kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

人災の日

 下記記事を読んで思い出した。

 

hiroseto.exblog.jp

 

 今日、3月20日は1995年に地下鉄サリン事件が起き、2003年にはイラク戦争が開戦した日なんだね。それぞれ故麻原彰晃とブッシュのドラ息子が引き起こした人災だった。だから今日は「人災の日」だな。その意味で1.17(阪神淡路大震災)のような天災とは対照をなす。なお3.11(東日本大震災)には東電原発事故、9.1(関東大震災)には朝鮮人大虐殺という人災がそれぞれ付随して起きた。

 もっとも今の日本も安倍晋三による災厄に苦しめられている。習近平を最高指導者に戴く中国も同じかもしれない。

 

hiroseto.exblog.jp

 以下全文を引用する。

習近平は終身総書記に道を開いた。
昨年、その習近平にゴマをすった安倍晋三は「総裁4選」を幹事長の二階に言わせた。
しかし、ミスったかも知れない。
現時点では「まあ、安倍(習)でいいかあ」という層も「永久に安倍(習)かよ?!」と思い出すと、潮目が変ることがある。両者は判断をミスったと思う。中国共産党も日本の自民党も強固ではあるが、じわじわとボディーブローのようにそうした効果が効いてくると思う。
3月17日の東京都台東区議選では自民党候補が5人も落選し、1議席減少となった。自民党に黄色信号がともりはじめた。
 (『広島瀬戸内新聞ニュース』2019年3月20日

 

 そういえば、辺見庸安倍晋三は日本の人民にとっての災厄だし、習近平は中国の人民にとっての災厄だという意味のことを書いていたのを読んだ記憶がある。

 安倍や習にとどまらず、プーチン金正恩、それにトランプなどなど、世界は悪質な独裁者だらけだ。まさに世界的な「人民受難の時代」。あまりにも闇が長く続くので、これはもしかしたら明けない夜なのではなかろうかと時々思うようになった。

新元号を国文学から採る欺瞞を嗤う。日本語から採るなら平仮名の元号にしろよ

 2週間後にはもう新元号の話題で持ち切りになっているだろうと思うと気が重いが、新元号が国文学からとられるだろうことは疑う余地がない。もちろん右翼たちは大喜びするだろうが、その方が新元号に「安」の字が含まれるか云々よりよほどたちが悪いと思う。ちなみに前々から書いている通り、新元号には「安」の字は含まれないだろうと予想している。

 なぜたちが悪いかというと、国文学からとったところで元号が漢字2文字であろうことに変わりはあるまいし、漢字とはその名のごとく中国の文字だからだ。いくら国文学から採ろうが、その国文学の出典となるであろう漢字2文字から中国の影響を排除できるはずがない。どうしても日本語から採りたいというのなら、元号を平仮名か片仮名にするしかあるまい。韓国(朝鮮)のハングルがそうであるように、平仮名や片仮名こそ日本の文字だ。そう、「あほ元年」か「あへ元年」にすれば良いんだよ。漢字2文字の国文学の「出典」など欺瞞もいいところだ。

 こう書いて思い出したのが、かつて2005年に朝日新聞の日曜版(当時。現在は土曜版)が「天皇をアホと書いた」と鬼の首を取ったようにはしゃいでいた故勝谷誠彦のことだ。朝日の日曜版が「阿保親王」を「阿保天皇」と誤記してしまったのを勝谷があげつらったものだが、いうまでもなく「阿保」はあほではなくあぼと読む。勝谷の出身地である尼崎市の隣の隣の芦屋市には「阿保親王塚」があり、親王は「あぼみこ」として親しまれていて阿保親王塚は近隣の人たちの観光スポットにもなっている(と言いながら阪神間で子ども時代を過ごした私は行ったことがないのだが)。地元の名所も知らない勝谷こそアホの活き作りだったのだ。その勝谷も改元を待たずに死んでしまった。

 そんな勝谷を追悼(追討*1?)する意味でも、新元号を「あほ」ならぬ「あぼ」にしてはいかがかと思う今日この頃。

*1:用例:https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/03/03/231147 より "高須克弥という人格に全く共感することはなく、死んだとしても追討はあっても追悼はあり得ないだろうとは思う。" 引用しながら気づいたが、この人も「かつや」なんだね。

チャウシェスク夫妻の再来?

