kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

山本太郎零新vs.泉立民の不毛な対立構図/泉立民から離反した3分の1は潜在的な社民主義指向の人たちなのではないかとの仮説

 私は泉健太山本太郎の両者をともに強く拒絶する人間だが、社民主義的指向(志向あるいは思考と言っても良い)を少しでも持っている人間ならそれが当たり前の姿だと確信している。

 

 

 私は「微妙」なんかではなく、泉を強く拒絶する立場に立つ。零細新選組(正式名称はこのブログの禁句を用いているので現在はこのように表記している)をも同様に拒絶する立場に立つが、泉は維新に接近していると認識している。その点で前任者の枝野幸男とは隔絶している。私は枝野に対する不満も少なからずあったが、それでも枝野は昨年の衆院選開票速報の番組で立民の敗北が明らかになった時に維新について問われて「自公の補完勢力」だと切り捨て、それに対して小川淳也が反論していた。一方、泉は立民と維新とはそんなに違わないと公言し、馬場伸幸らと意気投合している。枝野と泉との間には目も眩むような落差があるというのが私の認識だ。

 「アンチれ組で、立憲民主党の代表を変えたほうがいいという主張をする人はツイッターにそんなに多くない」というのは、ツイッター民(というよりこの国)に社民主義指向(志向・思考)の人間がほとんどいないことを示している。社民党政党支持率議席数を想起すれば当たり前ではあるが。なお、私は福島瑞穂社会民主主義者とはいえないとみなしていて、強く批判する立場に立っている。

 以上、極端に悲観的あるいは否定的(ネガティブ)なことばかり書いたが、実はこの国の人々にも潜在的社民主義志向があるのではないかとも思っている。その表れが、立民の代表が枝野から泉に代わって、立民の比例票が3分の1も減ったという事実だろう。つまり枝野立民の支持ないしシンパのおよそ3分の1が(大半が潜在的にではあるが)社民主義的指向を持っている人たちなのではないかというのが、現在の私が持っている仮説だ。もちろん3分の1程度だから多数派ではないが、決して無視できない勢力だとはいえる。

 Twitterでは泉の支持者あるいはシンパと山本太郎の支持者あるいは信者がバチバチやり合っているので、そればかりが目に入る人間にとってはあたかも泉と山本の二者択一であるかのような錯覚を起こさせるが、実際にはそうではなく、その手の喧嘩にかかわっていない人たち*1を見ると、えっ、この人が、と思うような人までもが泉立民から離反している例を私はしばしば見かける。

 

 

 私の言葉でいえば、社民党は本当に社民主義志向を持った候補を当選まで導けるかどうかが課題だということになる。ずっとそんなことを言っている間に党存続の瀬戸際まできてしまったわけだが、私の見立てでは泉から離反した率民の支持・シンパ層が存在するわけだから決して不可能ではない。但し、その掘り起こしは至難の業だし、その過程で福島瑞穂の存在が大きな壁になるだろうけれど。

 

 

 この人は零細新選組支持を止めたんだってな。

 

 

 いや、それはない。政党要件消滅の瀬戸際まで山本が我慢できるはずがないからだ。零細新選組の終わり方は、山本が無責任に投げ出すこと以外に私には想定できない。自然消滅はあり得ない。

 

 

 「減税真理教信者」が抜けてるよ。「MMT信奉者」から派生した人たちだけど、もはやMMTから離れて「減税」を叫び続けている。彼らの多くは「MMT」という3文字を見たこともないのではないか。

 (消費税に限らない)減税に対して少しでも批判しようものなら「社会主義者」とレッテルを貼ってるつもりでいるらしい新自由主義者たちが、最近の零新支持層の中では明らかに目立っている。また長谷川羽衣子のような人が彼らを煽っている。

 

 

 零細新選組には舩後靖彦のように故安倍晋三に近かった右翼もいるし、支持層や信者たちの間にも右翼は少なくないから、「左寄り??」というよりかつて政治ブログ界で「喜八」と名乗っていた人間がキャッチフレーズにしていた「『右』も『左』もない」ポピュリズム政党というべきだろう。零新がなくなっても同じような政党は出てくるかもしれないとのことだが、そういう政党はかつても存在した。2007年参院選天木直人が立候補した「9条ネット」がそれだ。政治ブログの一部で熱狂的な支持を受けたこの政党は、しかしながら参院選議席を得られなかった。当時ブログでこの政党を応援した人たちの多くがその後オザシンとなり、その一部はオザシン系山本太郎信者(ヤマシン)となって現在に至る。その代表格が山岸飛鳥氏だ。山本太郎はこの系列の中では抜群のカリスマ性があったので国会での議席獲得に至っているが、仮に山本が党を投げ出した場合、後継政党はかつての天木直人と同様、国会の議席が得られない可能性が高い。

 零新や山本のニーズが一定程度あるのは紛れもない事実だが、山本太郎が道を誤った、というより最初から道を間違えていたのだが、そのためにメインストリームになる可能性は全くない。問題は、山本や零新のような存在がこの国での社民主義の台頭を妨げているのではないかと思われるところにある。

 とにかく、あれ*2はない。泉健太に対してと同様、徹底的に敵視するまでだ。

*1:彼らは泉も山本も支持しないから、泉対山本の対立構図から離れているだけだ。

*2:もちろん優勝のことではない。「あれ」の2文字目は弊ブログの禁句の1文字目なのだ。