読書ブログに下記記事を公開した。
下記産経記事が報じた件は番組が収録された時に周知されていたので知っていたが、一昨日(2/7)番組が放送されたらしい。
https://www.sankei.com/politics/news/190208/plt1902080005-n1.html
玉木、小沢両氏が橋下氏と共演 「ぜひ結集して」
合併を目指す国民民主党の玉木雄一郎、自由党の小沢一郎両代表は7日夜のインターネット番組で、日本維新の会前代表の橋下徹前大阪市長と共演した。小沢氏は、橋下氏を「全野党をまとめるリーダーだ」と評し、「ぜひ結集してほしい」と国政進出への期待感を示した。橋下氏は政界復帰の可能性を否定した。
最近では、「野党共闘」の軍師といえる「こたつぬこ」(木下ちがや)氏でさえ、小沢一郎の言動の一部に不快感を示すようになっている。以下いくつか氏のツイートを引用する、まず上記産経記事が書いたインターネット番組(「AbemaTV」。そういえば報道ステーションからこの番組に左遷されたテレビ朝日の小川彩佳アナウンサーが結婚を機に今年3月に同局を退職するらしい)での小沢と玉木の発言を日刊ゲンダイがいつにない「客観報道調」の記事で伝えた時*1のこたつぬこ氏のツイート。
自爆への道 https://t.co/Gw8v4mJZAp
— こたつぬこ (@sangituyama) February 1, 2019
マスメディアが行う世論調査でも、国民民主党と自由党が統一会派を組んだからと言って両党の政党支持率が上がった気配は全くない。
自由国民統一会派決定後でも、結局、国民民主党の支持率は1%程度しかない。小沢一郎氏の影響力が低下していることの証左だろう。この政党に選挙で期待するのは難しいと思うが、その反面、資金力があるので侮れない部分は否定できない。歪んだ現実ではないか。
— 神子島慶洋⊿ (@kgssazen) February 5, 2019
その通り。国民民主党の政党支持率はこのところ1%前後で動きがない(たまに小数点以下四捨五入で「0%」という数字が出ることもある)。また、自由党の政党支持率は概ね0.1%といったところだ。小沢一郎には周囲の人間を動かす能力はまだ残っているらしく、玉木雄一郎の動きなどはそれを示す好例だが、いかんせんこの国の有権者から見放されてしまっている。だからかつて「人気者」だった橋下徹(今どのくらい橋下が支持されているかは知らない)を担ごうとする。だがそれはいつか見た風景だ。
国民民主党と自由党の合流は橋下が出てきて、連合と小沢。。これ、民進党と希望の党の合流と全く同じ話じゃないの。橋下を歓迎する国民民主党の議員達は、当時と同じようにはしゃいでる。国民民主党。。消えるぞ。。
— Kam-ma-lay (@Kam_ma_lay) February 3, 2019
そう、「希望の党」設立劇の二番煎じだ。あれは一度目も「悲劇」とは言い難く、あれ自体が「笑劇」だったと思うが、それをさらに繰り返そうとしている。2党合わせても政党支持率1%の不人気政党のリーダーたちの誘いに橋下が乗るはずがないのだが、2人の党首にはその自覚の持ち合わせすらないようだ。
今回の民民と自由の統一会派結成や小沢一郎の言動を見ていると、一昨年の「希望の党」設立劇に小沢が深く関わったに違いないという心証はますます強まる。小沢の関与はまず絶対に間違いなかった。小池百合子に切られて帰ってきた小沢を許した「市民連合」や共産党が間違っていたのだ。
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昨年の終わり頃、2019年度予算の規模が拡大すると報道に接して、ああ、景気が悪くなってきたんだなあと思った。そうこうしているうちに毎月勤労統計の不正問題が発覚し、それも2004年だったかの当初には単なる間違いだったのが、昨年1月からはどうやら意図的な改竄があって、いわゆるなんとかノミクス(読者の方はよくご存知と思うが、この日記ではその通称を禁句にしている)の効果を誇大表示していたのではないかとの疑惑が浮上している。
それらはもちろん言語道断の論外なのだが、問題はそれに対して安倍政権の財政政策を「バラマキ」として批判する言説が反政権側から出てきているのが目立つことだ。
特に、旧民主・民進支持系の人たちの間にそれは目立つ。たとえば、下記のツイートが多くの反安倍政権の人たちにリツイートされている。
山本太郎さんの「安倍政権は緊縮財政」にたいして、麻生さんは「緊縮財政ではない」と言いましたよね。そこはウソではないとおもう。毎年、国家予算は増大していくし。前川喜平さんがよく言う国家主義と新自由主義が補完しあった形態というのがしっくり来ると思うな。
