kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

馬場伸幸がついに維新を「第2自民党」だと自ら認めたが(呆)、その維新にすり寄った立民代表・泉健太はまだ責任を取らないのか

 馬場伸幸が、自らが代表を務める日本維新の会が「第2自民党」だと認めた(呆)。

 

blog.goo.ne.jp

 

 維新はもうどうしようもなく論外だ。そのことは、上記宮武嶺氏のエブリワンブログの記事を読めばよくわかる。

 ここで私が問題にしたいのは、今でこそ維新との対決姿勢を強めているかに見える立民代表の泉健太が過去に、というよりほんの数か月前まで維新にすり寄ってきた自らの言動を棚に上げ、支持者たちもそんな泉を擁護していることだ。

 上記宮武氏の記事にも下記の指摘がある。

 

立民の泉健太代表は日本維新の会との連携について

「未来永劫ないだろう」

とも言ったのだそうですが、維新から三行半を突きつけられるまで維新にすがっていたのは当の泉代表です。

ここまで維新を増長させた主犯格が泉氏。

野党第1党の座を第2自民党の維新に取られないように、早く代表の座から降りてください。

 

URL: https://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/2a2114282f32d7312b0a67ae3eaf042a

 

 このあと、この記事では三春充希氏の最新のnote記事を引用しながら泉健太を批判することになるが、その前に弊ブログの、というより私の考えを改めて明らかにしておく。

 数日前に公開した下記記事にも電池産業と自動車産業の例を挙げて書いた通り、日本は「何も手を打たない限り」今後凋落の度合いをますます強める一方だと私は確信している。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 上記記事を、私は下記の文章で結んだ。

 

 現状の延長だと、蓄電技術でも自動車でも日本は世界の水準から早晩大きく立ち遅れることになることは必至だ。

 政治と同様、経済や科学技術の世界でも、過去に栄光にすがりつこうとするとろくなことはない。自民党立憲民主党日本共産党などと同様、自己防衛的なあり方は「持続可能」では全くなく、待ち構えているのは大いなる凋落なのだ。

 

URL: https://kojitaken.hatenablog.com/entry/2023/07/21/085901

 

 私はこのような認識だから、馬場伸幸が「維新は第2自民党で良い」と自ら認めた時点で、世間、特に大阪やその周辺の自治体の人たちの多くが持っているイメージに反して、「維新は何も変える気がない旧態依然の政党だ」との確信をますます強めた。それどころか、かつての小泉純一郎張りに2021年の衆院選前の討論会で「まだ改革が足りない」とアナクロなことをほざいた松井一郎の時代から今も何も変わっていない馬場の発言を目にして、本当に何もわかっていない政党なんだなと改めて思った。

 維新の言う規制緩和だと、現時点で力の強い、というより権力や地位を持っている人間だけが今後の日本を襲う過酷なサバイバル競争に生き延びることができる。しかしそれを維持するためには彼らを支えてきた下層の人たちが事実上何もできなくなるのだから、富裕層の一部がバカ働きをしなければならなくなる。こうして社会はどんどんと痩せ細り、最後には焦土になるのである。

 だから危機の時にこそ社会は平準化されなければならない。1930年代から40年代の戦争で、日本は富裕層への負担を大いに強めたが、それはそうでもしなければ強大な連合国(特にアメリカ)に歯が立たなかったからだ。

 サバイバル競争の時代にあっては何もしなければ権力や地位を持つ者が生き残るが、そうでない者は能力を持っていてもそれを発揮できない。だから国はますます痩せ細り、サバイバル競争はますます過酷になる。これでは戦局は悪化する一方だ。

 だから、こういう局面でこそ左派的な政策が必要とされる。とにかくまず、みんなが生き延びなければならないのだ。これが私の基本的な認識だ。

 しかるに、国内の主要政党のうち最左派と目される日本共産党は、執行部が自らの生き残りのために党員を疎外するありさまだ。つまり「みんなで生き延びる」どころか党執行部が率先して党員を村八分にしている。共産党のこのあり方に対しても弊ブログは何度も批判してきた。一方、野党第一党立憲民主党はというと、一昨年に代表に就任した泉健太が、最初は「提案型野党」路線を掲げて自民党にすり寄り、参院選に惨敗して「提案型野党」路線が敗因だったと総括されると、今度は日本の凋落を加速させるだけの超ネオリベ政党である維新にすり寄った。しかし泉はその責任をいまだもとっていない。

 だからこそ、三春充希氏の下記note記事に強く共感した。三春氏の元号新選組についての意見には全然共感しないが(私は新選組を非常に強く権威主義的な反動政党であるとみなしている)、立民・泉体制に対する批判には共感するところが多い。

