kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「これからも日本共産党を支持する」と公言する一方で「×××新選組も熱烈に応援する」島田雅彦が一番ダメなのは、権威主義から全然抜け出せていない、あるいはそもそも権威主義の克服を課題とすること自体ができていないところ

 この記事は、本来一昨日(4/21)の公開を予定していたが、私が使っているMacの入力トラブルで発端となって記事の構成が混乱するなど手のつけられない状態になってしまったので公開を2日遅らせた。

 

 下記記事のコメント欄より。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 匿名意見

https://twitter.com/cult_and_fraud/status/1647186099704590336?s=20

自分は鈴木エイト氏のこのツイートがすべてだと思います。
ただ、このうちの前段部分を否定する人が、「左派」の中にも一定数みられます。
政治的暴力の容認と政治思想との関わりについては、自分の中でまだ整理ができていないので頭がモヤモヤします…。
政治的暴力の容認という観点からは、皇道派青年将校から過激な新左翼まで一括できるのですよね。
ちなみに、新選組が信奉する日本版MMTにもかなりの暴力性を感じています。「税=公共サービスの財源」という等式を否定する先にまっているのは、「貨幣は私有財産のひとつである」という一般的な通念の否定だと思うのですが。
政権が特定の「理論」を採用すれば、そういった通念まで「自動的に」否定できると思っていると想定されるわが国のMMT論者にもある種の暴力性があるのではないでしょうか。
松尾匡氏にはこの点に関する説明を求めたいところです。

 

 コメント中からリンクされた鈴木エイト氏のツイートは下記。

 

 

 私は、鈴木エイト氏のツイートでは、上記リンクを受けて鈴木氏自身が発信した下記ツイートが核心部だと思う。

 

 

 まず、「犯罪という手段に訴えることは如何なる理由があったとしてもNG」というのは多くの立場の人々にとっては当然の前提だと思う。たとえば現在の日本には暴力革命を肯定する立場の政党はない。新左翼中核派革マル派は今なお暴力革命を肯定しているとのことで、私の学生時代(1980年代)には両派は殺し合いをやっていた。現在はどうかというと、両派は現在でも暴力革命肯定論に立つようだ。

 

nikkan-spa.jp

 

 私が両派のうちより悪質だと考えるのは革マル派の方だが、中核派の暴力革命論も社民主義に立つ私には肯定できないので、革マル派中核派も否定する立場に立つ。ところが島田雅彦はアルコールが入った状態で、安倍晋三殺しを肯定するともとられかねない発言をしたとのことで、現在ネトウヨを含む右翼の餌食になっている。島田に対しては、馬鹿かこいつ、としか思えない。

 ここで一つ面倒臭い点がある。それを指摘しているのが下記ツイート。

 

 

 このツイート主はウクライナ戦争でどっちもどっち論(DD論)を展開する論者であって、私はその意見に全く同意しないばかりか強く反対し批判する立場だが、上記ツイートが指摘する「安倍が生きてたら今のように問題が明らかになってなかった」という言説は私も日々書いていることであり、かつそれは正しいという信念を持っている。

 ところで、こたつぬこ(木下ちがや)氏が連発する「限界系」というレッテル貼りを私は断固として認めないが、島田雅彦に関する氏の下記ツイートには全面的にではないが同意する。

 

 

 全面的にではないというのは、上記ツイートに対する下記のコメントに関係する点。

 

 

 実際、島田は共産党支持を公言しており、それどころか自らをリベラルと規定さえしている。それはWikipediaで確認できるが、Wikipediaにありがちな信頼性の乏しい記述ではなく、「しんぶん赤旗」の記事がきちんと論拠として示されている。

 以下Wikipedia島田雅彦」より。

 

島田 雅彦(しまだ まさひこ、1961年3月13日[1] - )は、日本小説家法政大学国際文化学部教授[2]

来歴[編集]

東京都に生まれ、1965年川崎市へ転居。神奈川県立川崎高等学校を経て、1984年東京外国語大学外国語学部ロシア語学科卒業。かつてのペンネームは首猛彦[3]であった。

大学在学中の1983年、『海燕』掲載の『優しいサヨクのための嬉遊曲』でデビュー、芥川龍之介賞の候補となる。1984年、『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞受賞[4]。戯曲活動も行い、『僕は模造人間』(1986年4月)、『ドンナ・アンナ』(1986年9月)、『未確認尾行物体』と、郊外の新興住宅を舞台にした若年層の生活を描く作風で、新世代の作家として注目を浴びた[5]

