kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

世論調査で石破内閣支持率の上昇がより顕著に/立民支持層の間でようやく議論が起きるようになり始めた/参政党は日本では新しい「資本主義に懐疑的な極右」との見立て (レバ子氏)

 世論調査で石破内閣支持率の上昇がはっきりしてきた。特に、石破が辞意表明すると書き、その後も自民党反石破系に寄り添った紙面づくりをしてきたと思われる読売の世論調査で支持率が17ポイントも回復した。

 

 

 これは、有権者の多くが「ノー」を突きつけたのは自民党に対してであって、石破茂も昨年の解散について前言を翻したりした信頼できない政治家ではあるけれども、その石破に対する不信感よりも自民党に対する不信感の方がずっと強い、つまり「石破も良くないが、自民党はもっと悪い」という意思表示だったことがはっきりしてきたといえる。

 これで高市早苗小泉進次郎も動きづらくなった。

 しかも自民党執行部は、フル規格の総裁選の前倒しなどという、前回下野した時にもやらなかった要求に対して、それを求める議員の名前を公表したいという強硬な意思表示を行なった。お互いの政治生命を賭けた権力闘争にあってはこれが当たり前であって、変に組織防衛の規制に支配されてどの人間も動けなくなっている立民などよりもずっと健全な姿だと思う。

 ただ、この自民党の権力闘争で石破と反石破のどちらか勝つかはまだわからない。

 愚かなのは、そんな「どちらに転ぶかわからない」政局において目一杯石破に賭けててリスクマネジメントが全くできていないようにしか見えない立民代表の野田佳彦である。しかもそれは3年前の参院選での惨敗を導いた泉健太代表時代の「提案型野党」路線への回帰でしかないから、立民の政党支持率は下がった。もっとも参政党に続いて民民も選挙ブーストが終わって政党支持率がやや下がったから、現在の野党は参政、民民、立民の3政党が支持率での野党第一党争いをする状況になった。少し前までの維新に民民と参政の2党がとって代わった形だ。

 立ちすくんでいた立民支持層も、ようやく3つの流れがあることがはっきりしてきたように思われる。もっともそれは主にXの観察によるが。

 主流派はやはり野田佳彦を支持し、組織防衛を志向する人たちで、その代表格が下記Xをトップに表示させているnaoko氏だろう。氏は特に野田支持者というわけではなく、その時々の立民代表を支える立場にいつも立っている。泉代表時代には泉健太を強く擁護していた。

 

 

 それに対し、右からの反野田執行部の尖鋭的な立場をとるのが「駅前は朝の七時」だ。直近では立憲民主党の党名を「民主党」に代えよと叫んでいる。もっとも主唱者の一人は立民所属の津村啓介らしい。下記は「駅前は朝の七時」のリポスト経由で知った津村のX。

 

 

 上記に対する「駅前は朝の七時」の論評が下記。

 

 

 「駅前は朝の七時」は立憲主義共産主義者の思想だと思っているらしい。バッカじゃなかろうか。立憲主義社会主義思想でも、それどころかリベラルの思想でさえもなく、れっきとした保守主義の思想である。だからこそ故坂野潤治は「立憲主義」を好まなかった。下記はまだ旧立憲民主党が結党される前の2015年12月に弊ブログが公開した記事へのリンク。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 坂野は下記のように言っていた。

 

立憲主義というのは、自由民権運動に対抗して井上毅らが主張した思想です。そんな保守主義がリベラルの用語になったのは、1938年の国家総動員法に対する衆議院の反対論からです。この時に、立憲主義の担い手が変ったんだ。

 

 保守主義転じてリベラルがよく唱えるようになった思想、くらいまではいえても間違っても共産主義とは関係ない。特に日本共産党が維持している「分派禁止条項」つきの民主集中制とは相容れない。共産党はそれは民主集中制は組織の原理であって、議会においては立憲主義に従うと言っているらしく、「立憲野党」の括りに入れられても異を唱えることはない。私にはいささかご都合主義的ではないかと思われるけれども。たとえば共産党憲法学者だった故長谷川正安の岩波新書には「立憲主義」の文字列は含まれない。下記は2016年5月の弊ブログの記事へのリンク。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 このように「駅前は朝の七時」の主張はメチャクチャではあるが、それでも野田執行部に対して明確に「ノー」の意思表示をしていることは評価できる。もっとも野田は旧立民には参加せず、2020年結党の新立民に初めて参加した政治家だ。

 最後の3番目の勢力が、2017年の旧立民の原点を大事にする人たちで、ほぼ100%が枝野幸男の支持者だと言っても良い。Xでは片岡正美氏が代表的な論者だと思う。片岡氏は党名変更などもってのほかと、強硬な論陣を張る。

 

 

 

 

 片岡氏は津村啓介をも厳しく批判しているが、それらのXまで紹介し始めると長くなるので割愛する。

 上記3つの流れのうち、思想的に一番私から遠いのは「駅前は朝の七時」であることはいうまでもないが、まん中かつもっとも多数と思われる「野田佳彦を支え、党を割らない」ことを最重視する人たちともあまり合わない。旧立民結党時の思いを重視する人たちに一番親近感を持つけれども、それでも枝野幸男が自らを「宏池会」になぞらえていることは、社会民主主義的な思想があまりないことを意味するから、そこは買えない。でも肝心の「社会民主」を党名に冠する政党があろうことか「消費税減税」ばかり声高に叫んでおよそ社会民主主義政党とは思えない上、だいぶ前から国政政党要件ギリギリまで衰退し切っている。その状態になってからはずいぶん踏ん張ってはいるが、それも党から福島瑞穂が去った後も政党要件を維持し続けられる保証は全くない。だから困ったものではある。とりあえず少しはお互いの間で議論できるようになりつつあることだけは良いかもしれない。その論点としては、たとえば「立憲」を党名に冠し続けるかどうかなどが含まれる。

