kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

阪神、「コールド引き分け」でCSファイナルSへ(スポニチ改題)

昨年の「ヤクルト最下位、読売と星野楽天日本シリーズ」に続いて、今年も「ヤクルト最下位、読売と阪神クライマックスシリーズファイナルステージ」とは、私にとってはまさに「暗黒時代」もいいところでくそ面白くもない*1のだが、珍しい試合だったので阪神と広島のクライマックスシリーズ第1ステージについて触れておく。

阪神 1勝1分けでCSファイナルSへ 0―0で“コールド勝ち”― スポニチ Sponichi Annex 野球

阪神 1勝1分けでCSファイナルSへ 0―0で“コールド勝ち”

 セ・リーグクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージ第2戦が12日、甲子園で行われ、セ2位の阪神が同3位の広島と0―0で引き分けた。勝ち星が同じ場合はレギュラーシーズン上位のチームが勝者となるため、通算成績を1勝1分けとした阪神がファイナルステージ進出を決めた。

 メッセンジャー前田健の投げ合いで投手戦となった第1戦と同じく、第2戦も能見が8回、大瀬良が7回零封と両先発が一歩も譲らず。阪神は呉昇桓、福原、広島はヒース、中崎と救援陣もそれぞれ意地を見せ無失点に抑えた。

 阪神は初回1死三塁、4回2死三塁と2度三塁へ走者を送った他、5回から4イニング連続で先頭打者が出塁したものの本塁へ届かず。広島は7回に1死満塁とこの試合最大の好機を作ったが、後続が三ゴロ、見逃し三振に倒れた。

 12回に同点で各ステージの勝ち上がりが確定した時点でコールドゲームとするルールが初めて適用され、12回表が終了した時点で試合終了。阪神は5度目のCS出場で、ファイナルステージ進出は初。15日から東京ドームでセ1位の巨人と対戦する。

スポーツニッポン 2014年10月12日 17:35)


この試合の結果と阪神の勝ち抜けは、昨日夕方携帯で見たニュースの見出しで知ったのだが、その時思ったのは、延長12回裏の攻撃はあったのだろうかということだった。しかし昨夜はスポーツニュースを見なかったので、今朝の新聞を見て、初めてコールドゲームだったことを知った。スポニチの記事の見出しには「“コールド勝ち”」とあるが、試合の記録はあくまで「引き分け」である。それをスポニチは「実質的には阪神の勝利だ」という意味でダブルクォーテーション付きの「“コールド勝ち”」と表現したのだろうが、引き分けは引き分けである。スポーツ紙は、特に読売や阪神に関する報道においては、こういういい加減な、というか読売や阪神に有利な印象を与える見出しをつけることがままあるから注意を要する。

なお、パシフィック・リーグでは裏の攻撃をやるそうで、実際3年前にそういう試合があったらしい。下記2件もスポーツニッポンの記事。最初のものは9月30日付。

セCS 同点コールド採用 勝ち上がり確定なら12回裏攻撃なし― スポニチ Sponichi Annex 野球

セCS 同点コールド採用 勝ち上がり確定なら12回裏攻撃なし

 セ・リーグは29日、クライマックスシリーズ(CS)の開催概要を発表した。ファーストステージは3試合制、ファイナルステージは6試合制で、引き分けを除いた勝ち数が同じ場合はレギュラーシーズンの上位球団が勝者。延長は12回まで行うが、12回裏の攻撃中に同点となり各ステージの勝ち上がりが確定すれば、その時点で試合を打ち切り、コールドゲームとする。ファーストステージは広島が2位の場合はマツダスタジアムで第1、2戦が午後1時、第3戦が午後2時開始で、阪神が2位の場合は甲子園で3戦とも午後2時開始。東京ドームで開催されるファイナルステージは全て午後6時開始で行われる。予告先発は行わない。

スポーツニッポン 2014年9月30日 05:30)


パ・リーグ規定では続行 3年前ソフトが“消化イニング”― スポニチ Sponichi Annex 野球

パ・リーグ規定では続行 3年前ソフトが“消化イニング”

 阪神が広島と引き分け、1勝1分けで球団初のファイナルS進出を決めた。ポストシーズンの引き分けは10年日本シリーズ、中日―ロッテ第4戦*2(2―2=延長15回)以来10度目。両軍無得点の引き分けは57年日本シリーズ、巨人―西鉄第4戦(延長10回)以来57年ぶり2度目になる。

 なお、プレーオフ、CSの引き分けは3度目だが、引き分けでステージを勝ち上がったのは今回が初めてだ。この2試合で阪神は21イニングを無失点。CSの連続無失点としては10年ファイナルSで中日がマークした22イニング連続無失点に次ぐ記録。

 パ・リーグのCSには「引き分けコールド」はなく、今回同様に12回表終了の時点でステージが決着しながら、試合を続行したケースが1度ある。11年ファイナルSソフトバンク―西武第3戦で、第2戦までにソフトバンクがアドバンテージ1勝を含む3勝0敗。12回表終了の時点で1―1と西武の勝ちがなくなり残り全勝でも3勝止まりとなったため、ソフトバンク日本シリーズ進出が決定。ソフトバンクは12回裏に長谷川の適時打でサヨナラ勝ちし、花を添えた。12回表終了時、喜びのあまりベンチを飛び出した選手もいた。

スポーツニッポン 2014年10月13日 05:30)


3年前のソフトバンクといえば、ダイエー時代、「プレーオフ」時代からどうしてもファイナルステージに勝ち抜けなかったソフトバンクがついに勝った年で、それ以前から私は、この球団が勝つならストレート勝ちしかないなと予想していたのが現実になった時だ。最後の試合がサヨナラ勝ちだったのはこの記事を見て思い出した。あの時、そりゃ引き分けても敗退決定の西武のピッチャーはやる気しないよなあと同情したものだ。

なお、「10年ファイナルSで中日がマークした22イニング連続無失点」というのは、やられたのは読売のはずだが、こちらは全然覚えてなかった。かつてなら読売の不名誉な記録はほとんどすべて覚えていたものだが(笑)。

ともあれ、セ・リーグ(読売リーグ)の「コールドゲーム」は合理的な制度であるとはいえる。

ところで、私がこの記事を書こうと思ったのは、阪神ポストシーズン、コールドの三題噺で思い出した試合があったからである。

それは2005年の日本シリーズ第1戦。千葉マリンスタジアムで行われた千葉ロッテ阪神日本シリーズ第1戦のラジオ中継を旅先で聞いていた。以前、2010年の日本シリーズの時にも書いた、千葉マリンスタジアムの「ウグイス嬢」、谷保恵美さんのコールに度肝を抜かれたのはこの日のことである*3

この試合は7回裏に千葉ロッテが大量5点を挙げて、スコアを10対1としたところで、濃霧が激しくなり、そのままコールドゲームとなったのであった。まるで高校野球の予選でのコールドゲームのようなスコアだったこともあって忘れられない*4。そんなことも懐かしく思い出した。

まあ阪神も、読売に勝つなら嫌味は言わないから、せいぜい頑張ってくれといったところだ。

*1:もっとも昨年はバレンティン、今年は山田哲人の打撃の記録はあったが。また、星野仙一楽天監督退任は喜ばしいが、今後星野がテレビにしゃしゃり出まくるだろうと思うとうんざりだ。

*2:原文ママ。「第6戦」の誤記である。

*3:その後、2013年6月2日に行われた千葉ロッテ対ヤクルトの「セパ交流戦」で谷保さんのコールを実体験させていただいた。

*4:ポストシーズンではないが、ヤクルトが優勝した1997年にも、阪神横浜スタジアムでの横浜戦で、9対0の5回降雨コールド負けを喫したことがある。また、「阪神、引き分け、優勝」の三題噺なら、1985年の阪神優勝神宮球場でのヤクルト戦の引き分けで決まったことが思い出される。

「ショー・ザ・フラッグ」の大嘘も発信源は安倍晋三だった(呆)

下記は少し前(10/8)の記事。安倍晋三が東電原発事故の際の海水注入に関してついた大嘘についてはよく知っていたから、なんだ、またその話かと思ったが、それにはとどまらなかった。

「ショーザフラッグ」も!朝日より悪質な安倍首相の「捏造」歴を大暴露!|LITERA/リテラ

【アベ発のガセ情報は「海水注入中断」だけではなかった!】
「ショーザフラッグ」も!朝日より悪質な安倍首相の「捏造」歴を大暴露!

