kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

現状の社会経済システムを所与のものとする(解決すべき問題の前提とする)ことはもはや不可能。ほっといてもそれは自壊する

 昨日最後に公開した記事へのコメントを紹介する。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 suterakuso

社会福祉や弱者救済といった活動に取り組む人って護憲やリベラルを信条とする人と被ることが多いと思いますが、そういう人たちの一部に、経済に極端に疎い人というか、そもそも経済という言葉から連想されるものを極端に毛嫌いする人がやはりいる(あるいはいた)と思います。「江戸時代は産業がなくても助け合いのあるよい社会だった」派が、その端的な例ですが。そして、そういう人たちは社民党の支持者であることが多い印象があります。個々の人の支持政党を知ることはほとんどできないので、あくまで印象で、偏見と言われても反論もできませんが。まことん氏の話はそういうことを踏まえた話なのかなと少し思いました。つまり、ぶっちゃけ社民党は経済的主張に期待して支持できる政党ではないと。案外、まことん氏は、経済政策については、現状の社会経済システムを所与のものとして、その中で人びとは自助を基本に生活を安定させるべきだという保守の立場が強いと思われますしね。このツイートからさらに続きそうな話を勝手に想像すると、別に立民でもいい訳だけど、本当は再分配だけなら共産一択というようなことも言いそうに思います。そして、それは確かにそうだとも、私も思います。てか、私の思いを勝手に投影しているだけかもしれませんが。ということを言うと、でも、今も重症のパワハラ体質を露呈しているような共産党も支持できる訳がない、社民党こそが期待を集めて支持を集めるべきだった人たちが、行き場もなく、虚しく漂ってしまっている、という、kojitakenさんと同じ結論に辿り着くことになりますかね。

ただ、私は現在の社会経済システムを所与のものとすることはもはやできないでしょ、という立場ですので、その点からまことん氏とは主張も大きく異なってくるのかなと思います。残念な主張を「上から目線」で語る人ばかりだから「サハ」がダメなのではなくて、論理や実証を踏まえて「ふつう」の人を納得させるような「サハ」的な主張を表立ってする人が、そういう人が目立つほどにまで少ないことこそが問題なのだと思います。一足飛びの支持を求めて「ふつう」の人の機嫌を伺うのではなく、まずは一人ひとりがそれぞれの価値観に基づいて論理的実証的に考えたことを声にすることで、政治的な議論の環境を改善していくことこそ求められていると思います。

 

 suterakuso

少し補足というか、自分でもこれは伝わりにくい言い方しているなぁと思うというか、自分自身消化しきれていないだろとも思うのですが、現在の社会経済システムを所与のものとするというのは、流れも含めてですね。もちろん、それは絶えず変化しているものですので。でも、その流れへのエスタブリッシュメント以外の働きかけを求めるという感じの話ですかね。

 

 いえいえ、とてもよくわかりますよ。なにしろ、

今も重症のパワハラ体質を露呈しているような共産党も支持できる訳がない、社民党こそが期待を集めて支持を集めるべきだった人たちが、行き場もなく、虚しく漂ってしまっている、という、kojitakenさんと同じ結論に辿り着く

とのことですし。

 5年前の政局を思い返すと、民進党に経済政策面での「右バネ」(「ネオリベバネ」と言った方が良いかもしれない)が極限にまで強まって前原誠司(と前原の糸を引いていた小沢一郎)と小池百合子が「希望の党」騒動を引き起こした時、その「行き場もなく、虚しく漂ってしまっている」人たちの期待を一身に集めたのが(旧)立憲民主党でした。2017年の衆院選での立民躍進は、かなりの部分そういう人たちに支えられたものです。その人たちが、昨年枝野幸男にとって代わって代表になった泉健太が「対案型野党」を打ち出すと同時に露骨に維新にすり寄ったために、再び「行き場もなく、空しく漂ってしまっている」のが現在でしょう。つまり現在漂流している人たちは5年前にも漂流していて、やっと自分たちが支持して投票できる政党ができたぞと立民に飛びついたわけです。

 私は当時から立民と少し距離を置いていましたが、それは立民の結党を即決できずに1日だけとはいえ遅らせた枝野幸男の逡巡というか優柔不断さに嫌な予感がしたからでした。案の定というべきか、枝野は2017年中に新自由主義系の蓮舫と右翼系の山尾(現菅野)志桜里を入党させ、これはろくなことにならないだろうなと思っていたらやっぱりそうなってしまったな、というのが今の感想です。2020年に民民の過半数を引き入れたことで、立民が何をやりたいのかわからない政党にしたと同時に、泉健太による事実上の無血クーデタを枝野自ら招いてしまったわけですしね。

 「所与のものとする」という表現は、私自身昨日公開した別の記事で軍事費増額政策に絡めて使いましたが、解決すべき問題の前提とするという意味ですよね。その記事では、安倍晋三の言い分を丸呑みした岸田文雄の無謀な軍事費増額政策を前提にして財源を論じるなよ、それも反政権側が、という意味で使いましたが、suterakusoさんの場合は、現在の社会経済システムはもはや前提にできない、という意味で、昔の言葉でいえば、まことん氏はそんな保守の立場をとるけれども自分は革新の立場をとるということでしょう。

 私も「現在の社会経済システムを所与のものとすることはもはやできない」というご意見には全面的に賛成します。現在の社会経済システムはそもそも前提にしようとも前提にできなくなる持続不可能なものであって、何も「革新」しなくとも勝手に壊れるものであることは、実はある理由から日々体感していることだったりします。その上で現在の政治に求められるのは、いかにダメージを少なくして新たなシステムに移行させるかではないかと思います。「新たなシステム」の具体的なあり方を全然言っていないので、それこそ何が言いたいのかわからないと批判されるかもしれませんが。

 ほっといたら保たない現在のシステムに固執することこそもっとも有害であって、その意味で、現在の社会・経済の状況においてもっとも有害な政党は自民党であると思います。維新のような過激な新自由主義政党は、社会経済システムの破壊をさらに加速させるという意味で、結果的に変革に寄与する可能性がありますが、維新の思想はその過程で多くの犠牲者を生み出す性質のものなので、断固として拒絶しなければなりません。なにしろ維新は万人の万人に対する闘争の社会を理想としているわけですからね。

 まあでも社民党はもったいないですよ。潜在的ニーズはとてもあるのに。