 うーん。

 

hiroseto.exblog.jp

ピエール瀧被疑者関連作品を排除する動きが加熱している。
粛清された人が写真や絵から消されたスターリン時代のソビエトを思い出した。
レーニンの演説から消されたトロツキー、などが有名だ。
日本が急速に旧ソ連に似てきていると思う今日この頃である。
そして、日本は今度は戦前の日本と言うよりは、旧ソ連や東欧の
ような壊れ方をするのではないか、と思える次第である。

 

(『広島瀬戸内新聞ニュース』2019年3月17日)

 

 やはりなんですか、安倍晋三・昭恵夫妻の終焉はチャウシェスク夫妻みたいになりますかねえ。

 それはともかく、私はピエール瀧という人を全然知らないのだけれど、昨日も『アナと雪の女王』のDVD生産中止とかいう話を小耳に挟んだ。それはピエール瀧が吹き替えをやっていたからだとか。そういう風潮が蔓延しているのかもしれない。

 先日、1966年の日本共産党がジャズを「退廃」と批判していた話を書いたけど、薬物をやった人を「いなかったこと」にしてしまったら、それこそジャズやロックは成り立たないんじゃない?

 安倍晋三なんかもちょっとでも刃向かった者を排除するのが大好きで、自民党内でも石破茂の一派だけを会合に呼ばないなどということを露骨にやるらしい。まあ戦中の日本でも、東条英機が気に食わない記事を書いた新聞記者に赤紙を出すなんてことをやってたから、安倍は東条に似てるとも思うけど。まあチャウシェスクも東条も最後は死刑だったけど、安倍には死刑は必要ない。政治的に死んでもらえば十分だ。

 一方で薬物をやった人を過剰に擁護するのもどうかとは思うけど、「いなかったことにする」のはやめてほしい。自民党だけじゃなくて共産党なんかも伊藤律の件でいまだに誤りを認めていないけれども、あれなんかも民主集中制の弊害だろう。こういう一切合切に対する厳しい批判が求められると思う。

堤未果、自身への批判を完全黙殺か。過去には「ブーメラン」のツイートも

 堤未果Twitterサイトを覗いてみると、まず「こちらもおすすめです」の欄の筆頭に孫崎享の名前が目に入る。そこで調べてみたら、2012年に孫崎が発信した下記のツイートがみつかった。案の定というか類友というか、堤未果はラジオ番組で孫崎と対談して『戦後史の正体』を絶賛していたようだ。

 

 

 堤のTwitterサイトの「こちらもおすすめです」の3番目には石平太郎の名前もある。2番目に表示されている津田大介も、自身の言動を反省した方が良いかもしれない。

 

 その堤のツイートは、自身が最近受けている「排外主義」との批判を完全に黙殺している。もちろん知らないはずはないのだが。

 ところが、2週間前には堤自身が下記のツイートを発信していたのだった。

 

 

 「ブーメラン」あるいは「お前が言うな」の見本みたいなツイートだが、ここでリンクを張られた記事に出てくる「隆祥館書店」では、現在批判されている堤の『日本が売られる』(幻冬舎新書)が平積みにされているとのツイートを見かけたこともあった。

 リンクされた記事にはもっともなことが書かれており、多数の「はてなブックマーク」もついているのだが……。

 

www.businessinsider.jp

 

 以下上記リンク先の記事から後半部分を引用する。

 

2年前のムックシリーズがいきなり

そして後者の見計らい本制度。これは出版流通業界の慣行なのですが、書籍の問屋にあたる取次店が、書店が注文していない本を勝手に見計らって送ってくるシステムです。かつて出版業界がビジネスとして好調だった頃は、書店は自分で本を選ばなくても良いのでこのシステムを評価する人もいました。

しかし、一方的に送られてくる本の中には、隆祥館としては売りたくない差別を扇動するヘイト本やお客様から見てニーズの低い5年も前に出た本などが多く含まれています。そういう本も送られて来た以上、書店は即代金を請求され、入金をしないといけないのです。

2019年1月に取次店から『月刊Hanadaセレクション』のバックナンバーが見計い本でいきなり配本されて来たときは驚きました。奥付を見ると2017年12月24日発刊が3冊、2018年4月18日発刊が3冊、8月21日が4冊。過去、さすがに2年前のムックが送られてくるということはこれまでなかったと思います。販売実績を少しでも見てくれれば、うちはこの『月刊Hanada』はほとんど売れていないのです。それなのになぜ? という思いはぬぐえませんでした。

売れていないのに送られてくる仕組み

出版界では昨年から、本の出版のあり方について考えさせられることがしばしば起こっています。

LGBTの人たちを差別して雑誌を完売させる炎上商法、組織が大量に大手書店から購入して人為的にランキング1位を作るというやり方など。これらは本が売れなくなったことが要因だと思うのですが、長い目で見れば本自身の価値を貶めてしまうことになりかねないと思うのです。

