kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

プロ野球報道では「取材源」を非難するナベツネとそれに加担する長嶋茂雄

今朝はプロ野球の話。例の朝日vs読売で話題になっている契約金の話。この件で元読売ジャイアンツ監督の長嶋茂雄が何やらぎゃあぎゃあ喚いているらしい。


http://www.sanspo.com/baseball/news/20120321/gia12032105030002-n1.html

巨人契約金超過報道にミスター「心の傷大きい」


 巨人・長嶋茂雄終身名誉監督(76)のインタビュー記事が20日、読売新聞朝刊に掲載された。

 朝日新聞による巨人の契約金超過についての報道に対し、読売新聞の取材に応じたもの。記事によると、長嶋氏は「選手たちの心の傷は相当に大きい。そう簡単には癒えないだろう」と発言。報道で実名の挙がった6選手のうち、野間口と内海を除く高橋由、上原、二岡、阿部は長嶋氏の監督時代に入団しており、精神面への影響を心配した。

 また、朝日新聞の報道については「ルールを破ってはいない。記事には十何年も前の話もあり、こういう話が出ること自体がおかしい」と批判。同紙の報道が、巨人の球団首脳経験者から流出したとみられる内部資料を端緒にしているとされる点にも、「誰が内部資料を渡したのか」と怒りをにじませた。

 一方、巨人ではこの日、夕方から桃井恒和球団社長(65)と原沢敦球団代表兼GM(55)が東京・大手町の球団事務所に入った。朝日新聞の続報などに対応するため待機していたが、何も動きはなく夜10時ごろに退出。「疲れているので」(桃井社長)などとして、取材には応じなかった。

サンケイスポーツ 2012.3.21 05:02)


長嶋茂雄を「ミスター」の尊称で呼ぶこの記事のスタンス自体が狂っている。長嶋は、契約金超過が報じられた6選手のうち4選手が入団した時の読売監督であり、金権補強に関しては当時の球団社長やオーナーのナベツネ渡邉恒雄)とともに「共同正犯」といえる。内部資料を流した人物に関しては、マスメディアは明記しないが、清武英利であることは誰でも知っている。


読売新聞は恥ずかしい抗議をするな!|野球報道 - ライブドアニュース

読売新聞は恥ずかしい抗議をするな!|野球報道


広尾晃

2012年03月20日11時38分


私は商業ライターとして有名無名の人にインタビューをしてきた。今も年に100人程度は話を聞いて文章を起している。ポイントは事実関係ではない。それは事前に調べている。それよりもいかに相手を乗せるか。いい言葉を引き出すか、である。そのためには、間をあけることなく質問をして、話を盛り上げていくことが肝要だ。話を聞きながら、メモを取りながら、次の質問を腹の中で用意する。そんな技術が必要になってくる。

数年前に、ある経済事件に関して新聞記者の取材を受けたことがあった。私はあまり関わりになりたくなかったから、適当に答える腹積もりだった。年若い記者氏はぽつぽつと話しかけるだけで、何かを待っているように間を空ける。しかし、私が口を開くとすかさず短く鋭い質問をする。ついつい言わずもがなのことまで口にしてしまう。なるほど、同じ取材と言ってもずいぶん違う。ジャーナリストは「こちらが喋りたくないこと」を吐き出させるのだな、人の秘密を盗んでいくのだな、と実感した。

メディアがメディア足り得るのは、権力者など大きな相手から「嫌がる秘密」を引き出して白日にさらすからだ。それが社会的に由々しきことであれば「誰から仕入れたか」「どうして仕入れたか」は問われない。「取材源の秘匿」はメディアが社会の規範に沿って活動する限り、保証されている。フリープレスとはそうして得た情報を発行する自由のことだ。

渡邊(ママ)恒雄氏だって、敏腕の記者として若いころから「人に言えない秘密」を権力者から盗んでいたはずだ。ただ、渡邉氏は普通の記者とは異なり、知りえた秘密をすべて記事にするのではなく「知っていることで生じるアドバンテージ」を権力闘争に利用していたのだが。とまれ「人から無理矢理秘密を奪っていく」ことが、問題だとか、犯罪であるとかいう意識は毛頭なかったはずだ。明るみに出れば詐欺まがいことや、恐喝まがいのこともしたに違いない。昔から、敏腕記者は巾着切と似たようなものだったのだ。

