kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

予防原則を解さず「地球温暖化懐疑論」を振り回す植草一秀

ゴミ分別細分化とレジ袋撤廃運動の非合理性: 植草一秀の『知られざる真実』 は、どこから突っ込みを入れれば良いか迷うほどひどいエントリだ。

まず、書き出しからして誤りである。

地球環境に対する関心が高まり、温暖化ガスの排出量削減に各国が取り組んでいる。生命が存在できる地球環境を維持することは重要である。

地球温暖化の傾向が確かである、

②その原因が明確である、

③原因を除去することが技術的に可能である、

④原因を除去することによる効用が原因を除去することに伴う弊害を上回る、

のすべての条件が正しければ、温暖化対策を進めることは是認される。

機種依存文字なんか使うな、というのはさておき、「すべての条件が正しければ、温暖化対策を進めることは是認される」というくだりが、そもそも誤っている。

きまぐれな日々 予防原則を解さず「地球温暖化懐疑論」を振り回す池田信夫 より引用する。

鳩山由紀夫内閣が成立した翌日(9月17日)に公開された『日経エコロミー』のコラム「飯田哲也のエネルギー・フロネシスを求めて」のエントリ「25%削減は可能であり希望だ・新政権における環境エネルギー政策の行方と期待」の中に、その池田信夫への言及があるので、以下に引用する。

温暖化懐疑論」を論拠にしたエコノミストからの批判もあるが(例えば、池田信夫「温室効果ガス『25%削減』というポピュリズム」)、これらは無視してよい。温暖化サイエンスの世界であれば、学問論争として、温暖化仮説に対する異論は当然認められるし、実際にそのような「亜流説」を唱える人は存在する。しかし、圧倒的に少数派である上に、政策論から見れば、「予防原則」に反するのだ。人類と地球の未来を、そんな危なっかしいギャンブルに賭けられるわけがない。温暖化サイエンスの専門家ではない知識人が政策論を展開するなら、温暖化サイエンスの領域に関しては圧倒的に「主流」の学説を前提に議論すべきであろう。最低限、そのバランスは必要だ。しかし、明らかに亜流の「温暖化懐疑論」だけを論拠に、また予防原則などお構いなしに、政策論を発言すること自体が、「知識人」として不適格といってよいだろう。

飯田哲也 「25%削減は可能であり希望だ・新政権における環境エネルギー政策の行方と期待」 より)

予防原則」とは、一言で言うと、環境行政においては「何かあってからでは遅い」という考え方に基づいて政策を行うべし、とする考え方であり、最近では花王食用油エコナ」が特定保健用食品(特保)から外れた時に、東京新聞(中日新聞)の社説でもこの「予防原則」が言及された。

(『きまぐれな日々』 2009年10月19日付エントリより)

以下、飯田哲也氏の文章を書き換えてみる。

温暖化懐疑論」を論拠にした元エコノミストからの批判もあるが(例えば、植草一秀「ゴミ分別細分化とレジ袋撤廃運動の非合理性」)、これらは無視してよい。温暖化サイエンスの世界であれば、学問論争として、温暖化仮説に対する異論は当然認められるし、実際にそのような「亜流説」を唱える人は存在する。しかし、圧倒的に少数派である上に、政策論から見れば、「予防原則」に反するのだ。人類と地球の未来を、そんな危なっかしいギャンブルに賭けられるわけがない。温暖化サイエンスの専門家ではない知識人が政策論を展開するなら、温暖化サイエンスの領域に関しては圧倒的に「主流」の学説を前提に議論すべきであろう。最低限、そのバランスは必要だ。しかし、明らかに亜流の「温暖化懐疑論」だけを論拠に、また予防原則などお構いなしに、政策論を発言すること自体が、「知識人」として不適格といってよいだろう。

そもそも、温暖化ガスによる地球温暖化は仮説であって、その原因は、非常に確からしいとはいえても、必ず正しいとは断定できない。しかし、「予防原則」によって、対策を講じることは認められるのである。しかも、環境技術に力を入れることは、現連立政権の方針でもあり、昨日のサンプロでも菅直人が強調していた。以前から環境問題に熱心な社民党福島瑞穂党首も、菅氏の言葉に大きくうなずいていた。

民主党政府のブレーンを夢見てきたであろう植草一秀は、最近「地球温暖化懐疑論」を言わなくなったと思っていたら、久々にこれに言及したわけだが、ブレーンの夢が破れたからではないかと邪推の一つもしてみたくなる。

なお、植草は、

石油や石炭などの炭素エネルギーの消費抑制方針は、直ちに原子力利用推進に結び付く傾向を有する。世界の原子力産業にとって、地球温暖化問題の拡大と炭素エネルギーの消費抑制運動は、願ってもない環境である。

と、いわゆる「ブログ左翼」の好む、「地球温暖化を議論すれば原発屋が儲かる」陰謀論を展開しているが、たとえば上記の飯田哲也氏は、自然エネルギー推進とともに原発を強く批判している。植草には、飯田氏が『日経エコロミー』に書いている論考をよく読めと言いたいが、すっかり堕落し切った植草が真面目に勉強するはずなど、間違ってもないだろう。

植草は、前記のエントリで武田邦彦氏を持ち上げているが、武田氏に関しても『きまぐれな日々』のエントリを紹介しておく。

きまぐれな日々 地球温暖化懐疑論者「武田邦彦」教授の呆れたトンデモぶり

それにしても、ノビーといい植草といい、なんでこんなトンデモ「エコノミスト」ばかりがネットで大人気を博するのだろうか。