスポーツ記者は概して教条的で(芸能記者も同様でしたが)、朝日新聞の土原剛という記者などは頭ごなしに張本を非難していたはずです(私はこの記者が大嫌いでした)。しかし私は(当時の私は現在のように強烈なアンチ読売ではなかったこともあってか=私が過激化したのは「江川事件」がきっかけでした=)、この件は張本の「暴力」よりカープファンの差別的な野次の方が悪いよなあ、思っていたので、毎日新聞の「余録」子の論評に軍配を上げたものでした。ましてや、上記「マガジン9」のコラムにあるように、張本は実際には暴力をふるっていなかったのですからなおさらのことです。こればっかりはいくら読売が死ぬほど嫌いになった私が今振り返っても、当時のカープファンの所業を許すわけにはいきません。

ところで、サッカーの浦和は今年のJリーグチャンピオンシップでチームカラーに相応しい赤っ恥をかきましたが、上記コラムにも書かれているこのチームのサポーターの差別行為(他にもこのチームのサポーターは問題を引き起こしていたと記憶します)を執念深く覚えている私は「ざまあ」と思ってしまったのでした。