父は生前、小さな書店も大型書店と同様の返品したら翌日に電子決済で翌日に返金されるように公正取引委員会に働きかけて6年がかりでこれを実現しました。そして、「次は見計らいの問題をやらなあかん」と言っていました。

父は例えば、注文なしでの見計らい本は即請求ではなく3カ月後に支払うという形にすべきだと考えていました。私も即代金を請求するのであれば、見計らい本も事前に書店に中身を伝え、書店側に断る権利を確保させて欲しいと思います。

この本は事実誤認が多く売りたくないので送らないで下さいと断っても現状は配本されてしまうのです。書店の意思を抜きに本を十把一絡げに、見計らいで配本するということ自体、おかしなことです。

例えばドイツは発売される前の企画本の内覧会を催し、それぞれが、自店にあった品揃えをしています。うちのお客さんの欲しい本はうちが分かっているという書店の矜持があり、それを版元も尊重してくれるのです。

出版社が作ったものを一方的な配本という流れで売るだけでなく、読者に一番近い地域の書店が、お客様の要望を聞いて出版社に伝えるということもありだと思います。

そうすれば、ヘイト本を配本されることもなく、返品作業も少なくなり取次や版元も返品で泣かされることも減少するはずです。また、金太郎飴のような没個性ではない、それぞれの書店の個性が出てくると思います。

先述したように実はこの見計い本やランク配本については長い間、おかしいと思いながら、公の場では話せませんでした。話せば取次さんからますます欲しい本を入れてもらえないのではないか、そしてお客様も小さい書店には本が来ないと考えて足が遠のかられるのではないか、と心配していたからです。

しかし、勇気を出して発信したところ、読者の方たちから望外の大きな応援を頂きました。

これは大きな励みになりました。黙っていては何も変わりません。書店としてお薦めしたい本を自信を持って仕入れて、責任を持ってお客様にご紹介していきたいのです。

今後も地域のお客様にとってかけがえの無い書店になるべく努力していきたいと思っています。

(文・写真、二村知子)

 

(『Business Insider Japan』2019年3月3日)

 

 堤未果自身についていえば、自身に寄せられた批判を完全黙殺している現在の姿勢は強く批判されて当然だ。何らかのコメントをする必要がある。

1966年の日本共産党の「ジャズ」観に呆れた

 昨日(3/14)、日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』が堤未果の排外主義本を批判するどころか褒めそやしていた件に触れたが、その共産党は半世紀前に下記ツイートに示されるような「音楽観」を持っていたのだった。元共産党東京区議(現無所属)の松崎いたる氏のツイートより。

 

 

 なんじゃそれ。昨年夏に知った70年代の新日本新書『愛とモラル』の一件を思い出した。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 日本共産党という政党は民主集中制にあぐらをかいて、つまり執行部が党員や支持者から批判されないのをいいことにして、過去の自分たちの誤りに対する自己批判を全然行わずに「黒歴史」にしてしまう悪弊がある。

 私はかつて共産党支持者の方から「社民の人間は民主集中制の党内のことに容喙するな」と言われてからしばらく黙っていた時期があるが、2015年に共産党が「野党共闘」路線に踏み切って以来、共闘しようという政党なら正面切った批判に晒されて当然だと思い、同党を批判するようになった。これを「反共」というのなら、共産主義共産党の方が間違っているだけの話だ。

 1966年の時点での日本共産党のジャズに関する見解は、スターリニズムや当時進行形だった文化大革命を思い出させるものだ。当時の日本共産党は既にスターリニズムを批判していたし、文革もリアルタイムで批判していたはずだが、「人の振り見て我が振り直せ」が全然できていなかったと総括されなければなるまい。

 ジャズに対する批判は、ジャズの要素を取り入れた例えばラヴェルストラヴィンスキー(ロシア出身だがソ連には一度しか訪問したことがない)の音楽にも適用されるはずであって、要するに「社会主義リアリズム」の思想の反映だ。この思想のもとでは、音楽を含む芸術は革命に奉仕されなければならない。とんでもないドグマだが、日本でも70年代まではたとえばNHKのFM番組でクラシック音楽を解説していた教条主義的な左翼評論家たちの間で広く信奉されていたはずだ。現在の日本共産党委員長である志位和夫が愛好するショスタコーヴィチも、スターリニズムの時代には「退廃」を批判されて「面従腹背」の音楽という音楽史上でも稀に見る独自の作風につながった。