慰安婦問題の誤報で多くの人が苦しみ、国際社会で日本の名誉が傷つけられた」

 朝日新聞慰安婦問題などの一部誤報を取り消した件について、安倍首相はこんな発言を繰り返している。要は「反日朝日の捏造記事」が「日本を貶めた」と騒ぎ立てる右巻きメディアと同じ思考回路ということだろう。

 だが、ちょっと待ってほしい。過去に数々の「ニセ情報」を発信して政策を捩じ曲げ、「捏造」によって「日本の名誉」を傷つけてきたのは、むしろ安倍首相ご本人だったのではないか。

 誰でも知っている話だと思って放置していたが、いつまでたっても、マスコミも野党も追及しないので、改めて、その捏造歴をきちんと指摘しておこう。

 まずひとつめは、朝日が批判を浴びた福島第一原発事故の吉田調書で明らかになった例の“捏造”だ。

 事故からまもない2011年5月20日。当時、民主党政権下で野党の座に甘んじていた安倍は、メルマガで次のような一文を配信している。

福島第一原発問題で菅首相の唯一の英断と言われている「3月12日の海水注入の指示。」が、実は全くのでっち上げである事が明らかになりました。
 複数の関係者の証言によると、事実は次の通りです。
 12日19時04分に海水注入を開始。同時に官邸に報告したところ、菅総理が「俺は聞いていない!」と激怒。官邸から東電への電話で、19時25分海水注入を中断。実務者、識者の説得で20時20分注入再開。実際は、東電はマニュアル通り淡水が切れた後、海水を注入しようと考えており、実行した。
 しかし、やっと始まったばかりの海水注入を止めたのは、なんと菅総理その人だったのです。そしてなんと海水注入を菅総理の英断とのウソを側近は新聞・テレビにばらまいたのです。
 これが真実です。菅総理は間違った判断と嘘について国民に謝罪し直ちに辞任すべきです〉(抜粋。誤字などは原文のママ)


 これを受け、読売新聞が翌日、5月22日付の一面トップで「首相意向で海水注入中断」「震災翌日、55分間」という見出しをつけて報道するのだが、内容は安倍のメルマガそのままだった。菅首相が現場を混乱させた張本人だったという批判が一気に盛り上がった。

 だが、吉田調書の内容が明らかになると、事実は安倍が喧伝したものとはまったくちがっていることが判明したのだ。

 吉田元所長は、19時4分に海水注入した直後、首相官邸にいる(東電の)武黒フェローから「四の五の言わずに止めろ」と指示があったが、吉田氏はこれを無視して注入を続けていたと明記している。つまり、海水注入の中断そのものが「なかった」のだ。

 しかも、「菅首相が激怒して、官邸が東電に電話を入れて止めさせた」というのもでっち上げだった。吉田所長は官邸にいた武黒フェローから「官邸の了解がとれていない」と説明を受けたと証言しただけで、菅首相や官邸関係者が東電に電話を入れた事実はない。また、海水注入の措置命令は17時55分に海江田万里経産大臣から出されたまま変更された形跡はなく、18時からの菅首相、経産大臣、班目原子力安全委員会委員長、そして武黒フェローもまじえた打ち合わせでも、海水注入に反対する意見が出ていないことが確認されている。海水注入中断の指示はむしろ武黒フェローの独断だった可能性が高いのだ。

 たしかに、原発事故における当時の菅首相のヒステリックで場当たり的な対応が現場を大混乱させたというのは事実だが、少なくとも、この海水中断に関する部分は明らかなガセ、安倍による政敵をおとしいれるための捏造なのだ。ところが、こんな信じ難いニセ情報をばらまいたことがわかっても、安倍首相は今に至るまで訂正も謝罪もしていない。

 もちろん、これは氷山の一角だ。安倍は他にも、重大な政策決定の場面でニセ情報を拡散させたことがある。

 2001年、9.11テロを受け、ブッシュ米政権がアフガンへの報復攻撃を開始。当時の小泉政権が、米軍の攻撃を自衛隊が後方支援する方針を表明し、テロ対策特措法などを成立させた。この際、米国が日本に協力を迫るキーワードとして流布されたのが「ショー・ザ・フラッグ」という言葉だった。アメリカから、金だけでなく、自衛隊を派遣することで「旗を見せろ」と迫られたという報道がかけめぐった。

 発言の主はアーミテージ米国務副長官(当時)とされ、柳井俊二・駐米大使(同)との会談で発せられたと伝えられたのだが、実際にはそんな言葉などなかったことが後に判明している。これは、当時、小泉政権官房副長官をつとめていた安倍がマスコミにウソをリークしていたのである。

 この問題を追跡したテレビ朝日ザ・スクープ』は、01年10月20日の放送で内実を暴いたが、チーフディレクターだった田畑正氏は放送後記でこう記している。

〈私たちの掴んでいるところでは、日本で最も早く「ショーザフラッグ」という言葉を口にしたのは安倍晋三副長官である。では、安倍副長官が一体誰から「ショーザフラッグ」という言葉を聞いたのか。私たちのインタビューに対して安倍は「柳井氏の公電を読んだのはだいぶ後になってからだ」と答えた。因みに柳井氏からの公電には、言葉としての「ショーザフラッグ」は出ていない。誰かが安倍副長官に意訳して伝えたことになる〉

 一連の情報操作は、安倍と、安倍が親しくしていた当時の外務省ナンバー2、高野紀元外務審議官(当時)の合作だったといわれているが、いずれにしても、ニセ情報を拡散させたのが安倍だったのは疑いなく、結果的には超タカ派の安倍の思惑通りにテロ特措法が成立する要因となった。

 しかし、安倍首相を長くウォッチしている人間にとっては、こういうことはなんの不思議もないらしい。全国紙の政治部記者がこう語る。

「安倍さんって、マスコミを裏で動かすのが意外にうまいんだよ。しかも、自分に都合のいい情報を、ウソも交えて巧みにリークする。そもそも彼が注目を集めた拉致問題のときからそうだった」

 一時、40代後半の若手政治家だった安倍が世の注目を集め、政界の階段を駆け上がる契機となったのが北朝鮮による拉致問題だったのは周知の通り。日朝首脳会談をめぐっても安倍の「勇姿」はしばしばメディアで描かれた。たとえばこんな調子だ。

小泉首相と金総書記との間で交わされた「日朝平壌宣言」をめぐり、拉致被害者の多くが死亡していたことが分かったため、安倍官房副長官高野紀元外務審議官が一時、「宣言の署名を見送るべきだ」と主張していたことが複数の政府関係者の話で明らかになった〉(『産經新聞』02年9月18日付朝刊、一部略)
〈昼食を一緒に食べようという北朝鮮側の提案を断り、日本側は控室で日本から持参した幕の内弁当を食べた。だが、首相はほとんど手を付けなかった。
 安倍が首相に迫った。「拉致問題について金総書記の口から謝罪と経緯の話がない限り共同宣言調印は考えた方がいい」
 決裂もありうる──。緊迫した空気が周囲を包んだ〉(『毎日新聞』同19日付朝刊、一部略)


 総書記の謝罪がなければ席を蹴って帰国しよう──。北朝鮮への「強硬姿勢」を売り物にする安倍にとっては最大の見せ場ともいえるシーンだろう。

 だが、どうやらこんな事実はなかったらしいのだ。日朝首脳会談の立役者で会談に同行していた田中均アジア大洋州局長(当時)が後にフリージャーナリストの取材に対し、安倍の署名見送り進言があったことをはっきりと否定している。田中氏はその際、そもそも金総書記が拉致を認めて謝罪しなければ平壌宣言に署名できないのは会談関係者全員の基本認識だったから、わざわざそんなことを言う必要もなかった、という趣旨の解説もしていたという。

「署名見送り進言」はまさに、安倍をヒーローにみせるためのニセ情報だったのだ。しかも、このニセ情報、発信源は安倍だった。当時、帰国後のオフレコ懇談で安倍官房副長官が各社に「僕が首相にいったんだよ。共同調印は見直した方がいいって」と語っていたことは複数の記者のオフレコメモからも確認されている。

 もう十分だろう。メディア報道や他人の発言を「捏造」「でっち上げ」「ウソをばらまいた」と声高に批判する安倍だが、その安倍こそが過去に数々のニセ情報を捏造し、発信し、大ウソを拡散させてきた。それは時に自らのイメージ向上が目的であり、重要場面で日本の外交や政策がしばしば捩じ曲げられた。ありもしない「海水注入の中断」を内外に発信したのは、まさに「日本の名誉」を大きく傷つける行為ではなかったか。

