『紙屋研究所』ブログ主の紙屋高雪(本名・神谷貴行)氏は少し前の言葉でいうと「アルファブロガー」で、氏が共産党員であることは「はてな」ではよく知られている。弊ブログも何度か氏の記事に言及したことがある。
特に思い出深いのは、私がジョン・ケネス・ガルブレイス(1908-2006)晩年の『満足の文化』(ちくま学芸文庫2014, 原著1993)を読み、その急進的な内容に驚いてブログで取り上げようとした時に、同じガルブレイス最晩年の『悪意なき欺瞞』(2004)を取り上げた『紙屋研究所』の、まだはてなブログに移行する前の2004年、つまり同書の日本語版が出版されたばかりの頃に書かれた下記記事を丸ごと引用したことだ。
今回は紙屋氏の書評記事のサワリの部分のみ引用する。
いや、昨今のなよなよした一部のマルキストよりも、もっと直截にガルブレイスは次のようにのべる。
「よく考えてみれば、公的セクターと私的セクターを区別すること自体が、無意味なことのように思えてくる。なぜなら、いわゆる公的セクターの仕事の大部分、その根幹となる部分、そして拡張しつつある部分は、私的セクターを潤すことのみを、そのねらいとしているからである」
政治は資本に奉仕するためにおこなわれている、というあけすけな表現。
ぼくは、これこそがリアルそのものだと思う。
新古典派がどのように粉飾しようが、目の前にはこうした事実が広がっているのであり、それを力強く断じる野蛮さというものが、むしろ10年前よりもはるかに「ウケる」中身なのだ。そういえば、山口二郎や渡辺治が政治学会で日本の左翼の現在について報告し「左派の綱領は10年前よりも高く売れる条件がある」といっていたのだが、まさにその通りであろう。亡くなってしまったが、青木雄二のようにあけっぴろげに「世の中ゼニや」と語ることが実はリアルだったりする。
その解決策として、「市場を廃止して理性による一元的計画を」と唱えるのではなく、現状を不公正な「生産者の支配」だととらえたうえで、「公正な市場をどう構築するか」という課題の提出の仕方をするのであれば、マルキストは修正資本主義者たちとも手を組みながら前進をしていくことができる。
(『紙屋研究所』より)
上記記事を引用した弊ブログの記事は下記。
上記のガルブレイス論に関連した記事は2016年にもう1件あるが、これは紙屋さんのコメントに軽く触れているだけだ。
その次に紙屋さんに言及したのは昨年(2022年)11月20日に公開した下記記事だった。
タイトルから明らかな通り、小池晃書記局長の田村智子副委員長に対するパワハラに関する記事だが、その中で小池書記局長の下記ツイートに紙屋さんがつけた下記はてなブックマークコメント(ブコメ)をリンクした。この2件を下記に再度リンクする。
5日の日本共産党地方議員・候補者会議の報告で、私が議員名を間違えたにも関わらず、司会の田村智子副委員長に、間違ってないと叱責し、威圧的な言動をとったことを深く反省しています。田村さんには会議後に謝罪しました。ハラスメント根絶をめざす党の一員として、今後たえず自己改革に努めます。
— 小池 晃(日本共産党) (@koike_akira) 2022年11月13日
https://twitter.com/koike_akira/status/1591696006424547328
少なからぬ共産党の地方議員(だけではないが)が、規約手続きを使ったり、SNSを通じたりして、意見・声をあげて、このツイートが出たという、あまり見ないケース。
2022/11/13 20:26
そのあと、紙屋氏が公開した下記松竹伸幸氏の著書の書評記事を取り上げた記事も公開した。
そして今年3月10日には初めて神谷(紙屋)氏が共産党員として発信している下記ブログ記事を取り上げた記事を公開した。
私は上記ブログ記事によって神谷氏が松竹氏の処分に反対したがその意見が容れられずに批判・否定されたので自らの意見を「保留」したことを知った。かつて松竹伸幸氏が同様に自らの意見を「保留」したことがあった。
しかし、神谷氏が自らの意見を「保留する権利」も認めないとするのがどうやら現在の共産党のスタンスらしい。紙屋(神谷)氏は「長い休み」に入った。
また、氏は意味深なタイトルのブログ記事も公開したが、こちらについてはブログ記事への直接のリンクではなく、同記事をリンクした氏のツイートを以下にリンクする。
ブログを更新。 https://t.co/APfyOijRYQ 「幹部たちの“知的水準の衰弱”」の話です。あ、不破哲三の本の感想ですよ。念のため…。
— 紙屋高雪 (@kamiyakousetsu) 2023年5月31日
上記2件の神谷氏のブログ記事の内容はここでは紹介はしない。読者の皆様には紙屋(神谷)氏の記事を直接読んで考えていただきたいと思うからだ。
それよりも、現在の共産党の執行部、党員、支持者の方々に申し上げたいことがある。
私は現在の日本は急激に社会も経済も縮小する過程にあり、今後は、というよりもう既に始まっていると思うが、この国に住む人々の多くが熾烈な生き残り競争、これを私は「椅子取りゲーム」と言っているが、それに直面することになると考えている。
この「椅子取りゲーム」は階級の上の人間ほど有利で、生き残る可能性が高い。しかし下の階級が崩れてしまうとその累は最後には上の階級に及ぶ。つまり社会と経済が急激に縮小してしまう。
社会や経済がこういう段階に入った時に求められるのは「上と下とを分けた時に下に寄り添う左派的政策だ」と考えている、というよりそれが私の信念だ。
だから私は立憲民主党(立民)については「提案型野党」路線をとろうとしたり日本維新の会にすり寄ったりした現在の泉健太体制を全く評価せず、旧立民出身の西村智恵美氏あたりに代表を交代してもらいたいと考えている。
また本来私の立ち位置に近い社民党の奮起も強く求めたい。
そして今回の本論である共産党に対しては、執行部自らが党員を疎外するような真似は止めていただきたいと思う。
共産党支持層の間では「そんなに党が気に食わないなら新党を結成しろ」などと気軽に言う者がいるが、考え方としては社民寄りながら無党派層の一員である私からみれば、そのように簡単に党員を疎外(排除)するような政党が政権入りしたところで、自らと意見が異なる人民を簡単に疎外(排除)しようとするのではないかとの強い疑念を持たないわけにはいかない。
現在の共産党執行部のあり方は、その疑念をどんどん強める方向にしか向かっていないと思われる。そのあり方は、右バネを働かせて泉体制を成立させ、党員や支持者の多くが泉体制を守ろうとしている立民以上に問題だと思う。
立民に右バネが働き、共産に執行部の過剰防衛に起因する権威主義が高まった現状は、いわゆる「立憲野党」にとっては非常に危機的な状況だと認識している。