 日本共産党が本気で「野党共闘」で政権への参画を目指すのであれば、最低でも外部からの批判に真摯に向き合う態度が必要だと思うが、残念ながら現在の同党にはそうした姿勢が全然感じられない。芸術にせよLGBTにせよ原発にせよ、共産党には「叩けば埃が出る」ところだらけであるにもかかわらず。

 おそらく民主集中制のドグマに党の執行部が守られている形なのだろうが、いい加減その誤ったドグマを打破すべき時期だ。それができなければ日本共産党に未来はない。

堤未果の「トンデモ排外主義」を撃とうとしたら、網に日本共産党まで引っかかった(呆)

 この件を知ったきっかけは、某氏がリツイートした作家・星野智幸氏の下記ツイートだった。

 

 

 上記ツイートからリンクされた移住連のサイトは下記。

 

migrants.jp

 

 以下引用する。

ファクトチェック! 堤未果著『日本が売られる』
―「6 医療が売られる」に焦点をあてて―

 

特定非営利活動法人 移住者と連帯する全国ネットワーク

 

 堤未果著『日本が売られる』「6 医療が売られる」では、「YOUは何しに日本へ?国保を食い潰す外国人たち」という見出しから始まり、外国人が医療目的に来日し、国民健康保険を利用して高額治療を受け、出産一時金を不正に受給しているということを強調し、「国民皆保険制度というインフラは、安易な移民50万人計画を進めることで、雪崩のように崩壊させて良いものでは、決してない」としています。しかしそのことを実証するデータは何一つ示されていないどころか、事実に基づかない主張で塗り固められた、「ウソ八百」ともいうべきシロモノです。
 以下、本書の記述に沿って、ファクトチェックをしていきます。

 

ー 医療目的を隠して来日し、国民健康保険に加入して高額の治療を受けにくる外国人が急増しているのだ。(194P)

 そもそも国民健康保険に加入する外国人は「急増」していません。2012年度以降5年間の外国人の国保被保険者数は、2012年度86万人から2016年度99万人とわずか13万人の増加にすぎません(2018年11月移住連の省庁交渉における厚生労働省の回答資料)。構成比で見ても、国保被保険者全体に占める外国人被保険者の割合は、2.4%から3.3%に増加したにすぎません。また、この増加は、国保被保険者数が2012年度3466万人から2016年度3013万人に減少したことに主によっています。
 「医療目的を隠して来日し、国民健康保険に加入して高額の治療を受けに来る外国人が急増」していることを裏付けるデータは何一つ存在していません。

2012年に民主党政権は、それまで1年だった国保の加入条件を大幅に緩め、たった3カ月間滞在すれば、外国人でも国保に加入できるよう、法律を変えてしまった。194P)

 認識が間違っています。確かに、2012年、住民登録の対象となる在留期間が3ヶ月を超える在留資格をもつ外国人(中長期在留者)は、国民健康保険の被保険者とされるようになりました。しかしこれは、「加入条件を大幅に緩め」たというよりもむしろ、保険の加入と納付義務を課す外国人の対象を拡大したことを意味しています。納付義務が課される外国人が増えたということです。この背景には、「住民としての利便性」と「自治体業務の煩雑さをなくす」ことを理由として、2009年(当時は自民党政権)に入管法住民基本台帳法の改定が行われたことがあります。健康保険の分野でもこの趣旨を達成すること、国民健康保険がその対象を、住所を有する者としていることから、2012年に国民健康保険法施行規則を改定し、中長期在留者を国民健康保険の対象としたのです。

ー 特に中国人患者が多いC型肝炎薬などは、3か月1クールで455万円のところを、国保を使えば月額2万円だ。高額すぎて問題になった肺がん治療薬オプジーボなら、1クール1500万円が自己負担額月60万円、残りは私たち日本人の税金で支えてゆくことになる。(194)

 高額な医療を受けるために入国している外国人がいるという事実はほとんど確認されていません。厚生労働省が、2017年3月に行った在日外国人の国民健康保険利用に関する実態調査によると、調査期間(2015年11月〜2016年10月)の1年間における外国人レセプト総数14,897,134件のうち、国保資格取得日から6ヶ月以内に80万円以上の高額な治療を受けたものは1,597件(総数の0.01%)、そのうち資格取得から6か月以内に診療を受けているもののうち、ハーボニー配合錠、ソバルディ錠、堤氏が槍玉に挙げているオプジーボ錠の処方があるものは、7名しか確認されていません。(調査の詳細については厚労省提供資料https://bit.ly/2MfjSMo参照)。
 また、堤氏は、「残りは私たち日本人税金で支えてゆくことになる」としていますが、前述の通り、在留資格が3か月を超える外国人は、医療ツーリズムや「観光・保養」目的を除き、健康保険への加入と保険料納付が義務付けられていますので、保険料を支払っています。また所得税、住民税、消費税も、すべて等しく負担しています。
 いうまでもなく、保険料を払っている人が当該保険を利用することに何の問題もありません。