 そう、こんなご都合主義者にメディアの誤報をエラそうに非難する資格はなく、安倍こそ過去のウソや捏造を訂正し、謝罪すべきだろう。
(エンジョウトオル)

(LITERA 2014年10月8日)


「ショー・ザ・フラッグ」が架空の発言のでっち上げだとはずっと前から聞いていたが、発信源が安倍晋三だったとは知らなかった。2002年の日朝首脳会談においては、安倍晋三福田康夫を「悪者」に仕立て上げる一方で、自らを「対北朝鮮強硬派」のヒーローとして売り出したことに私は強い反感を抱き、この頃からずっと私は安倍晋三を嫌い続けているのだが、安倍が虚偽の「署名見送り進言」をでっち上げていたとは知らなかった。

安倍晋三とは、右翼や軍事タカ派の受けを取るためなら、どんな悪質な嘘でも平気でつける人間なのだろう。

青色LEDと中村修二氏と日亜化学と

赤色の発光ダイオードは私の学生時代から実験などに普通に使われていた。緑色というのは記憶にないが、黄緑色の発光ダイオードは知られていた。当時、博士課程にいた先輩の学生から、青色の発光ダイオードができたらすごいことなんだよ、と教えてもらったことを覚えている。そしてそれが本当に開発されたのであった。自転車のライトや、山に行く時などに使うヘッドライトで、白色のLEDを使うようになった時には、その寿命の長さはありがたかったが、輝度の低い状態で長く点灯しているので、ちょっと暗いよなあと思うことが多かった(ここ数年は自転車で夜道を走らなくなったので、LEDの性能がどの程度改良されているかは知らない)。

LED照明推進協議会:LED基礎知識

さて、ノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏の話。

http://toeic990.jpn.org/2014/10/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E8%B3%9E%E3%82%92%E5%8F%97%E8%B3%9E%E3%81%97%E3%81%9F%E4%B8%AD%E6%9D%91%E4%BF%AE%E4%BA%8C%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%A8%E6%97%A5%E4%BA%9C%E5%8C%96%E5%AD%A6%E3%80%81/

ノーベル賞を受賞した中村修二さんと日亜化学、いったいどちらの言い分が正しいのか?元日亜社員のつぶやき。
Posted on 2014年10月8日

先日、青色発光ダイオードの発明を讃え、赤崎、天野、中村の三博士にノーベル物理学賞が贈られました。言うまでもなく非常に素晴らしい快挙で、本当に祝福すべきであると思います。
一方で、今回の裏の側面としてマスコミに再びとりあげられているのが中村さんと日亜化学工業株式会社の訴訟問題です。今日はこの話をしたいと思います。

中村さんは徳島県に拠点を置く日亜化学の研究員として今回の受賞につながる成果を挙げました。10年以上前の話です。その結果、中村さんは学会のスターダムを駆け上った一方で、日亜化学青色LEDを始めとする様々な応用製品を世に送り出したちまち光業界で世界有数の企業へと成長しました。
しかしその後、紆余曲折を経て中村さんと日亜の関係は悪化。氏は日亜を退職し、「怒りを感じる」という言葉とともに、発明の対価として200億円※を求めた裁判を起こしました。怒りというワードは彼の著書「怒りのブレークスルー」の題名にも出てくるほどで、相当怒っていたようです。結局、数年の法廷闘争の後に約6億円の賠償金を日亜が中村さんに支払うことで決着します。

※当初、あやまって600億円と表記していました。お詫び申し上げるとともに訂正させていただきます(2014/10/9/19:11)

その裁判の中で中村さんは、青色LEDの発明はすべて私がやった、発明の対価として2万円しかもらっていない、日本の研究者は奴隷のようなもの、という趣旨の主張をしています。その結果、中村さんは孤高の義士で、日亜化学は労働者から搾取するだけの悪の企業、というステレオタイプなイメージが流布しました。

はたしてそれは本当なのでしょうか?

私はやはり、中村さん=正義、日亜=悪というレッテル貼りは行き過ぎという気がします。実はわたしは大学を出て2年ほど日亜化学の研究所に務めた経験があり、日亜の職場環境については実際に経験をしました(今は、別の会社に務めています)。また、私が入社したのは中村さんがご退職されたあとなので直接の面識はありませんが、彼の元同僚を通して話を聞くなどして間接的に事情を聞きました。実際にすべてを直に見たわけではないので断言はできませんが、勧善懲悪な図式というのはやはり無理があって、真実はもう少し中庸であるように思います。

日亜化学に在籍する元同僚による中村さんの評判は様々です。奇人、変人、ケチといったネガティブな表現は聞かれますが、それは口さがない徳島県民ゆえ(※徳島は海を隔てた堺に近く、文化的には大坂商人のようなところがある)。本気で彼を嫌っているような人はあまりいないように思います。
むしろ、実験哲学には光るものがある、エンジニアとしての生き様は尊敬しているなど、彼の技術面については多くの人が認めているようでした。
彼らにとって中村さんは一緒に働いた同僚であり、友人であり、上司であり師匠でもあるという、どちらかというと身近な存在のようです。

ただし、仕事の成果となると話は別です。中村さんの「すべて自分でやった」という趣旨の主張には多くの人が反論します。実際に青色LEDを実現するには無数の致命的な課題があったのですが、その解決策を提案し実現したのは中村さんの周りにいる若いエンジニア達でした。彼らが「こんなアイディアを試してみたい」というと、中村さんはきまって「そんなもん無理に決まっとる、アホか!」とケチョンケチョンに言い返したそうです。それでも実際にやってみると著しい効果があった。そういう結果を中村さんがデータだけ取って逐一論文にし、特許にし、すべて自分の成果にしてしまったんだ、と。これらの進歩はまだ青色LEDが実現する前の話で、プロジェクト自体がうまくいくかなんて全くわからないフェーズでの出来事です。そんな中、みんな必死になって策を練り、頭をフル回転させて一つ一つ突破口を開いていった。そういう状況があるのに、全て自分がやったという主張は受け入れられない、という気持ちの人が多いようです。

もっとも、彼らも中村さんの成果を否定しているわけではありませんでした。中村修二なくして青色LEDなし、赤崎先生のグループ以外で誰よりも先駆けて良質な結晶を作れることを証明した実績は否定のしようがありません。また、その後の研究グループを率いたのも彼でした。中村さんは学会などで忙しく研究現場は不在にしがちだったため現場の人間が勝手に動いていた側面があるようですが、それでもチームのメンバーは良い成果があると「これは中村さんに報告しないと!」と喜びを分ち合おうとした、という話をきいたことがあります。変わり者で困った上司だけど、やっぱり大切な隣人であるという風には捉えられていたようです。

このように、裁判での主張を巡って中村さんと元同僚とあいだで多少の軋轢はあるようですが、そんなに関係が劣悪なようには見えません。でも、中村さんは日亜に対しては「怒り」を感じていると言っています。一体、彼は誰に怒っているのでしょうか?

