田中龍作批判記事のシリーズ。本エントリは先刻公開した下記リンクのエントリの続編。
昨夜(5/25)遅く帰宅してネットを見て、最初に考えさせられたのは、木下ちがや(こたつぬこ)氏が発した下記の一連のツイートだった。以下コメントを挟みながら引用する。
山本太郎現象を軽視してはならないですよ。実現できない理想を掲げないとつかめない層が確実に増えていることの証ですから。それを排外主義者につかまれるより、山本太郎がつかんでくれた方がいいんですよ。そういう視角で捉えた方がいい。 https://t.co/3Hhwemvpan
— こたつぬこ『「社会を変えよう」といわれたら』4/17発売 (@sangituyama) May 25, 2019
この「山本太郎現象」の広がりなのだが、今のところマスメディアなどの調査機関による定量的な評価結果がないのでわからない(山本太郎率いる「元号政治団体」*1が政党要件を満たしていないので、世論調査でも支持政党を尋ねる選択肢に挙がっていないのだと想像される)。それで私は、昨日(5/25)公開した下記記事で、2007年の「9条ネット」や2010年の三橋貴明の落選などを例に引きつつ、大きな流れにならないのではないかと書いた。
しかし、2007年や2010年に当てはまったことが現在も当てはまるかどうかは当然ながら全くわからないし、現に山本太郎個人についていうなら2013年の参院選東京選挙区で実際に無所属で出馬して当選している。ただ、2016年の同じ選挙区で山本太郎が全力で応援した三宅洋平を当選させることはできなかった。
ただ、「実現できない理想を掲げないとつかめない層」を「排外主義者につかまれるより、山本太郎がつかんでくれた方がいい」というには一理ある。但しそれには条件があって、山本太郎自身が排外主義を煽る政治家にならないことが絶対に必要だ。前回の参院選で、紛うかたなき右翼民族主義者である三宅洋平を山本太郎が全力で応援したことは、その点で疑問を抱かせるものだ。
こたつぬこ氏のツイートの引用を続ける。
山本太郎現象とは、仏の「黄色いベスト運動」のミニチュア版ですよ。富と貧困をめぐる大衆の憤激を喚起し、リベラルなガバナンスを拒絶することを力の源泉とする運動。しかし日本ではミニチュア版の勢力しかない。だから野党は乗れない。しかしその勢力を右翼ではなく左派陣営に留置する必要がある。 https://t.co/0K62OEfP0K
— こたつぬこ『「社会を変えよう」といわれたら』4/17発売 (@sangituyama) May 25, 2019
山本太郎一派(といっても現時点では山本本人以外に名前が思い浮かばないが)の運動が「リベラルなガバナンスを拒絶することを力の源泉とする運動」だという指摘にはとてもよく納得できる。たまたま私自身が某所で交わした会話で、「山本太郎の支持者にはリベラルのイメージは全くない」と言ったばかりだった。「リベラルなガバナンス(統治)を拒否する」とは言い得て妙で、そこからファシズムへの萌芽を看て取ることは誰にでもできる。実際、この一連のツイートでも、のちにこたつぬこ氏自身がそれに言及することになる。
上記ツイートに続いて、前のエントリでも取り上げた田中龍作を批判する下記ツイートが発信された。
問題は、この山本太郎現象に寄生するデマゴーグの存在。この間、田中龍作のような人物が、山本太郎を持ち上げつつ、共産党やき立憲民主、連合ら労働組合への不信感を煽っている。これは、山本太郎現象をリベラルの破壊に導くものであり、結果的に右翼の陣地を拡大する敵対行為にほかならない。 https://t.co/efyIsMCEmb
— こたつぬこ『「社会を変えよう」といわれたら』4/17発売 (@sangituyama) May 25, 2019
このツイートに脊髄反射したのが前のエントリで批判した青木俊だったわけだ。
だからリベラル陣営は、「大衆の憤激を極右排外主義に回収させないための防波堤」という意味あいで、山本太郎はきちんと評価した方がいい。その上で、山本太郎と大衆の憤激のパワーを野党やリベラル攻撃に転じようとするデマゴーグを、全力でたたき潰すべきでしょう。 https://t.co/XBmyGwPDyE
— こたつぬこ『「社会を変えよう」といわれたら』4/17発売 (@sangituyama) May 25, 2019
田中龍作のようなデマゴーグを全力で叩き潰すべきだという点には強く同意する。
それとともに求められるのは、山本太郎自身が極右排外主義に回収されないようにすることだ。これには、山本自身が危ない資質を持っているためもあって簡単にはいかないが、現時点では山本もまだ彼の政治団体の名称に難色を示すリベラル・左派を説得しようとしているから、まだ間に合うかもしれない。
著書にもかきましたが、ポピュリズムというのは「民主主義とファシズムが溶け込んだるつぼ」です。だから民主主義にもファシズムにもなりえます。山本太郎はそのギリギリの線で立っています。だからリベラルが過剰に否定したらファシズムに追いやることになる。 https://t.co/NNCJGVILsM
— こたつぬこ『「社会を変えよう」といわれたら』4/17発売 (@sangituyama) May 25, 2019
これもまたうまいことを言うと思った。これが、さっき書いた山本太郎の「ファシズムの萌芽」をこたつぬこ氏が指摘したツイートだ。最近、こたつぬこ氏は小沢一郎と距離を置くようになってきたから、元来の学者らしい発言を少しずつ取り戻しつつあるのかもしれない。
山本太郎が「民主主義にもファシズムにもなりうるギリギリの線で立っている」というのは本当にその通りだと思う。私は、山本太郎に心惹かれる人たちに対しても、「あなた自身も民主主義にもファシズムにもなりうる線の上に立っているんですよ」と言いたい。自らの内なるファシズムを自覚しているファシスト支持者など誰もいないのだ。
このあとにこたつぬこ氏が発した3つのツイートは論評抜きで引用する。
この間流行りの「左派ポピュリズム」論のダメなところは、「左翼」「ポピュリズム」という異なる概念を、リベラルな解釈で接着し、小綺麗な話にしてしまっているから。換言すれば「ポピュリズムのリベラル的回収」というところか。こんな言葉遊びは分析には使えない。
— こたつぬこ『「社会を変えよう」といわれたら』4/17発売 (@sangituyama) May 25, 2019
もちろん。令和は野党ではありません。与党でも野党でも、維新的ゆ党でもない、特有のカテゴリーです。それが日本にでてきたから注目しているわけです。 https://t.co/6b3XFI2JBp
— こたつぬこ『「社会を変えよう」といわれたら』4/17発売 (@sangituyama) May 25, 2019
ともいえますね。いずれにせよ令和新撰組は、野党がガバナンスを重視しているからこそオリジナリティを発揮できるわけで、仮に山本太郎支持者の方々が主張するように、野党が山本太郎の言うことを聞いたら、太郎の魅力は一瞬にして消え去ります。野党のガバナンスがあるから令和は存在出来ています。 https://t.co/EyLoAii0qJ
— こたつぬこ『「社会を変えよう」といわれたら』4/17発売 (@sangituyama) May 25, 2019