kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

『百田尚樹『殉愛』の真実』(宝島社)を読む(2)

『百田尚樹『殉愛』の真実』(宝島社)を読む(1) - kojitakenの日記 の続き。

角岡伸彦西岡研介、家鋪渡、宝島「殉愛騒動」取材班著『百田尚樹『殉愛』の真実』を読み終えた。読むのに要した時間は延べ4時間くらいかな。


百田尚樹『殉愛』の真実

百田尚樹『殉愛』の真実


実は、この本を買う前、毎日新聞の須田桃子記者が書いた下記の本を読んでいる途中だった。この本は半分弱まで読んでいた。あの「STAP細胞は、ありまぁす」という迷セリフが飛び出す第六章「小保方氏の反撃」にこれからかかるところだった。なお、この記事を書くために件の迷セリフの場面を探してみると(174頁)、「ありまぁす」ではなく「あります」と書かれている(当たり前だ)。この『捏造の科学者』については来週あたりに感想文を書くことにしたい*1


捏造の科学者 STAP細胞事件

捏造の科学者 STAP細胞事件


たまたま小保方晴子の研究不正について書かれた本を読んでいる最中に、それを中断して百田尚樹と家鋪さくらを批判した本を読んだため、小保方晴子と家鋪さくらとの間には驚くほど多くの共通点があることに気づいた。年齢も同じくらいだし、ともに大嘘つきで、お騒がせの事件を起こしたのが同じ2014年で、ともに「おじさまキラー」とおぼしく、ともに大きく持ち上げられたあとに正体が露呈してイメージが失墜し、ともに悪行をなしたにもかかわらず極右の権力者に気に入られ、ともに実力者を破滅に追いやるか、または追いやりそうなこと、などなど。ただ、小保方晴子の場合は気に入られた極右の権力者が下村博文、小保方が破滅に追いやった実力者が故笹井芳樹、つまり別人であるのに対し、家鋪さくらの場合は気に入られた極右の権力者とさくらが破滅に追いやりそうな実力者が同一人物、つまり百田尚樹であるところが決定的に違う。

もちろん上記の議論で、笹井芳樹百田尚樹とを同列に論じるのはあまりに故笹井氏に対して失礼だとは私も思う。笹井氏が掛け値なしの大科学者であったのに対し、百田の三文小説など5年後には思い出す人は誰もいないに違いない。笹井氏の死は残念だったし科学界の大きな損失だが、今後百田が没落しても、日本文学には何の影響もなく、百田に苦しめられた人たちや百田を嫌う私のような人間があげる祝杯の酒の肴になるだけだ。一方、下村博文百田尚樹とは同レベルの人間に過ぎないと思う。

ただ、私は家鋪さくらについては多くを書きたくない。家鋪さくらは精神を病んでいる可能性が高いと思うからだ。本にはその病名まで示唆されているが、ここでは触れない。家鋪さくらがやらかしたのはとんでもないことだったとは思うが、情状酌量の余地はある。

私にとっての標的はあくまでも百田尚樹である。この男は断じて許せない。

その百田の悪行を書くと長くなるので、もったいぶってここでいったん記事の第2回を終わりにする。(第3回に続く)

*1:PS. 結局書かずじまいだった。