kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

自民党政権がすっかり飽きられている時に組織防衛に走る立民・共産とそれを批判できない支持者たち。だから維新や元号新選組がのさばる

 最近の東京はネズミが実に多い。某スーパーの前では一時期しょっちゅう見かけていたが、おそらく駆除したかないかでほとんど見かけなくはなった。だがまたこの間一匹見かけた。それどころか私が住む集合住宅の階段を駆け降りてくるところに遭遇すらした。さすがに室内で見かけたことはないが、ネズミの脅威はゴキブリの比ではない。戦々恐々とする今日この頃だ。 

 何も下町だからネズミが多いわけでもなく、千代田区が生態調査を始めたとの記事が読売に出ていた。

 

www.yomiuri.co.jp

 

 東京は昨夜というかこの朝も気温が高くて蒸し暑い熱帯夜だったが、今日は前線が南下して午後には雨が降って気温が下がるようだ。0時には気温28度だったようだが15時の予想気温は25度。つまり今年の東京は秋分の日の前日になってようやく秋が到来するわけだ。秋分の日とは秋を前半と後半に分ける日という意味の言葉だろうと思って調べてみたらその通りだった。

 

serai.jp

 

秋分(しゅうぶん)」とは、9月後半から10月前半にあたる二十四節気の一つです。「秋を分ける」と書くように、暦の上では秋を6つに分けたうちの中間、4番目の節気にあたります。「春分」と同様、太陽が真東から昇り真西に沈むため、昼の明るい時間と夜の暗い時間の長さがほぼ同じになる日です。この日を境に夜の時間の方が長くなり、次第に秋が深まっていきます。

 

出典:秋分とは?|季節の行事や旬の食べ物、春分の日との違いについて解説【「二十四節気」入門】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

 

 この間ヤフコメを見ていて呆れたのだが、「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉を、彼岸になれば涼しくなり始めるという意味に解していた人が多かった。だが私の子どもの頃の体感では朝晩が涼しくなり始めるのを体感するのは8月下旬だった。先日も書いたが、20年ほど前に岡山で私より10歳ほど年長の人が、お盆を過ぎたら朝晩が涼しくなり始めるよと言っていた。それが少し前の人の季節感覚だった。「暑さ寒さも彼岸まで」とは、彼岸が過ぎれば暑い(寒い)と思うことがなくなるという意味だろう。もっともこれは首都圏や京阪神など日本で人口の多い地域の話で、暑い地方や寒い地方ではその限りではないのだろうが。最近は春は下手すれば4月初めには暖かいを通り越して暑いと思う日があるし、このあと10月に入ってもまだ日中は暑さを感じる日があるに違いない。1年の半分を夏が占めるとんでもない気候が普通になってしまった。

 天気もさっぱりわからなくなったが、政治をめぐる人々の意識もすっかりわからなくなった。たとえば先日取り上げた政治おじいちゃんお化け氏は、マストドンとXへの連続発信のあと、少なくともマストドンでは新たな発信が途絶えているが、ネット検索で最新5件のポストのみアカウント未開設者でも接することができるXで、マストドンには見られない下記の発信をしていた。最新と言っても「3日前」のポストだ。

 

 

 私はXに排除または疎外されているので、上記が誰のどんなポストを受けて発信されたのかはわからない。ただ想像がつくのは、Xで声の大きな立民支持層主流の主張が、ほぼ「単独主戦論」つまり立民は単独で国政選挙を戦え、という意見に傾いていて、お化けさんはそんな状況に疎外感を感じておられるのではないかということだ。私から見れば、立民の政党支持率などもはや元号新選組の3倍程度(2倍よりは多いが4倍には届かず、下手したら3倍にも届かないレベル)しかなく、単独で戦った場合はもともと得票力の高い候補以外は大量に落選するとしか思えないのだが、過去の枝野幸男代表時代の惰性力がいまだに続いているとの錯覚を持っているとおぼしき立民支持層主流(泉健太支持派)の人たちの感覚はそうではないのだろう。これは、現実を直視することよりも組織防衛のことばかりに意識が向きがちになるという、非常に危険な傾向だと思う。

 弊ブログに昨日いただいたはんわかさんのコメントも、申し訳ないけれども上記のような立民支持層主流派の意識を反映しているのではないかと思った。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 はんわか

連投失礼します。

立憲の敗因、正確には左派系支持者の棄権の原因を考えると

意識的にしろ無意識的にしろ以下の法則を理解している結果だと思います。
○党の規模と思想や政策の純化度は反比例する
つまりは、規模の拡大により自分たちの好む代表や思想、政策から遠ざかること。

さらに言えば、代表選で左派系が三分裂し失望したこと。

これらとは別に、維新台頭で分裂による純化路線もとれないこと。

まとめると、分裂純化したいが、その反作用の維新の拡大も怖い。左派系代表誕生も見込みがない。
トリプルバインド状態で棄権したくなるのも仕方ない。

まずは、次期代表選は左派系統一候補くらいはだしてほしいところ。

 

