kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

こたつぬこ(木下ちがや)氏の「山本太郎現象」論 - 現代日本最悪のデマゴーグ・田中龍作に警戒せよ(続編)

 田中龍作批判記事のシリーズ。本エントリは先刻公開した下記リンクのエントリの続編。

 

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 昨夜(5/25)遅く帰宅してネットを見て、最初に考えさせられたのは、木下ちがや(こたつぬこ)氏が発した下記の一連のツイートだった。以下コメントを挟みながら引用する。

 

 

 この「山本太郎現象」の広がりなのだが、今のところマスメディアなどの調査機関による定量的な評価結果がないのでわからない(山本太郎率いる「元号政治団体*1が政党要件を満たしていないので、世論調査でも支持政党を尋ねる選択肢に挙がっていないのだと想像される)。それで私は、昨日(5/25)公開した下記記事で、2007年の「9条ネット」や2010年の三橋貴明の落選などを例に引きつつ、大きな流れにならないのではないかと書いた。

 

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 しかし、2007年や2010年に当てはまったことが現在も当てはまるかどうかは当然ながら全くわからないし、現に山本太郎個人についていうなら2013年の参院選東京選挙区で実際に無所属で出馬して当選している。ただ、2016年の同じ選挙区で山本太郎が全力で応援した三宅洋平を当選させることはできなかった。

 ただ、「実現できない理想を掲げないとつかめない層」を「排外主義者につかまれるより、山本太郎がつかんでくれた方がいい」というには一理ある。但しそれには条件があって、山本太郎自身が排外主義を煽る政治家にならないことが絶対に必要だ。前回の参院選で、紛うかたなき右翼民族主義者である三宅洋平山本太郎が全力で応援したことは、その点で疑問を抱かせるものだ。

 

 こたつぬこ氏のツイートの引用を続ける。

 

 

 山本太郎一派(といっても現時点では山本本人以外に名前が思い浮かばないが)の運動が「リベラルなガバナンスを拒絶することを力の源泉とする運動」だという指摘にはとてもよく納得できる。たまたま私自身が某所で交わした会話で、「山本太郎の支持者にはリベラルのイメージは全くない」と言ったばかりだった。「リベラルなガバナンス(統治)を拒否する」とは言い得て妙で、そこからファシズムへの萌芽を看て取ることは誰にでもできる。実際、この一連のツイートでも、のちにこたつぬこ氏自身がそれに言及することになる。

 上記ツイートに続いて、前のエントリでも取り上げた田中龍作を批判する下記ツイートが発信された。

 

 

 このツイートに脊髄反射したのが前のエントリで批判した青木俊だったわけだ。

 

 

 田中龍作のようなデマゴーグを全力で叩き潰すべきだという点には強く同意する。

 それとともに求められるのは、山本太郎自身が極右排外主義に回収されないようにすることだ。これには、山本自身が危ない資質を持っているためもあって簡単にはいかないが、現時点では山本もまだ彼の政治団体の名称に難色を示すリベラル・左派を説得しようとしているから、まだ間に合うかもしれない。

 

 

 これもまたうまいことを言うと思った。これが、さっき書いた山本太郎の「ファシズムの萌芽」をこたつぬこ氏が指摘したツイートだ。最近、こたつぬこ氏は小沢一郎と距離を置くようになってきたから、元来の学者らしい発言を少しずつ取り戻しつつあるのかもしれない。

 山本太郎が「民主主義にもファシズムにもなりうるギリギリの線で立っている」というのは本当にその通りだと思う。私は、山本太郎に心惹かれる人たちに対しても、「あなた自身も民主主義にもファシズムにもなりうる線の上に立っているんですよ」と言いたい。自らの内なるファシズムを自覚しているファシスト支持者など誰もいないのだ。

 

 このあとにこたつぬこ氏が発した3つのツイートは論評抜きで引用する。

 

 

 

 

 次のエントリ(完結編)では、これまでに田中龍作が撒き散らしたデマや陰謀論についておさらいする。

現代日本最悪のデマゴーグ・田中龍作に警戒せよ(序説)

