kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

立花隆の『日本共産党の研究』がなければ野坂参三は共産党を除名されなかったのではないか

 立花隆などをめぐる日本共産党の件について。

 

 

 それをいうなら松本清張だって特高の資料にずいぶん依拠している。日本共産党が成長を批判しなかったのは、清張が共産党シンパだったからに過ぎない。

 共産党についてよく覚えているのは、野坂参三が100歳になり、テレビ番組「徹子の部屋」にも出演したという1992年*1になって、ソ連のスパイだったことが発覚して除名された件だが、「週刊文春」の同年1992年9〜11月の連載で暴かれた。まず9月に名誉議長を解任され、12月末に党から除名された。当時から私は共産党の支持者ではなかったものの「文春の『反共宣伝』なのではないか」と思っていた。だから野坂があっさり罪状を認めたことに驚いた。つまり当時はその程度には日本共産党に対して幻想を抱いていたのだった。この仕事をした小林峻一と加藤昭は、ともに文春で立花隆の『日本共産党の研究』のために資料を集めるなどしていた人だそうだ。彼らは野坂の悪行を暴くために、崩壊前後のソ連(1991年崩壊)を訪れてKGBの高官たちと接触し、資料を集めたらしい。

 小林と加藤の著書『闇の男 - 野坂参三の百年』(文藝春秋1993)も私は読んでいないが、立花隆が解説文を書いている。しかし文春のサイトを見ても本の画像も表示されない。文春文庫入りなどもしていないようだが、立花の死を機に文春文庫から刊行してはいかがだろうか。

 

books.bunshun.jp

 

 間違いなくいえることは、日本共産党自身も野坂の除名という形で認めた歴史的事実は、立花隆なくしては明らかにされることはなかったに違いないことだ。

 日本共産党野坂参三は除名したものの、伊藤律の名誉回復はまだしていない。伊藤律に関しては2017年に『伊藤律回顧録 - 北京幽閉二七年』(文藝春秋1993)、伊藤律の次男で2019年に亡くなった次男の晩年の著書である伊藤淳『父・伊藤律 - ある家族の「戦後」』(講談社2016)、渡部富哉『偽りの烙印 - 伊藤律・スパイ説の崩壊』(五月書房1993)を相次いで読み、かつて伊藤律の供述が事件発覚の端緒となったとされていたゾルゲ事件に関する本も何冊か読んだ。その結果、野坂参三のみならず宮本顯治らへの悪い心証も強まったが、日本共産党伊藤律の名誉回復を行おうとする兆しさえ今も見られない。自民党アナクロ的な極右勢力が未だに選択的夫婦別姓に強く反対するなど、一度つけられた惰性力がなかなか止められない悪弊が見られるが(東京五輪の開催を止められないこともその一例だろう)、同じ悪弊が日本共産党においても強くみられる。このあたりが同党が長期の凋落から脱却できず、高齢化が進んでしまった大きな理由の一つだろう。

 「しんぶん赤旗」が立花隆の死を事実上黙殺するから*2、こうやって共産党の過去をほじくり返す記事がネットに公開される羽目になる。日本共産党の猛省とそれに対応した行動を強く求めたい。いま体質を変えなければ高齢化が著しく進んでいる同党に未来はない。

*1:ネット検索をかけたが、野坂が同番組に出演した日付は確認できなかった。現在のインターネット検索には過去の出来事の検索が容易でないという問題点がある。

*2:コメント欄で教えていただいたが、立花隆の訃報記事自体は訃報が流れた翌々日である6月25日付「しんぶん赤旗」15面に掲載されたらしい(一般紙が報じた24日付には記事は載らなかったようだ)。どの新聞にある訃報欄に死亡に関する事項が記されたのみの記事ではないかと思われるが。