kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

1980年の衆参同日選挙で「中立・自衛」を唱えていた日本共産党

 ネットで面白いツイートを見かけた。それを紹介する前に、そのツイートが槍玉に挙げた、どうやら「御用人士」であるらしい人間が発したツイートを最初に挙げる。これ自体はごくつまらないものだ。

 

 

 この加藤清隆なる政治評論家の名前を私は知らなかったが、2010年に時事通信田崎史郎の後任として解説委員長に就任した人物らしい。2012年に定年になって「特別解説委員」という名誉職に就いていたが、2014年に慰安婦問題で朝日新聞を攻撃するために退社し、現在は拓殖大学客員教授を務めるという、絵に描いたような右翼人士だ。

 上記加藤のツイートには、野坂参三なんていつの話だよ、という突っ込みが多数入ったが、旧民主・民進クラスタの「軍畑先輩」氏が別の視点から下記の突っ込みのツイートを発した。

 

 

 上記ツイートには2つの画像が貼り付けられているが、右の画像は1980年6月18日付朝日新聞に掲載された日本共産党の広告で、その4日後に投票が行われた衆参同日選挙のための候補者の宣伝だ。また左の画像は、記事の内容や別の記事に「大平内閣」という文言があることから、1980年5月25日付朝日新聞に掲載された記事と推測される。

 後者の記事には下記の見出しがついている。

 

自衛措置検討盛る

共産が発表 「民主連合政府綱領」現代版

憲法改正論議も辞さず

 

 さらに記事のリード部分に続く本文には、

 共産党は、これまで「中立・自衛」を基本政策としており、今回の選挙政策でも「最小限の自衛措置をもつことを展望し将来、国民の合意による法制的措置をとる」と明言している。

と書かれている。

 記事も指摘しているが、これは1980年以前には非武装・中立を党是とする社会党との連携を考慮して自衛措置の議論を棚上げにしていたが、1980年1月に「社公合意」が成立して社会党が「社公民路線」に舵を切ったために共産党がもともとの主張を前面に打ち出したものだ。

 この記事にはうっすらと見覚えがあった。だから懐かしいなとも思ったが、何も日本国憲法の成立時に遡らなくとも、1980年の時点では共産党が「改憲政党」だったという事実を「軍畑先輩」氏は突きつけたものだ。

 

 上記ツイートへの反応も面白い。

 

 

 

 

 まあ今でも共産党の「全千島返還」や香港デモへの連帯感表明などに見られる姿勢は40年前と変わっていないと思わせるが、当時と違うのは小沢一郎や旧民主・民進などの「右側」への配慮が目立つことだろうか。

 最近の共産党の「右転落」は大問題だが、昔の「中立・自衛」については議論の余地があるのではないか。保守側から出された別の案として、南原繁石橋湛山による国連警察への参加の議論も歴史的にはあった。ただ、南原繁はそれを唱えながらも憲法9条2項の改定には反対していた。そのことについては4年前に書いた。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 昔の共産党が唱えた「中立・自衛」か、それとも南原・石橋の「国連警察への参加」か、はたまた昔の社会党の「非武装中立」かという議論は今でもされて然るべきではないかと私は考えるのだが、問題は共産党が過去の自党のありようを「黒歴史」にしたがる傾向が強いことだ。これは「民主集中制」の弊害だろう。

 

 

 9条以外についても、共産党が「脱原発政党」に転換したのが東電原発事故後の2011年になってからであって、原発事故直後には「直ちに原発ゼロというのは現実的ではない」と言っていたのが世論を受けて短期間で「直ちに原発ゼロ」に政策を転換したという例もあるし、少し前にこの日記で取り上げた通り、70年代には同性愛をブルジョアの堕落と断じていた例もある(この弊害は社会党にもあった)。

 また、共産党はプロレタリア作家に「社会主義リアリズム」を強いるという、スターリンと同じこともやっていたらしいのだが、これについてはこのあとに書いて公開する読書ブログの記事に譲ることにして、この記事はここで終わりにする。

長島昭久が自民党入党へ

 特に驚くようなニュースではないが、長島昭久自民党に入党するらしい。

 

https://www.jiji.com/jc/article?k=2019062101398&g=pol

 

長島元防衛副大臣、自民入党へ

2019年06月21日22時46分

 

 旧民主党政権で防衛副大臣首相補佐官を務めた長島昭久衆院議員が、自民党入りすることが21日、分かった。来週、二階俊博幹事長に入党を申請する。党幹部が明らかにした。
 長島氏は東京21区選出で当選6回。現在は無所属で、衆院会派「未来日本」を結成している。同選挙区は自民現職と競合するが、長島氏は「比例代表でもどこでも結構だ」と、国替えを受け入れる考えを伝えているという。

 

時事通信より)

 

 あの「面舵いっぱい」からもう13年になるのか。 

 

 以下、上記ブログ記事から一部を引用する。

 