ここからは私の推測も多く混じっていますが、彼が怒っているのは元同僚ではなく、日亜の経営陣に対してでしょう。

そもそも中村さんに青色LEDの研究を許可し、億単位の研究費を提供したのは先代の会長(故人)でした。当時の日亜は従業員200人程度の中小企業ですから、安い出費ではなかったはずです。ましてや誰も成功するとは思っていなかった青色LEDの開発でしたから、先代は、もうお金は返ってこないかもしれない、けどわずかな可能性に賭けてみよう・・・というつもりだったでしょう。そういう事情ですから、中村さんも先代には感謝しているのではないでしょうか。
しかし、青色LEDが軌道に乗り始めたときには先代は引退し、別の人が経営についていました。新しい経営陣はLEDを事業化するのに全力を傾けます。その結果、中村さんに対しては販売戦略会議に出て意見を言ってくれ、いついつまでに商品化を成功させてくれ、などと研究とは無関係な業務を依頼するようになりました。商品化チームというのは常識人の集まりですから、きっと中村さんの浮世離れした行動は呆れたものに見えたに違いありません。勢い、バカにしたような態度も取ってしまった可能性があるかと思います。
しかし、これが根っからの自由人、反骨精神の塊である中村さんに受け入れられるわけがなかったのです。私が歯を食いしばって立ち上げたLED研究なのに、少しうまく行ったらあとから乗っかかった連中が食い物にしようとしている、許せない・・・・と思ったとしても不思議ではありません。

そんなこんなで現経営陣と中村さんの軋轢は頂点に達し、退職、訴訟へと発展した・・・・というのがことのあらましかと私は思っています。

訴訟の中で、発明の報酬は2万円しかもらえなかった、という中村さんの主張があります。これはある意味本当で、嘘とも言える主張でしょう。日亜に限らず企業には発明報酬と言って特許出願時にその発明の良し悪しにかかわらず1〜5万円程度の定額の報奨を支払う制度があり、「2万円」はそのことを言っているのです。しかし、その後の特許の活用度を見て発明人の給料を上げたり、事業化の後に利益の一部を支払うなどして発明の対価を支払うのが一般的です。実際に日亜は給料を上げました。中村さんの年収は大きな企業の役員に匹敵しうるレベルだったという噂も聞きます。また、仕事も多少の制約はあったにせよ大きな裁量を与えており、中村さんは学会発表のために会社を離れて世界を飛び回り、論文を多数書いて多くの対外的な成果をこの時期に積み上げています。まさしく自由そのもので、日本の研究者は奴隷のようという中村さんの主張は、日本のサラリーマンには受け入れがたいのではないか、と思います。海外の大学に在籍する研究者に比べると制約が多いなどいろいろあるのかもしれませんが、少なくとも日本の企業として後ろ指を差されるレベルの待遇ではなかったのではないでしょうか。

以上、簡単にまとめると、

  1. 青色LEDの実現については、貢献は非常に大きく間違いなく筆頭だが、重要なアイディアの全てを発案したわけではない。
  2. 中村さんは発明の対価として2万円以外に豊富な給与と自由な待遇を手に入れていた。
  3. 社員は中村さんをそんなに嫌っていないが、全て自分の発明だったという主張については良く思っていない。
  4. 中村さんは今の経営陣は好きではなく、いろいろ軋轢があった。


もちろん私が見聞きしたことが全てではなく、勘違いしている部分もあるかもしれません。しかし、中村さん一人が正義を背負い日亜化学という悪と戦った、という紋切り型のストーリーで語るには事実は少々複雑だと私は捉えています。中村さんの成果が素晴らしいのは大前提ですが、ただ、みんなもう少し日亜の言い分も聞いてあげても良いのかな、と私は思います。

最後に、日亜化学は技術者・研究者にとって悪者なのか?という疑問にお応えしたいと思います。実際に日亜に勤務した私の経験からすると、少なくとも研究部門に関してはそんなことは全くありません。むしろその逆です。テーマは自分で自由に選べるし、やり方も自由。やりたい!と言ったことに対して予算がでないことはほぼ無いし、一度始めたテーマを経営者の判断で理不尽に止められる、ということもめったにありません。無駄な会議もないし、資料や書類も細かいことは言われない。まさしく技術者天国と言った格好で、研究に没頭できる環境が整っています。技術を極めるという意味では非常に素晴らしい職場に違いありません。よく、LEDのまぐれあたりに支えられている会社と揶揄されますが、LED以外も世界シェアトップの製品を多く抱えこの業界では研究開発力には定評が有ります。
ただ、元社員として強いて不満を言うとすれば、ちょっと給料が安いかな〜という気はしています。世界レベルのとっても良い仕事をしているエンジニア達がたくさん居ますので、もうちょっと待遇を良くしてもいいのでは(儲かっているわけだし)。あと、食堂のご飯があまり美味しくない。仕出し弁当の販売ではなくて厨房でちゃんと調理されたホカホカのご飯が食べられれば、もっと働きやすい良い会社になるかな〜と思います。それ以外は、本当にいい会社だと思います。

改めまして、今回のノーベル賞受賞は本当に素晴らしいことで、同じ分野で働かせて頂いているものとして、心より祝福申し上げます。博士達の足元にも及びませんが、私も企業の一研究者として、世の中のために役に立つような成果をあげられるように、精進してまいりたいと思います。


私の意見を以下箇条書きにする。

  1. 安倍政権の進める「特許は会社のもの」にする特許法改正は、技術者の海外への流出を招くだけであり、断固反対。
  2. しかし、中村修二氏と日亜化学の訴訟において、2004年に東京地裁が認定した「対価604億円」はどう考えても過大。和解の「8億4千万円」*1程度が妥当な金額であると考える。
  3. 日亜化学は技術者であったオーナー社長・小川信雄が興した会社で、青色LEDの開発に当たって、中村氏に自由に研究させたのも、このオーナー社長の裁量あってのことで、サラリーマン社長が重役との合議で決める多くの一部上場企業ではそうはいかなかっただろう。つまり、中村氏は当初、非常に恵まれた環境にいたといえる。
  4. 日亜化学の二代目社長・小川英治は、小川信雄の婿養子でやはり技術者上がりだが、この男と中村氏との折り合いが悪かったことが、訴訟につながった。
  5. 私がやはり日亜化学の元社員から聞いた話によると、競合他社による日亜の特許侵害の有無を調べるために、巨額の費用をかけて分析機器を購入していたらしい。日亜が中村氏の技術で食ってきたことは疑いのない事実と思われる。
  6. 日亜化学の作業員の中には、農業と兼業している人も多い(多かった)という。地元に密着した企業であることは確かだろう。
  7. 日亜化学の労働者の給料は安い。しかし管理職社員の年収は高い。年2回のボーナスの他にも適宜一時金が出て、そのために管理職社員の年収が膨れ上がる。中村氏が日亜化学に勤めていた最後の年の年収は1900万円あまりだった。これについては、中村氏の業績を鑑みるに、中村氏の年収が十分高かったとは決して思わないが。ただ、非管理職の従業員の待遇が決して良いとはいえなかったことは指摘しておかなければならない。日亜化学では、2006年に偽装請負も発覚した。
  8. 中村氏が最初のブレークスルーに至るまでは、ほぼ「一人でやった」と言って良い仕事だった。その後、中村氏に部下が多数ついたあとには、技術の改良に中村氏の部下たちが寄与した貢献が大きかったというのは当たり前の話である。
  9. 山崎行太郎とかいう「小沢信者」兼「小保方信者」の馬鹿者は、「青色LEDの真の発明者は他にいる」などとほざいているが、今回の中村氏のノーベル物理学賞受賞に意義があったと私が思うのは、それが製造技術の開発に対して与えられたものであることだ。基礎研究だけが偉くて応用研究は卑しいと言わんばかりの山崎行太郎の妄言に代表される世の偏見こそ粉砕されるべきであろう。


以上、書きたいことは一通り書いた。このうち、日亜化学の創業者一族のドロドロは、かつてのフジサンケイグループ鹿内一族も顔負けのおどろおどろしいものだったようだ。日亜化学の創業者の息子・小川雅照氏が下記の本を出していることをネット検索で知った。


父一代の日亜化学―青色発光ダイオード開発者中村修二を追い出したのは誰だ!

父一代の日亜化学―青色発光ダイオード開発者中村修二を追い出したのは誰だ!


この本の存在は今日初めて知った。当然ながら絶版と思われる。アマゾンのカスタマーレビューも2件しかついておらず、星3つと星1つである。しかもいずれも古い。以下引用する。

★★★ ノーベル賞候補のチャンスを捨ててまで中村修二氏が裁判に臨んだ理由がこれだ!ノーベル賞候補のチャンスを捨ててまで中村修二氏が裁判に臨んだ理由がこれだ!, 2005/5/31
投稿者 vivekatrek
レビュー対象商品: 父一代の日亜化学青色発光ダイオード開発者中村修二を追い出したのは誰だ! (単行本)

本書を手にしたのは偶然であった。というのは、それ以降、書店では見かけないからである。20世紀では実現不可能と言われた青色発光ダイオード開発に成功した中村修二氏が、受賞間違いないといわれたノーベル賞候補のチャンスを捨ててまで、裁判に臨んだのはなぜか?

日亜化学の創業者が亡くなる前年に日亜社内報で、「中村修二君の功績を讃えて」と絶賛している。しかし、現在の日亜化学にそのような気配がないのはなぜか?

偶然にも、私の職場の部下が中村修二氏の親しい友人であり、青色発光ダイオードの開発で悩んだ時の相談にも乗ったという。その部下でさえ、“中村修二氏が裁判にのめり込む理由が分からない”と私に言った。“裁判を止めるように忠告もした”と言う。それを無視する理由はなぜか?

