山本太郎は新型コロナのワクチンを未接種なのだとか。
山本太郎は自分のワクチン未接種を自己責任論で擁護。未接種れいわ支持者の拠り所にもなってる。第6波が来る前に何とかしろ。射ちたくても射てない人のことはいいのか?弱者じゃないのか?
— ヒルコ 蛭義 (@damdamj) 2021年11月4日
独、コロナワクチン未接種者間で「大規模」流行(AFP=時事)#Yahooニュースhttps://t.co/nXX48I228W
揚げ足取りで申し訳ないが、最初の文章の「擁護」は「開き直り」という意味だろう。自分で自分を「擁護」するとは言わないと思う。
それが「反ワクチン」派のよりどころになってしまうのは本当に困ったことで、山本は岡山5区で惨敗した立民候補にして反ワクチン派のはたともこと見解をともにしているとも仄聞する。
山本は相変わらず「人工地震」のツイートも消していないのだろう。こうしたオザシン的なあり方を、彼はいっこうに変えようとしない。
ところでツイート主は山本太郎の開き直りを「自己責任論」と評した。それに反応して今回の記事を書こうと思った次第。
以前、山本太郎の「著書」を読んだ時に思ったのだが、山本は結構な特権階級意識を持っている。インタビューから構成された「著書」に、彼の本音があけすけに語られていると私は読んだ。
だから、いくら党名に「新選組」を名乗っても、その上に元号が乗っかっていることを措くにせよ、本質的に山本太郎はアンチ新自由主義やアンチ維新ではあり得ず、そこここに「自己責任論」の本音が出てしまうのではないかと疑っている。裏を返せば「自分の野心が第一」ということになる。
維新が衆院選で躍進し、しかも私の見るところ、2012年に追い風に煽られた頃の最盛期には党勢は及ばないけれども、組織力で全国に根を張り始めていることがわかり、維新に対する警戒を強めなければならないと私は認識している。だから、いや、今はこうやって山本太郎を批判しているけれども、山本が維新への対抗言論を高く掲げるのであれば、いつでも論調を一変させて山本を応援する用意はある。
だが、そうはならない可能性の方が高いんじゃないかと思う今日この頃。