その渡邉会長が、ライバルの新聞社に自社の秘密を暴かれたからと言って「窃盗だ」と激怒するのは、みっともないとしか言いようがない。世間様に言えないような契約をしていたこともみっともないが、それを信頼していた部下に持ち出されたこともみっともない。そしてジャーナリズムの精神を忘れて「抜かれた」ことを怒るのが一番みっともない。

氏がまだジャーナリストなのなら、内部の管理体制の甘さを赤面することこそあれ、情報を奪っていった新聞社をなじるなどということはありえない。渡邊(ママ)氏は耄碌をして、自分が新聞記者だったことさえ忘れてしまったのだろうか。

日本という国は、沖縄返還にかかわる日米の密約をスクープした毎日新聞の敏腕記者西山太吉氏を国家公務員法違反で有罪にする国である。民主主義の重要な要素である「報道の自由」の精神を理解しない三等国ではある。偉そうに先進国づらするが、その程度の国なのだ。しかし取材を受ける者の安全、秘密が守られないような国では、健全なジャーナリズムは成立しえない。

「たかが野球」のことではあるが、読売新聞が行ったことは「ジャーナリズムの自殺」だと思う。

読売新聞の記者は、取材源が「入ってはいけない」と言われればすごすご引き下がるのだろうか。「秘密は明かされない」と言われれば「そうですか」と帰ってくるのだろうか。
自分たちの取材は「報道の自由」だが、取材されるのは「窃盗」そんな虫のよい理屈があるだろうか。

記者クラブに詰めて、取材源の金でコーヒーを飲むのが仕事、情報源が丁寧に作ってくれたリリースをコピペして記事にするのが仕事、と馬鹿にされる最近の新聞ジャーナリズムにあって、今回のスクープは久々に「新聞が仕事をした」という感じがする。

「誰が情報源か」は大事な話ではあるが、それによって情報源が非難を受ける筋合いはない。
重要な話はそこにはない。巨人軍がどこまで非常識な金をばらまいていたが、それこそが本質だ。マスコミは、そこを見誤ってはいけない。

人の行けないところまで、ずかずか入っていける特権を有するジャーナリスト諸氏は、その権利を本質に向けて行使してほしい。


昔、『ポピュリズム批判』というナベツネの論説を集めた本を読んだ時に知ったのだが、ナベツネは国の経済政策に関しては市場原理主義を嫌う。しかし、ことプロ野球関係に関しては平気で市場原理主義的な主張を開陳する男だ。あからさまなダブルスタンダードのご都合主義。これがナベツネという男の本質だ。

外務省機密漏洩事件(「西山事件」)で議論された「報道の自由」、「知る権利」に関しては、先日まで放送されたテレビドラマ『運命の人』でナベツネが異様に美化されていたことは割り引かなければならないにしても、ナベツネ西山太吉元記者の弁護側証人として、「報道の自由」や「知る権利」に関する主張を開陳したことは歴史的事実だ。しかし、こと読売球団の問題になると、ナベツネ朝日新聞に読売の内部情報を流したニュースソースの清武英利をターゲットに報復報道をする。そして、長嶋茂雄が「『誰が内部資料を渡したのか』と怒りをにじませた」と言ったというのも、ナベツネの意図に沿った発言なのだ。ナベツネはもちろん、その走狗たる長嶋の罪も重い。

そもそも私は読売球団を批判する際、あるいはプロ野球の問題を論じる際、長嶋茂雄への批判をタブーにしてはならないというのを前々から持論にしている。長嶋の監督時代には、ネットの掲示板では長嶋批判は当たり前だった。当時の読売の金権補強に関して長嶋の「悪行」を批判する書き込みの方が長嶋を擁護する意見より圧倒的に多かった。しかし、私より少し上以上の世代になると長嶋茂雄は国民的ヒーローであり、長嶋に憧れていたと告白する人は驚くほど多い*1。それが今に至るもスポーツジャーナリズムが長嶋批判を「タブー」とする原因なのだろう。長嶋を批判すると高年齢層の読者が離れ、部数の低下を招くからだ。だが、選手としての長嶋と監督としての長嶋は分けて考えねばなるまい。特にナベツネが球団経営に関わるようになってからの第2次長嶋政権時代に読売がプロ野球界に流した害毒が、現在のプロ野球の斜陽化を招いた。

読売と長嶋茂雄を克服せずして、プロ野球に未来はない。

*1:私の世代では主役は王貞治に代わっており(ライバルの投手も、村山実から江夏豊に主役が代わっていた)、長嶋はしょっちゅう併殺打を打つ冴えない4番打者でしかなかった。