職場でTPPの話題が出るようになった。原発の是非をめぐっては激しい口論があったが、TPPについてはその種の議論にはならない。しかし、日本政府に交渉力があると思っている人は誰一人いなかった。
アメリカとの交渉といえば、1989〜90年の「日米構造協議」で小沢一郎がアメリカの言いなりになったことが思い出される。4年前、2007年のテレビ朝日『サンデープロジェクト』における発言を、私は『きまぐれな日々』に記録していた。以下引用する。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-498.html より。
田原は、今日(11月11日)のサンプロで、「日米構造協議(1989〜90年)の時、アメリカに譲歩ばかりする小沢一郎に問い質したら、『日本がなくてもアメリカはやっていけるけど、アメリカがなかったら日本はやっていけないだろ』と答えた」と言っていた。これは何も今日初めて言ったわけではなく、以前にも田原が言ったり書いたりしていたことだ。
上記は、小沢一郎と福田康夫の「大連立」構想が露見して頓挫した直後の番組で田原が語ったことだ。
日米構造協議から遡ること20年弱、日米政府間の難題だったのは「日米繊維交渉」だった。沖縄返還に絡んだ密約で時の首相・佐藤栄作の「密使」を務めた若泉敬は、繊維交渉における秘密交渉でも暗躍した。しかし、密使のことなど知らない時の通産大臣・宮澤喜一はアメリカ側に若泉が関与した秘密交渉のメモを見せられても取り合わなかったという。宮澤は強硬な態度を貫いた。沖縄返還に関しては「密約」が成立したが、繊維問題ではニクソンと佐藤栄作は決裂した。
この問題を解決したのは宮澤の後任・田中角栄だが、田中はアメリカの要求を丸呑みする代わりに、日本の繊維業界の損失を、日本国民の税金で補填するという解決策をとった。のちの日米構造協議における小沢の「弱腰」も、師の田中角栄から学んだが故ではなかったか、と嫌味の一つも言いたくなる。
現在の「野ダメ」こと野田佳彦もそうだ。TPPで損害をこうむる農家などには国民の血税で補填すれば良いと考えている。田中角栄の「悪しき伝統」は小沢一郎を経て「野ダメ」にも引き継がれていると考えて良さそうだ。