中村修二氏の著書を読んでも、合点は行かなかった。

本書はその代弁でもある。本書の前身は、『謀叛の顛末』という私家版だそうだ。私家版のタイトルこそ、本書の内容に相応しい。なぜなら、誤解と狂気がもたらしたに違いないおどろおどろした因果応報物語の世界が披露されているからである。創業者の怨みが著者の言葉を借りて語りかけて来るようで、読み進むのがつらくなった。

中村修二氏が裁判にあれほどこだわったのは、大石内蔵助良雄のように、今は亡き創業者の怨みを晴らす弔い合戦だったに違いない。

★ 買わなくてよかった, 2006/8/30
投稿者 一般庶民 "一般人"
レビュー対象商品: 父一代の日亜化学青色発光ダイオード開発者中村修二を追い出したのは誰だ! (単行本)

日亜化学は私の生まれ育った町の企業なのですが、知っている事がほとんどないので興味本位で借りて読んでみました。でも・・・正直内容がよく分からなかった。起業者の小川家の暴露本って感じだけど、全体的に何か人間の醜い一面を強調して書かれていて、自分とは無関係なんだけど、とても嫌な気分になる内容であることに間違いないと言えます。読んで行くうちに、中村修二氏は現社長の嫉妬による心無い苛めに耐え続けながら一人で研究開発を進めて、やっと発明に至ったとたんに現社長に横取りともいえる行動に出られた!という事が分かったし、遺産相続の問題も、信じ難い内容が記されていたのがショックだった。ただ、気にかかるのが、著者の文章がかなり感情的だったという事です。随所にどう見ても客観的とは言えないな表現が見受けられ、それにより読み手は全体的な内容に対しても疑問が湧いてきてしまうのです。例えば(コレは本とは関係ない例話法ですが)同じ【友達に突き飛ばされて転んだ】と【長年信頼していた友達に、おそらく殺意を持って突き飛ばされ、道端に転んだ。私は殺されそうな不安と恐怖に駆られた】の二つでは同じ現象でも被害者の心理次第で事の度合いが変わってしまいます。小説ならまだしも、それがフィクションの場合、相手が殺意を持って突き飛ばしたかどうかなんて本当のところは証明しようがないですよね。著者はもちろん『嘘』などは書いていないと思うけど、表現のしかたが後者に近いような気がしてしまいました・・。結論として、これはただの暴露本であり、読む側は特に学ぶような内容は無いでしょう。「学ぶ」どころか実はマイナスで、とても嫌な気分になった読書でした。


産経の鹿内信隆・春雄親子を批判しつつ興味深いノンフィクションを書いた佐野眞一あたりに書いてもらいたいような話だが、あいにく佐野氏は例の『ハシシタ』の件以来鳴りを潜めている。私は佐野氏が『ハシシタ』騒動の少し前に書いた『あんぽん』が文庫化(小学館文庫)されたので今読んでいるが、佐野氏はソフトバンク会長・孫正義の父親の兄弟姉妹の間で繰り広げられた暗闘に言及している。



日亜化学に話を戻せば、カリスマ経営者とスター技術者があっての「青色LEDの製造技術の開発」ではあったが、そこからカリスマ経営者が抜けたあと、カリスマ経営者に厚遇されていたスター技術者に対する現二代目社長以下重役陣のスター技術者に対するやっかみが、スター技術者を激怒させたという図式だろう。構図としてはありがちな話と思われる。

*1:引用記事中に「6億円」とあるが、これは「8億4千万円」の誤り。ノビー(池田信夫)なども「6億円」と誤記しているようだ。

杉晴夫『論文捏造はなぜ起きたのか?』(光文社新書)を読む

ある時期から、「はてなブックマーク」でホッテントリを追ったりするのに飽きてきて、それよりも本を読んで感想文をメモしておこうと思うようになった。読書は月平均10冊を目標としており、今年はここまで96冊読んだからほぼ目標通りにきているが、先月あたりから息切れ気味だ。また感想文のメモは、書くのに時間とエネルギーを要するので億劫になってサボりがちになっている。

そんなわけで、下記の本も先月27日に読み終えてからだいぶ時間が経つ。


論文捏造はなぜ起きたのか? (光文社新書)

論文捏造はなぜ起きたのか? (光文社新書)


出版社のサイトより。
論文捏造はなぜ起きたのか? 杉晴夫 | 光文社新書 | 光文社

論文捏造はなぜ起きたのか?
杉晴夫/著

世界を騒がせた、理化学研究所STAP細胞事件。この背後には、日本の歪んだ科学行政があった。半世紀にわたり国際的な研究活動を続け、今も現役研究者として活躍する生理学者である著者は、この出来事を、わが国の生命科学の惨状を是正する機会と捉え、筆を執った。外圧によってもたらされた、分子生物学再生医療分野の盛況と、潤沢すぎる研究資金。大学の独立行政法人化により伝統と研究の自由を蹂躙され、政府・産業界の使用人と化した大学研究者たち。学術雑誌の正体と商業主義など、研究者を論文捏造に走らせる原因の数々を、筆者ならではの視点から、科学史を交えつつ鋭く指摘する。研究者の自由を取り戻し、論文捏造を根絶するための提言も行なう。


■ 目次

はじめに
第1章 理化学研究所STAP細胞事件とは
第2章 研究者はなぜ、データを捏造するのか
第3章 明治時代の生命科学の巨人たちはいかに活躍したか
第4章 近年のわが国の生命科学の沈滞
第5章 科学史上に残る論文捏造
第6章 分子遺伝学の歴史と、今後の目標
第7章 わが国の生命科学の滅亡を阻止するには
おわりに


■ 著者紹介

杉晴夫(すぎはるお)
1933年東京生まれ。東京大学医学部助手を経て、米国コロンビア大学国立衛生研究所(NIH)に勤務ののち、帝京大学医学部教授、2004年より同名誉教授。現在も筋収縮研究の現役研究者。編著書に『人体機能生理学』『運動生理学』(以上、南江堂)、『筋肉はふしぎ』『生体電気信号とはなにか』『ストレスとはなんだろう』『現代医学に残された七つの謎』『栄養学を拓いた巨人たち』(以上、講談社ブルーバックス)、『天才たちの科学史』『人類はなぜ短期間で進化できたのか』(以上、平凡社新書)、Current Methods in Muscle Physiology(Oxford University Press)など多数。日本動物学会賞、日本比較生理生化学会賞などを受賞。1994年より10年間、国際生理科学連合筋肉分科会委員長。


著者は今年80歳でありながら現役の生物学者であるが、現在流行の分子生物学再生医療ではなく、古典的な生理学の専門家である。そのため、分子生物学再生医療に対する敵愾心を露骨に示している。ために本書の評価は評者の立場によって大きく分かれるだろう。

以下に、アマゾンのカスタマーレビューから、星5つと星1つの評価をしたコメントを1件ずつ紹介しておく。

★★★★★ STAP細胞事件の背景を鋭く指摘している, 2014/9/21
投稿者 RdoaW5eC
レビュー対象商品: 論文捏造はなぜ起きたのか? (光文社新書) (新書)

これまでSTAP細胞事件と論文捏造について多くの論評が書かれているが、いずれも研究者としての立場で書かれたものではなかった。
その点で本書の筆者は半世紀をこえて研究活動を続ける国際的生理学者であるので研究者の視点からSTAP細胞事件の問題点の本質を指摘している点が新鮮である。
ネイチャー誌の商業主義や、インパクトファクターの無意味さもさることながら、欧米の学問の我が国への移植に果たした国立大学の重要な役割と、この歴史的役割を無視して強行された国立大学の独立行政法人化こそが論文捏造蔓延の原因であると指摘しており、この論旨には極めて説得力があった。
しかし、日本の分子生物学者、分子遺伝学者を俎上にのせ、彼らがさしたる実績がないのにもかかわらず外圧により学問の主流を占め研究費を独占しているとのくだりの文章は、きびきびしていて痛快ではあるのだが、この部分はやや主観、独善に陥っている感は否めない。
そして筆者は、日本の研究費申請審査制度の改善を提案している。
巻末では筆者自身の研究を例にとって、これにたいする国内と国外との著しい相違が記述されている。筆者の研究にたいする高い国際的評価が確立しているにも拘わらず、日本では無名であるという事実は、筆者が本書で指摘しているように、この国の科学行政や学会が構造的に偏っており、特定の分野以外の研究に対しては閉鎖的であることを端的に表した例であると言える。
本書は筆者にしか知りえない多くの興味深い話題に満ちており、従来のこの分野の解説書に物足りなさを感じる人にこそおすすめしたい本である。

