kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

乃木神社は民間発生カルトの、軍国主義に向かっていく際に組み込まざるを得なくなってしまった異様な「神社」(「白いケモノ」氏)

 弊ブログの記事を「白いケモノ」氏が運営する下記「はてなブログ」記事にリンクしていただいた。

 

abyss.hatenablog.jp

 

 ブログ主は関西在住の方のようだ。以下、記事の前半を引用する。

 

東京の乃木神社という事で、「近所とはなにか」「京都とはどういう土地か」という所を考えると

泉健太はなぜ幾多の神社からわざわざ「乃木神社」を選んで、これ見よがしのツイートまでしたのか? - kojitakenの日記

泉氏は乃木神社が(自宅から)近所と言っている→<a href="https://bit.ly/3IsrFXf" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://bit.ly/3IsrFXf 近所の神社にお参りに行くのにあまり理由はないと思うけどね。信教の自由もどこへやら(笑)このブログ主の方が炎上商法なんでは?と思うよ。

2023/01/06 12:19

b.hatena.ne.jp



こういう事は軽々しく言うものではないというか、無知にも程があるよなというか。
うんお前もう京都選出とは思えんよなというか。

 

事務所は伏見にあるのだが、まあそちらにも有名な乃木神社はあるがあまり初詣向きの神社ではないというか、昔から有名な伏見稲荷であるとか、地元民なら藤森神社があるので、なんというか明治以降の公っぽい儀式はやってはいるが、民間信仰ベースのものは特にない神社である。
この乃木神社、国家が建設をすると計画して建立された訳ではない、ただこう明らかに民間発症の何かなんで、たまたま次の天皇大正天皇であまり強い反対とかもしなかったりした為に既成事実として推し進められてしまった何かで、実際には民間発生カルトの、軍国主義に向かっていく際に組み込まざるを得なくなってしまった異様な「神社」である。
金持ちの考える事はよく分からんね、という所である。

 

神社と名前がつく通り、神社に組み入れられたのではあるが、生粋の軍国主義発症の神社ではある。

 

出典:https://abyss.hatenablog.jp/entry/2023/01/06/143428

 

 乃木希典とはどんなに控えめに言っても凡庸、悪く言えば無能な将軍だったと私は認識しているが、その乃木の「声価を高めた」のは間違いなく明治天皇に殉死したからだろう。私が乃木を知ったのは、亡父が持っていた朝日新聞の重要紙面の縮刷版を集めた本によってであり、それは朝日が創刊90年を迎えた1969年に発行された。私がそれを見たのは小学校中学年時代の1970年か71年頃だったと思う。天皇に殉じて死ぬという行為のおどろおどろしさに驚いたものだ。その頃はまだその後のような天皇制に対する批判を持ってはおらず、「テンノーヘーカは偉い」と刷り込まれていただけのガキだったが。

 ところで私はここ10年ほどだろうか、はてなブックマークには不熱心であって弊ブログについたはてブコメントもほとんど見ないのだが、昔はよく見ていた。しかしある時、橋下徹を批判したらボコボコに叩かれたことがあって、以後あまり見ないようになった。数年前には、現在では多くの人が呆れ返って匙を投げられてしまった菊池誠がまだ一定の信頼を得ていた頃に菊池を批判したら、やはりブコメでボコボコにされた。そんなこともあって、今では自ブログについたブコメはほとんど見ていない。はてなには「はてサ(はてな左翼)」という言葉がある通り、ネットでは比較的リベラルや左派が多いと思われるが、それでも時流に乗りたがる右派は無視できないくらいいる。そういう人たちがここぞとばかり攻めてくるのだ。弊ブログの記事を嘲笑するブコメをつけたid:the_sun_also_risesなどは古手もいいところのネトウヨで昔から知っているが、相変わらずだよなあと思う。

 そのネトウヨブコメからリンクされている泉健太のツイートは下記。

 

 

 最近はネットを中心に「マウントをとる」という言い回しがあるが、これはネット検索で調べてみると、

マウントとは、見えを張って相手よりも自分の方が優位だと見せつけるような言動を指します。

 

動物が自己の優位性を示すために相手にまたがることをマウンティングといいますが、人間の場合はまたがるのではなくさまざまな言動として現れます。

 