 昨日(5/25)、山本太郎関係のツイートを追っていたら、田中龍作の煽動に、一昨年3月には清水潔氏と掛け合いながら田中を馬鹿にしていた青木俊氏が乗せられていることを知った。

 

 

 ここで青木氏が「この学者」と書いて批判しているのはこたつぬこ(木下ちがや)氏だ。木下氏のツイートを以下に引用する。

 

 

 青木氏が2年前に田中龍作を批判していたことについては、この日記で好意的に取り上げたことがある。

 

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 下記は当時の青木氏のツイート。

 

 

 その青木氏が豹変し、一昨年とは別人のようなツイートを発信していたことには驚愕した。

 田中龍作は、過去何度も悪質なデマを撒き散らした悪名高いデマゴーグであって、特に私が今でも許していないのは、2013年の参院選三宅洋平が落選したのは比例代表制のせいだと言ってトンデモなブログ記事を書いたことだ。私は田中龍作を現代日本最悪のデマゴーグだとみなしている。

 

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 そんな田中龍作の妄言を、なんと醍醐聡氏までもがリツイートしている。

 

 

 田中龍作のような悪質極まりないデマゴーグが書いた記事を、まともな論客であると私が評価し敬意を抱いているところの醍醐聡氏が引用することなど、本来あってはならないことだと思うが、おそらく醍醐氏は田中の正体をご存知ないのだろう。

 非常に大きな危機感を抱いたので、急遽このエントリを立ち上げた次第。

 私の立場は、今回に限っていえばこたつぬこ氏に理があるというものだ。こたつぬこ氏がブレーンを務める「野党共闘」は問題だらけであり、それについては私も連日のように批判しているが、田中龍作は「野党共闘」どころではなく、もっと根本的に危険な人間だ。たとえてみれば、立憲民主党共産党を中心とした野党が戦前の政友会と民政党、田中龍作は2.26事件の青年将校などの「皇道派」にそれぞれ相当する。「統制派」(東条英機)に当たるのは言わずとしれた安倍晋三だ。

 以下、追って田中龍作を批判する記事を公開する予定。まず続編でこたつぬこ氏が言うところの「山本太郎現象」について書く。

権力に利用され放題の天皇制は廃止すべきだ/元号を冠した山本太郎の政治団体について

 昨夜(5/24)、大塚英志の『天皇感情論』(ちくま新書)を含む新書本・文庫本6冊を買ったが、もちろんまだ読んでいない。だが、ここらで天皇制について総括をする必要があるし、元号を冠した山本太郎政治団体も批判しておく必要がある、そう考えてこのエントリを上げることにした。

 4月から延々と続いた新元号天皇の代替わりの騒動は安倍内閣の支持率を大きく押し上げた。ある程度予想はしていたが、上げ幅は私の悲観的予想をも上回った。

 中には、私の身近なある人(その人はかなり長い間「小沢信者」だったのに、読売新聞とNHKの岩田明子に洗脳されて最近まで安倍支持者に転じていた)のように、安倍晋三元号決定に過程に深く関与したことをあからさまにひけらかすのを見てドン引きしてしまい、再び政権批判派へと転じつつある例も見ているが、同様の人がいるか、あるいは増えるかはわからない。

 いずれにせよ、改元と新天皇即位の過程ではっきりしたことは、安倍晋三のような、権力とは積極的に行使していくべきだと考えている権力者にとって、元号だの天皇だのといったものはいくらでも利用できるものだということだ。

 第2次安倍内閣が発足した2012年以降、「リベラル・左派」の間では、「リベラルな天皇・皇后両陛下」とやらを安倍晋三への対抗勢力として期待する奇妙な風潮が蔓延していたが、その欺瞞がはっきり示されたともいえる。

 それならどうすべきかは明らかであって、天皇制を廃止するしかないというのが私の結論だ。天皇家をどうするかについては、とりあえず京都に戻ってもらって「貴族」的な位置づけにして*1、時が経った時点で(たとえば50年か60年ののち)その身分も廃止するという流れを考えている。