オペラに造詣が深く、エッセイやデビュー作にも西洋クラシック音楽が出現する。1987年までに6度の芥川賞候補になった。長編『夢使い レンタルチャイルドの新二都物語』(1989年)を完成後、1991年ソビエトチベットケニアジャマイカと、世界各地を放浪。1992年、『彼岸先生』で泉鏡花文学賞を受賞。

1991年湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人中上健次津島佑子田中康夫らとともに『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表した[6]

1993年、既成の文学賞への反発から瞠目反(アンチ)文学賞を主催、第1回の受賞作に奥泉光ノヴァーリスの引用』を選ぶ[7]が、これは一度きりの開催であった。

2003年には「自らの代表作とすべく書いた」という『無限カノン3部作』(『彗星の住人』『美しい魂』『エトロフの恋』)を完成。『彗星の住人』はその後『Jr.バタフライ』として2004年にオペラ化され、台本を島田自身が担当、三枝成彰が作曲する。『Jr.バタフライ[8]』は2006年にイタリアのトッレ・デル・ラーゴで毎年開催されるプッチーニ・フェスティバルで島田自身の演出で再演された。三枝とは、オペラ『忠臣蔵』やカンタータ『天涯。』、『太鼓について』、NHK全国合唱コンクール高校部門の課題曲「また、あした」などの音楽作品を手がけた。

1998年近畿大学文芸学部助教授に就任、2003年からは法政大学国際文化学部教授2000年から2007年まで三島由紀夫賞選考委員を務めた。2000年に詩のボクシングに参加、第4回世界ライト級王座決定戦で平田俊子[9]を破り王者となる。翌年の第5回世界ライト級王座決定戦でもサンプラザ中野の挑戦を破り王者を防衛する。2006年、『退廃姉妹』で伊藤整文学賞を受賞、2008年、『カオスの娘』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2010年下半期より芥川賞選考委員となる。2016年、『虚人の星』で毎日出版文化賞受賞。

発言録[編集]

反政府的見解を含む発言[編集]

2016年11月25日毎日出版文化賞贈呈式の際[10]「政治的に際どいことを書いてしまった」と発言。

2022年9月18日日本共産党創立100周年記念講演会に談話を寄稿し、今後も日本共産党を支持すると表明している[11]

2022年10月14日大竹まことゴールデンラジオに出演した際、「統一教会と協力関係にある政党はマフィアみたいなもの」と発言した[12]

2022年10月19日、同年7月8日に発生した安倍晋三銃撃事件に関し、衆院第二議員会館での講演の際、「結果的に不幸なことながら暗殺が奇跡的に成功してしまったことにより、今まで隠ぺいされてきた不都合な真実が次々と露呈してしまい、自民党の屋台骨も揺らいでいるようだ」と事件を肯定するかのような発言をした[13]

安倍晋三銃撃事件に関する「暗殺が成功してよかった」発言[編集]

2023年4月14日には昨年の安倍晋三銃撃事件に関して、同日放送のネット番組エアレボリューションで 「こんな事を言うと顰蹙を買うかも知れないけど、今まで何ら一矢報いる事が出来なかったリベラル市民として言えばね。まあせめて暗殺が成功して良かった[14]と。それしか言えない。」とまたも事件を肯定するかのような発言をした[15][16]。(後略)

 

出典:島田雅彦 - Wikipedia

 

 上記Wikipedia中の

2022年9月18日日本共産党創立100周年記念講演会に談話を寄稿し、今後も日本共産党を支持すると表明している[11]

という記述は、そこからリンクが張られた下記「しんぶん赤旗」記事を論拠としている。

 

www.jcp.or.jp

 

 以下引用する。

 

日本共産党創立100周年記念講演会 4氏のメッセージ

小説家・法政大学教授 島田雅彦さん

私たちの良心の自由守る盾

 

 信者を洗脳し、思考力を奪い、組織に隷属させるカルト教団と手を組んだ政権は、同じ手法で有権者をだまし、虚偽と隠蔽(いんぺい)に満ちた独裁政治を推し進めてきました。

 国家の暴力や不正を抑止する制度や法はほとんど機能しておらず、いくら不正を告発しても、誰も法的処分を受けずに逃げおおせます。有権者が政権を黙認し続ければ、自由や諸権利が制限され、戦争や貧困に追い込まれる危険さえあります。

