日本共産党が15日に結党100周年を迎えたが、私が興味深く読んだのはその3日後に公開された松竹伸幸氏の下記ブログ記事だった。
朝日新聞が社説で共産党の「民主集中制」を批判し、同党に党首公選を勧めたとのことだが、それについて松竹氏は下記のように書いている。短い記事なので全文を引用する。なお朝日の社説は松竹氏の記事に画像が貼られているのでリンク先を参照されたい。最近は朝日に限らず各新聞社への記事のアクセスに会員登録が必要になって読めないことが多いので大いに助かった。私は意地を張ってどの社にも会員登録していないからだ。
7月16日付の社説。常識的なことを書いていて、内容面でとくに論じるようなことはない。
問題は、こういう常識的なことが、少しでも前に動く可能性は、どうやったら拓けるのかということである。そこが見えてこない。
SNSの普及の意味自体は大きい。へえ、党首交代論など、あの人もこの人もつぶやいているのだと分かる。それも選挙を経る度に増えており、今回の参議院選挙は、自衛隊活用論や合憲論などのインパクトもあって、これまでと比べられないほどの水準になっているように見える。
それでも、それが現実を動かす力になるかというと、そう感じられないわけである。いや、いったん動き出せば、この種の議論の広がりそれ自体が、現実をさらに動かす力になるのだろうけれど、その最初のとっかかりが見えてこない。
そして、それが見えてこないまま時間が経つと、いつもの「どうせ何を言っても変わらない」ということになって、そこに落ち着いてしまう可能性すらあるのだろう。そして、少し人事を動かすことで「変化」と「新しさ」を演出し、結局は同じやり方が踏襲されることになっていくのかもしれない。
私がやろうとしていることは、そこに風穴を開けることになるのだろうか。「朝日」社説は、「民主集中制」が問題の根源にあることをしているけれど、でもその「民主集中制」を守りながら改革しなければならないところに、なかなか難しい問題がある。その探求の途上である。
出典:https://ameblo.jp/matutake-nobuyuki/entry-12753995962.html
上記記事を共産党外部の人間である私から見ると、現在の日本共産党員には民主集中制の縛りがあるから、民主集中制の枠内で党首公選なりの改革を実現していかなければならないということなんだろうなと思う。そしてそのハードルがきわめて高いことはよく理解できる。
最近は、共産党支持と思われる渡辺輝人弁護士が共産党の志位和夫委員長を批判して代表交代を求めるツイートを発信し、共産党員かも知れないこたつぬこ(木下ちがや)氏がそれをリツイートするなどしている。
あえて水ぶっかけますが、自己改革でもっとも重要なのは志位さんが参院選で敗北した責任を取り、出処進退を明確にすることです。 https://t.co/W80GzTvSwW
— 渡辺輝人 🇺🇦連帯 (@nabeteru1Q78) 2022年7月16日
外部からは、昨年の衆院選と今年の参院選で完敗を二度続けながら、執行部の責任に言及しない志位はずいぶん無責任な人であるように見える。しかしそれでも党首公選実施までのハードルは限りなく高い。民主集中制の制約があるからだ。
共産党に民主集中制の縛りがあるとするなら、共産党を含む野党全てに立ちはだかっているのは衆院選の「小選挙区制」というハードルだ。これを設けるのに最大の「功績」というか、現在の野党にとってはとんでもなく迷惑なことをしてくれたのはかの小沢一郎だが、小沢に限らず旧民主・民進系の政治家たちの責任は重い。その民主系で小選挙区制下の選挙をどう勝ち抜くかといえば、それこそ「大きな塊」を作るしかない。だからこそ「野党共闘」が始められた。それは、たとえば私のように昔から一貫して比例代表制をベースにした選挙制度を求める人間にとっては、選挙制度を再改変するまでの間の時限的な性格のものでなければならないし、逆に小沢一郎のように二大政党制を理想とする立場の人間は、永続的な性格のものでなければならないと考えているに違いない。いずれにしても「(一時的にせよ)共闘しなければならない」のである。
そのために、野党の中では「中道的」な立ち位置にある野党第一党の党首に、どういう人物がもっとも適任かといえば、それはかつての岡田克也のような「自らは右寄り(保守)の人間だが、選挙では思い切って共産党を含めた共闘態勢で臨む」ことができる人だろう。
