kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

昭和天皇・裕仁がヒトラーやムッソリーニと並び称されることに抵抗を持つ「リベラル」たちは考えが浅いのではないか

 昭和天皇裕仁が死んでからあと3日で33年と4か月になる。

 この数字に阪神ファンが反応しそうな気もするが(そういえば昨日はごっつぁんだでしたな)、裕仁が死んだ時、私はあることを予想していた。

 それは、今(1989年1月7日)は「崩御」などという馬鹿げた言葉が使われているが、時が経てば天皇制の呪縛は薄れていき、彼の戦争責任の問題、ひいては天皇制自体についてももっと理性的に論じられるようになるだろうということだ。

 計算が面倒な元号も徐々に使われなくなるだろうと予想した。この予想はかなりの程度的中し、右翼趣味で売り、長年その座に居座りやがった総理大臣が平然と西暦を使う時代になった。

 しかし、党名に堂々と元号を掲げる「政党」がリベラル・左派の票を奪って政権要件を満たし、社会党の後継政党が次の参院選で政党要件喪失の危機に立つとは想像もしなかった。

 いや、×××新選組は今回の記事の主題ではない。

 言いたいのは、裕仁ヒトラームッソリーニと並べ称したウクライナ政府の動画に日本政府や日本の右翼が抗議してウクライナ政府を謝罪させ、動画を訂正に追い込んだ一件だ。

 産経新聞ともども原則として年数を元号で表記するNHKの記事を以下に示す*1

 

www3.nhk.or.jp

 

ウクライナ昭和天皇ヒトラー」並べたツイッター削除し謝罪

2022年4月25日 17時52分 

 

ウクライナ政府の公式とされるツイッターに、昭和天皇ナチス・ドイツの指導者だったヒトラーらの顔写真を並べた動画が投稿され、その後、批判が相次いで写真が削除されていたことがわかりました。

 

SNS上で批判相次ぐ 写真は削除

 

動画は、ロシアの全体主義言論の自由の制限などを批判するもので、今月1日、ウクライナ政府の公式とされるツイッターに投稿されました。

 

この動画の後半に「ファシズムとナチズムは1945年に敗北した」と指摘する場面があり、昭和天皇の顔写真とともにヒトラーやイタリアの指導者だったムッソリーニの顔写真が並べられていました。これについてSNS上で批判が相次ぎ、写真は削除されました。

 

動画が投稿されたツイッターでは「友好的な日本の人たちの気分を害するつもりはなかった。間違いをしてしまい、心からおわび申し上げる」と謝罪しています。

 

また、日本にあるウクライナ大使館はツイッターで「現在、投稿があったアカウントはウクライナ政府と関係がありません」としたうえで「制作者の歴史認識不足と思われます。ご不快に思われた日本の皆さまに深くおわび申し上げます」などと投稿しています。

 

磯崎官房副長官「不適切で極めて遺憾」

 

磯崎官房副長官は記者会見で「ヒトラームッソリーニ昭和天皇を同列に扱うことは全く不適切で、極めて遺憾だ。在京ウクライナ大使館とウクライナ大統領府に対し、不適切であり、直ちに削除するよう申し入れを行った。その結果、現在では動画の関連部分は削除されたと認識している」と述べました。

 

そのうえで「ウクライナ政府側からは外交ルートで謝罪の意が表され、謝罪のツイートも投稿された。わが国としては、こういう状況ではあるが、今後とも困難に直面するウクライナの人々に寄り添った支援を実施していきたい」と述べました。

 

NHKニュースより)

 

出典:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220425/k10013597941000.html

 

 このニュースに接して、いつまで経っても前世紀の戦争を反省しない恥ずかしい国民だな、と私が改めて思ったことはいうまでもない。

 しかし、この件に関してリベラル派からも「昭和天皇ヒトラームッソリーニ並べ称することには抵抗がある」との意見があった。彼らの間で、並べるのなら東条英機だ、いや近衛文麿だ、党の意見が交わされていた。

 実は、私がもっとも強い危惧を持ったのはこういう意見に対してである。

 確かに戦前の日本にはヒトラームッソリーニに対応する強大な独裁者はいなかったかもしれない。東条英機は政敵に赤紙を出して死地に送り込んだりはしたが、現在の日本における安倍晋三山本太郎(彼らの支持者の間では安倍または山本に対する批判がタブーとされている)と比較しても独裁者色は弱いように思われる。近衛文麿の戦争責任が東条以上に重いとの指摘に私は説得力を感じるが、それでも近衛がヒトラームッソリーニに並べ称されるべきかといえば、それは違うと思う。

 やはりヒトラームッソリーニと並べ称されるべき戦争責任は裕仁に帰される他はない。それは、企業で起きた不祥事に社長や会長が責任を取って辞職しなければならないのと同じ理屈による。

 裕仁が連合国に対して効果的な一撃を与えることに最後までこだわったり、その前に旗色が良かった頃には僭称を喜んでいた等の具体例もあるが、仮にそうしたことがなかったとしても裕仁は戦争責任を取らなければならなかった。最低限でも裕仁の退位は必要不可欠だった。

 裕仁ヒトラームッソリーニと並び称することは世界的常識である。ウクライナは日本政府に謝罪する必要など全くなかった。

 無責任体制を許してしまうことは独裁者に屈してしまうことよりも罪が重い。

 裕仁ヒトラームッソリーニと並び称されることに抵抗を持つ「リベラル」たちは考えが浅いのではないか。そのように私には思われる。

*1:但しネットでの記事の年数には西暦が用いられている。NHKは国内のニュース本文は元号表記、国際ニュースは西暦表記を原則としている。