 この暗黒時代に救いを求める先があるとしたら、憲法日本共産党しかないかもしれません。過去の悪政からの解放宣言である憲法と同様、戦前から今日に至るまで独裁、不正に対抗する良心のよりどころになっていたのが日本共産党です。

 反日反共組織と化したカルト極右政権は時代錯誤著しく、差別と偏見に満ち、国際社会の常識からかけ離れています。自分の頭で考え、自分の体で行動する者は良心の自由を決して手放しません。憲法日本共産党は私たちの良心の自由を守る盾であり、今よりずっとマシな未来への道しるべなのです。

 私はこれからも日本共産党を支持いたします。

 

しんぶん赤旗 2022年9月28日)

 

URL: https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2022-09-18/2022091803_03_0.html

 

 従って、島田は新左翼ではなく旧左翼であるとの自己認識を持っていることがわかる。

 しかし島田は共産党とともに新選組を応援している。昨年参院選でも新選組への応援メッセージを出した。

 

www.youtube.com

 

 島田雅彦とは世によくいる「共産党と×××(ひらがな3文字*1)を支持する」括弧付きの「リベラル・左派」の御仁だということだろう。

 島田は今年62歳で、この世代だと「共産党も×××も」になるが、これが40歳以下の年齢層だと左派的心情を持つ人たちは共産党には魅力を感じないで×××新選組を選ぶ傾向が強いことが世論調査などで示されている。しかし高年齢層の旧左翼の間でもかなりの人々が新選組のような党首独裁の(どちらかといえば右派の)ポピュリズム政党を支持する傾向が小さくないことから目を逸らしてはならない。俗っぽい言い方をすれば「俗情に流される傾向の強い」人たちの代表格が島田なのだと思う。

 それにしても、Wikipediaに書かれた麗々しい島田の経歴と『虚人の星』のような駄作しか生み出せない近年あるいは現在の島田の実像の乖離の大きさには唖然とさせられる。なお私は島田の小説は『虚人の星』一作しか読んでいないので、若い頃の島田はもっと見るべき文学を創作していたと思われる方がおられたら、その旨コメント欄でお知らせいただければ幸いだ。Twitterはてブコメントは私が読まない可能性が極めて高いので歓迎しない。

 島田雅彦から思い出されることの一つは、大岡昇平が1985年の文学ベスト5の4位に選んだのが島田の『天国が降ってくる』で、5位が村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』だったことだ。『成城だより』1985年12月13日の項(中公文庫, 287頁)に出ている。『天国が降ってくる』はもしかしたら良い作品なのかもしれなが、区の図書館にこの本を置いてあるところはどこにもなかった。一方、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の原型とされる村上春樹の1980年の中篇(作者が失敗作であると認識しているために単行本には未収録)のテーマに再度挑んだ新作『街とその不確かな壁』*2は、近所の本屋では売り切れていた。大岡昇平は1985年末に、当時24歳の島田の作品を当時既に36歳になっていた村上の作品よりも上に評価したが、その後間もなくベテランが若手を逆転し、今では大谷翔平藤浪晋太郎並みの大差がついた。あとから台頭した年長者による大逆転の例としては、中日の山本昌今中慎二の例も思い出す。

 またまたどうでも良い話に脱線してしまったが、島田雅彦が一番ダメなのは権威主義から全然抜け出せていないところ、あるいはそもそも権威主義の克服を課題とすること自体ができていないところではないだろうか。

 Wikipediaに書かれた島田の麗々しい経歴を見ても、「オペラに造詣が深く、エッセイやデビュー作にもクラシック音楽が出現する」と書かれているが、島田はどのようにクラシック音楽を受容していたのだろうか。あれは無批判に受容した場合には非常に権威主義的な世界なのだが。島田には『ドンナ・アンナ』(1986)という長編小説があり、これは1990年の新潮文庫版が置いてある図書館が区内に1箇所だけあったが、閉架書庫に置いてあるので予約しなければ借りられない。批判する下心を持っている本をそうまでして借りて読みたいとは思わない。ドンナ・アンナといえば私が思い出すのは村上春樹の『騎士団長殺し』(2017*3)だ。例によって島田の『ドンナ・アンナ』のアマゾンカスタマーレビュー読書メーターを見たが、前者には5件、後者には34件のレビューしかなく、それらを見ても読みたいという気が起きない。いや、読まずに批判するのは良くないことだとは思うし、だからこそネット検索をかけてもいるのだが。

