kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

カズオ・イシグロの『日の名残り』と日韓関係に見る「ニッポンジンの常識は世界の非常識」

 ニッポンの常識は世界の非常識。最近、これを思い起こさせる読書体験が相次いだため、読書ブログにばかり割く時間が増えてメインブログであるこちらの日記の記事がやや手薄になってしまっていた。

 

 村上春樹カズオ・イシグロという「日本スゴイ」系の人たちが持ち上げる(但し前者は最近かなりネトウヨ受けが悪くなっている)2人の「最高傑作」とされる『ねじまき鳥クロニクル』(村上)と『日の名残り』(イシグロ)。前者には、「根源的な悪」との対決をテーマとしていて、

非常に暴力的な小説であり、「根源的な悪」と対決するには「暴力」を使ってでも倒さなければいけないという決意と覚悟

を込めた

かなり過激な小説

だと評したブログ*1があり、私もその解釈に同意する旨、下記ブログ記事に書いた。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 しかしながら、より深刻に考えさせられたのは、イシグロの『日の名残り』の方だった。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

 これは二度読まれるべき小説だ。それは、小説の叙述にあるトリックが仕掛けられているからだ。しかも、推理小説と違ってその謎解きは小説に明記されていない。

 もちろん文学の専門家の間ではこの作品の研究はずいぶん行われていて、私が調べた限り、ある定説がほぼ確立しているようだ。

 そしてその定説と、日本で流布しているこの小説に関する「定評」との間には、目も眩むような落差があるのだ。

 日本で流布している誤解(とあえて言い切ってしまう)は、何もイシグロがノーベル文学賞を獲ってから始まったわけではなく、作品の邦訳が刊行された1990年以来ずっと流布してきたようだ。

 日本では、この小説を「執事(butler)」というイギリスの階級社会が生み出した職業の「美徳」または「職業倫理」を追求した、一種の武士道賛美的な作品としてとらえる人がきわめて多い。それは、「執事の品格」を検索語にしてネット検索をかけるだけでも確認できる。たとえば下記記事は2011年に書かれているが、小説をマネジメントの教科書か何かみたいに扱っている。

 

spqr.sakura.ne.jp

 

 また下記は、イシグロのノーベル賞受賞直後のブログ記事だが、「執事の品格」を論じるイシグロの方が村上春樹よりノーベル賞にふさわしいと論じている。これにはイシグロも村上も苦笑するしかないだろう。

 

smcb.jp

 

 ここでは、未読の人たちの楽しみを奪いたくないので詳細なネタバレはしないでおく(読書ブログに書いた記事では思いっ切りネタバレをやらかしているので、小説を未読の方は読書ブログの記事は読まないでいただきたい)。ただ私は、『日の名残り』は読み始めの部分では退屈するかも知れないが実に素晴らしい小説であり、是非多くの人に読んでもらいたいと強く願う。しかも、これは二度読まれるべき小説だと力説したい。また、ハヤカワepi文庫の巻末に付された丸谷才一の解説が秀逸だと思うが、この解説についても考えをめぐらせていただきたいと思う。

 アマゾンカスタマーレビューを見ると、時間をかけて読んで小説に満足したが、丸谷才一の解説は納得できないとのレビュー*2があった。私としては、何も一回目に時間をかけて読む必要など全然ないから、通して読んだあと小説の解釈に関する専門家の定説(ネット検索で簡単にわかる)を知り、その上で再読していただきたいと思う。そうすれば、「古き良き大英帝国の『執事の品格』」を見事に描いたから、村上春樹なんかよりよほどノーベル文学賞に値する、などというのがとんでもない妄論であることが理解できるのではないか。

 しかし、主人公の職業倫理に拍手する妄論の方が圧倒的多数派になってしまっていることを、アマゾンカスタマーレビューや「読書メーター*3に寄せられた多数の感想文を読んで知った。そんな小説だったら何の価値があるものか、と思う私は、そのあまりの惨状に愕然としてしまったのだった。

 幸い、文学の専門家の間では「執事の品格」(品格は "dignity" の和訳だが、「威厳」とも訳されることに留意されたい)を描いたから素晴らしい小説なのだ、などという妄論は相手にもされない。それが文学者の間での常識なのだ。日本の大学の英文科でも、この小説について、あるキーワードを用いずに書かれたレポートには良い点がもらえないらしい。つまり「普通のニッポンジン」の間での「定評」は文学の世界では「非常識」に当たるのだ。