在日外国人の多い地域では、治療費を払わず姿を消す患者も後を絶たず、逃げられた医療機関には回収するすべはがない。(194)

 まず在日外国人の多い地域とは、どこを指しているのか書かれていません。一部の医療機関で訪日外国人による医療費の回収が問題となっているのは確かです。しかし、訪日外国人は健康保険資格を持っていませんから、堤氏がここで問題にしている国民健康保険制度に影響が生じることはありえません。また、生活苦から医療費を払えなくなる人が存在することは事実でしょう。しかし、外国人による不払いが多いという実証データは存在しません。また、不払いを起こした人が「姿を消す」ことも、仕事や家族の関係を考慮すれば決して容易ではなく、現実的な話ではないでしょう。
 こうした根拠のない記述は、「在日外国人の増加が、病院財政を悪化させる」という偏見を助長します。

出生証明書さえあればもらえる42万円の出産一時金も、中国人を中心に申請が急増しているが、提出書類が本物かどうかも役所窓口では確認のしようがないのだ。(195)

 「本物かどうかも役所窓口では確認のしようがない」ということはありえません。というのも、国民健康保険法第113条には、被保険者資格、給付、保険料に関し、必要に応じて調査権が定められているからです。出生証明書は、出産に携わった医師又は助産師が記入しますので、疑義があれば、記載者の所属する医療機関に確認すれば、真偽はすぐに判明します。
 また、被扶養者が外国で出産した場合を想定した上での指摘だとしても、中国人が「出生証明書」を偽造して出産育児一時金の詐取を行っているかのような記述は、「中国人差別」そのものです。そもそも言葉の問題、出産前後のケアなどを考えて、出身国での出産を希望する在日外国人は少なくありません。それは、日本人女性が「里帰り出産」するのと同じです。「実家」が海外にあるだけで、出産一時金が認められないのは、差別です。
 このあと堤氏は、安倍政権が低賃金の労働者を大量に受け入れようとしているが、「今は安く使い捨てることができたとしても、猛スピードで進化するAIによって、今後単純労働者の需要は否応なしに減っていく」と指摘した上で、以下のように述べています。

ー その時、今横行する医療のタダ乗りに加え、大量に失職する低賃金の外国人労働者とその家族を、日本の生活保護国民皆保険制度が支えなければならなくなる現実は、果たしてシミュレーションされているだろうか?(195P~196)

 そもそも「単純労働者の需要は否応なしに減っていく」「大量に失職する低賃金の外国人労働者とその家族」という前提には、何の根拠も示されていません。それどころか「横行する医療のただ乗り」というフェイクまで持ち出した上に、外国人労働者とその家族を(将来の)「福祉のお荷物」とみなし、その存在を否定的に捉えて危機を煽るのは、排外主義に他なりません。
 そもそも日本に暮らしている人は誰でも、社会保障制度の対象となるのは、国際人権規約にある「社会保障の内外人平等」原則に照らして当然のことです。

ー だが移民は、四半期利益のために使い捨てる商品ではない。名前があり家族があり、子供を育て、将来の夢を描き、病気にもなり、社会の中で老いてゆく、私たちと同じ、100年単位で受け止めなければならない存在だ。(196)

ー だからこそ、どんどん入れる前に、彼らをモノではなく人間としてどう受け入れていくかを慎重に議論し、シミュレーションし、環境を整備するのが先だろう。(196)

 堤氏は、移民がすでに「ここにいる」こと、すなわち260万人を超える外国人、くわえて外国にルーツがある人びとが日本で暮らしていることを無視して論を立てています。「名前があり」「家族があり」「子供を育て」「将来の夢を描き」「病気になり」「社会の中で老いてゆく」人がすでに260万人以上もいるわけですから、「シミュレーション」などするまでもなく、これまでの外国人受け入れの実態から謙虚に学べば、どのような環境を整備すればいいのか、自ずと答えは出るはずです。

 