 上記コメントは、まず問題の設定が私とは違います。

 私は、2021年の衆院選(枝野前代表時代最後の国政選挙)で比例代表の得票率が20.0%あった立民が、2022年参院選(泉代表下で最初の国政選挙)での比例区で12.7%にまで激減させてしまったことを問題視しています。

 しかし、はんわかさんのコメントは、2021年の枝野退陣を受けて行われた立民代表選での立民リベラル派の失態に対する批判が主眼になっています。枝野時代の末期に、泉健太小川淳也の「元希望の党」の2人の巧みな工作によって、岡田克也らは泉に、サンクチュアリなどのリベラル派は小川にそれぞれ取り込まれてしまい、後者は衆院選直後に小川が枝野を批判して発した「親維新」発言でようやく目が覚めたとみられるリベラル派が小川の梯子を外したまでは良かったものの、統一候補を出すことすらできずに惨敗したことは厳しく批判されて然るべきだとは私も思います。

 しかし、その後の立民の党勢低落は、立民右派から出て代表になった泉健太が右寄りの「純化路線」に走ったところに最大の問題があったと思います。「提案型野党」路線然り、安倍晋三国葬を「静かに見守る」と言ったり、国葬に出席したい素振りを隠そうとしなかったこと然り、「維新八策」に「大部分強調できる」と言って維新にすり寄ったこと然り、今年の年初に発した「乃木神社」初詣ツイート(当時)然りです。立民のリベラル派議員は参院選惨敗の総括を泉が受け入れたはずなのに何故か幹事長が西村智奈美から泉に取り込まれた岡田克也に交代させる仕打ちを受けても西村は代表代行、つまり執行部にとどまる判断をしたわけですから、支持者はどうだか知りませんけど少なくともリベラル派の議員の大部分は「純化」を目指す行動などとっていません。むしろ某元号新選組とつるもうとするなど悪目立ちしているは元希望の小川淳也だの野田佳彦系の手塚仁雄だのといった「非リベラル系」の議員たちでしょう。陰謀論発言で顰蹙を買いまくっている原口一博などは極右ですし。「純化」批判はリベラル層側ではなく泉健太代表に向けられて当然ではないかと私は考えます。

 そして、いったん党内でトップに立ってしまえば、衰退する組織にありがちな組織防衛志向の強さに守られて、結果を出せなくてもトップにとどまり続けることができるわけです。まるでプロ野球・読売の原辰徳監督や中日の立浪和義監督みたいです。ヤクルトにも暗黒時代には武上四郎(1941-2002)という人が負けても負けても監督に居座り続けました。ヤクルトは「読売ファン」として悪名高かったオーナーの松園尚己(1922-1994)が1988年に病気に倒れて実権を失ったことから1989年のシーズン終了後の野村克也監督の招聘が実現し、今に至るも阪神岡田彰布監督から「野村克也さんのチーム」と論評されているわけですが。そのあたりの詳細はあまり知られていませんが、Wikipediaの下記の記述から窺い知ることができます。なお武上四郎は松園オーナーの「覚えめでたい」人だったと言われています。

 

1988年4月、病気により副社長の桑原潤に社長職を譲り、スワローズについては球団社長の相馬和夫にオーナー職を代行させた(桑原は1989年10月に相馬の代行職を解き自ら球団オーナー代行に就任)。

1994年12月15日、心不全のため死去。72歳没。

 

出典:松園尚巳 - Wikipedia

 

 ところで衰退する政党の悪弊からもう一つ連想されるのが共産党だ。仮に同党が神谷貴行(紙屋高雪)氏を除名することでもあれば、氏が「はてな」でも指折りの人気ブロガーであることなども考えれば文化面でも共産党にとってはたいへんな損失だと思うのだがどうだろうか。志位執行部はもはや悪しき惰性力で動き続けているようにしか見えない。その悪影響がもろに出ていると思われるのが、しばしば同党で問題になるパワハラ劇であって、パワハラを「やったもの勝ち」で終わる例が複数あった。これなども、政党の執行部、党員、支持者たちに広く権威主義が浸透していることの表れではないかと思われる。もちろんその権威主義は立民支持層主流派にも広く見られるものだ。そもそも組織防衛志向自体、権威主義の表れ以外の何物でもない。自民党もその見本の一つだ。最近はそれが度を越しているから、さしもの我慢強い日本国民にも我慢ができなくなって岸田内閣の支持率は下がったままで再浮上の兆しを見せない。

 そういえば昨年の安倍晋三銃殺後に噴出した統一教会問題によって岸田内閣支持率が大きく低下したあと、一時「V字回復」が見られたかのように思われた頃、弊ブログは岸田内閣支持率は再び低落し、しかもそうなれば今度は支持率が再び上昇することはないだろうと予想したことがあった。現状はまさに弊ブログの予想通りになっている。

 立民にせよ共産にせよ、このように自民党政権がすっかり飽きられている時に組織防衛に走るなんていったい何を考えているのかと思う。維新だの元号新選組だのがいつまでものさばり続けるのも道理だ。