出典:https://zexy.net/s/contents/lovenews/article.php?d=20211104

とのことだ。私はなんとなくコンピュータで記憶媒体をアクセスできるようにすることを指す言葉から来ているのかと思っていたが、それは間違いだったかもしれない。

 それはともかく、泉の上記ツイートは「マウントをとろうとしている」以外の何物でもないと私には思われた。そして、この泉のような考え方を押しつけられる方がよほど「息苦しい」のである。それも、つい最近まで共産党支持で鳴らしてきた学者氏や、立民支持層の中でも必ずしも右派ではないどころかリベラル寄りと思われていた人たちがこぞって泉を擁護するとは、ネットの空気はこんなに急激に変わるものかと驚き呆れている。

 泉は京都にも東京にも家を持っているのではないかと思われるが、泉の言う「近所」が京都か東京かは知らない。ネットでは「京都の乃木神社」ではないかと推測されているようだ。前記ブログ記事はその京都の乃木神社を、最初に引用したブログ記事は「あまり初詣向きの神社ではないというか、昔から有名な伏見稲荷であるとか、地元民なら藤森神社がある」と評している。泉はいくつかの寺社を詣でたと書いていて、お寺にも行ったようだが、なぜわざわざ人によっては好戦的なイメージを強く持っているであろう乃木神社をツイートに出したのか、そこにはある意図があったのではないかと疑われても仕方ないと思うのである。

 前記ブログ記事の終わりの部分を引用する。

 

元々初詣は「伝統っぽいもの」ではあるが「伝統ではない」。家には氏があり、氏神があるのだが、その氏神様に年をまたいでお祈りをする儀式(だから正月には本家に「帰る」)が、鉄道会社とかの観光キャンペーンと合わせて「初詣」という形式になって広まったものである。

乃木神社は、実は「神前式」で、結婚式ブームに乗っかった神社でもある。乃木は夫妻とも自刃したのだが、夫婦仲がいいとかで有名だったらしくまあそういうところで夫婦和合の象徴として、というか、まあそもそも神社にない「結婚式」を手掛けるに抵抗がなかったようで、やるのに躊躇いがなかったから、かもしれない。どうせ人の善意だろうが生きてる人間に作られた「神社」だし。

 

ちょっと前に、増田で「北海道には歴史がないので引け目を感じる」というような話が書かれていたが、「所詮人間の宗教観、道徳観ってのはこんな程度、歴史とか深みとかマジでない」。記憶も大してないし、歴史もでっち上げが多いし、上書きされたりもする。
そもそも泉健太氏は北海道の出身であったな、そういや。

 

個人的には「伝統も何もよう分かってない人間が伝統だとか歴史だとか語って言うよりかは、せめて現代の人間に対しての心配りとか考えてたらいいのにな」とは思う。
昔ながらの地元周りとかがいい、とは言い切りはしないが、年始早々ネットバトルとかやってるのを見ると、政治家って人から支持されて意味あるんやでとは思う。

 

出典:https://abyss.hatenablog.jp/entry/2023/01/06/143428

 

 これはやはり泉が仕掛けたネットバトルだよなあとしか私には思えないし、そのバトルのやり方がどことなくid:suterakusoさんが(私もだが)激しく嫌うたかまつななに似てるよなあ、とも思う。具体的には、本記事でリンクした泉のツイートと、少し前の記事からリンクしたたかまつの下記ツイートの手口がそっくりなのだ。

 

 

 たかまつの「若者が政治的発言を本当にしにくくなりますよね」という言い草と、泉の「何だか息苦しいですね」という言い草は酷似している。ともに被害者ぶりながら、その実たかまつや泉の方こそ猛烈な攻撃を仕掛けている点が共通している。

 一時立民を支持した時期があったというとぶとかげズ氏のツイートからリンクされたツイートを発信した「れむ」という人は、泉の術中にまんまと嵌っているようにしか私には見えない。

 

 

 リベラル系無党派が「日本で一番大きい票田」とまでいえるかどうか、つまりそこまでリベラルが多いかについては私は懐疑的だが、無視できない数がいるのは確かだろう。昨年の参院選で立民はその人々の票を流出させたと私は考えているのだが、泉はさらなる純化路線を歩もうとしているかのようだ。その先にあるのは立民のさらなる衰退だろう。現在立民支持者たちから叩かれている今井瑠々氏も、立民が自民の亜流になるのだったら本家本元の自民党に行った方が良いと思ったのではないかと推測する。思想信条や主義主張は人それぞれだから、私は今井氏を責めようという気にはなれない。「右派無党派は何したって立憲に票入れるわけない」というとぶとかげズ氏の指摘に私は同意見なので、このまま立民にいたのでは先がないと今井氏が悲観したのも当然だろうと思う。

 批判されるべきは悪しき「純化路線」を驀進する泉健太の方だ。