(前略)ここは、潔くこれまでの野党共闘路線は失敗であったことを率直に認め、大きく路線転換を図るべきだ。このまま、針路を変えずに参院選挙へ突っ込んで行くのを看過するわけには行かない。

先週の国会混乱の中、「審議を尽くすべし」と叫び、断腸の思いで採決を欠席した。
簡単に復帰するのはいかにも格好悪い、と笑われるかもしれない。(何を条件に審議復帰するか、それこそ国対の知恵の見せ所だ。あまり詳細に書けないが、すでに水面下の交渉が始まっている。)

「簡単に起きるな!」左の耳に悪魔のささやきが。
しかし、有権者の叫びは、右耳に響く。
「面舵いっぱい!」
そうだ、左へ左へ流された『民主党丸』の針路を思いっきり右へ戻さねばならないのだ。
急激な進路変更に、船は軋み、横波が甲板に叩きつけられ、舵を持つ手が震えるだろう。いつものようにマスメディアがあざ笑うだろう。
それでも、勇気を持って面舵いっぱい針路を戻さねばならない。(後略)

 

出典:https://blog.goo.ne.jp/nagashima21/e/9f9e826a217ef40488e4908580340cd8 

 

 いつかこういう日がくるのではないかと当時から思っていたが、10年以上もの時間がかかった。長島としては、世襲王国の自民党では台頭できないから、民主党を右に寄せて「保守二大政党制」の一方の雄たらんとしたのだろうが、長島の右耳に響いた「有権者の叫び」は幻聴だった。そして、ついに自民党入りに追い込まれた。

山本太郎、「炎上」を繰り返したあげくに麻生太郎問責決議案の採決を「棄権」(呆)

 今週は過去10年では一度もなかったくらいに忙しくてすっかり疲労困憊してしまったが、時を同じくして山本太郎疲労困憊していたらしい。

 

ameblo.jp

 

 関連箇所を引用する。

 

(承前)

炎上のポイントは、

【政策の一部を実現するために、自民党と組む】

という部分。

 

この話の前提は、「選挙後」です。

選挙後に、政策を進めるためには手を組むこともあり得る、

という内容です。

 

政策ベースで手を組むことは、

院内の活動においては普通の話であり、全ての政党が、

政策を前に進めるために行っている仕事です。

 

「政策ベースで手を組む可能性」、について、アエラの記事ではまるで、

選挙前にも手を組むかのような印象を与えるものになっています。

 

アエラ記者の私への「振り」の部分も、

記者自身が「選挙後」と、ハッキリ前提にしています。

 

以下、取材時の音声です。

ご興味あればお聞き下さい。

 

http://www.taro-yamamoto.jp/wp-content/uploads/2019/06/AERA-190612_1705.mp3

 

お聞きいただいた通り、

インタビュアが「選挙後」と聞いているにも関わらず、

記事には選挙で手を組む、との印象を与える内容になっています。

非常に残念です。

 

 

とはいえ、こちらにも落ち度はあります。

原稿チェックを要求していましたが、

ほぼ完成原稿として短い時間での返信を求められていた結果、

疲労困憊のなかで、修正に力を注げず、

ほぼノーチェック状態で返してしまったことは、

反省すべきところです。

 

どのような取材であっても、必ず全編音声を録音しています。

今回はその一部を公開することで、

皆さんの疑問に答えられると思い、

このような形を取らせていただきました。

 

出典:https://ameblo.jp/yamamototaro1124/entry-12483648484.html

 

 当該アエラの記事は読んでいないが、「政策の一部を実現するために、自民党と組む」と言ったという山本太郎は、メンバーに極右人士が結集している観のある「日本経済復活の会」の会合に出席したり、国家社会主義者の三橋貴明と対談して意気投合したりと、このところ「右」へのアプローチを見せ始めていた。

 これは、山本太郎からというよりは、相手側からの働きかけがあった可能性が高いと思う。なぜなら、私のような零細ブロガーにも、2008年頃だったかと思うが「日本経済復活の会」へのお誘いがあったし、2010年にはブログ記事のコメント欄で三橋貴明らに言及した方がいたことを覚えているからだ。この記事を書くために「日本経済復活の会」のおさらいをしていたら、主宰者の小野盛司が2008年に刊行した『お金がなければ刷りなさい-米国が16兆円を刷って国民に配っているとき、日本は増税か!』(ナビ出版)という本のタイトルが目に入った。この書名には見覚えがある。今流行りの「MMT」(現代金融理論, modern monetary theory)とは、決して昨日今日言われ始めた新しい「理論」ではないのではないか。経済学の門外漢である私はそう疑っているのだが、いかがだろうか。

 それはともかく、昔から右翼が大嫌いな私は「日本経済復活の会」は敬遠したし、2010年の参院選自民党公認で立候補して惨敗した三橋貴明については、「信者」の宣伝とは全然違ってとんでもない泡沫候補だったんだなあと思った印象に強く残っている。