 また、天皇制を廃止するまでの間になすべきは、天皇に定年制を設け、現在の天皇家内にある「血の穢れ」などの女性差別的なタブーを可視化することだろう。もちろん女性天皇女系天皇を認めても良い。また、最近世界遺産登録とやらで話題になった古墳の発掘調査なども行うべきだ。肝心なのは、天皇制をめぐる「神秘のベール」を剥いでいくことだ。

 愚かしいと思うのは、前天皇明仁夫妻は安倍晋三に対抗していたのに、現天皇徳仁夫妻は安倍晋三に唯々諾々としているなどとつまらないことを言っている人たちであって、私は同じ人間が、「皇太子(現天皇徳仁)が新元号に『安』の字を入れることを拒んだのだ」と見てきたようなことを書いていたことを覚えている。いや、名前を出しておこう。「世に倦む日日」氏のことである。この御仁の物言いを信じるなら、3月には新元号に「安」の字を入れることを拒んだ「リベラルな皇太子」が、天皇に即位するやいきなり「内奏」の映像を公開することを許してしまう「そんたくナルちゃん」に変身してしまったことになる。そんな馬鹿なことがあるか。最初から安倍晋三元号に「安」の字を入れさせるつもりなど全くなく、日本の古典からとることによって右翼のご機嫌を取り結ぶことができれば良かっただけの話だ。普通には「俺様の命令につべこべ言わずに従え」という意味にしかとれず、なおかつ漢字の画数も少なくて読み間違う恐れもない新元号は、安倍にとっては理想的だったのだ。

 そういえばその新元号を冠した政治団体名を主宰する山本太郎の一派が参院選(あるいは衆参同日選挙)でどれくらい伸びるかなどとネットでは言われているが、私は2007年の参院選当時における「9条ネット」程度の浸透力しか持ち得ないと考えている。

 「9条ネット」など誰も覚えていないだろうが、12年前に天木直人がここから立候補して落選した。比例区での9条ネットの得票数は273,755票、天木直人の個人名での得票数は29,158票だった。なお同じ参院選では、ネット右翼の間では「維新政党・新風」が大人気だったが、この政党は政党名で170,515票、党首の瀬戸弘幸の個人名では14,676票で、「9条ネット」にも及ばない惨敗だった。

 その元「9条ネット」の天木直人だが、ネットでこの人を応援していたブロガーたちの多くはのちに「小沢信者」に転じた。その代表格が『反戦な家づくり』のブログ主である山岸飛鳥氏だ。当時はまた「『右』も『左』もない、オレは『下』や」というスローガンを編み出した「喜八」氏*2も活躍していて、この御仁は翌2007年に第1次安倍内閣が倒れると、「水に落ちた犬は叩かない」と宣言して安倍晋三に対する批判を止め、安倍の盟友だった平沼赳夫城内実といった極右政治家たちの応援の旗を熱心に振るようになった。その「喜八」氏もまた「小沢信者」だった。

 こうした流れの延長線上に山本太郎はいる。また、2016年の参院選では山本太郎はあの右翼民族主義者の三宅洋平(東京選挙区に立候補)を熱心に応援した。これは、結果的に三宅同様「小沢信者」筋からの支持があった田中康夫(おおさか維新の会公認で東京選挙区に立候補)の票を食い、民進党小川敏夫が「漁夫の利」を得て辛うじて当選したのだった。

 昨日、『広島瀬戸内新聞ニュース』が公開した下記記事のグラフに当てはめると、山本太郎元号政治団体*3は第3象限(左下)の「再分配大・権威主義」に入るだろう。

 

hiroseto.exblog.jp

 

座標軸分析 新自由主義権威主義のハイブリッドとしての安倍ジャパン

 
欧州での対立軸は、マクロンポストモダニズムvs極右(再分配を重視しつつの権威主義。トランプも比較的個々に近い。)。これに、左上の「左翼」4.0)がからむ。
日本の場合は、右上のポストモダニズム(小泉、小池、旧民主党前原系)か、右下の安倍ジャパンかの二者択一を迫られがちでこれが不毛な原因である。
野党・市民連合を「サンダース的な勢力」として日本でも増大させていく必要がある。
世界的に見ると、安倍晋三に一番近い政治家は習近平だろう。新自由主義権威主義のハイブリッドだからだ。ただ、安倍の場合信念がないから、どこにもかしこにもゴマをするという展開になる。
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(『広島瀬戸内新聞ニュース』2019年5月24日)