 あるいは「無限カノン3部作」というのもある。第1作『彗星の住人』(2000)が開架書架に置いてある図書館が区内にあった。区内に10箇所ある図書館のうち、行ったこことがない2館のうちの1館に置いてある。これを借りてみる手もあるかもしれない。置いてあるらしいのは初出時のハードカバー版で、2006年発行の新潮文庫を置いてある図書館は区内にはなかった。村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』上巻(新潮文庫)が開架書架にある図書館が区内に6箇所あるが全て借り出されている。本当にとてつもない差がついたものだ。もちろん「人気がある=良い」とは限らないことはいうまでもないが。

 アマゾンカスタマーレビューには13件のレビューがある。いくつか拾う。

 本作を書いた頃、島田は「文豪宣言」をしていたらしい。

 

★★★★★ 文豪宣言

2001年1月25日に日本でレビュー済み

 

「傑作とは狙って書くもの」と「文豪宣言」した島田雅彦の最新刊。「人のやることだ、長続きしない」「夢の中で会う人は死者と同じ成分でできている」など島田節炸裂が楽しい。読めばきっと心に残る言葉が幾つもあるはず。ほんわりした夢幻の空間にしばし浸れる、白夜のような一冊。日本の現代史ってどんなだったっけ? と昔の教科書を引っぱり出したくなるかも。

 

URL: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R4Z22KAK5OA6B

 

 下記は2010年に書かれたレビュー。13年前の時点から見ても、2000年当時の島田は「低迷期」にあったと評されている。

 

sugo waltz

★★★★★ SHIMADA BUNGAKU

2010年10月11日に日本でレビュー済み

 

島田雅彦の傑作。

三島由紀夫豊饒の海三部作を意識して書かれた長編の第一部になる。

 

文章が隅々まで丁寧に研磨されているので

とにかく読書中の爽快感が心地よい。

 

蝶々夫人」の末裔達の悲恋が日本の歴史と様々にからみあってゆく。

壮大な恋物語である。

 

低迷期であった著者が起死回生を賭し

後にも先にもここで最高傑作を作ろうという

意気込みが涼しくも伝わってくる。(後略)

 

URL: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1VTN3V8PNZ377

 

 私は島田雅彦と同世代の人間なので、明らかに村上春樹よりも早熟だったと思われる島田雅彦がなぜ現在の惨状を晒すに至ったのかについては多少関心がある。村上の新作はハードカバー版を買って読もうとまでは思わない。文庫本が出たら買って読むことになるんだろうなとは思うが。

 以上、政治的な問題についてこの記事でも一番書きたいことを書き損ねてしまい、結局支離滅裂な記事にしかならなかったが、失敗作は失敗作のまま、読書ブログではなくこちらに公開することにした。あちらのブログには坂本龍一と現代音楽の件その他、現在書きたい題材が山積している。

 岸田文雄襲撃未遂事件について一番言いたいことは、このあとこちらで、今度こそ簡潔な記事にまとめたい。

*1:弊ブログは現元号を禁句にしているために伏せ字にしている。

*2:https://www.shinchosha.co.jp/special/hm/。なお、村上春樹が新作を発表した年はヤクルトスワローズが最下位に落ちるというジンクスがあるらしい(https://b.hatena.ne.jp/entry/4731721617900656324/comment/seto116)。球界再編前も、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が発表された1985年(阪神タイガースが2リーグ分立後ただ一度の日本一になった年)もヤクルトは最下位だったが、単にヤクルトが弱い年が多いだけの話であろう。なお今年の村上宗隆は「逆神様」と化し、阪神の村上頌樹に「村神様」の称号を奪われている。その阪神でも佐藤輝明は村上宗隆と同じカテゴリに入ってしまっているが、佐藤は(昨年までの)村上宗隆を、村上宗隆は大谷翔平をそれぞれ意識しすぎているのかもしれない。

*3:この小説が発表されたこの年、確かにスワローズは悲惨な最下位だった。