kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「受け皿がなかった」と横浜市民に認定されて惨敗した「野党共闘」

今日は時間がないので『きまぐれな日々』はお休みして、こちらに駄文を綴る。


横浜市長選は結局、現職で自公が推す林文子が2位の長島一由と3位の「野党共闘」にして江田憲司の元秘書・伊藤大貴にダブルスコア以上、2位と3位の得票を足しても林に及ばない圧勝だったようだ。

まるで今年のセ・リーグペナントレース。昨夜(7/30)も日曜夜のマツダスタジアム名物となりつつある猛打炸裂で最下位ヤクルトを当たり前のように蹴散らした広島が林なら、首位追撃どころかBクラス球団に取りこぼす阪神DeNAが長島と伊藤かってとこだ(特にDeNA、何やってんだよ、××なんかにサヨナラ負けしやがって!(怒))。

月初めの都知事選とは一転、というのは表面上だけの話だ。書きたくはないが、都議選では新自由主義的傾向の強い都民が、「都民ファ□ストの会」を腐敗・自民に代わる「受け皿」と認定してこれに期待して投票したが、横浜市長選では都民同様(あるいは都民以上に)新自由主義的傾向の強い横浜市民が、自民に代わる「受け皿」を見出せなかったために自公候補が圧勝した。横浜市は来年度からだっけ、教科書を育鵬社のものに統一するとかなんとかで、かつての「革新」のイメージから、いまや東京(特に都心部)や大阪市に並ぶ、日本三大極右都市に転落したとしかいいようがないが、この変化は一朝一夕にして起きたものではない。

とりあえず喫緊の課題は、安倍政権をいかにして退陣に追い込むかだ。山尾志桜里(前から書いている通り、この民進党右派議員を私は買っていないが)を責め立てるツイートがあふれ返る様子を見ていると、「野党共闘」が現状の延長線上から安倍を退陣に追い込むというロードマップは、私には非現実的極まりないものにしか見えない。

えっ、なんで山尾志桜里にそんなに幻滅するほど期待してたの?、とか、なんで共産党橋龍の秘書だった江田憲司のそのまた元秘書を担ぐの?、などの疑問は、日々SNSにのめり込んで周囲の人たちと同じ意見を発して団結して事足れりとしている(ようにしか私には見えない)集団との接点があまり多くない(というか、いろんな人のTwitterFacebookばかりを追いかける習慣のない)私のような*1人間に強い違和感を抱かせるような今のあり方では、「野党共闘」の今後に大きな期待は望めないように思う。体質の大きな変革が必要だ。

それにはまず、多様な意見を個々人が発信しつつ、一致して戦うべき時には戦うあり方の確立だ。想像するに、今は指導者集団の意見を下部の構成員が受け売りするような体質になっているように思われる。私が思い出すのはかつての「小沢信者」集団であって、あの集団は今の「野党共闘」の集団(その中にはかつての「小沢信者」が多数含まれるはずだ)よりもっと上意下達の体質が極端だったが(それは小沢一郎という絶対的カリスマがいたせいだ)、上意下達だの「忖度」だのははっきり言って「お呼びでない」のである。そんなものは日々の安倍晋三を頂点とする腐敗した権力構造やら少し前の小沢一郎周辺の「ソンタクズ」やらでさんざん見飽きている。少なくとも私が求めるのは、もっと自由に物を言える雰囲気だ。昨夜は「もっと多様性を!」と書いたが、「もっと議論を!」と書くべきだった。今の「野党共闘」に熱をあげる集団には、それが大きく欠如していると思う。繰り返して言うが、なぜ民進党右派の政治家にみんなしてそんなに入れ揚げたあげく幻滅したのか、とか、なんで共産党江田憲司の元秘書を担いだのか、などが集団内でまともに議論されないようでは、集団が大きな広がりを獲得することはできないと思うのだ。