 

 山本太郎が「経済左派」であることは疑う余地がないが、2013年秋の園遊会で当時天皇だった明仁に「直訴」したり、同じ頃に山本本人が自身について「保守ど真ん中」だと語っていたことから、天皇主義系の保守主義者(あるいは右翼)であり、「再分配大・権威重視」のカテゴリに間違いなく入ると考える。

 私は上記グラフの第3象限(左下)に入るような政治勢力が、特にこれまで旧民主・民進系に投票していた人たちから票を奪うとはどうしても思えない。民主・民進系に投票する人たちには「多様性重視」の傾向が強いとともに、自分自身では新自由主義に反対しているつもりなのに「財政危機」を煽るマスメディアの報道などに影響されて財政再建を施行してしまったりした結果、上記グラフの第1象限(右上)に属してしまっている。だからいとも簡単に小池百合子に「ワクワク」してしまうのだが、その一方で対極に当たる第3象限にはなかなか流れないと思われるのだ。

 「『右』も『左』もない、オレは『下』や」というスローガンに共鳴したような人たちとは山本太郎は相性が抜群に良いが、その勢力は限られている。かつて存在して民主党と連立政権を組んだ国民新党は明確にこのカテゴリに入るが、少数派だった。

 その少数派から、「俺たちも仲間に入れてくれ」とばかりに露骨に山本太郎にすり寄っている(ようにしか私には見えない)のが、先日報じられた小林興起らの動きだ。これに天木直人も名を連ねている。産経の記事を以下に引用する。

 

https://www.sankei.com/politics/news/190521/plt1905210052-n1.html

 

小林興起氏が新政治団体参院東京へ 比例に2人

 

 小林興起は元自民党衆院議員だが、2005年の「郵政総選挙」で小泉純一郎によって小池百合子を刺客に送り込まれて惨敗した。のち小沢一郎に拾われて民主党衆院議員として国会に返り咲いたが、「国民の生活が第一」を経て愛知の新自由主義政党「減税日本」に属したことがあるなど、経済政策に関する定見など何もない。ただ、政治思想的には「石原慎太郎の直系」を自認するだけあってバリバリの極右、そんな御仁だ。

 その小林にくっついてきたのが天木直人や黒川敦彦であり、天木は鳩山由紀夫山本太郎にも「参加を呼び掛ける」などと言っているらしいが、山本にとっては「無能な味方」以外の何物でもあるまい。いい迷惑であろう。傍から見ていても、いかにも物欲しそうな小林興起一派の妄動には「なんてみっともない」としか思えない。

 今ネットの一部で流行りの「MMT(現代金融理論)」がらみでいえば国家社会主義者である三橋貴明の名前も思い出されるが、この御仁も2010年の参院選比例区自民党公認で立候補して惨敗したことがある。今回仮に山本の元号政治団体から立候補しても同じ結果に終わるに違いない。

 またぞろ三宅洋平なんだろうか。今までに挙げた名前よりは少し「大物」である内田樹あたりが立候補すれば少しは違うかもしれないと思うが、内田はJR住吉駅前(神戸市東灘区)にそびえているとの噂の豪邸を手放すリスクを冒すような真似はしないだろう。ちなみに昨日、内田と鳩山由紀夫ともう一人の三人が共著者になっている、知らない出版社が出した新書本が目に入ったが、思わず目を背けてしまって立ち読みもしなかった(笑)。

 そんなわけで、あんな元号政治団体参院選あるいは衆参同日選でブームを起こすとは私には到底思えないのだが、少なくともネットでは山本を賛美する声が絶えないことには「なんだかなあ」と思ってしまう。

