今年強く感じたのは、非常時には惰性に流される政治をやってはいけないということだ。安倍政権も菅政権もこの観点で見ると0点だ。いや、安倍は0点で菅はマイナス点かもしれない。私が念頭に置いているのは「GoToキャンペーン」の政治だ。
GoToキャンペーンが最初に議論されたのは春の緊急事態宣言の頃だった。当時、どうやって感染拡大を止めるかが喫緊の課題だというのに、コロナが収束したあとの議論をするとは何を考えているのか、と自民党を批判する報道があったことをよく覚えている。それに対して、下記ツイートに示された閣議決定がなされた。
Gotoキャンペーンの主旨を
— Ryo (@Ryo_koumei_m) 2020年12月15日
「コロナをほどほどに抑えつつ時間と金に余裕がある人はGotoして経済回しといてね」
だと思ってる人は前提から勘違いしているので、まず事実を押さえてもらいたい。 pic.twitter.com/kkfyHcmjqr
それなのに、コロナ禍が収束もしていないのにGoToキャンペーンが開始(しかも前倒し)されたのは、安倍晋三が緊急事態宣言を終了した際に「わずか1か月半で流行をほぼ収束させることができた」などと言ってついた嘘が根拠になっている。この時、コロナが収束したのだからキャンペーンを早く開始しろ、という圧力が生じた。GoToキャンペーンの旗振り役は、自民党内では二階俊博と菅義偉だった。その菅が、安倍の後継首相になったのだからたまらない。第2波が起きようが、第2波どころか第1波よりよほど大規模な第3波が起きようが、キャンペーンは惰性で続いた。もちろん菅の責任がもっとも重いが、GoToキャンペーンは安倍政権時代の7月に始まっており、その頃には既に第2波の真っ只中だったのだから、安倍の責任も菅と同じくらい重い。
ただ、政府の言動や姿勢がそういうメッセージになっているという点では同情する。
— Ryo (@Ryo_koumei_m) 2020年12月15日
言語的なものも非言語的なものも含めて、そういうメッセージになっていたと思う。
だからこれは説明能力のない行政の問題。というかそんな行政に国家運営は無理ゲーだ。
いずれにしても、
— Ryo (@Ryo_koumei_m) 2020年12月15日
①感染収束後の政策を
②感染が続いている中で
③停止条件の整備もせずに
④見切り発車し
⑤停止後のプランBも用意されていなかった
となれば、
それは批判されるのがむしろ自然だと思いますよ。マスコミガー!とかではないでしょう。
久々にこの画像が流れてきたから整理しておこう。
— Ryo (@Ryo_koumei_m) 2020年12月22日
✅4月(閣議決定)
「GoToキャンペーンは感染症の拡大が収束し、国民の不安が払拭された後」
✅7月16日
自民党幹部
「感染拡大しても政権へのダメージない」
✅7月22日
GoTo、前倒しで開始
※この時点で既に新規陽性者数は緊急事態宣言時より多い pic.twitter.com/886dBOpm9S
「感染拡大しても政権へのダメージない」という、自民党幹部(二階あたりだろうか)の緊張感を欠いたコメントが、彼らがとらわれていた「正常性バイアス」をよく物語っている。
1995年の阪神大震災では社会党の村山富市が総理大臣だった。2011年の東日本大震災・東電原発の時には民主党の菅直人だった。三度目の正直で、新型コロナウイルス感染症の2020年に自民党の安倍晋三と菅義偉が総理大臣だった。
2020年だけ2人の名前が出ることからもわかる通り*1、もっとも出来が悪かったのが自民党の総理大臣だった。しかも、これより出来が悪い総理大臣がいるとは思えなかった安倍と比較しても、こと新型コロナ対応に関する限り、菅は安倍よりももっと無能だ。何しろ、菅は「GoTo」のほかにも海外からの渡航の緩和など、逆効果の政策にばかりこだわり続けたのだから。あれなら、なんとかのマスクや星野源とのコラボで笑いものになっただけの安倍の方が、逆効果ではなかっただけまだマシだ。今回、イギリス由来の変異種が5件も見つかった件も、菅の失政による「人災」だとしか言いようがない。
この事実を直視できない人々が、この国にはあまりにも多すぎる。
*1:2011年も8月末に、1995年も翌96年の年明け早々に総理大臣が代わったけれども。