 幸い、noteの記事はログイン状態にあっても無料部分と有料部分の境界がはっきり示されているので、以下無料部分から引用する。

 

note.com

 

 新国民は第49回衆院選(2021年)から第26回参院選(2022年)にかけて票を増やしたため(図2)、これをもって「対決より解決」を掲げた提案路線の成功と言われたりもします。確かに自民に親和的な新国民に関しては、そうした見方も成り立ち得るのでしょう。けれどそのような見方を野党第一党にまで拡大するのは誤りと言うほかにありません。

 当時、立憲の泉代表は、新国民を「兄弟政党」と呼び、第26回参院選(2022年)に向けて「提案型野党」を掲げました。

 しかしながら、こうした路線は自民支持層などの保守票を獲得できなかったばかりか、むしろ従来の支持者の失望や無党派層への訴求力の低下を招き、大量に票を失うことを結果したのでした。当時の立憲に起きていたことは、今年2月に公開した記事で触れています。

 すでに図5で見てきたように、旧国民と新国民の支持層は入れ替わりを経ています。ルーツは民進であるものの、新国民の支持層は自民と親和的なものとなっており、提案路線や、予算案に賛成するなどの「迎合路線」で一定の成功を見たわけです。けれど立憲に関しては、支持層の性格はそれとは大きく異なっているのです。立憲に投票してきた無党派層の性格もそうなのです。そこを見誤るから、第26回参院選(2022年)の立憲は悲惨なことになったのです。

 しかしながらその後の立憲のあり方を見るに、第26回参院選(2022年)の敗北から学びを得たとは言いがたいものがあります。一度は選挙総括のなかで提案型野党の標榜を議席減の原因に挙げているものの、それがどこかに置き去りにされてしまっているのではないでしょうか。果たして今のままで、先に第26回参院選(2022年)で失った票を取り戻すことが可能なのでしょうか。

 次期衆院選に備えなければならない時期であるのにもかかわらず、立憲の支持率は今年1月から下落を続け、現在はこれまでで最低の水準となっています。結党直後から守ってきた野党第一党の座を手放す時が刻々と迫っているのです。

 先日、泉氏は「国民民主党は、ともに政権を担える仲間だ」と述べました。

 昨日、代表が「第2自民党でいい」と言った維新については、去年の10月の時点で差がないと述べていたようですが。

 こうした姿勢は自民党との対立軸を不明瞭にすることを結果するでしょう。なぜ対立軸が重要であるのかがわからないのなら、ぼくは繰り返し説明します。

 いま立憲が掲げている「もっと良い未来」というフレーズからは、すでに行く手にそれなりに良い未来があるような印象を受けますが、現実はそうではありません。バブル崩壊からの30年あまり、生活は豊かになるどころか実質賃金は落ちています。生活水準の後退は親から子を見る余裕を奪い、子育ても、また教育も、すさんだものになっています。地方の人口減少は加速しています。税収減によって行政サービスが劣化し、採算の取れなくなった交通機関や企業も撤退するなどして、人口が減ることそのものが人口減少を招く連鎖が地方の暮らしを脅かしています。こうしたことは少し社会を見ていればたやすくわかるはずなのです。

 これをこのまま5年も10年も続けるか、それを変えるかという選択があるのです。危機は政治の結果です。この危機をもたらした与党の政治を変えていかなければならないということです。

 この全国的、全分野的な衰退、日本社会の崩壊という問題の中で、何者かが新しい社会像を描き出し、その実現に向けて動かなければなりません。問題は深刻です。この社会が社会として維持され、人々が生き延びるということをどう実現していくかに関わっているのです。理論を鍛え、言葉を鍛え、組織を鍛え、未来社会を引き受ける覚悟を持った担い手が生まれてこなければなりません。それを引き受けていこうとするのが、この時代に野党として政治に関わることになった者の使命ではないでしょうか。

 そうした内実を鍛え、覚悟を持って堂々とたたかう者にこそ有権者は希望を見出します。選挙を必死に支えます。昨今の国政選挙で立憲が競り負け続けているのはその熱量がないからです。かつての立憲にはあったのです。そしてまた、そうしたたたかいの中でこそ無党派層が関心を持つのです。与党の支持層がこれではいけないと気づいて、野党の側に回ることもおきるのです。

 いくら与党が強かろうとも、それに迎合することでその強さにあずかれると思うのは間違いです。文句を言わず、物分かりよくニコニコしていれば支持されると思ったら間違いです。なぜなら政治には、野党には、その存在理由の根底に権力の取り合いがあるからです。自民党とは別の存在として政治を動かすということがあるからです。

URL: https://note.com/miraisyakai/n/n7baf1a7fd25c

 

 特に赤字ボールドにした部分は、本当にその通りだと強く共感した。