 私にとっては元号政治団体名に冠した時点でアウト、論外もいいところなのだけれど。

*1:もちろん人はみな平等であるべきだと私も思うからその意味では全く好ましくないが、これまで天皇制を受け入れてきた人たちとの妥協の案である。

*2:「喜八」氏はのちに本名を公表し、現在は中村順の本名でツイートの発信を続けている。

*3:私はあの元号をたとえ平仮名でも書きたくないので、今後この日記では山本太郎政治団体を、「元号政治団体」と呼ぶことにする。

前回衆院選から2年も経たないのに「解散風」が吹く異常さを誰も指摘しない「崩壊の時代」

 改元前後の10連休のしわ寄せが仕事にきて、昨日(5/23)まで忙しかった。私の仕事の場合、休みが多い月だろうが少ない月だろうが仕事量は一定で、今月も他の月と仕事量が変わらないので、改元前後の天候が不安定だった時期に10連休があってもありがた迷惑だった。

 安倍政権の「働き方改革」なるものは、「もっと休め、でも仕事は減らさない」というのがどうやら基本思想らしく、いかにも「経産省政権」的な発想だ。山本太郎財務省前で抗議集会をやったらしいが、私は財務省攻撃をする一方で安倍政権を露骨に応援する菊池誠を連想した。山本太郎の場合は財務省だけではなく安倍政権をも批判はしているものの、同政権の経産省的な性格に対する批判は、経産省が推進する原発に対する姿勢を除いて不十分であるように見える。

 最近テレビのニュース番組を見ていて腹が立つのは、政権が吹かそうとしている「解散風」を受け身でとらえるばかりか、それを増幅するような姿勢が目立つことだ。ここ2,3年帰宅が遅くなって、報道ステーションではなく「報棄て」以上にすっかり気迫のなくなったNews23を見ざるを得なくなることが多い。この番組は来月から星浩を除いてキャスター陣を総入れ替えするらしいが、その星浩は12年前の2007年には、当時テレビ朝日で日曜朝10時からやっていた田原総一朗司会の『サンデープロジェクト』によく出演していた。あの当時の星には、選挙の争点はマスメディアが設定するんだ、という姿勢を露骨に示していた印象がある。当時の星は50代前半で、朝日新聞の幹部記者としてブイブイ言わせていた(死語)ものだった。

 2007年の参院選でマスメディアが設定した争点は「消えた年金」問題だった。5月にこの問題が争点に設定されるや、同年4月の都知事選での石原慎太郎勝利以降に内閣発足時からの支持率下落基調から上昇・高止まり基調に転じていた第1次安倍内閣支持率が一転して再び下落に転じ、参院選惨敗につながった。これに『サンデープロジェクト』が果たした役割は大きかった。同年6月17日の放送を見終わった直後に、この日記に下記記事を書いている。

 

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 現在は当時とは一転して官邸がマスメディアを支配している。特にNHKが露骨で、岩田明子の宣伝放送など、その内容は朝鮮中央テレビのアナウンサーが語る内容と寸分違わない。そういえば昨年末に同テレビのリ・チュニ(李春姫)氏の引退が報じられたが、その後のアナウンサーについては全然知らないしネット検索でもわからなかった。後任の人は、もしかしたら岩田と同じくらいの年齢で同じような口調なのではないかと勝手に想像している。

 なにしろ岩田は、ある時NHK解説委員を集めて議論させる番組で、「良い独裁と悪い独裁がある」と言って「良い独裁」体制を賛美したところ、さすがに他の解説委員から「あなた、そんな国に住みたいですか」と嫌味を言われたことがあったらしい。それくらい狂信的な人間が重用されるのが今のNHKなのだ。NHKの人事は、いかに安倍政権に近いかどうかが価値基準とされているらしく、板野裕爾の専務理事復帰については、あの籾井勝人でさえ懸念を示したほどだという。籾井は安倍によってNHKに送り込まれ、NHKを安倍の宣伝放送局にした元凶だが、その籾井よりももっと露骨に政権にすり寄るのが板野という人間であるらしい。

 もはや選挙の争点を設定するのはマスメディアではなく安倍政権になってしまっているが、マスメディアは前回の衆院選からまだ1年7か月しか経っていない今の時期に衆院解散が話題になることの異常ささえ指摘できずにいる。