★ 老人の繰り言になってしまっている, 2014/9/20
投稿者 本が好き
レビュー対象商品: 論文捏造はなぜ起きたのか? (光文社新書) (新書)

悲しい。杉先生、どうしちゃったの。。という本である。悲しい例を挙げる。

  1. 頁19:世界の三大医薬品といわれる、アドレナリン、タカジアスターゼ、アスピリン。。。。とあるが誰が“三大医薬品”と決めたのか?不肖私聞いたことがない。勝手な定義が多すぎる。“学聖”なる言葉を第6章で勝手に使っているが、誰が誰を“学聖”と決めたのか?。。。著者が尊敬する学者を“学聖”と称するならそれはそれで勝手だが、、。どうやら著者の頭の中では勝手な妄想による言葉の定義が渦巻いているらしい。そんなモノにつきあってはいられない。
  2. 頁35:ハクスレーの写真はいるのかな?他にも不要な写真が多すぎる。
  3. ご自身が推薦するJournal of Physiology のIFが4-5と繰り返し出てくる。例えば頁36 頁81には2回も出てくる。くどすぎる。いくらか始まっているのではと思われる。編集者は注意すべきである。
  4. 欧米の学部長からの推薦状を依頼される話も頁42、頁83に出てくる自慢話である。二度もでるとくどい。 
  5. 第3章は何のために(本論と全く外れる)書かれたか不明である。高峰が上中から業績を取り上げたように書いているが、間違いである。「ホルモンハンター: アドレナリンの発見 」に詳しい。石田三雄 (著).
  6. 第5章は「背信の科学者たち―論文捏造、データ改ざんはなぜ繰り返されるのか (ブルーバックス) ウイリアム・ブロード、ニコラス・ウェイド」からの引用であろう。それならそうと明記すべきであるというか、第5章もいるのかな?と思われた。。。
  7. 頁229からの著者ご自身の研究説明がこの本に必要なのだろうか?。。。

まあ、第3章、5章は割愛して、何度も同じ記述が出てくる箇所を正す様に助言する編集者がいたら、本書の分量は1/2になり肉質がしまった良い本になったであろうと思われる。国立大学の独法化やそれに伴う弊害については杉氏と同感であるだけに残念である。分量が半分になり要旨が変わらないなら、もっと評価が変わったと思う。


私なら「星4つ」といったところか。確かに我田引水が鼻につく箇所もあるが、傾聴すべき指摘も多いと思った。

まずしょっぱなから痛快だったのは、野依良治に対する痛烈な批判である。以前にも何度か書いたと思うが、私はこの野依が2001年にノーベル賞を獲った頃から大嫌いなのである。それは野依の悪評をさんざん耳にしたためであり、野依の前年、2000年に野依と同じノーベル化学賞を受賞した白川英樹博士が人格者として尊敬されているのとは対照的に、野依はたいした業績も上げていないのに政治力でノーベル賞を獲ったなどと陰口を叩かれていた。そういう評判を耳にすると、野依がいかにもそれらしい風貌の男であることも相俟って、いかにもありそうな話に思えてくる。だからそれ以来ずっと、私は野依を嫌い続けてきたのであった。

以下本書より引用する。

 さて、近年理研に起こった変化は、地下の高峰譲吉を嘆かせる方向に進んでいったようである。あとで説明する大学の独立行政法人化と同時期に、理研を支配する理事長に就任したノーベル化学賞受賞者、野依良治氏は、行政的手腕の持ち主で、理研の規模と予算を飛躍的に増大させた。
 筆者は個人攻撃の意図はまったくないが、野依氏が名古屋大学勤務時代、高額の所得を申告せず、税務署から重加算税を含む追徴課税を受けたことをまず、指摘しておきたい。
 この問題は、当時新聞で報道されたものの、世間から執拗に糾弾されることなく忘れられた。しかしその後、野依氏が理研に移り、ついで理研の頂点に立つ理事長に就任したことに、筆者は釈然としない思いを持った。理由の如何を問わず、重加算税を課された事実は重く、これを自覚すれば、理事長就任を懇請されてもこれを辞退する、という生き方もあったであろう。(本書21-22頁)


筆者が指摘する理研の急膨張に伴う問題点は下記。

 理研の急激な膨張は、以下のような因果関係により、「一瀉千里」、あるいは「雪だるま式」に進行した。
 文部科学省は、他の省庁に比べて、いわゆる「天下り先」に恵まれない。主な天下り先は、国公私立大学の事務員、事務長、学長、理事、理事長などであろう。しかしこれらのポストの多くはすでに埋まっており、ここに割り込むことは容易ではない。
 ところで、理研が急激に組織を膨張させれば、これにともなって研究業務をバックアップする事務長などの職員が大量に必要となり、これらの新設のポストは、理研の膨張に貢献する文部官僚にとって、願ってもない天下りの機会を提供する。理研のような研究組織の拡大のためには、財務省との折衝が不可欠であるが、文部官僚はこの努力に対する報酬として天下りが準備されているので、この業務に熱心に取り組むであろう。
 このようにして、理研の研究組織の膨張は、急激に、「雪だるま式」に進行したのである。
 なお、このような研究組織の膨張そのものは、それ自体は少しも悪いことではない。しかし、この膨張があまりにもはなはだしく、大学の研究予算の恐るべき削減をもたらしたことが大問題なのである。
 何年か前に、理研の研究者の驕りを象徴する事件が起きた。理研が数億円の巨費で購入した核磁気共鳴装置が、購入後数年間、まったく使用されていないことが新聞紙上で指摘されたのである。
 この指摘に対する理研の回答は「この装置を使用できる研究者がいなかったので……」という、厚顔、無責任極まるもので、新聞紙上でも非難された。
 しかしこの件もすぐ忘れられてしまった。そして理研STAP細胞問題を迎えたのである。(本書23-25頁)


さて、「STAP細胞問題」に関する著者の見立ては、一言でいえば「小保方晴子1人に全責任を押し付けて責任逃れをする理研は怪しからん」というものである。本書は、まだ笹井芳樹が自殺する前に大部分が書かれたが、最後の第7章執筆時に笹井芳樹の自殺を知ったとのこと。それはのちほど紹介するとして、本書でもう一つ痛快に思った『ネイチャー』誌批判を紹介する。第1章第5節は、まるまる『ネイチャー』批判に当てられているのである。以下本書より引用する。

(5)権威ある学術雑誌『ネイチャー』の正体は商業主義


 『ネイチャー』の商業主義

 小保方氏らのSTAP細胞の発見を報ずる二編の論文が英国の『ネイチャー』誌に掲載された直後、理研の華々しい記者会見の席上での発表とともに、この偉業は一時賞賛につつまれた。
 ある著名なわが国の科学随筆執筆者はこの報に接して、「あの権威ある『ネイチャー』誌に、論文を二編も続けて発表するとは素晴らしい」「しかもSTAP細胞の歴史的発見は、論文中の『盤石の』実験事実によって支えられている」と、手放しで賞賛した。
 この当初の賞賛は、『ネイチャー』のような絶大な権威の学術誌に発表された論文が真実でないことはあり得ない」という、一種の信仰によるものであった。この学術雑誌信仰の裏にある実態を考えてみよう。
 すでに説明したように、筆者は神経・筋肉研究分野の「古典的」生理学が、「遺伝子研究」に学問の主流の地位を譲る変動期にめぐり合わせた。当時筆者がもっとも苦々しく思ったのは、この『ネイチャー』誌の態度であった。
 筆者はこの雑誌に時々論文を発表していたが、ある時、投稿した論文を「筋肉研究者は数が少なく、したがってこれに関する論文は大多数の読者に注目されないので掲載できない」との理由で、論文審査なしに編集者によって却下されたのである。
 筆者の国外の友人たちも、みな、同じ目にあい、「『ネイチャー』は筋肉の論文をもはや受け付けないそうだ」との噂がひろまり、彼らは『ネイチャー』を論文発表の際、考慮の外に置くようになった。
 ノーベル生理学・医学賞受賞者のハクスレー氏は、筆者と三十年にわたり親交があったが、やはり同じ理由で、論文掲載を拒否され、筆者の自宅を訪問された際、「Nature is no longer useful!」(『ネイチャー』誌はもう役に立たない!)と憤懣を述べられた。
 このように、一般に絶大な権威と信用があると見なされている『ネイチャー』誌の正体は、現在流行の、したがって研究者数も圧倒的に多い学問分野の論文を恣意的に優先して掲載することによって購読者数を増やし、利益を増大させる商業誌、つまりビジネスに過ぎないのである。