YOUは何ゆえウソをつく?」移民の人権を食い潰すペンの暴力

 以上のような、堤氏の「外国人ただ乗り」論は、特に目新しいものではありません。むしろ、この本が出版された直前にいくつもの週刊誌やネットメディアで展開されていた「フェイク記事」をろくに取材も検証もせず、そのまま書き写しているかのようです。外国人ただ乗り論に「ただ乗り」して、移民の存在を、いわば自らの主張のダシにし、「日本人」と「外国人」の対立を煽ることは、まさに「ペンの暴力」であり、ジャーナリストとして恥ずべき態度です。「自国民と移民とが憎み合い、暴力がエスカレートし、社会の基盤が崩れかけている欧州の二の舞になってしまう」(196P)事態を引き起こそうとしているのは、ほかならぬ堤未果さん、あなた自身ではないでしょうか。

 

(移民連のサイトより。引用文中の赤字は引用者による)

 

 上記の「ファクトチェック」について、最初の項目の13万人(2.4%から3.3%への0.9ポイント増加)を急増には当たらないとしている点に論点を絞ろうとする論者も少なからずいるが、問題の核心はそこにはない。堤未果が露呈した右翼排外主義的な態度こそが問題だ。急増に当たるかどうかばかり言挙げするのは、南京事件南京大虐殺)の犠牲者を30万人とするのが過多だと言い募って、それをいつの間にか「南京大虐殺はなかった」ことにしてしまう論法と同じで、堤の排外主義を実質的に擁護する態度以外の何物でもない。

 上記の引用文中で赤字にした堤の文章はあまりにも酷く、極右レイシズムがむき出しだ。読んでいて、城内実関岡英之か、と思った。

 上記「ファクトチェック」には多くの「はてなブックマーク」がついているが、堤未果がこんな人になってしまったとは、という反応が多い。しかし私は以前から堤に対する悪評を仄聞していた。ただ私は以前岩波新書から出て売れたという『貧困大国アメリカ』を読んだことがあって、それから類推してよくいる「『右』も『左』もない」人たち、つまり右翼に寛容な人なんだろうな、程度に思っていた。それがとんでもなく大甘の認識だったことを思い知った次第。

 そこでネット検索をかけたら、以前からの堤未果の悪評が出てくるわ出てくるわ。たとえば下記東本高史氏のブログ記事は2010年7月に書かれている。堤未果のアブナさは何も最近始まったばかりではないようだ。

 

mizukith.blog91.fc2.com

 

 以下引用する。

 

以下は、あるMLで堤未果さんという少壮のジャーナリストを評価する向きの発言がありましたので、その発言に否を唱えた私の応答です。

堤未果さんについては彼女が若くして日本ジャーナリスト会議黒田清新人賞を受賞したことや一昨年『ルポ 貧困大国アメリカ』(岩波新書)を著わし、同著書が30万部を超えるベストセラーになったことなどから、いわゆる革新・護憲陣営の中にも彼女を「革新勢力の旗手」として評価する向きが少なくありません。しかし、その評価は私は少し以上に誤っていると思います(このようにやわらかく表現しておくのは彼女はまだ若く、これからよい方向に変化する可能性もないわけではないからです)。以下、警鐘の意味を込めて同文をエントリしておこうと思います。

○○さん。あなたは間接的な表現ではありますが堤未果さんを評価されているようですが、堤未果さんは評価に値するような人でしょうか? 私には疑問です。

堤未果さんは一昨年の国会での国籍法改正審議の際に同法改正に反対する「アホウヨ」まがいの実にくだらない意見を東京新聞に発表しています。彼女の左記の発言の全文とその意見のあまりの「ばかばかしさ」についてはmacskaさんのブログに適切な指摘があります。

参議院議員川田龍平さんのパートナーで『ジャーナリスト』の堤未果さんが、11月30日付けの東京新聞に国籍法改正についてのコラムを掲載している。全体を読まないとそのばかばかしさが十分に分からないと思うので、以下に全文引用する。」
http://d.hatena.ne.jp/macska/mobile?date=20081209&section=p1
http://d.hatena.ne.jp/macska/20081201/p1

さて、あなたが好尚するネット上では堤未果さんの人物評について次のような意見も散見されます。

堤未果っていう人の考えていることがよく分からない。アメリカでの貧困の告発をする彼女と、日本のネトウヨまがいの連中に賛同してしまう彼女が、同じ人格の中で同居しているのが、よく分からない」(雲さんTwilog  2010年7月15日付)。また、左記のTwilogによれば堤未果女史はどうやら「夫婦別姓合法化」にも反対している様子でもあります(ウラはとれていません)。