 しかし、2013年秋の園遊会で前天皇明仁に「直訴」した山本太郎は、「保守ど真ん中」を自称するだけあって右翼へのアレルギーの持ち合わせなど全くないらしく、安易に右翼にすり寄って批判を浴びた。

 それで動揺したのかどうか、山本太郎三橋貴明との講演会でのコラボをキャンセルしたという情報がある(詳細は確認できていない)。下記は「軍畑先輩」氏のツイート。

 

 

 こうした「『右』も『左』もない」勢力の罠にいとも簡単に引っかかる山本太郎のあり方を見ると、政治家としてあまりにも未熟であって、今回の「山本太郎バブル」もそれほど大きくならないうちに弾けてしまうのではないか。2,3日前からそう思うようになった。

 それとともに、山本太郎が主宰する元号政治団体に2億円近い寄付があったという話は本当だろうか、粉飾があるのではないだろうかと、これは昨日(21日)朝くらいから疑い始めた。帰宅後、共産党系の政治学者とされるこたつぬこ(木下ちがや)氏が下記のツイートを発信していたことを知って、誰でも同じことを考えるんだなと思った。

 

 

 

 前記「軍畑先輩」氏*1も疑念を呈している。

 

 

 

 もちろん実際に寄付した人もいるが、山本太郎はそういう人たちからの怒りも買っているようだ。

 

 

 私も今週は仕事で過熱気味で、その悪影響がずいぶん出て失敗をだいぶやってしまったのだが、山本太郎は昨日、決定的な大失敗をやらかした。参議院で野党が共同で提出した予算委員長(金子原二郎)と財務大臣麻生太郎)の問責決議案の採決を棄権したのだ。

 

ameblo.jp

 

 上記記事の中で山本太郎は、月曜日(24日)に行われる予定の安倍晋三に対する問責決議案の採決をも棄権すると公言している。

 

月曜には総理の問責という儀式が行われる。
私はその儀式もパスする。
本気で引きずり下ろす気がない戦いには与しない。

 

出典:https://ameblo.jp/yamamototaro1124/entry-12484345740.html

 

 ここで山本はまた「本気」という言葉を使っている。先般行われた衆院大阪12区においては、宮本岳志陣営内で「本気度」を競う内向きの馬鹿げた議論が散々交わされ、その結果お膝元の共産党支持層の4分の1もの票を失って供託金没収の大惨敗を喫したことは記憶に新しい。「本気」というのは、言わば「負けの合言葉」のようなものだと私は考えているが、山本はそれを使い続けるのだ。自ら「負けフラグ」を立てているに等しい。

 今回の山本の棄権には各方面から非難が殺到したが、その中でももっとも痛烈な批判だと感心したのは、「読む国会」のブログ主氏のツイートだった。

 

 

 もう一件、他の方が発信した下記のツイートも挙げておく。

 

 

 こちらでは、「もっと真剣になってほしいものだ」と論評されている。

 

 たまたま私は昨日朝、某所で下記のように呟いていたのだった。

 

ま、彼は役者だから演技はお手のものなんだけど、残念ながら彼は三文役者なんだな。1996年の『ふたりっこ』の頃から全然買えなかった。 

 

 改めて思う。山本太郎の一連のパフォーマンスは「演技」だよ。山本の好きな、そして私の嫌いな言い方をあえて用いれば、山本は「本気」じゃない。そう確信する。

 

 しかし、まだ蓮池透しか参院選予定候補者が決まっていない段階で山本太郎自身がオーバーヒートしたあげくに演じた数々の「炎上」劇は、たとえ「寄付」が山本陣営が喧伝する金額に達していたとしても、間違いなく今後の候補者選定に支障を及ぼす「イタい」ものだ。これでは、山本が一度は門前払いした小林興起だの天木直人だの黒川敦彦だの、はたまた三宅洋平くらいしか立てられないのではないか。いや、有力どころでは脈があるかもしれない人間がもう一人だけいる。前回の参院選で「おおさか維新の会」から立候補した田中康夫だ。奴なら山本太郎と同じ民族主義系右派色も強いし、元号政治団体から出てくれるかもしれないと思う今日この頃だ。

*1:この人は旧民主・民進支持系で、現在は立憲民主党・国民民主党両党、それに野田佳彦の「社会保障を立て直す国民会議」にほぼ等距離で接しているとみられる。

3つの醜悪:籠池泰典と握手した宮本岳志、香港応援デモで日の丸振り回す右翼、香港デモに「CIA陰謀論」を流す「リベラル・左派」

 最近の「リベラル・左派・左翼」の頽廃と堕落を示す件を3件挙げておく。

 

 まず、籠池泰典と「握手」するという「悪手」に走った宮本岳志

 

www.nikkan-gendai.com

 

「きのうの敵はきょうの友やね」籠池氏“森友急先鋒”と握手

公開日: 更新日:
 
 保守と革新の2人が、思想信条を乗り越え固い握手を交わした。13日、大阪市で行われた東京新聞の望月衣塑子記者のトークショーでのこと。サプライズゲストとして登壇したのは籠池泰典氏。言わずと知れた森友学園の前理事長だ。
 