 私が思い出しているのは2005年の小泉純一郎による「郵政解散」だ。小泉が衆議院を解散したのは2005年8月で、その前の衆院選からは1年9か月しか経っていなかった。小泉が衆議院を解散する直前に、確か『サンデー毎日』だったかで、小泉は衆議院の解散を考えており、解散すれば必ず勝てると踏んでいるとの観測記事を立ち読みした記憶があるが、まさか負けるに決まっているそんな博打を打つはずはなかろう、こんなの飛ばし記事に決まっていると思ったものだ。だが小泉は本当に衆議院を解散した。当時の民主党代表・岡田克也は「勝てる」と思ったに違いなく、岡田がガッツポーズをしたこともよく覚えている。しかし、小泉は「抵抗勢力」を公認せず刺客を送るという「刺客作戦」に出て、これが大当たりして自民党の圧勝をもたらした。『サンデー毎日』の記事は、小泉が解散する前に小泉の意図と選挙結果を言い当てていたのだった*1

 この「郵政解散」以前の短いインターバルでの衆議院解散となると、1980年5月の大平内閣不信任案可決を受けての衆議院解散に遡る(つまり69条解散だった)。この時には前回の1979年10月からわずか8か月の時点で衆院選が再び行われる異常事態だった。これは史上初の衆参同日選挙となり、この時の選挙とその6年後の衆参同日選挙にともに自民党が圧勝したことが、今回解散が取り沙汰される前例になっている。しかし、1986年の中曽根康弘による「死んだふり解散」の時は、前回の衆院選からは既に2年半が経過していた。さらにこの選挙以降の衆院選は、1990年、1993年、1996年、2000年、2003年といずれも3年以上が経過していた。2005年の郵政解散以降も、2009年の政権交代選挙は任期満了直前だったし、よく「小沢信者」らによって野田佳彦の自爆解散だと批判される2012年にしても、その前の衆院選の3年4か月後、つまり衆院の任期切れが8か月後に迫った時点での解散総選挙だった。これより解散を遅らせれば遅らせるほど自民党議席が増え、民主党及び日本未来の党(笑)の議席が減ったであろうことは疑う余地がない。

 さらに1980年以前に遡ると、その前の衆院選から2年も経たずに解散が行われた例は鳩山一郎政権時代の1955年にまで遡らなければならない。さらにその前の吉田茂になると、この独裁者は4度行った衆議院の解散のうち3度までもがその前の衆院選から2年未満だった。但し、うち2回は69条解散だし、最初の解散は現憲法の施行前だった。つまり吉田茂といえど、前回衆院選から2年未満での7条解散は一度もやっていない。吉田内閣の不信任案が可決されたことからもわかる通り、吉田を批判する者が多数いたともいえる。とはいえ吉田茂内閣は第5次まであり、吉田は5度目の解散も企図したもののさすがに断念・退陣に追い込まれたのだった。時代的にいえば、55年体制が確立した以降は、前回衆院選から2年未満の解散は1980年、2005年と2014年の3度しか行われなかったし、7条解散に至っては2005年の「郵政解散」が55年体制発足以降初めてだったのだ(現憲法施行後から数えても1955年の鳩山一郎以来2度目)。つまり、歴代の総理大臣は総じて解散権の行使に関して、小泉純一郎を唯一の例外として安倍晋三よりもずっと抑制的だったといえる。

 安倍晋三が今回衆議院の解散に踏み切って衆参同日選挙を行うならば、2014年に続く2度目の衆院任期2年未満での解散になり、選挙を行えば当然自民党が勝つだろうから第5次安倍内閣が発足する。第5次内閣まで作る時点で吉田茂に並ぶとともに、前回衆院選から2度までも2年未満で「7条解散」をやってのけた、現憲法施行以後初の総理大臣ということになる。こうなるともはや吉田茂をはるかに上回る「ワンマン安倍」としか言いようのない独裁者だと思うが、不思議なことに安倍を独裁者と呼ぶマスメディアの人間は、前記のように一度「良い独裁」という表現で間接的に安倍を独裁者だと表現した岩田明子以外誰もいない。それくらい安倍批判がマスメディアでタブー化している。本来、ここまで濫用される「7条解散」は違憲ではないのかという問題が提起、議論されなければならないと私は思うのだが、そんな流れには全然ならない。

