kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

今から原発を作ったって温暖化対策にはならない

最近、『日経エコロミー』に掲載されていた飯田哲也氏のコラムが更新されないなあと思っていたが、なんと元プロサッカー選手・中田英寿氏のホームページに飯田氏のコラムが掲載されていた。
http://nakata.net/jp/column/environment00007.htm

飯田氏のコラムの中から、原発に関して書かれた箇所を以下に引用する。

(4) 原発推進という「むだ骨」
 電力会社だけでなく政治家や官僚、御用学者の多くは「原発が温暖化対策の切り札」という「神話」を信じ込んでいるからですが、明らかに事実に反しています。これは、原発そのものが持つ本質的な問題点〜安全性、核廃棄物、核拡散など〜を無視しているだけではありません。この先、地球温暖化対策に間に合わせようと原発を作ろうにも、10〜20年という時間がかかるため、とても間に合わないのです。しかも日本の原発の大半は古くなってきており、10年もすれば次々に閉鎖されてゆきます。
 これまでも日本の温暖化対策は、原発に過剰に頼った計画を作り、その原発地震やトラブル隠しで止まり、足りない電気を石炭で補ってきた結果、CO2削減どころか9%(2007年)も増やしてきたのです。このままでは、歴史と事実に学ばない愚か者です。


飯田氏はさらに、「温暖化対策基本法」に、自民党時代に立法された「環境基本法」にさえ入っていない「経済調和条項」が入っているとして、これを批判している。

(5) 経済優先主義という大公害時代の「亡霊」
 現段階の草案を見ると、すべての条文に渡って「経済との調和を図りつつ」という文言が入っています。一見もっともに見えますが、これを「霞ヶ関文学」として読み解くと「経済に影響しそうな規制はすべて禁止」となります。
 じつはこれは「経済調和条項」と呼ばれ、すべての環境規制を骨抜きにして大公害時代を招き寄せた悪名高いものです。自民党時代に作られた環境基本法でさえ入っていない「過去の亡霊」のような規定なのです。


なぜこんなことになるのか。飯田氏は続ける。

■ 空回りする「政治主導」、息を吹き返す「官僚・既得権益
なぜ、こうなるのでしょうか。3つの原因があると思われます。

 第1の原因は、各大臣や副大臣が必ずしも、温暖化政策の専門家ではないことです。一人の政治家がすべての政策のプロにはなれないので、そのことは仕方がないと思います。しかし、少なくとも政治主導でマニフェストを尊重し、それを実現するために協力しあうという姿勢が乏しいことは残念なことです。
 その背景が第2の原因でもあるのですが、新政権で任命された大臣や副大臣は、ほぼ丸裸で各省庁に「パラシュート降下」してゆきました。それ以降、ほぼすべての時間をその省庁の官僚とともに過ごし、官僚に講義され、その省庁の「空気」や「神話」に馴染んでゆきます。そうすると、少なからぬ政治家は、官僚や省庁を政治の意思で使いこなすという当初の目論見に反して、各省庁の代弁者になってゆきます。これは捕虜が犯人と過ごすうちに愛着を感じる「ストックホルム症候群」として知られています。
 そして第3の原因は、新政権のマニフェストの実現に尽力してくれる専門家集団を十分に活用できていないことです。私自身も、政権発足直後に「25%削減」を実現するためのタスクフォース委員に任命されましたが、委員構成が各省益や旧政権の代弁者が入り交じっていたため、マニフェスト実現のための建設的な議論ができず、一字一句を巡るバトルの場となってしまいました。


■ 「足して二で割る政治」ではなく
 このままだと、鳩山政権の温暖化対策は、2重にマニフェスト違反になる可能性があります。一つは、25%削減目標やキャップ&トレードなどの温暖化対策が歯止めのない骨抜き法になること、そしてもう一つは「官僚主導政治から脱却」という約束違反です。
 「政治主導」という掛け声で威勢良く始まった鳩山政権ですが、いつの間にか既得権益を代弁する官僚政治が息を吹き返し、大臣が官僚の手のひらに乗って省庁間の「代理戦争」をするという、昔見た政治風景が少しずつ復活しています。「神」ならぬ「悪魔は細部に宿る」という格言どおり、政治にも国民にも知らされないまま、国民の期待を裏切る小細工がそうした官僚に手によって行われようとしています。

 政治とは、最後のところで利害調整のために「足して二で割る」ことが必要な場面はあるでしょう。しかしその前に、細部に宿った「悪魔」を追い出さなければ、現状の温暖化対策基本法案では、まったく無意味なものになりかねません。
 温暖化対策にとっても鳩山政権の政治主導に関しても、正念場を迎えています。


こんな時に、小沢一郎と検察のバトルにはあれほど熱く燃えていた「リベラル・左派系」ブロガー諸氏が現状を黙認しているのが、私には信じられない。野党に転落した自民党に対する批判にばかり血道を上げている植草一秀氏あたりは、現状をどう認識しているのか。金魚のフンのように植草氏にくっついていった人たちはどうなのか。今こそ、声をあげるべき時ではないのか。