「どうも日本はマズいことになっています。75年ほど前、大東亜戦争のような統制の世になってきている。歴史は繰り返します」

「皆さん、安倍首相にだまされてはいけませんよ。まあ、最初にだまされたのは僕やけどね(爆笑)」
 

 ここで、もうひとりのサプライズゲストが登場。共産党宮本岳志衆院議員だ。森友事件追及の急先鋒に立ち、国会の証人喚問で籠池氏を問いただしたこともあるが、こうして会うのはこれが初めてだ。思想的に対極にあった2人が壇上で手を取り合った。

「この方と握手する日が来るとは思ってもいませんでした」(宮本岳志氏)

「きのうの敵はきょうの友やね」(籠池泰典氏)

 このツーショット、今後もどこかで見られるかもしれない。

大阪日日新聞・元NHK記者=相澤冬樹)
 
日刊ゲンダイより)

 

 衆院大阪12区で宮本岳志が供託金没収の大惨敗を喫した理由がよくわかる。宮本に限らず、望月衣塑子だの相澤冬樹だの日刊ゲンダイだののダメさ加減も改めて示された、「ホニャララホイホイ」のような一件といえようか。
 それにしても、共産党の堕落はもはや行き着くところまで行った。
 
 あとの2つはいずれも香港デモに関する件で、一つは前にも触れたが産経新聞ネトウヨなど日本の右翼が「敵の敵は味方」の論法から、勝手に「香港ナショナリズム」をでっち上げたこと。元SEALD'sの人間が壇上に立った集会で日の丸を振り回した人間など、何を考えているのかと思う。香港デモで一躍時の人となった周庭氏が下記の認識を持っていることを指摘しておく。今年1月6日の発信。
 

 

 これは、前にも引用した下記のツイートに対する、福島香織なる元産経の極右の突っ込みに答えたツイートだ。付言すると、上記のツイートにはネトウヨによる醜悪な反応が何件か確認できる。

 

 

 もう一つは、逆側からの醜悪な反応で、香港デモはCIAが糸を引いている、などとする、「小沢信者」界隈あたりから出たのではないかと想像される陰謀論だ。最初にこの手のツイートを見たときには吐き気を催した。そりゃ産経や幸福の科学をはじめとする日本の右翼が利用しようとしたのと同じく、アメリカも利用したいだろうよとは思うが、悪いのは利用する側であってされる側ではない。ましてやCIAがデモを主導しているかのような印象操作に走る日本の「リベラル・左派」の腐臭には嫌悪以外の何も感じない。

 下記の2件のツイートが全面的に正しい。

 

 

 

 ここで非難されている「CIAガー」云々と喧伝する連中は「左翼」というよりは「小沢信者」界隈に多いような気がするのだがどうか。仮に「小沢信者」でなかったとしても、オザシンと同類の思考回路を持つ人間の言説だとは間違いなく言える。

階猛インタビュー(「Web論座」)に見る「小沢一派」崩壊過程の証言が興味深い

 右派政治家である岩手の階猛には全く関心がなかったのだが、ある人のツイートで論評されていたのでざっと読んでみた。特にその前半部分はなかなか興味深い。朝日新聞社の「Web論座」の無料記事。

https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019060500003.html

 

 以下抜粋して引用する。

 

 自由党は基本的に、国民民主党の政策を丸のみするという。すべて国民民主党の政策に合わせると言う。だとすれば、自由党脱原発などの政策実行を期待し、支持をしていた人たちの民意はどうなるのか? そのような人たちは、逆に選択肢を失うことになるのではないか?

 私は、このような理念なき離合集散の繰り返しが、政治不信を引き起こしてきたのだと思う。そして、「希望の党」から「国民民主党」へのプロセスに支持が集まらず、野党への不信感を大きくした最大の要因ではないかと思う。

 

出典:https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019060500003.html?page=1

 

 この旧自由党批判には理がある。その通りだろう。

 

小沢一郎の政治スタイルへの疑問

 国民民主党自由党の合流の背景には、「数こそ力」という小沢一郎氏の政治スタイルがあるのだろう。

 小沢氏は選挙に向けてわかりやすい構図を作り、単純化を進めることで、新たな政局を生み出してきた。そのまとまりが賞味期限を迎えたら、今度は政党の解体に動き、そしてまた新党を作る。目新しさに飛びつく心理を利用したポピュリズムを駆使し、瞬間的な熱狂を生み出す。

 私には、このような政治こそが政治不信を生んできたのではないかという思いがある。

 

出典:https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019060500003.html?page=2

 