 インパクトファクター」とは「流行ファクタ−」

 この『ネイチャー』誌の「見かけの」権威を支えているのが、現在流行の「インパクトファクター」である。
 これは、ある学術誌に一年間に掲載されたすべての論文が、他の研究者の論文中に引用された回数を示す値であり、研究者の多い流行の分野をあつかう学術誌のインパクトファクターが高い値を示すのは当然である。この結果、過去に絶大な権威のあった『The Journal of Physiology』(この雑誌は英国生理学会の機関誌で、ケンブリッジ大学出版局から出版される)のインパクトファクターはわずか「4」から「5」にすぎないのに対し、『ネイチャー』誌などの商業主義の雑誌は、この値が「30」台である。
 つまりこのインパクトファクターは、研究者の数を反映する「ポピュレーションファクター」あるいは「流行ファクター」にすぎず、個々の論文の学問的価値とは何の関係もないのである。
 このように、インパクトファクターの実態は浅薄極まるものであるにもかかわらず、わが国では軽薄にも、この値を過度に尊重し、多くの大学、研究機関で、職員の採用、あるいは昇任に、候補者が過去に発表した全論文のインパクトファクターの合計値を、人事決定の最優先事項として用いるようになった。
 さらにわが国では、不合理極まりないことに、『ネイチャー』誌掲載論文の共著者に名を連ねれば、ほんの一部の実験の手伝いをした未熟な研究者であっても、インパクトファクター「30」が加算され、昇任人事で圧倒的優位に立つのである。
 この結果、筆者の所属する医学部の多くの研究室の後任人事でも、従来の古典的生理学者は、次々と流行分野を専攻する研究者に敗北し、大学、研究機関の職員の学問分野は遺伝子研究に置き替えられていった。(本書34-37頁)


さて、この調子で引用を続けていると、どんなに長い記事になるかわからないので、以下、途中を少しはしょることにする。

第2章「研究者はなぜ、データを捏造するか」は、国立大学の独立行政法人化に始まる政府の管理や民間(=私企業、評者註)的発想による経営的手法や経営原理の導入によって、研究者たちは

  1. 研究者本来の自由を奪われ、
  2. すぐに結果が出るような研究に駆り立てられ、
  3. 研究費が使い切れなくても使い切らねばならず、
  4. ある期限内に成果(インパクトファクター機械的に評価される」)を出さなければ研究者としての生命を絶たれかねない、

という厳しい環境におかれた研究者が、論文捏造に走らなければむしろ不思議ともいえるであろう。(本書89-90頁)

と著者は指摘する。

第3章「明治時代の生命科学の巨人たちはいかに活躍したか」では、野口英世を「論文捏造の先駆者?」として論難している*1のが面白い。私はこの本を読む以前から野口英世に対する悪評を耳にしたことがあった。

第4章「近年のわが国の生命科学の沈滞」では、分子生物学における2つの大きなブレイクスルー、すなわちエイブリーが核酸が遺伝を担う物質であることを示した研究と、ワトソンとクリックによるDNA(デオキシリボ核酸)の二重螺旋構造の発見に日本人研究者が寄与しなかったことを述べる。

第5章「科学史上に残る論文捏造」では、ガリレオニュートンもデータの捏造を行っていたという話から始めて、ご存じというか、日本ではSTAP細胞事件で改めてその名前が思い出されたファン・ウソク(黄禹錫)の捏造までが紹介される。分野違いのヤン・ヘンドリック・シェーンは出てこないが、なぜか考古学の世界で捏造を行った藤村新一の例が出てくる。

第6章「分子遺伝学の歴史と、今後の目標」でまず目を引くのはDNAの二重螺旋構造発見でノーベル生理学・医学賞を受賞したジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックに対する批判である。とはいえ、私は知らなかったのだが、ワトソンとクリック、特にワトソンに関するドス黒い話とワトソンに対する批判は、ちょっとネット検索をかけてみただけでも山ほど出てくる*2。ここでは、そのいくつかにリンクを張るにとどめておく。


また、ワトソンはレイシストとしても悪名高い。


レイシストノーベル賞受賞者としては、私などはトランジスタの発明者として知られるウィリアム・ショックレーの名前が直ちに思い浮かぶのだが、ワトソンも卑劣さにかけては負けていないようだ。このワトソンは、86歳の現在も健在のようだが、「憎まれっ子世に憚る」という言葉が思い出される。

クリックは、ワトソンほど激しく世に憎まれてはいないようだが、ロザリンド・フランクリンの撮影したX線写真を盗み見して二重螺旋構造の発見につなげたことは疑えないだろう。クリックも長生きしたが、2004年に88歳で亡くなっている。

ワトソンが特に厳しく指弾されるのは、1968年に刊行された自著『二重らせん』で、1958年に早世して、著書刊行時には既にこの世の人でなかったロザリンド・フランクリンを「死人に口なし」とばかりにこき下ろした悪行のせいだが、『二重らせん』の読後感は人によりさまざまのようだ。興味のある方はアマゾンのカスタマーレビューを参照されたし。★の多いレビューの中にも、ワトソンをこき下ろしているものが少なくないから注意が必要である。

さてワトソンの話から戻ると、第6章の終わりの方で、著者は山中伸弥教授のiPS細胞に対する国の異様なまでの予算の傾斜配分を批判している。以下本書より引用する。

 この山中の、世界に先駆けてのヒトの体細胞からの万能細胞作製の成功は、わが国の研究者ばかりではなく、政治家たちも熱狂させた。山中の論文発表からわずか1か月で、文部科学省京都大学にiPS細胞研究センターを設立することを決定し、さらに政府は、iPS細胞の研究に巨額の資金を投入することに決めた。
 このような政府の素早い対応は、以前に政府の先見性の欠如から、和田昭允のヒトゲノム計画を挫折させ、米国に主導権を奪われた苦い経験があったためである。「羮に懲りて膾を吹く」ということわざがあてはまる。
 しかし、わが国のiPS細胞研究の進展は、その後の政府の(あまりにも)手厚いサポートにもかかわらず、研究の進展度は米国に後れをとりつつあり、山中の評価では、わが国と米国との争いは「一勝十敗」の状態であるという。巨大な金を注ぎ続けても、しょせん「金は研究をしてくれない」のであり、柔軟な研究体制と研究者、特に若い研究者の意欲が大切なのである。
 このiPS細胞をめぐる政府の対応が性急であり、民間会社の営利主義の発想であった主な理由は、米国主導で開始されたヒトゲノム解読国際プログラムが、民間会社によるヒトゲノム情報の独占をたくらんだベンターにより、攪乱され翻弄された事実が影を落としているためであろう。当時、わが国の分子生物学者、分子遺伝学者の間でさえ、政府の再生医療分野に対する、あまりにも他の研究分野に対するバランスを欠いた研究資金の投入を危ぶむ声があがっていた。(本書206-207頁)


自殺した笹井芳樹が、iPS細胞への予算の傾斜配分に異を唱えたという話が思い出される。

その笹井芳樹の自殺は、前述のように最後の第7章「わが国の生命科学の滅亡を阻止するには」の終わりの方(本書245頁)で言及されている。実はそれまでの部分にも、「STAP細胞」の論文撤回を言い出した共著者として、笹井芳樹の実名こそ挙げていないものの、それとわかる書き方で笹井芳樹を批判しているくだりがあるのだが、笹井氏の自殺を受けて文章のニュアンスが変わる。これは致し方ないことであって、私自身にも思い当たるふしがある。