 

 ここで日本の政治に話を移すと、現在の日韓関係における韓国批判(それは安倍政権のみならず、野党第一党立憲民主党や日本国民の多くも立場を共有している)も、上記イシグロ作品に対する「普通のニッポンジン」の間での「定評」と同じではないかと思われる。

 

 つまり「ニッポンジンの常識」は「世界の非常識」なのだ。

仙台市議選で当選した右翼新自由主義者の伊藤優太に為書を送っていた山本太郎と山本を批判できない支持者に呆れる

 一昨日(25日)に投開票が行われた仙台市議選は、自民党議席を減らして旧民進・民主系の立憲民主党と国民民主党(特に立民)が議席を増やしたが、それよりも上位で当選した伊藤ゆうた(優太)という無所属の右翼新自由主義系候補に山本太郎為書を送っていたことが話題になっている。

 山本の為書は、伊藤のツイートに麗々しく画像が載せられている。

 

 

 山本の為書をバックに、だるまに目を入れる伊藤の動画。定員15人の青葉区で4位という高位当選だった。

 

 

 下記は本当に山本太郎の推薦をもらっているのかと伊藤に絡んだ山本元号党の支持者が何人かいたが、伊藤は彼らに反論している。

 

  

 反撃を食らって伊藤優太に平身低頭する山本党支持者の情けないツイート。

 

 

 山本党の支持者は伊藤優太に為書を送った山本太郎の真意を、山本本人にこそ問うべきであることはいうまでもない。山本を「神聖ニシテ侵スヘカラス」にして祭り上げるからおかしなことになってしまう。

 

 伊藤優太に関しては、こんなのもみつけた。

 

 

 伊藤は2017年の衆院選希望の党公認で立候補して落選していたのだった。

 

 また、今回の仙台市議選でも、伊藤は大阪維新の会所属の府議会議員からも応援を受けていた。

 

 

 伊藤はバリバリの改憲派右翼にして新自由主義者で、東京の音喜多駿を連想させずにはいられない人間だが、そのエビデンスはここでは示さない。あまりに嫌悪感が強くてそんな作業をやる苦痛には耐えられないからだ。

 ここで言いたいのは、そんな人間に軽々しく為書を送る山本太郎も、その山本を「神聖ニシテ侵スヘカラス」にして祭り上げてしまう支持者たちも、全く信用ならない。そのことだけだ。

GSOMIA破棄に関する石破茂発言は持ち上げる必要もないが、蓮舫・望月衣塑子・きっこらは石破にも及ばない惨状

 韓国によるGSOMIA破棄の件については、これは安倍晋三をはじめとする自民党極右派と、GSOMIAそのものに反対する共産党との双方ともネガティブなので、石破茂の批判が目立つ形になっている。

https://www.sankei.com/politics/news/190823/plt1908230033-n1.html

 

GSOMIA破棄 自民・石破氏「日本が戦争責任と向き合わなかったことが問題の根底」

 石破氏は、明治維新後の日韓関係を再考する必要性を強調し、「(ナチス・ドイツ戦争犯罪を裁いた)ニュルンベルク裁判とは別に戦争責任を自らの手で明らかにしたドイツとの違いは認識しなくてはならない」とも指摘した。

 

(産経ニュースより)

 

  まあこの部分だけ切り取れば石破の認識は正しいと私も思うが、石破がその前提に立って軍備増強だの改憲だのを目指していることは忘れてはならない。その意味でリベラル・左派が石破を持ち上げるのは以ての外だ。

 もっとも、現状では立憲民主党や山本元号党、さらにはそれらと親和性が高いと思われる人たち、具体的な名前を挙げると、蓮舫、望月衣塑子、きっこらがこの件に関する妄言を垂れ流しているから(彼らの立場は安倍晋三石破茂の中間なのではないかとさえ思われる。「どっちもどっち」論が彼らの意見に多く見られるものだ)、相対的に石破がまともに見えてしまうのかもしれないが。彼らの意見発信はネット検索をしてリンクを張ることさえ嫌気がさすから省かせてもらうけれど、これも「異論を唱える者が絶え果てた『崩壊の時代』」の一局面なのだろう。