 この主張にも納得できる。私がこれにつけ加えたいと思うのは、「選挙に向けてわかりやすい構図を作り、単純化を進めることで、新たな政局を生み出」す手法は、某元号政治団体を主宰する山本太郎にそっくり受け継がれているということだ。私は山本が主張する経済政策に決して反対ではないどころか、むしろ「強い賛成」に近いが、山本の政治スタイルを強く懸念するし、既に小沢一郎にはついていけなくなった有権者がどれだけ山本太郎についていけるかどうかはわからない。(山本にとって)最悪の場合は、2012年衆院選での日本未来の党の失敗の繰り返し、つまり山本本人とせいぜい蓮池透をつけ加えたくらいの惨敗に終わる可能性がある。しかしこんなことを偉そうに書く私自身も、日本未来の党の惨敗は予測できたが、同様のポピュリズム的な風を頼みにした2017年の立憲民主党の躍進は全く予測できなかった。だから山本太郎元号政治団体が惨敗するか躍進するか、それともぼちぼちの結果に終わるかは全く予測できない。

 階猛のインタビュー記事からの引用に戻る。

 

決別の時

 しかし、小沢氏との間に心の距離ができる出来事が生じる。それは東日本大震災の際の行動についてだった。

 小沢氏と私は岩手を選挙区としている。ふるさと岩手が大打撃を受けたことで、私はその対応と復旧・復興に追われる日々を過ごすことになった。

 過酷な状況に直面したのは、同じ民主党選出の黄川田徹衆議院議員だった。黄川田氏の自宅は陸前高田市にあり、自宅・事務所が全壊して津波で流された。さらに、妻とその両親、長男、公設第2秘書が亡くなった。そんな状況にもかかわらず、黄川田氏は懸命に被災地のために奔走し、寝食を惜しんで活動した。

 しかし、小沢氏の動きは鈍かった。みんなが被災地に来てほしいと要望しても、動かなった。しびれを切らした黄川田氏が、小沢氏が被災地を訪問しないことについてメディアの取材に応じ、コメントを行うと、小沢氏は岩手県連で黄川田氏を処分しようとした。

 私はこれに異議を唱えた。あまりにも理不尽で、ひどいと思ったからだ。黄川田氏の心境を考えると、いたたまれなかった。小沢氏の被災地への冷淡な態度を、どうしても理解することができなかった。

 ここで距離ができた。小沢氏に対する心の絆が、途切れてしまった。

 次は、消費税増税をめぐる小沢グループの離党プロセスで、諍いになった。私は消費税増税には反対だったが、離党することにも反対だった。政権交代可能な政治体制を確立することを目指して私は民主党に入った。小沢氏をはじめ先輩方の大変な努力で政権交代を実現したのに、離党すれば民主党政権の危機を拡大させる。政権交代可能な政治体制は壊れ、国民の期待を裏切るだけだと思った。

 「離党だけはやめてほしい」と強く迫った。しかし、「文句は言うな」「だまってついてこい」という態度で、あとは厳しい言葉を浴びせられた。

 もう駄目だと思った。歩む道が違ってしまったと思った。

 「民主主義は数」「数は力」と言い続けてきた小沢氏が、その言葉とは全く逆の行動に出ることのおかしさ。自分の言い分が通らなくなると、せっかくまとまってきた党の仲間を裏切り、党を瓦解の方向に導こうとするご都合主義に、もうついていけないと思った。

 ここで私は小沢氏と決別することになった。

 結局、小沢グループの離脱という内部分裂が露わになったとき、民主党政権の崩壊は決定的になった。

 

出典:https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019060500003.html?page=3

 

 この部分は長く引用した。「小沢一派」崩壊の核心部に関する、当事者の告白だからだ。

 黄川田徹の一件はよく覚えている。階猛と同様にかなりタカ派色の強い保守政治家*1である黄川田氏に対しても、その主義主張に私は賛成ではないが、あの東日本大震災の時の小沢の仕打ちはひどかった。あの時の小沢の頭には「菅降ろし」しかなく、周囲の人間すべてに自らの「菅降ろし」への協力を強制していたのだった。だからそれに従わなかった黄川田氏*2を切りにかかり、当然のごとく黄川田氏の方も自ら小沢から離反していった。

 私は、2010年春の鳩山由紀夫による「辺野古現行案回帰」とそれに伴う無責任な政権投げ出し、同年6月の菅直人による「消費税増税発言」とそれに伴う翌月の参院選敗北、それに前記の小沢一郎による東日本大震災・東電原発事故直後の「菅降ろし」の3つが、民主党トロイカ3人による「民主党政権三悪」であって、これらが原因で民主党政権及び民主党そのものが崩壊したと考えているが、前記「三悪」の中でもとりわけ有権者に与えた悪印象が飛び抜けて強かったのが、東日本大震災や東電原発事故への対応をそっちのけにした小沢一郎の「菅降ろし」だったと考えている。この時に、当の東日本大震災で身内から多くの犠牲者を出した黄川田徹の離反を招き、そこから「小沢軍団」が崩壊していったのは当然だった。