実は私は2016年の参院選以前には岡田克也を全然買っていなくて批判ばかりしていたのだが、あの参院選で「野党共闘」を東北を中心とした一部の一人区で成功させたのを見て、岡田克也及び「野党共闘」に対する評価を一変させた。それまでは「野党共闘」に対しても、そんなことをやっても1足す1が2を超えることはなく、必ず票を逃がして2より小さくなる、と言って批判し続けていたのだった。しかしその私の主張は現実の選挙結果で覆された。東北の選挙区のいくつかでは、民進党と共産党の基礎票の和を上回る得票を「野党共闘」の候補者が獲得したのだった。そういう反例を見せつけられた以上、私はそれまでの主張の誤りを認めざるを得なくなった。
しかし岡田克也はその参院選を受けて、民進党右派の政治家たちから「民進党は左に寄りすぎたから保守票が得られずに選挙で伸びなかった」として集中砲火を浴び、時あたかも東京都知事選で「野党共闘」の候補・鳥越俊太郎が小池百合子に惨敗するだろうとの情勢調査が出ていたタイミングだったこともあり、民進党代表の座を投げ出してしまったのだった。後任代表の蓮舫は就任早々小池百合子にすり寄った。
その蓮舫も翌年辞任。蓮舫の辞任のきっかけも、2017年の東京都議選敗北の責任問題に加えて、自らの「二重国籍問題」で保守派にすり寄って自滅したことだった。そうそう、現在読んでいる井戸まさえ著『日本の無国籍者』(岩波新書,2017)にその時の経緯が言及されている。井戸氏は昨年の衆院選で東京15区から立民公認で立候補したが落選した。「野党共闘」の都合で東京4区から急遽選挙区を変更したため、地元への浸透が不十分だったことが痛く、私が常日頃から激しい敵視の対象としている柿沢未途に敗れてしまった。
井戸氏は下記のように書いて蓮舫を批判している。
では、なぜ戸籍を公開したのか。内容云々より「戸籍を開示する」という行為自体に意味があり、「戸籍を尊ぶ保守派の人々を納得させるため」もしくは「『正統な日本人』と認められることでこの問題の幕引きを狙った」ともとられかねないことに思いが至らなかったのであれば、非常に残念である。
(井戸まさえ『日本の無国籍者』(岩波新書, 2017)171頁)
とまれ右翼や新自由主義者にすり寄りまくった蓮舫は民進党代表辞任に追い込まれ、それを受けて行われた民進党代表選で前原誠司が枝野幸男を破って最後の民進党代表になった。その前原が引き起こしたのが「希望の党」騒動だった。これには小沢一郎が大いに関与したが、小沢は小池百合子に嫌われて自らが「排除」されてしまうという「笑劇」となった。
この時に小沢ともども大量に「排除」されたのが、枝野幸男を筆頭とする党内「リベラル」派であり、彼らが結党したのが(旧)立憲民主党だった。枝野は本当にリベラルというよりは「保守」を自認したがる人ではあるのだが、立民への支持は希望の党への支持を大きく上回り、同じ2017年に行われた衆議院選挙で民意ははっきり示されたのだった。
しかし、この衆院選をきっかけに冷や飯を食わされるようになった民主系右派は立民党内での権力奪回への動きを着々と進めて行った。そして、2021年の衆院選で「野党共闘」が惜敗した機を捉えて、枝野辞任を受けて行われた立民代表選で、その時に備えて万全の人脈を作ってきた泉健太が圧勝したのだった。そもそも民主系の支持層を全体として見た時には、2017年衆院選の結果を見ればわかる通り、党内左派への支持の方が同右派への支持よりも厚いが、国会議員の構成比はその逆であり、右派の方が強い。その弊害が立民の代表選の結果に反映した。たとえば前記岡田克也なども昨年の代表選では泉を支持していたと記憶する。
この代表選で右派の支持を受けて代表になった泉が、上記に記述した支持層の志向と、何よりも選挙に勝つためには「大きな塊」を作る必要があるという制約を十分理解できる岡田克也のような人間であれば、むしろ右側から、かつて前原誠司や細野豪志、長島昭久らがやったような暴走を抑えて成功できるポテンシャルがあった。党内左派というかリベラル派の代表だと、右派の不満を抑えることなど到底できない。私は立民代表選の候補者4人の中では西村智奈美がもっとも良いと考え、当時の記事にもそれを書いたが、反面、仮に西村が代表になったらそのあとが大変だろうなと思ったものだ(そのことはブログ記事には書かなかった)。