— 憲法かえるのやだネット長野 (@yadanetnagano) February 1, 2019
安倍政権が国家主義と新自由主義のハイブリッドだというのは私もその通りだと思うが、緊縮財政とはその新自由主義の立場を代表する財政政策だ。そんなことは「きほんの『き』」だと思うのだが違うだろうか。そして、安倍政権の財政政策は「お友達」と軍事と原発に対してはバラマキだが、それ以外に対しては緊縮といえる、そう私は認識している。
上記ツイートが引用されたツイートには、いただけないものが多い。たとえば下記のツイート。
安倍政権が緊縮財政なんて山本太郎が言ってるの?何を勘違いしてるのやら。放漫経営に決まってるでしょ。金融緩和は緩みっぱなしだし国の負債はどんどん増えている。とんでもない間違い。頭おかしい。 https://t.co/lDil00qJAu
— 杉浦迪也(枝野幸男を総理大臣へ) (@michiya1947) February 1, 2019
これは安倍政権の経済政策を「バラマキ」として批判する、典型的な経済右派側からの批判だが、こういうツイートが「枝野幸男を総理大臣へ」という人が発していることには頭が痛い。
上記ツイートを引用を受けて発信されたとみられるある人のツイートを3件挙げる。
社会保障削ったら緊縮、あるいは公共事業を削ったら緊縮と決めつける人がいるが、一般会計全体でみなければ分からないだろうに。緊縮財政というのは財政健全化が目的なのだから、個別の政策で費用を削減したからといって、必ずしも緊縮にはならないはずだ。この言葉が乱用されているように感じる。
— 神子島慶洋⊿ (@kgssazen) February 1, 2019
こういう言い方で財政規模の拡大全般を批判すると、その当然の帰結として、社会保障も公共事業も縮小され、人々の暮らしは悪くなる。
この朝日新聞の記事に、「金融緩和や借金頼みの財政出動を続けた」という文章があるが、これがここ最近の日本政府が行ってきた経済政策の大まかな傾向だろう。山本太郎のいうような「緊縮」であるはずがないし、言葉の使い方を間違えているのではないか。 pic.twitter.com/xWfK62VsDl
— 神子島慶洋⊿ (@kgssazen) February 2, 2019
朝日新聞は昔から緊縮財政指向の「経済右派」の新聞として悪名高い。
最近、城山三郎の『男子の本懐』を読んだが、この作品で描かれている戦前の濱口雄幸政権の政策は、まさしく緊縮財政だろう。井上準之助を蔵相に迎えてこれを断行したが、浜口も井上も狙撃された。ロンドン軍縮条約の統帥権干犯問題も一因とはいえ、緊縮財政が目の敵にされたのは、現在と同じだ。 pic.twitter.com/RMzuQ0PKds
— 神子島慶洋⊿ (@kgssazen) February 2, 2019
大恐慌の時代に政権を担った立憲民政党の浜口雄幸内閣が緊縮財政政策をとったことは、誰もが指摘する経済失政だと思うのだけれど。近年でも、不況時に緊縮をやろうとして大失敗し、参院選に惨敗して退陣に追い込まれたのが1996年から2年間政権を担った橋本竜太郎内閣だった。
上記3件のツイートを発した人は政治思想的には括弧がつかないリベラル派だし、この人が小沢一郎やその一派を批判するツイートには共感することも少なくないのだが、この人の経済政策に対する認識は正直言っていただけない。
特に浜口雄幸に対する指摘で思ったのだが、こういう人にこそ坂野潤治の諸著作を読んでもらいたいものだと思う。
以下引用する。
近代日本の構造 同盟と格差 坂野潤治 著
[評者]成田龍一(日本女子大教授)
歴史の描き方には、出来事の「過程」を叙述する手法と社会の「構造」を提示する方法とがある。著者はこれまでいくつもの歴史シリーズで「過程」を叙述してきたが、近年は「構造」的な分析に集中してきた。そして本書では、ついにその構えをタイトルとするに至った。外交と内政を柱に、「日英同盟」か「日中親善」か、「民力休養」か「格差是正」かという「基本対立軸の設定」によって近代日本の再考察をおこなう。
従来、外交の主流は「欧化主義」であり、日英関係が日本外交の基軸であった。しかし、日英同盟的なものへの不満が伏流としてあり続けたことを、著者は言う。欧米列強の侵略から中国を守れ、というアジア主義的な主張で、それは日本のナショナリズムのかたちでもある。この観点から、日中戦争は中国南部を勢力圏とする英国との戦争であるとの見解が示される。