 引用文中後半の「小沢一派」の離党劇については、「新党きづな」の立ち上げによって一派から多くの離党者を出してしまった小沢が、無能な手下に足を引っ張られた形で集団離党に追い込まれたものであって、決して小沢の本意ではなかったと思う。あの集団離党と新党結成が、小沢自身が作り上げた衆院選小選挙区制によって惨敗を招くことを予想できなかったほど小沢が馬鹿だったとは、大の小沢批判者を自認する私にも到底思えない。

 インタビュー記事は上記の部分のあとに、2012年衆院選での日本未来の党の惨敗、そのあと階猛細野豪志を支えようとして失敗した話、最後に「新時代いわて」なる、山本太郎の某元号政治団体を連想せずにはいられない「政治塾」を立ち上げての抱負などが続くが、それらには残念ながら興味がないので引用はしない。

 

 最初に触れた、階猛インタビューを論評したツイートは下記。3件の連投ツイートだが、2件目と3件目を以下に示す(1件目も2件目のツイートに引用されている)。

 

 

 

 小沢一郎山本太郎を信奉する人たちについては、別の共産党支持者が下記のツイートを発しているが、この人は日本共産党執行部は批判しないようだ。

 

 

 もっとも、最近は小沢一郎に対してはともかく、山本太郎に対しては「野党共闘」のイデオローグたちの間から戸惑いや懸念が表明されることが増えているから、水面下での山本太郎との連携*3を薄々と感じさせる小沢一郎共産党との関係も、今後もこのまま続くかどうかはわからない。もっとも小沢には政治生命も残り少ないはずだから、当面大きな変化がなくとも、いずれ時間が解決するのかもしれない。

*1:そもそも小沢一派にはそういうスタンスの政治家が多い。小沢一郎のもともとの主義主張に近い人たちが集まったからだろう。

*2:身内から大勢の犠牲者を出した黄川田氏にとっては「菅降ろし」どころではないことに思いを致すことすら小沢にはできなかった。これこそ「権力者の性」というものだ。

*3:それはもしかしたら阿吽の呼吸でやっているだけで、面会や電話、メールなどでの連絡ではないのかもしれないが。

「年齢」と「年令」などなど

 そういえば「正油」なんて表記は久しく見た記憶がない。

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

 1980年に上京する前の関西在住時代には見たような記憶もあるが、もちろん関西の風習でも何でもなく、昔よくあった「闘争」を「斗争」と表記したのと同じような適当な当て字だろうとは思った。検索語「正油」でネット検索をかけると大修館書店のサイト「漢字文化資料館」に下記が記載されていた。。

 

kanjibunka.com

 

 以下引用。

 

中田祝夫『日本の漢字』(日本語の世界4、中央公論社、1982年。現在は中公文庫)に、「正油あります」と書いてある張り紙を見てびっくりした、という話が載っています。この本が書かれた1980年代の初めには、「正油」という書き方が存在していたわけですが、国語学者が見て「びっくり」するようなものでもあったのでしょう。
この経験から、中田先生は「はたして日本人の何パーセントが「醤」の字の意味を理解しているだろうか」とお考えになり、次のように記されています。

「醤」の字義が判らないとなると、「醤油」という文字は、ただ「酢」「酒」「ビール」などと区別するための綴字ということになる。だが、「しょうゆ」を他の食品や調味料と区別するための綴字ということだけなら、人びとは何もこんな難しい「醤油」の綴字を使わなくても区別できるという考えに到達するはずである。そこで、判りさえすればよいので、「正油あります」というふうなビラができたりする。

それから10年ほどが過ぎた1993年、ちょっと話題になったキッコーマンのコマーシャルがありました。女優の安田成美さん扮する妻が、パックの「しょうゆ」を小瓶に移し換えながら、ふと、夫に向かって「ねえ、「しょうゆ」って漢字、書ける?」と尋ねるコマーシャルです。
ここでどう答えるのが、夫としては正解なのか?おそらく、何も言わずに妻を抱きしめる、というのが最高なのでしょうが、まかり間違って「正油」と答えてしまったとしたら、雰囲気はぶち壊し。三くだり半を突きつけられても文句は言えないかもしれません。つまり、「判りさえすればよい」ではすまされない場面も、人生には多々あるというわけです。
それからさらに10年以上が過ぎ、現在では、スーパーのチラシやラーメン店の看板などに、「正油」という書き方がよく見られるようになりました。男女を問わず、「醤油」が書ける人はますます少なくなりつつあるのでしょうか。
もっとも、漢字が書けることと異性に対する魅力があることとは、全く別の能力であるとは思いますが……。

 

出典:http://kanjibunka.com/kanji-faq/old-faq/q0428/

 

 赤字ボールドの部分には「ええっ」と思った。

 上記の文章には、「2008 年以前の古い記事のため、ご留意ください。」との断り書きが書かれている。上記の文章が書かれた頃、どこかのスーパーのチラシやラーメン屋の看板で、一時的に「正油」という表記が復活したことがあったのだろうか。

 以下が本論というか、上記の話題から連想したこと。まず前述の「斗争」については、下記リンクを参照して、もしかしたら中国の簡体字がルーツなのではないかと思った。

 

crd.ndl.go.jp

 