 あと先週末に注目したのは討論会ブログに投稿されたレバ子さんの下記記事だった。特に参政党を次世代の党と対比させている観点が秀逸だ。

 

free-discussion-in-time-of-chaos.hatenadiary.com

 

 特に注目したのは参政党に対する言及がある記事の後半部だった。以下に引用する。

 

 さて参政党のヘイトスピーチについて議論が始まっています。本当は何度かこの討論会のブログに更新したい事というか言いたい事もあったのですが、またの機会とします。かつてもう結構前の話になりますが、日本共産党系のナショナルセンター全労連の愛知県事務局員が極右、帝政派の平沼赳夫が結成した次世代の党に入党し、名古屋駅前で凱旋をし、明らかに外国人であるという風体の観光客を追いかけ回した風景を見たのは一度や二度ではないです。彼らにとって外国人は敵であり、大日本帝国を引きずるため「鬼畜米英」を地でいっていました。この当時、日本会議はそもそもこういう細かい事には口を出さず、街宣右翼すら回避するような行動を次世代の党は行い、実態は今で考えれば迷惑系というものでしょう。

 

 当時山本太郎参院議員もやってきました。もう10年になります。あるブログでは「山本は答えは簡単です。という言葉を使い物事を単純化する」と言っていましたが、当時名古屋駅近辺で仕事をしていた私は山本太郎はよく名古屋に来ていたし、しっかりと編集しないと山本の話は一本調子でつまらないなと思ったものです。もっとも次世代の党のように、ただずっと怒っていて解決策を一才言わない団体より彼の方がはるかにマシだと思いましたが、現在は••。それは今後答えが出る話で、私が言及するのはやめておきます。また彼が討論会の主人公になるかもしれません。

 

 少なくとも次世代の党は壊滅し、日本の極右はというより帝政派は、カビ臭いどころか朽ち果てたイデオロギーにしがみつき、普通選挙の洗礼を受けて、消滅しました。その後のことはnoteにいずれ書きたいと思いますが、難しい部分もありますね。いずれ予定は未定ですが。さて参政党について、私見を述べれば次世代の党と違う非自民極右であるため、彼らとは違う方法が必要です、神谷宗幣など代表、幹部は元自民党ですがその融通無碍で明確なイデオロギーを決めないため、というかこの国では新しい極右イデオロギーのため、彼らとは次世代の党と違う闘い方が必要です。私は対話を拒否する相手には対話に引き摺り出す、戦術が必要でありその行動は多少苛烈になる事は覚悟せねばならないと思います。参院選で、参政党の大きな弱点も露呈しましたが、これは自民党はおろか立憲民主党、タマキパーティにも同じ欠点があり、うまくやるには技術が必要で、いずれ発信できればいいと思います。

 

 極右は資本主義に対して懐疑的な集団です。そういう意味では次世代の党など単なる資本主義政党だったのです。参政党を打倒するには、近道は資本主義体制の修正かかつての福祉国家路線か新しく生まれたバーニー•サンダースの「民主社会主義」か復活するマルクスレーニン主義でしょう。中道保守、中道リベラルと自認する政治家は私はどんどん居場所が無くなると思います。中道というのは新自由主義の推進他ならないからです。新自由主義が終焉を迎えたとき、従来の保守派も左翼陣営も真贋が問われ、一部最左翼は極右と同調するでしょうね。目的は中道勢力の弱体化、極右、極右と同調しようとする最左翼との対決です。左翼と保守陣営が政策を競い、中小勢力においても議論が活発化したとき、初めて競争が生まれます。その上で私は保守派の財政規律主義はおおいに間違っていると思います。日本のバーニー•サンダースを求む。出現するはずです。極右の隆盛の最中、その反動は必ず起こる。

 

URL: https://free-discussion-in-time-of-chaos.hatenadiary.com/entry/2025/08/23/185229

 

 次世代の党など単なる資本主義政党(これは維新はもちろん、民民に対しても当てはまると思われる)に過ぎないのに対して、新しい極右である参政党は資本主義に懐疑的だ。それに対して中道勢力(これは野田佳彦代表下の立民に代表させることができると思われる)は新自由主義を推進する勢力にほかならない(だから支持されずに伸び悩む、あるいは衰退する)。

 これは極めて刺激的かつ説得力の高い見方だと思う。

 なぜ山本新選組は国民民主党と並行して支持層を急伸させていたのが、参政党が伸び始めると同時に急速にピークアウトして参政党に食われてあっという間に「衰退6党」の仲間入りしてしまったのかもこの観点から説明できる。新選組にも参政党と同じ傾向があったから伸びていたのに、やや性格が曖昧なところがあったから「右」の支持層を参政党に根こそぎ持っていかれたから、新選組の支持率が下がった。三春充希氏が唱えたような「警戒感が欠けていた」などという仮説では説明できない現象が起きたといえる。

 時間がきたので尻切れトンボになったが、今日はここまで。