川田龍平氏が新自由主義ポピュリズムの政党であるところのみんなの党に鞍替えしたことにはかつての仲間内からも批判は多いのですが、その批判の中には堤未果さんの川田氏に対する負の影響を指摘する人も少なくありません。私としてはプライベートにわたる点もあり、事実を根掘り葉掘り確かめるのも気が引ける話なのでうわさ話の程度に聞き置いていますが、上記の東京新聞上の彼女の論を読むにつけそのうわさ話(ほんとうは川田夫妻をよく知る確かな人の話でもあるのですが)にかなりの信憑性を感じているしだいです。

それにしても堤未果さんが『ルポ 貧困大国アメリカ』(岩波新書。同著は30万部を超えるベストセラーになりました)など何冊かの本を出しただけで、確かな批評眼もなく一部に彼女を持て囃す風潮がありますが、正直なところ私はうんざりさせられています。

私は先のエントリで次のような意見を述べておきました。

本来「革新」の言説を発信する媒体であるべきメディアが逆に大マスコミの論調に巻き込まれた「論」を展開し、その「論」のまやかしに気づかない読者を拡大しているという逆説が横行しているというのが残念ながらいまの護憲・革新陣営の現状です。

上記の現象もその一例のように私には見えます。
 
(Blog「みずき」2010年7月21日)

 

 上記記事からリンクされている2008年の「はてなダイアリー」の下記ブログ記事を読んで、堤未果(と川田龍平)が国籍法改正に反対していたことを知った。
 

d.hatena.ne.jp

 

 以下引用する。

 少し遅れて知ったのだけれど、国籍法改正に反対票を入れ、自分のブログでは「国籍法について」というエントリだけトラックバック欄を削除した(わたしは、かれがトラックバック欄を削除する前に批判エントリからトラックバックを送っていたのだけれど、慌ててトラックバック欄だけ消したためか、サイドバーの「最近のトラックバック」の欄にはわたしのトラックバックは残っているが、他の人がトラックバックを送ることはできない)、参議院議員川田龍平さんのパートナーで「ジャーナリスト」の堤未果さんが、11月30日付けの東京新聞に国籍法改正についてのコラムを掲載している。全体を読まないとそのばかばかしさが十分に分からないと思うので、以下に全文引用する。

「本音のコラム」 民主主義の宝 堤未果

 かつてケネディ大統領は米国民にこう語った。「国があなたに何をしてくれるかでなく、あなたが国のために何ができるか自問してほしい」

 六月の最高裁違憲判決を受け、衆院でわずか三時間の審議で可決された「国籍法改正法案」が参院で審議されている。

 日本人男性と外国人女性の間に生まれた子に対し、父親が認知さえすれば(DNA鑑定はなし)日本国籍取得を認めるという同法に、偽装認知など多くの危険性がある事に議員が気づき、見直しを要求したが同案は衆院を通過。その後、慎重審議を求める声が与野党で拡大し、参院では入管審査徹底という付帯決議をつける条件で採決を先送りしたのだ。ある自民党議員は最高裁判決が出たからと思考停止する政治家を批判。「怖いのは全会一致となったらおかしいと思っても声を上げられないその仕組みだ。」

 過去に権威が決定を下した時「しょうがない」と受け入れた為に道を誤ったと悔やむ声は歴史上少なくない。今回、議員たちを揺さぶり疑問を投げかけたのは国会事務所に殺到した国民からのファクスやEメールだった。政治は民が動かすのだ。

 主権者の権利を付与する「国籍」という重要事項が選挙で頭が一杯の政治家にずさんに扱われる。その立法構造に疑問を持ち、声を届け続ける国民の存在こそが民主主義国家の宝ではないか。

 ケネディの演説との関係が全然見えないし、「ある自民党議員」として引用されているのが、国会議員に対して一人何十・何百というFAXやメールを届けるよう呼びかけるなど、率先して国民を煽動している戸井田とおる衆議院議員のことだったり、あるいは最高裁が国家の人権侵害を指摘し違憲だと言っていることを、過去に国が道を誤る原因となった「権威」の決定であるかのようにすり替えたりと、突っ込みどころが多過ぎてもうどこから始めれば良いのか分からない。

 でも注目するべきは、「今回、議員たちを揺さぶり疑問を投げかけたのは国会事務所に殺到した国民からのファクスやEメールだった」という部分。要するに、「川田龍平ネットウヨの煽動によって大量に届けられたFAXやメールの山に恐れをなして迎合しました」と告白してるとしか思えない。(後略)