 だから、異議を唱える者、批判する言説が絶え果てた「崩壊の時代」だというのである。

*1:このように自分から風を吹かせる才能は安倍晋三にはない。だからいつも順風を背に受けて弱い相手を圧倒する選挙で勝ち続けているが、安倍が逆風に弱いことは2007年の参院選や2017年の東京都議会選に示されている。ただ、敵の隙を突く才能なら安倍にもあり、小池百合子の陣営ができあがっていない時点で行った2017年の衆院選はその例だといえる。この時に追い込まれたのは小池百合子のほか、前原誠司小沢一郎だった。

「本気の野党共闘」とは「寛大」を「排除」に転化させた魔法の言葉

  醍醐聡氏のツイート(5/18)が興味深い。

 

 

 

 

 「寛大」または「寛容」のはずが、「本気の野党共闘」という魔法の言葉によって「不寛容」あるいは「排除」という反対物に転化してしまったことの必然的帰結としての衆院大阪12区補選の結果は本当に衝撃的だった。

 しかし、今なお共産党幹部たちは「本気の野党共闘」なる悪しきマジック・ワードに拘泥しているようだ。

 大塚英志氏の『感情天皇論』か。最近はひところほどちくま新書の新刊に手を出さなくなったので買っていないが、買って読んでみるかな。

 

www.chikumashobo.co.jp

 

 ちくま新書といえば、6月に三春充希(はる)氏の新刊も出るらしい。

 

 

「7条解散」は違憲だと思うが、「君側の奸」なる言葉はいただけない

 下記のツイートは、一箇所を除いて強く同意するが、その一箇所については強く批判させていただく。

 

 

 いわゆる「7条解散」は日本国憲法違反だと私も思うので、上記ツイートの主旨には強く同意する。

 しかし、「君側の奸」なる言葉は全くいただけない。これぞ、戦前の「皇道派」及びそのシンパだった「2.26事件」の青年将校たちを思わせる用語だ。最近は「ネオ皇道派」なる言葉も用いられているが、それを思わせる用語法として、この箇所については強く批判する。このような言葉を用いるべきではない。

「忖度」こそ諸悪の根源、「批判」こそあらゆる善の根源

 共同通信が、「野党、参院27選挙区で一本化」と報じた。

 

https://this.kiji.is/502454688027657313

 

野党、参院27選挙区で一本化

32の改選1人区、調整加速

 

 夏の参院選の勝敗を左右する32の改選1人区を巡り、立憲民主など野党5党派がこれまでの5選挙区に加え22選挙区で候補者一本化に大筋合意した。焦点だった共産党候補への一本化は現時点で2選挙区。週明け以降、順次発表する。今後、残る5選挙区と、参院選に合わせた衆参同日選の可能性に備え衆院小選挙区の調整を急ぐ。関係者が18日明らかにした。

 24選挙区で擁立する共産が候補取り下げを視野に柔軟路線に転じたことや衆参同日選への警戒から、競合区などの調整が加速していた。

 

共同通信 2019/5/18 23:28)

 

 このようにしかなりようがなかったと思うが、共産党に一本化した選挙区はどこなんだろうかと思ってネット検索をかけたがわからない。某ブログ経由で、こたつぬこ(木下ちがや)氏が下記のように呟いていることを知った。

 

 

 「でしょうか」と書いているところをみると、こたつぬこ氏自身も正確には知らないわけだ。でも、島根・鳥取、徳島・高知の両合区なら「なるほどね」と誰もが思うだろう*1

 両選挙区はともに自民の鉄板区であり、旧民主・民進系の野党がどうやっても歯が立たない選挙区だからだ。なおかつ、高知県共産党が非常に強い県であり、合区でなければ2016年の参院選共産党野党統一候補を立てたのはこの件だったに違いない。

 この日記には何度も書いてきたが、小沢一郎民主党代表をやっていた時代に候補者を社民党に譲った選挙区は、どこも前記参院2合区と同じような自民党の「鉄板区」だった。私が念頭に置いているのは衆議院の香川3区であり、この選挙区では2009年の「政権交代選挙」でも自民党大野功統が圧勝した。

