私は先々月から先月にかけて大岡昇平の『レイテ戦記』(中公文庫で全4巻)を読んでいたおかげで、ウクライナ戦争が始まったごく初期から、無謀な戦争に自国兵士の人命を無視する野蛮な権力者によって戦争に駆り出されるロシア兵士に思いを致すことができたのだった。『レイテ戦記』はそういう「小説」である(限りなくノンフィクションに近いが)。誰が好きこのんで原発なんかを攻撃するだろうか。ロシア軍が原発を攻撃した時点でプーチン独裁国家の悪逆非道を悟るのがまともな人間というものだ。
しかし教条主義的かつ権威主義的な一部の「リベラル」ないし一部の「左翼」にはそれは通用しない。今回のウクライナ戦争に対する姿勢は、その格好のリトマス試験紙になってしまった。元朝日新聞記者だが私が2018年まで長年朝日を購読していた頃にはその名前を全く知らなかった鮫島某は、もののみごとに「赤点」のツイートを発信した。
ゼレンスキー礼賛、平和憲法どこへ?
— 鮫島浩✒️政治ジャーナリスト SAMEJIMA TIMES (@SamejimaH) 2022年3月27日
れいわだけが国会演説に総立ちしなかった理由とは?
武器を持って戦わされるのは私たち国民だ!
権力者が戦争当事者の一方に加担して国民を戦争に巻き込むことを防ぐのが憲法9条の最大の狙い。
権力者が旗を振る改憲に反対!https://t.co/Nm1VEZivPp pic.twitter.com/AEIXEacSVY
上記鮫島の妄論は、下記醍醐聡氏のツイートにて知った。
この種の議論に共感する人が多いが徹頭徹尾、我流話法である。「戦わされている」?→どれほどのウクライナ人がそう意識している?
— 醍醐 聰 (@shichoshacommu2) 2022年3月28日
「戦争当事者の一方に加担」→戦争ではなく侵略とレジスタンスの相対と理解する私には「中立」はあり得ない。レジスタンスに敬意を表するが滅私報国の「礼賛」とは無縁 https://t.co/mKt2PS0cD5
https://t.co/5k3CPDbfpP
— 醍醐 聰 (@shichoshacommu2) 2022年3月28日
「ゼレンスキー礼賛、平和憲法どこへ?」という言葉を知って「日本には抵抗の文化がない」というアレクシェービッチさん(ベラルーシ出身)の言葉を思い起こす。ヨーロッパでは歴史的に評価が定まっている「レジスタンス」を受容する思想が日本にはないことを思い知らされる。
醍醐氏の2件目のツイートからリンクされているのは、2016年のハフポスト記事だ。
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチという表記の方がしっくりきそうなこのノーベル賞作家は、講演で下記のように述べたという。
福島で目にしたのは、日本社会に人々が団結する形での『抵抗』という文化がないことです。祖母を亡くし、国を提訴した女性はその例外です。同じ訴えが何千件もあれば、人々に対する国の態度も変わったかもしれません。全体主義の長い文化があったわが国(旧ソ連)でも、人々が社会に対する抵抗の文化を持っていません。日本ではなぜなのでしょうか
出典:https://www.huffingtonpost.jp/2016/11/29/svetlana-alexievich-_n_13295940.html
ロシアではまだしも開戦初期にはプーチンの改選への支持は7割を切っていた(その後上昇してしまったが)。日本では反政権の立場の人のかなりの割合が鮫島某だの山本太郎(×××新選組)だのに心惹かれる惨状だ。橋下徹も基本的に鮫島や山本らと同じ立場に立つので、今や『世に倦む日日』のブログ主氏をはじめとする少なくない人間が、橋下の主張を肯定的に紹介するていたらくである。結局彼らはプーチンだの山本太郎だの橋下徹だのという「力ある者」が大好きなのだろう。
反グローバリズムの思想が行き過ぎて、帝国主義的侵略を肯定するという転倒。
— ツイッター政治おじいちゃんお化け (@micha_soso) 2022年3月29日
そういうのもあるかもしれない。池戸万作あたりが典型例だろう。反グロだけではなく、反権威が必要なのである。ところが池戸のような保守の反グロはそれを決定的に欠く。もちろん自称「保守ど真ん中」の山本太郎にもその傾向は強い。加えて山本には自身に強い権力志向がある。
新左翼界隈の厳しい状況を見る限り、日本共産党の民主集中制の「機能性の高さ」が目立ってしまう。これは褒めているんじゃなくて、あくまでも「機能性が高い」ということね。
— ツイッター政治おじいちゃんお化け (@micha_soso) 2022年3月29日
個人的には民主集中制にあまり肯定的ではありません。
これはちょっと違うんじゃないかな。別に民主集中制の縛りがあるから妙な陰謀論に心惹かれて鮫島某や山本某に流れてしまうのではないと思う。少なくともこの記事でツイートを引用している醍醐聡氏や、宮武嶺氏が心酔する澤藤統一郎氏はそうではない*1。
むしろ「共産趣味者」や「共産党信者」、つまり民主集中制を無批判に信奉してきた人たちが、今回のウクライナ戦争で堪え切れずにプーチンにシンパシーを抱いてしまう例を少なからずあるとの心証を持っている。昨日もその手の人間からクソコメをもらったが、いつもながらあまりにもの低劣さだったので(いつものように)承認していない。その人間が今も共産党を支持しているかどうかは知らない。×××新選組あたりがお似合いだ。この人間のような極端な例(と書いても読者の皆様には通じないだろうが)でなくとも、立民支持層にも共産支持層にも「隠れ×××シンパ」は少なからずいるように思われる。