 

(『*minx* [macska dot org in exile]』 2008年12月9日)

 

 2008年末といえば民主党への政権交代の気運が盛り上がり始めていた時期*1だったが、政権交代を求める勢力の中には「『右』も『左』もない」と称して平沼赳夫城内実を持ち上げる勢力が(特にネットでは)強かったことを苦々しく思い出す。

 国籍法改正といえば忘れられないのが11年前の11月11日にその城内実(当時衆院選に落選して浪人中だったが現在は自民党衆院議員)が書いた恥ずべきブログ記事で、一時期私はこの城内を批判することに躍起になっていたものだ。"bakawashinanakyanaoranai" という当該記事のURLに含まれるローマ字の文字列は、あまりにもしばしば打ち込んだもので、今も指が覚えている(笑)。この文字列を検索語にしてネット検索をかけると、城内実ブログの問題の記事に簡単にアクセスできるから実に便利だ。

 

www.m-kiuchi.com

 

 上記ブログ記事には、引用する気も失せる醜い文章が羅列されている。あまりにも城内実の印象が強烈だったため、他に国会議員で目立った田中康夫がやはり反対していたことは覚えているものの、堤未果が反対論に加担していたことは今回ネット検索でやっとこさ認識した。移住連のファクトチェックを読んで城内実関岡英之を連想した直感は正しかったが、堤未果のアブナさに気づくのに10年以上もかかったとは迂闊だった。

 ところで、この記事を書こうとして移住連の記事についた「はてなブックマーク」を見ていて、驚くべきブクマコメントをみつけた。以下に示す。

 

【お知らせ】堤未果著『日本が売られる』についてのファクトチェックを幻冬舎に送付しました | 移住連 |Solidarity Network with Migrants Japan -SMJ

目次を読む限り, アンチ資本主義 + 排外主義みたいな感じかなぁ. 学生運動を経た高齢者に多い印象. // 赤旗が好意的に取り上げてた…. <a href="http://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-12-11/2018121101_06_0.html" target="_blank" rel="noopener nofollow">http://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-12-11/2018121101_06_0.html

2019/03/13 11:49

b.hatena.ne.jpm

 

 早速リンク先を見てみた。

 

www.jcp.or.jp

きょうの潮流

 いつの間にか政府が国民の生活に値札をつけて外国や企業に売り渡す。水や土、森や海、農や種、食や福祉、教育や医療、労働者まで―。安全や命にかかわるものが差し出されていく▼堤未果さんの新著『日本が売られる』は築いてきた国のかたちが売国政治によって壊される現状を豊富な例で告発しています。次々に売られていく大切なもの。その激流のなかで私たちが本当に立ち向かうべきものとは何かと▼臨時国会が閉幕しました。外国人労働者の拡大、沿岸漁業への企業参入、水道の民営化。いずれも営みを大きく左右し、国の今後にかかわる重要法案を安倍政権は審議することまで拒んで強行しました。国民への説明を投げ捨てて▼国会の空洞化はこの政権がいかに国民をないがしろにしているかをあらわにしました。もはや民主主義国家としての体を成さない状態までおとしめたことに志位委員長はアベ政治の破たん、財界べったりの害悪ここに極まれりと▼浜の漁民の労苦を涙ながらに訴える、命まで奪われる外国人実習生の過酷な労働実態を突き付ける。日程ありきでしゃにむに押し通す与党に対し、野党は共闘して事実と現場の声をぶつけ、まともな論議を最後まで求めました▼堤さんは「今だけカネだけ自分だけ」の暴走に反撃する世界の動きをあげ、売られたものは国民の力で取り返せと呼びかけます。安倍政権の打倒にも欠かせない三つの力があります。暴挙を忘れない、たたかうことをあきらめない、手を携えて団結する。

(『しんぶん赤旗』2018年12月11日)

 

 なんと、『しんぶん赤旗』、つまり日本共産党の機関紙の編集部からも、堤未果の本を読んでその極右排外主義を問題と感じる批判能力が失われていたようだ。

 終わったな、日本共産党。もはやこの国は極右排外主義的民族主義に覆い尽くされているようだ。これこそ「『右』も『左』もない『崩壊の時代』」。

*1:当時総理大臣の麻生太郎朝日新聞記者の曽我豪に書かせた『文藝春秋』2008年10月号の「論文」で就任早々の衆議院解散を宣言しながら勝てそうにもないとする自民党内の調査結果にびびって解散できなかった一件があった。