 前回(2016年)の参院選では共産党候補に統一されたのは香川選挙区が唯一だったが、これはどの選挙区でも当時の民進党県連が頑強に共産候補への一本化を拒んだのに対し、当時民進党衆院議員だった小川淳也(のち希望の党を経て無所属)が自らの選挙にデメリットがあるにもかかわらず身を切る決断を行って共産党候補への一本化に骨を折ったからだ。

 2009年の政権交代選挙では当時香川1区の有権者だった私は民主党公認候補だった彼に投票した(比例は社民党に投票)。この選挙では共産党を含む他の野党は候補者を立てず、小川は自民党公認の「メディア王」平井卓也を選挙区で破った。小川が平井を選挙区で破ったのはこの1回で、6度戦って1勝5敗だ。

 小川淳也とて基本的には保守政治家であり、私が本当に支持する政治家とはいえないが、「本気の野党共闘」(この言葉を私は大嫌いだが)なるものが仮にあるとすれば、この時の小川淳也の決断こそそれに値するものだった。しかし小川は、2017年の衆院選では、同郷かつ高校(香川県高松高校)、大学(東京大学法学部)の2年先輩である玉木雄一郎や派閥のボスだった前原誠司とのしがらみを断ち切ることができず、希望の党公認で立候補した。それにもかかわらず、共産党が香川1区に候補者を立てなかったのは、前年の参院選での小川の骨折りの見返り以外には理由が考えられない。

 その結果、前回衆院選での香川1区は大接戦となり。小川淳也平井卓也に喫した5敗の中ではもっとも平井に肉薄した選挙区となった。仮に小川が希望の党ではなく立憲民主党から立候補していたなら、間違いなく選挙区で当選していたに違いないと思わせる得票差だった。毎回の衆院選挙での香川1区の選挙結果については下記Wikipedia香川県第1区」を参照されたい。

 

ja.wikipedia.org

 

 今回の記事で私が何が言いたいかというと、今回仮に島根・鳥取と徳島・高知の両合区で共産党が「野党統一候補」を出すとするなら、その話をまとめた功労のかなりの部分は、前回参院選における小川淳也の尽力に帰せられるもので、この点で小川は正しく評価されるべきだということだ。間違っても、口先で「本気の野党共闘」を連呼するだけで、本音では「共闘」のパートナーである他の野党との勢力争いを制することしか考えていない小沢一郎やその一派ならびに「小沢信者」の功績に帰せられるべきではない。

 一方で、Wikipedia小川淳也」を参照すると、小川は民主党民進党時代の代表選で細野豪志の推薦人になったことがあるなど、派閥(凌雲会)のしがらみで動いたとしか思えない行動をとっていたことが確認できる。

 

 

 これは決して褒められたことではないが、人間とはそういうものなのだ。人間の行動を決める基本は自らの周囲との人間関係にほかならない。

 このように書きながら念頭に置いているのは、「薔薇マークキャンペーン」主唱者の松尾匡が、リフレ派仲間の高橋洋一田中秀臣、上念司らを批判できない弱点を持っていることだ。学者とはいえ理念よりも人間関係を優先してしまう例だが、一事が万事、人間みな同じなのだ。私自身も、小川淳也松尾匡の立場に立ったなら、彼らと同じように振る舞ってしまう可能性がきわめて高いことを自覚している。

 だからこそ、それらの人間関係のしがらみのない人々は、彼らの気持ちを慮る(=忖度する)のではなく、正しく批判することが求められるのだ。

 ここに下記のスローガンを掲げたい。

 

「忖度」こそ諸悪の根源だ。
「批判」こそあらゆる善の根源だ。

 

 もう一つ私が言いたいのは、政権支持派であれ、反政権派であれ、属人的な議論しかできない人間があまりにも多すぎることだ。権力者を批判するより、いかに権力者の行動(それは多くの場合権力者の周囲との人間関係に大きく影響される)を制限するシステムを構築するかに知恵を絞るのが、現代を生きる人間に求められている。私はそのように堅く信じる人間だ。

*1:なお、実際に上記の両合区であることが報じられていたことを記事を公開したあとで知った。