kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

広原盛明氏のブログより 〜「支援」と「推薦」はどう違うか、市民派首長選挙における政党の立ち位置に共産は失敗した(2/7)/「裏金政党」自民と手を組む立憲民主(京都)に明日はない(2/5)

 昔、政権交代熱華やかなりし頃、当時政権与党になったばかりだった民主党のさる支持者が「『官僚主導』対『政治主導』がこれからの新しい対立構図だ」とイキっていたことがあった。2009年か翌2010年のことだ。当時の彼らの「政治主導」とは、その実鳩山由紀夫内閣時代に民主党幹事長だった小沢一郎が独裁する「小沢支配」に過ぎないと思っていた私は、それを鼻で笑っていた。

 その「小沢支配」の時期は2009年9月から翌2010年5月までしか続かなかった。1993年の政権交代でも「小沢支配」は同年8月から翌年6月までしか続かなかった。短気な小沢はいつもこのようになる。

 しかし現在の私は、「官僚主導」対「政治主導」のようないかさまな対立構造ではない本当の新しい対立構造の時代が始まりつつあると感じている。

 それは「権威主義」対「反権威主義」という対立構造だ。

 それを感じさせてくれる一例が、2004年の京都市長選で共産党推薦で立候補して敗れた経験をお持ちの広原盛明氏が今朝公開した下記ブログ記事だ。

 

hiroharablog.hatenablog.com

 

 以下に上記ブログ記事の後半を引用する。

 

 それからもう一つ選挙戦の勝敗を分けたのは、松井陣営と福山陣営における政党の立ち位置だった。松井陣営は自民・立憲・公明・国民の4党推薦で「非共産=与野党相乗り」連合艦隊を組んだが、福山陣営は候補者本人が「市民派」を標榜し、「政党の推薦は受けない」と宣言したことから、共産は後方からの「支援」政党となった。ところが、選挙戦が加熱してデッドヒート状態になってくると、この構図に大きな変化が生じたのである。毎日新聞(2月6日)は、終盤戦の状況を次のように伝えている。

 ――今回の選挙は日本維新の会などが村山氏の推薦を決め、35年ぶりに主要政党レベルでは3極の戦いになるとみられた。だが、村山氏側の政治資金問題で告示直前に推薦が取り消され、長年続く「共産対非共産」の構図が軸になった。福山氏の激しい追い上げに、松井陣営は演説や新聞広告などで「市役所に赤旗が立っていいのか」「時計の針を戻してはならない」とネガティブキャンペーンを張り、他陣営から「品格を欠く」との批判もあった。

 

 松井陣営のネガティブキャンペーンに激しく反応したのは、「支援政党」の立場にある(はずの)共産だった。終盤戦には田村委員長をはじめ党幹部が総出で街頭演説に立ち、しんぶん赤旗は「反共攻撃打破!」一色になった。

 〇「福山氏激しく競り合う」「反共攻撃打破し必勝を」、渡辺党府委員長の情勢報告(赤旗1月30日)

 〇「京都市長選 市民と共産党が手つなぎ自民党政治と対決、三つの争点、田村委員長の訴え」(赤旗1月31日)

 〇「反共攻撃振り払い勝利へ」、共産党府委員長が会見(赤旗2月1日)など

 

 京都市長選に2度目の挑戦を決意した福山氏が「一人街宣」を始めたのは、昨年9月のことだった。そのキャッチフレーズは「〝ええもん〟は継承し〝あかんもん〟は変える」、所信は「1.忘れ物を取りに行く~暮らしとなりわいを全力応援する市政に」「そろそろ京都をリニューアル」「おもろい街京都」といった全ての市民にアピールできる穏やかものだった(京都民報2023年9月17日)。また、記者会見での一問一答では次のように答えている(抜粋)。

 ――門川市政の評価は、「門川さんは大学の先輩で、あんまり悪くは言いたくはないです。京都みたいな難しい土地で、4期もよく頑張らはったと思います。ただ、生活に苦しんでいる市民に対し、『社会的な役割を行政が果たすのはもう終わり』というような言い方で、コロナ禍で一番しんどい時に、福祉のカットを『ショックドクトリン』的にやりました。そういう痛みに向き合わなかった点が残念です」

 ――前回選の教訓は、「勝つつもりでしたが、結果は結構、票差がありました。僕自身は市民にとってええものはええと政策本位でやろうと言うてきました。保守層の中には恐れや不安を持っている人がいたと思います。そういう人たちに、きちんと届く政策や訴えができたのか、その点では少し反省があります。京都独特の『共産対非共産』という対立構図に、飲み込まれてしまった部分があると思います。市民の懸念や不安を受け止めながら前に進めれば、前回とは違う景色が見える可能性があるんじゃないかと思います」

 

 福山氏はこのように、保守層も含めて「門川市政」に疑問を感じる広範な市民が支持できる市長選挙をやろうと考えていた。その政治姿勢に共感する多彩な市民が福山陣営に集まり、支持の輪が次第に広がっていった。「共産対非共産」でもなく「保守対革新」でもない、京都ではかってない新しい選挙構図が生まれつつあったのである。共産も中盤戦ころまでは自制的に振舞い、このまま行けば勝利する展望が広がりつつあった。ところが、この情勢に危機を感じた松井陣営が最後に打った手が「反共キャンペーン」だった。そして、この「反共キャンペーン」の〝挑発〟にまんまと乗せられたのが共産だったのである。京都の事情を何も知らない田村委員長がある日突然やって来て、「京都市長選は自民党政治と対決だ」とぶった瞬間から、京都の空気が変わった。「支援政党」であるはずの共産が前面に立ち、市長選の終盤を「反共攻撃打破!」一色で染めた瞬間から、市民派選挙は「政党選挙」へと変貌したのである。

