kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

存在意義を失って久しい自民党は、復古的な極右化が民意から大きく乖離して今度こそ「本当の終末期」に入るのでは/平河エリ氏のツイートを読んで思う

 都議選では自民党立憲民主党がともに敗北したが、両党以上にどうしようもなかったのが維新・民民と某「組」だった。下記は毎日新聞記事へのリンク。但し有料だし私も読んでいない。どうせ大したことは書いてないだろう。単に見出しに注目しただけだ。

 

mainichi.jp

 

 「組」の支持者だか信者だか冷やかしだか知らない人たちが、相変わらずの「不正選挙」を唱えて騒いでいるが、2012年末にオザシンたちの間で「不正選挙」論が燃えに燃えた頃とは全く違い、意識して探してもなかなか見つからないほど下火になった。下記はその絶滅危惧種たちの例。

 

 

 日本では今や絶滅危惧種になった「不正選挙論」だが、アメリカでは昨年がピークだった。いや、それが日本のネトウヨたちにも伝染して流行してたっけね。百田尚樹なんか特に。危うく忘れるところだった。

 

 今回の都議選では、都ファの巻き返しという痛恨事の悪印象が強いが、自民党がいよいよ本当の終末期に入ったことを感じさせる選挙でもあった。公明党が得票数を14%も減らしたらしいが、投票率自体も17.3%減っているので、その減り幅と比べれば公明票の歩留まりはまだマシだった。とはいえ、全体の減少幅といい勝負になるくらい票を減らしたのは、公明党にとっても「今までのやり方をいつまでも続けることはできない」ことを知らせるものだった。残念きわまりないのは、それが獲得議席の減少にまで至らなかったことだ。せめて1議席でも減れば、公明党が今までのあり方を変えるきっかけになったかもしれないが。なお公明党が前回の都議選で都ファと野合したことから言えるのは、自民党にとって代わるものが都ファのようないかさま政党であれば何も変わらないということだ。

 自民党については、平河エリ氏の一連のツイートが参考になる。かなり若い方のようだが、もう氏のような若い方の見方を参照しなければ政治や社会の動きが把握できなくなってきた。老いを感じる。以下、平河氏のツイートを引用する。

 

 

 

 

 自民党内に働く右バネは、2009年衆院選の大敗をきっかけに一気に過激化した。当時の自民党総裁宏池会に属する谷垣禎一であったことをよく覚えておきたい。谷垣が安倍晋三政権の土台を作ったようなものだった。そして2012年末から2020年夏まで、安倍晋三政権が「反動の時代」を築いたが、それは「崩壊の時代」でもあった。今後、再び自民党が国政選挙に負けて下野することがあっても、2009年に下野した時と同じことはできない。確かにその通りだろう。

 なお、自民党の今後を担うリーダーは石破茂なんかではない。石破は、2012年の自民党改憲案を特に愛する極右であり、もはや時代遅れの人間になった。石破が最近、小林よしのりと「コロナはただの風邪」論で意気投合していることは象徴的だ。

 

 平河氏のツイートの引用を続ける。

 

 

 

 「自民党は歴史的使命を終えた」とは冷戦が終結した1990年代からずっと言われてきたことで、2009年の下野で「やっとその時がきた」と私なども思ったし、当時さとうしゅういち氏がよく自民党の下野を「超新星の爆発」になぞらえていたことが思い出されるが、その3年後にまさかあの「白色矮星政権」が現れ、それが7年9か月も続くだろうとは誰も予想できなかった。つい去年まで続いたあの長い時期が2020年代以降の日本に大きなダメージを与えることになった。後世の歴史家はそのように断定(断罪)するに違いない。

 

 

 上記ツイートの「瞑想」はもちろん「迷走」の誤変換だろう。私なんかは「瞑想」の字面から「冥王星」すなわちプルートー(冥界を司る神)を連想したけど。

 

 

 

 

 自民党の存在意義がなくなるのであれば、長島昭久細野豪志前原誠司らが属して玉木雄一郎が頂点に立つ国民民主党のような「反自民・非共産(あるいは反共産)の野党」の存在意義などなおのこと全くないわけで、都議選でも民民が某「組」にも劣る大惨敗を喫したことはその表れだろう。

 今回の都議選の結果からいえるのは、衆院選の比例ブロックでもおそらく民民が議席を獲得することは極めて難しいことであって、それを察知した山尾志桜里は、「都議選で民民が負けたから逃げ出した」と言われるのを避けるために、先手を打って政界から退くことを表明したに違いない。