以下関連箇所を抜粋する。下記引用部分の最初の方は、笹井芳樹の自殺をする前に書かれ、執筆の途中で自殺が報じられたもののようだ。

(5)研究不正防止の提言書についての感想


 iPS細胞への対抗意識が招いた事件

 筆者が本書の原稿を脱稿しかけている時点で、STAP細胞事件に関して理化学研究所理事長のもとに、研究所外部の委員による「研究不正再発防止のための改革委員会」(委員長、岸輝雄)の提言書が提出され、その内容が発表された。
 この提言書で、まず本事件の原因として指摘されたのは、小保方氏の採用にあたり、小保方氏の英語による自分の研究の説明会の開催など、採用のための既定のステップがことごとく省略されて採用が決定されたことである。そもそも小保方氏の採用は、理化学研究所サイドから彼女に対して提案されており、京都大学・山中氏のiPS細胞研究に勝るSTAP細胞研究に魅力を感じたことが、その動機であろうと推論されている。
 つまりSTAP細胞事件の原因は、理化学研究所の、京都大学iPS細胞研究所に対する対抗意識であった。この対抗意識そのものは、学問の進歩の原動力であり、少しも悪いことではない。iPS細胞は遺伝子の導入により作製されるため、ゲノムの改変による癌化の危険があるのに対し、STAP細胞ではこの難点が克服されており、もしこの細胞が実在すれば、再生医療を飛躍的に進歩させるであろう。
 しかし、理化学研究所は、功を焦るあまり、小保方氏を筆頭著者とするSTAP細胞発見の論文作成以前に当然なすべき、研究内容の検討、点検を怠り、論文が『ネイチャー』誌に発表されるや大々的にこの成果を誇示し、STAP細胞作製の特許を出願した*3ことは軽率極まる行為であった。
 同改革委員会は、この『ネイチャー』論文に疑義が生じると、理化学研究所がただちに研究所内部で調査委員会を設置し、この件は小保方氏個人の論文捏造と決めつけた行為を、「事件の発生の背後にある問題を隠蔽し、事件の矮小化を図ったもの」と厳しく非難している。まったくその通りであり、第1章で説明した「海軍乙事件」の曖昧な処理の再現であったと言えよう。


 カス論文の山を築かないために−−

 同改革委員会の研究不正再発に対する防止策の検討は、おおむね正論であるが、ここでの説明は省略する。筆者が本書で論議したように、どんな対策を講じようと、現状のように政府が学問の世界に土足で入りこみ、研究者を「自己の目的に従う使用人」扱いをする限り、研究不正と論文捏造はますます盛んになるであろう。そして後に残るのは、学問の進歩とは無関係な、カスの論文の山である。たまたま筆者が本章を執筆中、STAP細胞事件の責任を、小保方晴子氏と並んで厳しく追及された、笹井芳樹氏の自殺が報じられた。痛ましいことである。少々脱線して、この悲劇について考えてみよう。
 テレビでの報道によると、笹井氏と小保方氏との出会いは、第5章で紹介した、米国のラッカーとスペクターの出会いを連想させる。著名な研究者ラッカーは、発癌の生化学的仕組みに関心を持っており、新進の研究者、スペクターが彼の研究室に持ち込んだ「リン酸化酵素のカスケード理論」に魅了された。これは再生医学の権威、笹井氏が、STAP細胞の発見という目覚ましい業績を引っ提げて現れた小保方氏に傾倒したのと同じである。
 そしてラッカーはスペクターの仕事を信じて、共同で論文を発表し、『サイエンス』誌上でその業績を誇示した。一方、笹井氏は、小保方氏の実験データを信じて『ネイチャー』誌に共同で論文を発表した。しかし不幸にも、どちらの発表も幻に終わった。
 さて、ここからの反応は、米国とわが国とでは極端に異なっている。米国のジャーナリズムは、ラッカーの過失を仰々しく咎めることはなかった。米国の人々の考えは、事件の当事者たちはすでに打撃を受け、社会的に罰せられているとして、このような事件は忘れ去ってしまうのである。
 ところがわが国では、事件の当事者たちを無慈悲にも執拗に報道し続け、一方、理化学研究所の幹部は、当事者たちを非常に突き放すかのような態度をとり続けている。笹井氏の悲劇は、このようなわが国の風土が原因なのである。この風土は、野口英世を依然として日本の代表的科学者とみなすことに繋がっているのであろう。(本書243-246頁)


引用文中、第5章で言及されたスペクターとラッカーとの関係は、小保方晴子笹井芳樹との関係よりも、有機物の高温超伝導で研究不正を行ったヤン・ヘンドリック・シェーンとバートラム・バトログとの関係に近いように私には思われる。というのは、ラッカーとスペクター、バトログとシェーンは、明らかな上司と部下の関係にあったが、笹井芳樹小保方晴子は、おそらく竹市雅俊が「STAP細胞」論文のテコ入れの業務命令を笹井芳樹に下す前には、直接の上司と部下の関係ではなかったと思われるからだ。

また、小保方晴子の採用に、どこまで笹井芳樹がかかわっていたのかも私は疑っている。もしかしたら、笹井芳樹小保方晴子の採用に竹市雅俊ほど積極的にかかわっていなかったのではないかとも想像しているのである*4笹井芳樹は、なまじ論文作成能力にも経営的才能にも長けていたばかりに貧乏くじを引いた形なのではないかと思えてならない。

著者が引き合いに出したスペクターは学歴を詐称しており、博士号どころか修士号も取得していなかったという。そしてスペクターはシンシナティ大学時代の文書偽造の罪に問われ、執行猶予付きの懲役3年の刑を宣告されたという*5。つまりスペクターは博士号を剥奪されたヤン・ヘンドリック・シェーン同様、十分深く罪を追及されたといえるのであって、小保方晴子の博士号が下手をしたら維持されかねないのとは大違いである。文科相下村博文小保方晴子を奇妙に庇い続けている件と合わせて、小保方晴子が「無慈悲に執拗に」責められている一方であるとは私は思わない。

また、バトログやラッカーの責任を不問に終わらせて本当に良かったのかも疑問だ。とはいっても、笹井芳樹の場合は、誰が小保方晴子理研に引っ張ってきたのかを含め、本当に追及されるべき人間が追及を免れている感もあるし、何よりも笹井氏本人が亡くなったこともあって同情を禁じ得ないのは確かである。しかし、最終的に小保方晴子を御輿として担ぎ、虚飾のイメージに満ちたプロデュースをした責任者が笹井芳樹であったこともまた否めない事実である。自分から積極的に悪事を働いたことが明らかなシェーンやスペクターと小保方晴子とではかなり印象が異なり、小保方晴子は例の「陽性かくにん! よかった」と書かれた実験ノートに象徴されるようなぶっ飛んだキャラクターという印象だ。「STAP細胞」事件においては、そんな小保方晴子自身が能動的に動いたというより、理研小保方晴子を「リケジョの星」として祭り上げようとした印象が強い。そして、その責任を不問に付して良いとは私は決して思わないのである。ただ、追及の矛先が(小保方晴子以外では)笹井芳樹に集中していたことは、今にして考えれば不適切だったかもしれないとは思う。

さらに言えば、最後の野口英世云々のくだりは意味不明だ。著者によると、野口英世とは業績のほども怪しく、研究不正もしていた学者ということになるし、同様の指摘は著者以外からも多くなされているようだが、「野口英世を依然として日本の代表的科学者とみなすこと」に直結するのは、著者の主張とは逆に、小保方晴子の研究不正を不問に付すことではないか、またそれを後押しするかのような、早稲田大学下村博文らの行動の方ではないか。そう私には思えるのである。

このように、著者の意見に同意できない部分もあるし、著者のものものしい文体は、特に自身の業績を誇示するくだりなどで、ちょっとついて行き難いと思わせる部分もあるが、その瑕疵は別として、興味深いし考えさせられるところも多い本だ。本記事の最初の方に、「私なら『星4つ』といったところか」と書いたのはそういう理由である。

*1:本書119-121頁

*2:ワトソンの悪行は、数年前に売れた福岡伸一著『生物と無生物のあいだ』で紹介されているらしい。なお同書では前述の野口英世もこき下ろされているらしい。

*3:このくだりには著者の誤解がある。実際には特許の国際出願が、論文の『ネイチャー』誌受理に先駆けていた。まず特許出願ありきだったことが、論文の捏造をより悪質なものにしたのではないかと私は思っている。そしてそれには小保方晴子のみならず、笹井芳樹の果たした役割が極めて大きかったと想像されるが、残念ながら笹井芳樹は自殺し、秘密を墓場に持って行ってしまったのだった。

*4:私は笹井芳樹よりもむしろ、STAP細胞事件であまり名前が語られない、東京女子医大関係者の方が小保方晴子理研採用に深く関与していたのではないかと想像している。

*5:本書167頁