 以下引用。

 

・中国簡体字ハンドブック ビジネスマン・旅行者必携 近代書道研究所/編 岳陽舎 2007.8
  ※「第1章 簡体字字典」の「4画」のp.4「斗」あり。
   「第3章 音訓から引く簡体字」のp.121「たたかう」に「闘-斗」、p.125「トウ」に「闘-斗」あり。

 

・(早わかり)中国簡体字 遠藤紹徳/著 国書刊行会 1986.5
  ※巻末「付表一 中国の略字と日本の常用漢字の対照表」p.2に中国の簡化字(略字):斗、日本の常用漢字:闘 あり。
    巻末「付表二 常用漢字・中国略字対照表」p.27に日本の常用漢字:闘、中国の漢字:斗 あり。

 

・日中十書体字典 中国簡体字を含む 関鷺峰/著 マール社 1987.2
  P.209「闘」の項の[中国常用]として、「斗」とあり。

 

 それから、以下が本当の本論だが、「斗争」とともに連想したのが「『年齢』と『年令』、それに「『歳』と『才』」の2つの異表記だった。特に前者は、最近とみに大嫌いになったある漢字にかかわる件なので、強く調べてみたいという気になった。その結果、「正油」と同じ大修館書店の「漢字文化資料館」の記載がみつかった。「正油」と同様、2008年以前に書かれたものらしい。

 

kanjibunka.com

 

 以下引用。

 

小社『明鏡国語辞典には「表記」という欄があって、書き表し方に関する情報を簡単明瞭に解説してあります。そこで、早速、「ねんれい【年齢】」の項目を調べてみますと、その「表記」欄に「小学校では学年配当の関係から『年令』で代用する。」と書いてあります。また「さい【才】」のところにも同様の記述があります。
もうちょっと噛み砕いてご説明しておきましょう。小学校で学習する漢字は、一般に教育漢字と呼ばれていますが、「齢」も「歳」も、この教育漢字に入っていないのです。しかし、「年齢」も「○歳」も、実生活のさまざまな場面で頻繁に使用しなくてはならないことばです。そこで、「齢」は、4年生で学習する「令」の字を代わりに用い、「歳」は、2年生で学習する「才」の字を代わりに用いることにしよう、というわけです。
つまり、「年令」も「○才」も、きちんとした漢字を学習するまでの間の仮の書き方だといえます。「齢」も「歳」も常用漢字ですから、遅くとも中学校を卒業するまでには学習するはずです。それ以後は、やはり、「年齢」「○歳」と書くのが、オトナだということになりましょう。
ただし、「年令」「○才」という書き表し方が、教育漢字の制定によって生まれた、完全に子ども専用のものであるかというと、そうでもありません。『大漢和辞典』の「才」の項には、日本では「歳」の略字として用いる、というような説明があります。『大漢和辞典』の基礎的な部分は教育漢字の制定以前に編集作業が完了していますから、「○才」という書き表し方は、それ以前から存在していたことになります。おそらく「年令」についても、略字としては、古くから存在していたのではないでしょうか。
とはいうものの、それはあくまで手書きの略字の場合に限ってであったろうと思われます。正しいオトナはやはり、「○歳」を使った方がよいだろうと思われます。

 

 じゃあアグネス・チャンは「陳美令」で良いのかも。日本(天皇)の元号は格好をつけて「零和」とでもしたらどうかと思った。なお、「年令」や「○才」が簡体字に由来するかどうかは面倒なので調べなかった(そこまで根気が続かなかったし、休日であるにもかかわらず相変わらず時間に追われている)。

 最後にまたまた脱線して終わるが、アグネス・チャンは、周庭(アグネス・チョウ)氏によると「中国派」らしい。

 

wedge.ismedia.jp

 

 以下引用。

 

アグネス・チャンさんは「親中派」なので……

野嶋:周さんの英語名はアグネスで、アグネス・チョウと日本のメディアでも紹介されてきました。香港出身でアグネスといえば、日本では長くタレントとして活躍してきたアグネス・チャンさんがいますね。

周:この英語名は親がつけてくれましたが、香港では、みんな周庭(チョウ・ティン)と呼んでいます。アグネス・チャンさんは親中派で、香港の雨傘運動に対する偏見があるように思えて、好きにはなれません。一緒の名前なのがめっちゃ嫌でなんとかしたい(笑)。仲のいい倉田徹先生(香港政治が専門の立教大学教授)は、アグネス・チャンさんと「アグネス対談」をしてはどうかと冗談でよく言うのですが(笑)。

 

出典:http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14996?page=2

 

 アグネス・チャンといえば、私にとっては「親中派」というより「アベ友」の一味との悪印象が強い。「好きにはなれ」ない点では周庭氏と同じだが。アグネス・チャン安倍晋三がすり寄ったのはずいぶん前だったと記憶するが、最近もその関係が続いているらしいことは、ネット検索をかければ簡単にわかる。