 

 だが、今回の京都市長選は貴重な教訓を残した。民意が多様化し、政党も多党化している現在、首長選挙を「政党選挙」として展開することはもはや不可能になったということだ。これからは「支援」の在り方が首長選挙のカギになる。この情勢の変化を理解できず、複雑な選挙情勢を「反共攻撃」としか受け止められないような政党は消えていくしかない。福山氏は実に立派な候補者だった。40歳で司法試験に通った苦労人弁護士は、穏やかな風貌と飾り気ない語り口で多くの有権者の心を掴んだ。こんな素晴らしい候補者は、やはり「政争の都・京都」でしか生まれない。30年余に及ぶ「共産対非共産」の不毛な政治的対立から抜け出て、「市民の市民による市民のための市政」を実現するのは容易なことではない。でも、その可能性を見せてくれたのが福山氏だった。福山氏にはぜひ「三度目の正直」に臨んでもらいたい。私の周辺の老いぼれたちは、みんな「生きてその日を迎えよう」と決意している。

 

広原盛明のつれづれ日記 2024年2月7日)

 

URL: https://hiroharablog.hatenablog.com/entry/20240207/1707255989

 

 広原氏は立民に対しても辛辣だ。上記の1件前の氏のブログ記事より。

 

hiroharablog.hatenablog.com

 

 以下ブログ記事の終わりの方から引用する。

 

 立憲民主党京都市長選当日の2月4日、東京都内で党大会を開き、次期衆院選で「自民党を超える第1党となる」と掲げた2024年度活動計画を決めた。泉代表は「自民党を政権から外し、新たな政権を発足させ、政治改革、子ども若者支援、教育無償化などを実現しよう」と声を張り上げたという(朝日2月5日)。だが、立憲民主党が自民と一体で市長選を展開している京都では、泉代表と長年行動をともにしてきた福山府連会長が「反自民」の「は」も言わず、自民党と同じ壇上で万歳をしているのである。こんな「鵺(ぬえ)」のような得体のしれない政党は類を見ないのではないか。

 

 2月5日の日本経済新聞オピニオン欄「核心」に、芹川論説フェローが「自民党の明日はない、平成改革世代なぜ立たぬ」と題する主張を書いている。「政治とカネ」にまつわるスキャンダルが自民党内に吹き荒れているというのに、若手世代がなぜ改革に立ち上がらないのかとの叱咤激励である。骨子は「政党のダイナミズムを感じさせる侃々諤々(かんかんがくがく)の保守政党はどこへ行ったのだろうか。それが失われているとすれば自民党に明日はない」というものだ。だが、自民と立憲が馴れ合う京都では、「自民も立憲も明日はない」という言葉が当てはまる。次期衆院選では、泉代表(京都3区)は激しい選挙戦に曝されるだろうし、次期参院選では同じく福山府連会長も当落のかかった選挙戦に直面するだろう。「裏金政党」自民と手を組む京都の立憲民主党に「明日はない」のである。

 

広原盛明のつれづれ日記 2024年2月5日)

 

URL: https://hiroharablog.hatenablog.com/entry/20240205/1707094109

 

 このままでは「自民も立民も明日はない」。それはそうだ。そして、現在の権威主義体制を続ける限り、共産党にも明日はない。この3党の支持者の多くに共通して見られるのは「組織防衛志向」の異様なまでの強さだと思う。

 なお直前の文章で私は広原氏が用いた「立憲」の代わりに「立民」と書いた。

 この表記を使うと権威主義的な立民支持者たちから「立民呼ばわり」などと言われることがある。しかし、「立民呼ばわり」に反発する方々の一人ではないかと私が目している泉健太支持者のnaoko氏が立民・塩村文夏参院議員の下記Xをリポストしているのを見て笑ってしまった。

 

 

 なんと塩村議員本人が、自らが属する政党を「立民」と呼んでいるではないか(笑)。塩村氏GJ、とウケてしまった。

 しかし塩村氏がリンクしている泉健太の下記Xは笑えない。

 

 

 これが泉健太が演出しようとしている自画像なのだろうが、泉の本質は岸田文雄と非常によく似て、権力工作や権力闘争への志向がきわめて強い人間だ。岸田は総理大臣就任早々「聞く力」をアピールしていたが、安倍晋三国葬強行を皮切りに、聞く耳など全く持たない人間であることが誰の目にも明らかになったから、就任当初あれほど高かった内閣支持率が激落して今に至っている。

 泉は「塩むすび」どころか何かというとすぐにおむすびに「自民味」や「維新味」をつけようとするが、彼は権力志向の強い人間であればこそ立民代表にのし上がることができた。なぜなら彼は立民では少数派の元「希望の党」の人間だから。そんな彼が立民代表にのし上がる過程では相当巧妙な権力工作をやったに違いないとしか推測できないわけですよ。長谷川羽衣子みたいにせっかく権力工作が成功したかに見えたのに1年後に山本太郎に反故にされるようなヘマは泉はやりません。

 何が「塩むすび」だよ、と最後はいつものように後味悪く記事を締めることになった。