他方、内政では、政府側の「富国強兵」「積極主義」の政策に対し、リベラル派が「政費節減」(小さな政府)によって対抗する。この対立構造は、欧米では一九三〇年前後にリベラル派が「大きな政府」を主張し姿を変えたが、日本では変化しないという。
こうした構造分析により、浜口雄幸(おさち)の民政党内閣がひとつの焦点となる。戦前日本でもっとも平和主義的であり民主主義的であった内閣ですら「格差」や「再分配」に無関心であり、失業問題に手を付けなかった。また、一八八〇年代末期の大同団結運動が強調され、あるいは吉野作造が「社会的」な格差是正の必要(「社会政策」論)を唱えた社会民主主義者として再評価されるなど、著者は歴史事象にあらたな光を当てる。
日中戦争期までを対象として、近代日本の軌跡を構造的に記すことにより、二〇一〇年代の現在の日本の「比較の対象になる前例」が提示される。これまでの著作と重なる叙述もあるが、それでも著者が倦(う)むことなく再解釈を提示するのは、<いま>への危機意識のためであろう。
(講談社現代新書・950円)
東京大名誉教授。著書『帝国と立憲』『<階級>の日本近代史』など。
◆もう1冊
ただ、 『近代日本の構造』はややとっつきが悪いかもしれない。私のイチ推しは2012年に刊行された『日本近代史』だ。「崩壊の時代」はこの本に書かれている。
坂野潤治が指摘する、リベラル派が「小さな政府」を主張する傾向が欧米では1930年代に改められたのに日本では未だに改まっていないことが、2000年代に小泉純一郎政権を長期化させ、今の安倍政権の命脈を長らえさせている大きな要因だと私は信じて疑わない。
上記リンクから引用する。
(前略)さらに、「ともに小沢一郎に魅入られた本多勝一と日本共産党の共通点として、「反米愛国」が挙げられる」とも。「反米愛国」*4というスローガンはたしか、まだ中国共産党(毛沢東主義)の影響力が強かった頃の日本共産党によって唱えられ、その後というか日共の脱中国化に伴って、(連合赤軍の一翼を担った)「革命左派」を初めとする毛沢東主義の潮流において保持されてきた筈(だからといって、共産党がそれを捨てたとは思わない)。岡留さんは元々構造改革派の共産主義労働者党*5の人だったわけで、「反米愛国」とは対立していた筈。非毛沢東主義の新左翼として出発した人が日本共産党的な「反米愛国」に回帰してどうするんだよとは思う。
上記引用文のうち、「ともに小沢一郎に魅入られた本多勝一と日本共産党の共通点として、「反米愛国」が挙げられる」の部分は私が書いた文章の引用。
本多勝一は高校生の頃によく読んだけれども、本多は毛沢東に心酔する一方、ソ連に対しては「侵略的な性格をむき出しにした国」と批判していたと記憶する。のちに、たぶん今世紀に入ってからだと思うけれども、本多が共産党幹部の誰かと対談した時、共産党の「全千島返還論」を褒め称えて愛国者ぶりをアピールしていたこともあった。
そんな本多が小沢一郎と意気投合したのはまあわからなくもないが、岡留安則の場合は転向が急だった。手元に佐高信との共著『100人のバカ』(七つ森書館,2007)があるのだけど、その本では岡留も佐高も小沢に対して一定の批判的な立場をとっていた。
しかし、岡留安則が新左翼上がりだとは知っていましたが、新左翼の諸派の思想にはまるで疎いもので、「非毛沢東主義」とは知りませんでした。じゃあ毛沢東にかぶれていたらしい坂本龍一や高橋悠治とは対立する立場だったってことか。
その岡留が2009年末には小沢一郎と鳩山由紀夫を絶賛してたのだから、あの当時、われもわれもと「政権交代」信者になった人たちがいかに多かったかという一例なのだろう。
著名人ではないけれども私が忘れられないのは、当時メルマガで「共産党、共産党」と連呼していた「共産党信者」の人間が、突如として「小沢信者」に転向したことだ。これには呆気にとられた。今にして思えば、そういう御仁までもが小沢に靡いた時こそ、小沢の「終わりの始まり」だった。
現在、「次の元号は何になると思うか」なる馬鹿げた調査をメディアが行ったら、1位と2位が「安」がつく元号だったりするが(面倒臭いから引用しないけどNHKニュースだ)、このように多くの人間が「安倍へ、安倍へ」と雪崩を打っている時期も、あと数年経ったら「政権交代」前後と同じような群集心理が働いた時代だった、と振り返られることになるのではないか。
これはその通りです。あの当時、『噂の真相』と『週刊金曜日』を両方立ち読みして喧嘩を眺めていました。当時の私は、どちらかといえば本多勝一に対して悪い心証を持ちましたが、岡留安則に全面的に肩入れする気にもならなかったのでした。