しかし、泉が当選後にやったのは、かつて前原、細野、長島らが志向したような路線を走ることだった。仮に小池百合子が東京知事になったあとに国政に進出しようとせず、民進党が前原誠司代表で続いたとしたらこんな政党になっただろうな、と思わせる政党に、昨年秋以降の立民はなっていた。でもその路線でうまく行くはずがないことは、2017年の衆院選で希望の党が失速し敗北したことから明らかだ。
泉は、4年前の衆院選で希望の党に投票した票が、右派である泉自身が代表になったことで立民の票に乗ると皮算用を弾いていたのかもしれないが、そうはならなかった。希望票の多くは維新へと流れた。また「提案型路線」への支持の一部は、同じ路線を既に走っていた民民に乗った。野党第一党が同じ民主・民進から分かれていった少数政党の真似などしたところで支持されるはずがないことさえ泉にはわからなかったのだろうかと呆れるばかりだった。追随者が先駆者を上回る支持を得ることは困難だが、比較大政党が比較小政党の真似事をすることの愚かさが泉には理解できなかったのだろうか。信じられない。
ここまでの泉を見ていると、党内の権力闘争には抜群の才能を持っているが、権力者としての才覚には著しく欠けるところがある*1というほかない。政治家は本来支持層の志向に反する政策はとれないものだ。そんなことをしたら失脚に向かって一直線だからだ。しかしここまでの泉はその愚を犯してしまい、早くも崖っぷちに立たされた。
そんなことを考えながら下記ツイートを眺めていたのだった。
立憲民主党の支持者のフォロワーシップは重要だと思うし、それは大事にしたほうがいい。
— ツイッター政治おじいちゃんお化け (@micha_soso) 2022年7月19日
ただ、今回立憲に投票しなかった人に立憲の現体制が通じるかというとかなり心許ない。
また2017~2021年に立憲に投票した人で2022年投票をしなかった人に戻ってきてもらえるかも微妙なものはあると思う。
蓮舫さんですら、4位当選となるくらいの立憲の求心力ダウンについては本気で危惧したほうがいいかと思う。
— ツイッター政治おじいちゃんお化け (@micha_soso) 2022年7月19日
正直、誰がやってもせいぜい現有議席から微減に留めるのが精いっぱいだったと思っているし、新執行部になってまだ半年強しか経ってないので体制一新した所でかつてのような遠心力が働くのがオチ。ただ、結果を残せない以上批判されるのは当然なわけで、このtweetは腑に落ちる。マジでヤバいよ。 https://t.co/zRCLDgfvgU
— あかかもめ@💙💛万系一世ムミーン (@ydfbIDp2xc2titA) 2022年7月20日
私ははっきり言って小池百合子にすり寄った蓮舫も、どうみても右翼丸出しだった山尾(菅野)志桜里も大嫌いで、枝野幸男がこの2人を旧立民に入党させた2017年末以降立民に対して距離を置いている人間なので*2、共産党ともども本当には支持していない政党のことに横から口を挟む格好になっているのは若干気が引けるところではあるのだが、でもどう考えても今の立民代表がとるべき路線は、かつて民進党代表時代に岡田克也がとった路線しかないと思う。その昔の吉田茂も、本性は保守反動の塊だったのに実際に戦後の指導者になってからは軽武装の経済重視路線を一貫して歩んで成功した。
政治家は自らのやりたいことばかりやっていてはいけないのである。反面教師としては山本太郎もいる。自分のやりたいことはいったん棚に上げて、冷静に分析を行った上で政治的行動を決めなければならない。2005年の衆院選に惨敗した民主党代表時代はともかく、民進党代表時代の岡田克也にはそれができていた。しかし泉健太にはそれが全くできていない。選挙に惨敗して厳しい批判を受けるのは当たり前である。
だが、泉には党内右派を支持基盤としていることで、もっとも遠心力を働かせたい勢力(それはいつも右派だと相場は決まっている。前原誠司や玉木雄一郎らを見よ)を抑え込めるメリットがある。このメリットは逢坂誠二や西村智奈美、特に後者にはない。泉が思い切って路線転換を図り、岡田克也路線への回帰を目指すのであれば活路が見出せる可能性はある。逆にそれができないのであれば、立民は凋落の一途をたどるだけだろう。