kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「大外れの『K値』を『注目している』とオーソライズした吉村洋文知事の罪」(リテラ)

 私はリテラをあまり評価しないが、7月27日に中野貴志・阪大教授が提唱した「K値」を批判した記事を公開していたので紹介する。

 

lite-ra.com

 

 上記記事の最初の2頁で、大阪府知事・吉村洋文が「大阪モデル」の基準を変えまくったことなどが批判されているが、「K値」批判が出てくるのは3頁目なので、その部分を以下に引用する。

 

大外れの「K値」を「注目している」とオーソライズした吉村洋文知事の罪

 

 いや、吉村府知事の「罪」は「大阪モデル」だけではない。それは「K値」の問題だ。


 「K値」というのは感染の収束時期を予測する指標で、中野貴志・大阪大学教授が提唱しているものだが、現在の「第2波」についても「7月9日ごろにピークアウトする」(「週刊新潮」7月16日号/新潮社)などと予測。結果はご覧の通り、思い切り外しているわけだが、吉村府知事は5月14日の段階から〈「K値」は僕も注目してる〉〈阪大の中野教授の意見を府の専門家会議で聞く準備に入る〉などと言い出し、実際に6月12日には大阪府の専門家会議に中野教授と宮沢孝幸・京都大学ウイルス・再生医科学研究所准教授をオブザーバーとして参加させた。そして、この席で中野教授と宮沢准教授は「(緊急事態宣言の効果は)極めて限定的。経済を止める必要はない。止めても新型コロナは止まらない」「(感染の)収束は緊急事態宣言後の自粛によるものではないのは明白」と主張した。


 こうした主張に対し、吉村府知事は仰々しく天を仰いでみせただけでなく、会議後の会見では“接触8割減”を提唱した西浦博・北海道大学教授の数理モデルについて、「国を挙げて批判的検証をしないと間違った方向に進むんじゃないか」と疑義を呈したのだ。


 感染症の専門家でもない中野教授の「K値」は、「自粛に意味はない」という経済活動を最優先したい為政者にとってはおあつらえ向きの指標だ。そこにいち早く飛びつき、あたかもこの指標が正しいかのように喧伝した行為の責任は重い。吉村府知事は最近も「K値もズレてきてますから、K値がズレてきているということは、何らかの新たな発生源ができていると見るべきだと思っています」(17日放送フジテレビ『直撃LIVEグッディ!』)などと述べているが、この期に及んで「K値」などと言っている場合ではないだろう。


 現に、大阪府は吉村府知事による「大阪モデル」の修正に次ぐ修正で、危機に対応できるのか不安視されている。現在、大阪府は重症者の病床を188床確保しているというが、26日時点での使用率は5.9%。「赤色」になる基準は「重症者の病床使用率が70%以上」であるため余裕があるように思えるが、大阪府医師会の茂松茂人会長が「このモデルではかなりひどい状況になってから点灯する」(毎日新聞23日付)と述べているように、そこから自粛要請をかけても焼け石に水、手遅れの状況に陥っている可能性が高いのだ。


 しかも、このような状況下にありながら、吉村府知事は驚くべきことに「大阪都構想」の実現に邁進。21日には大阪維新の会の全体会議を開き、11月1日の住民投票に向けた運動方針を決定。8月から「賛成」を呼びかける街宣活動や集会などの広報活動をスタートさせるというのだ。


 コロナ対応に全力を傾けるべき局面で「都構想」運動を開始する──。「大阪モデル」における「緊急事態」となる「赤色」基準のハードルを手遅れ並に高くしたのは、経済活動の優先もさることながら、この住民投票に向けた広報活動などに批判が集まらないようにするためではないのか。


「コロナ対応でリーダーシップを発揮」などと持ち上げてきたメディアは、いまこそ吉村府知事の対応を検証し、自分たちが無批判に担いできたことを反省すべきだ。
(編集部)

 

(リテラ 2020年7月27日)

 

出典:https://lite-ra.com/2020/07/post-5544_3.html

 

  ここで引用されている6月12日の大阪府の専門家会議については、ネットで知り、TBSのnews23でも取り上げられたのを見たが、後者はおそらく大阪のMBS毎日放送)発の提灯ニュースをTBSが無批判に取り上げたものと思われ、星浩のコメントも歯切れの悪いものだったのでむかついた覚えがある。

 本当はこの時にもっとこの件について掘り下げて調べ、「K値」についても知識を得て、ブログで批判できれば良かったのだが、私はこの専門家会議をブログの記事にもしなかった。そのため、単に私個人が吉村に対して不快感を持っただけで終わってしまった。今にして思えば痛恨事だ。

 だがその当時の私に限らず、リベラル・左派界隈では未だに「K値」に対する問題意識はそんなに強くないのだ。それどころか「42万人も死んでいないじゃないか」と、ネトウヨと同じことを言うリベラル・左派の人士も少なくなかった。いや、今でも少なくない。

 リベラル・左派ではないが、昨日この日記で取り上げた上久保誠人氏も、42万人という数字に根拠が示されていないとの難癖をつけていたが、ちょっと調べただけで、この数字は、基本再生産数が2.5の場合に集団免疫を獲得した時の感染率、感染者の重症化率、それに重症者の死亡率という3つの変数*1についてそれぞれ定説とされる代表的な数値を、人口に掛け合わせたものであることがわかるはずだ。

 西浦教授が「42万人」という数字を出した頃には集団免疫獲得時の感染率は60%とされていたが、その後同教授は「60万人という数字は大きすぎる。20〜40%くらいではないか」と言っているから、今なら「14〜28万人」あたりを想定しているのではないかと推測される。現時点での死亡者は約千人だから、感染率は1%にも達していないことになる。つまり、感染が拡大する余地はめちゃくちゃに大きいのだ。そんな状態なのに、何もしなくとも新型コロナは勝手に収束すると言わんばかりの「K値」理論が、かなりよく当てはまるらしい感染収束段階ならともかく、全く実績のない感染拡大段階にまで無理に当てはめようとして大火傷をしたのが、今回の「K値」騒動だろう。それは、「経済を回し」たい為政者の願望に合致しているだけの「自分にとって都合の良い」モデルに飛びついたという、リスク管理においては絶対にやってはならない行為だった。

 大阪府はK値を参考にしたものの、府のオフィシャルな指標として認定してはいないのだそうだ。それなら現在無策を続けている安倍政権も、実質的に大阪府と同じことをやっていることになる、というか実際にそうなのだろう。

 それで良いのだろうか。まさかそんなはずはない。だが現実にはそうなっている。それは、ジョンズ・ホプキンズ大のダッシュボードで、日本、韓国、中国、アメリカ、ブラジルなどの累積陽性者数のグラフを見比べてみれば一目瞭然だ。今の日本は、韓国や中国とは異なり、かつトランプのアメリカやボルソナロのブラジルと同じ路線をとっているようにしか見えない。

 私の場合、このところ感じる恐怖は、緊急事態宣言発令前後のそれよりずっと深刻だ。だが、職場の周囲の人と話してみると、かつての緊張感を緩めている人の方がずっと多い。

 K値の話からだいぶ逸れてしまったが、K値とは日本をこのような道に引きずり込んだ悪しき「占い」のようなものだった。大阪府民は吉村洋文の、日本国民は安倍晋三の責任を厳しく問うべきだし、リテラも書いている通り吉村を持ち上げた(特に在阪の)マスメディアは検証と反省をすべきだが、それらはなされないだろう。

 気が滅入るばかりだ。

*1:実際には年齢層別に細かく計算されたもののようだ。