 

www.sankei.com

 

news.livedoor.com

 

ameblo.jp

 

 直前に公開した記事*1にも書いた通り、習近平安倍晋三とは似た者同士であって、二人で馴れ合い劇を演じているのだから、アグネス・チャンが「親中派」と「アベ友」を兼ねていることは全く驚くに当たらない。

習近平と安倍晋三と香港デモと

 諸外国の指導者をざっと見渡した時、習近平ほどその心性のありようが安倍晋三に近い独裁者はいないとしょっちゅう思うのだが、実際に近年、安倍晋三習近平と談合して馴れ合い劇を演じ続けているようだ。

 以下、『広島瀬戸内新聞ニュース』(6/13)より。

 

hiroseto.exblog.jp

 

安倍晋三習近平の談合で圧殺されるお互いの市民の権利
2017年、高校生平和大使の国連演説が中止になった。中国の圧力に忖度した安倍ジャパンが止めさせた。2018年は、演説は最初から予定されなかった。
他方、この年、中国で行われる予定だった従軍慰安婦シンポジウムが、中国外務省の命令で中止になった。https://www.google.com/amp/s/www.sankei.com/world/amp/180808/wor1808080019-a.html
中国も、安倍ジャパンに忖度したのだろう。そして、安倍ジャパンは、その後、韓国にのみ居丈高になっている。
なるほど、核保有国を批判しない、従軍慰安婦に触れない、なら日韓間と違って日中両政府間に波風は立たない。
しかし、それはそれで、個人の声は圧殺される。
それで良いのか?!不味いと思うが。
グローバリズム時代は、政府同士より、政府(大組織)と個人の利害対立が深刻になる時代だ。
やはり、リベラルは、個人の人権を重視しないといけないだろう。

 

(『広島瀬戸内新聞ニュース』 2019年6月13日)

 

 時あたかも「ホニャララ元年」の6月。昭和天皇の死に始まって安倍晋三・昭恵の大先輩であるチャウシェスク夫妻の銃殺で幕を閉じた1989年のど真ん中に起きたのが天安門事件(6月4日)だった。あの時も日本政府(宇野宗佑政権)は、中国政府を厳しく批判する西欧諸国とは対照的に、中国の共産党政権に対して大甘の姿勢をとっていた*1

 今回もまた、「リベラル」側に恥ずべき反応が見られる。下記ツイートなどその悪例の最たるものだ。

 

 

 この人の他のツイートをざっと見てみると、NHKの岩田明子を批判したりしているから「リベラル」の人なのだろうが、「徐々に中華人民共和国化していくのは当然にも思う」という言葉からは、「個人の人権を重視する」姿勢は微塵も感じられない。あまりにも情けないその精神のありようには絶句するほかない。

 今回の香港のデモについて、一部で民族主義の発露みたいな言い方をしている頓珍漢な反応も見かけたが、ちょっと調べただけでも、香港の民族構成は95%近くが華人だというから明らかな間違いだ。デモは、個々の人間の解放を求める人たちの行動なのだ。

 香港デモで一躍時の人となった22歳の周庭氏は、日本のアニメに惹かれて独学で日本語を学んだ人らしいが、時に日本政府や日本の人民に対して痛烈な批判もしている。

 

 

 そうだよ。日本(「安倍ジャパン」)は「習近平毛沢東)の中国」と一緒なんだよ。

 なお、周庭氏の意見発信は、右翼側の「敵の敵は味方」との視点からずいぶん利用されているようだが、周庭氏自身が産経に載ったインタビュー記事に不快感を表明していることに注目したい。

 

 

 上記ツイート中のリンクから、産経が捏造した周氏の「発言」の部分を抜き出しておく。周氏はこんな発言をしたことはないと言っている。

 

周さんは「デモ隊は強制撤去されたが、この4年で、『自分は(中国人とは認識で一線を画す)香港人だ』と考えるアイデンティティー(同一性)を持つ人が増えた。『雨傘運動』は香港の人々の心の中で終わっていない」と話した。

 

(産経ニュース 2018年12月28日)

 

 なるほど、このような産経の捏造報道に代表される右翼側からの「刷り込み」によって、香港デモが民族主義の発露だ、みたいなトンデモな認識が一部に流布しているんだなと初めて納得した。右翼は、自らの持つ歪んだ自民族・自文化中心主義を勝手に香港デモに投影し、当のデモのリーダーから不快感と不信を持たれていることを思い知れ。

 このように、香港デモは本質的に、「習近平の中国」ともども、「安倍ジャパン」や産経やネトウヨをも標的にしていると正しく認識されなければならない。

 彼らは「民族」なんかじゃなくて人間一人一人の解放を求めているのだ。

「民族」なんかクソ食らえ。

 

*1:もっとも私自身も天安門事件に対して即座に敏感に反応できなかったことを痛恨事としていることを告白しておかなければならない。1980年に韓国で光州事件が起きた時と比較して、「リベラル」言論人の動きもまた鈍かったのではなかったか。