「受け皿」の話は、昨日の『サンデーモーニング』の終わりの方で岸井成格がいろいろ言っていたが、「受け皿がない」という認識は岸井も持っているようだ。前々から岸井は衆院選は来年だと断定しているし、民進党の分裂に加えて自民党も分裂するとの見通しを述べているのだが、おそらく岸井が持っている人脈から得られた情報を根拠にそんなことを言っているのだろう。

私は民進党は絶対に間違いなく分裂すると思うが、自民党の分裂は予想しがたい。自民党が分裂すればそりゃ安倍政権は倒れるだろうから、それが本当で起きてくれれば良いと思うが、そうではない場合、どうやったら安倍を辞任に追い込んでいけるのか、そのプロセスを想像しようとしてもどうしても思い浮かばないのだ。一部の人たちは(特に「小沢信者」に多く見られるが)、「民進党を切ってしまえ」というのだが、自由党政党支持率は四捨五入すると1%には満たず、調査によっては0.1%にも満たないのである。その状態で民進党を排除しながらどうやって安倍政権を倒す青写真を描けるのか、私には全く想像もつかない。いや、彼らには青写真なんか何もなく、ただ単に「かつて小沢一郎を追い出した人たちが中心の民進党は許せない」だけなんだろうけれど。なお、実際には2011〜12年にかけて、小沢一郎は党内の多数を背に受けて代表選に勝って野田佳彦から代表の座を奪う構想を持っていたが、「民主党にいたままでは選挙に勝てない」と焦る小沢一派の比例代表選出議員らが脱党して「新党きづな」を結成するなどの動きで小沢の足を引っ張り、小沢に代表選勝利の目処を立たなくさせて離党・「国民の生活が第一」結成へと追い込んだものだと私は解釈している。つまり、小沢一郎は菅や野田に民主党を追い出されたのではなく、再選の見込みの薄い(現に新党きづなの面々は2012年衆院選で全員落選した)「小沢チルドレン」に足を引っ張られて敗北を余儀なくされたのである。

一方、右派に容認的な人たちは、「国民ファ★ストの会」(仮称)を当てにするのかもしれないが、あれは地方では通用しないから、かつてのみんなの党日本維新の会のように、30議席とか40議席を獲得して「躍進」するのが精いっぱいだろう。そして、当選が予想される人たち(長島昭久渡辺喜美若狭勝ら)の顔ぶれからして、選挙後に自民党と組むことは目に見えている。選挙前及び選挙中には彼らは「反安倍」「非自民」を装うであろうことは100%間違いないが、いざ選挙が終わって当分地位が安泰だとなった時点で、彼らは掌を返すのである。1996年の自民党による新進党議員の「一本釣り」を想起されたい。「国ファ」が「新・新進党」とも呼ばれていることは暗示的だ。私はそんな茶番はもううんざりするほど見てきた。

なお、安倍晋三は10年前のような病気の悪化でもない限り、総理総裁の座を明け渡しているとは想像できない。

野党共闘」について言えば、今の「野党共闘」のような、開かれた集団とは到底言えない内向きの集団のままでは、安倍政権を倒すなんて夢のまた夢ですよ。とはいえ今の「野党共闘」を軸にする以外には展望が思い浮かばない。私が求めるのは、「野党共闘」の体質を、外に開かれたものに変えていくことだ。これを強く求めたい。現状は外に開かれた体質からはかけ離れている。まさか、小沢一郎一派を仲間に引き入れて(あるいは小沢一郎の諌言ならぬ甘言に乗って)、昔より「物分かりが良くなった」(括弧付き)ことをもって「開かれた」なんて思ってるんじゃないだろうな、と、今の「野党共闘」にかつての「小沢信者集団」に似た体質を感じてそれを危惧する私は訝る。構成員が一斉に(もともと全面的に信を置けるとは到底思えない右派政治家の)山尾志桜里を叩く異様さや、「誰も共産党江田憲司の元秘書を担ぐことに違和感を表明しない」異様さなどを集団に属さない者に感じさせているうちは、「野党共闘」の将来には大きな期待はできない。

*1:いや私とて数人のTwitterはよく覗くが、その程度の接触では到底追いつかない。