 とはいえ、少し前まで彼らと似たような「反韓」コメントを繰り返していたと認識しているテレビ朝日の玉川徹が、ややスタンスを変えて野党や「リベラル」側まで「反韓」一色に染まった言説に異を唱え始めたらしいから、変化の兆しも見えなくもないのかもしれない。

 それが大きな流れになるかについてはなお懐疑的にならざるを得ないけれども。

荻上チキが舩後靖彦を批判した

 下記記事のコメント欄より。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

Lint

 

20日のSession-22のオープニングでこの釈明について取り上げています。
https://www.tbsradio.jp/401699

通常は政治家のインタビューで事前に質問は送らないが、応答に時間がかかるという事情に鑑み当日朝質問を送ったのだそうです。他の政治家にはその場で質問しているのと比べれば、相当な配慮をしているので、急いで書いたことを理由にされてもな、という感じでしょうか。
しかも、「大東亜戦争」「GHQ」の言葉が飛び出した最後の質問は朝送ったものではなく、その場でぶつけたものだそうです。他の質問への回答は介助者でもあるらしい副社長による読み上げだったのが、これだけは機械音声による読み上げで、なんでかなと思っていたのですが、それもその場で入力して対応したからなのだそうです。
控えめに言って事実関係に若干混乱が見られるようです。

 

 この件に関しては、作家・寮美千子氏の一連のツイートが参考になる。全文が表示されるように、以下1件おきに引用する。

 

 

 

 

 

 荻上チキが「舩後さんに応答してもらったことは番組としてはありがたいことではあるけれど、その内容については大きな疑問が残る」と明言している通り、これは明確な舩後靖彦批判である。ことに、「『勉強不足』という言葉で元々持っているある種の発想を覆いかくすのはまずい」という批判は鋭い。要するに舩後靖彦の「地が出た」といえるのだ。

 

 最大の問題は、山本元号党の支持者たちがろくすっぽ舩後靖彦を批判できないことだ。私はツイートを見ていないので確認していないが、日記(ブログ)にいただいたコメントによると、映画監督の想田和弘やフォロワー数の多いツイート下記の「Dr. ナイフ」も舩後靖彦を批判できていなかったらしい。

 

 

 私は立憲民主党の支持者の中にも枝野幸男を批判できない人が多いのではないかとみているが、山本党支持者の場合は立民支持者とは比較にならないほど、山本太郎や舩後靖彦らを批判できない人たちだらけだ。論外だろう。

 

 以前にも取り上げた下記の件についても、果たして伊藤優太(この人間が右翼にして新自由主義者であることは確実だ)に抗議した山本党支持者はどれくらいいただろうか。

 

 

 この件について、山本太郎事務所に問い合わせた方はおられるようだ。

 

 

 しかし、選挙公報にも選挙掲示板のポスターにも「山本太郎推薦」が麗々しく表示されている。

 

 

 伊藤優太のTwitterサイトを見ても、この件に関する苦情とそれに対する反論は、それに該当するかどうかがいまいち不明の下記のツイートがみつかるだけだ。

 

 

 まあ伊藤優太は下記の質問に答えていなかったりもするが。

 

 

 しかし、「右翼新自由主義者は山本代表の写真と『推薦』の文字を勝手に使うな」と怒る山本太郎支持者の数の少なさは不思議だ。

 いや、少し前まで山本太郎が所属していた自由党には、「日本のこころ」から転じてきた鈴木麻理子のような人間もいて、それを自由党支持者は全然問題にしていなかったことを思えば不思議はないのかもしれないが。

 いずれにせよ、少なくとも山本党が「左派政党」にも「リベラル政党」にも該当しないことだけは間違いない。「経済左派」の政党であるとは認められるけれども。

村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』の悪役・綿谷ノボル=辻政信=小泉進次郎+竹中平蔵=安倍晋三という仮説を立てた

 読書ブログに下記記事を公開した。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

舩後靖彦がTBSラジオでの右翼発言を「釈明」

 下記記事にいただいたコメント。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

Lint

 

舩後氏の釈明が公開されましたね。

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1060136934183565&id=100005618055066

釈明としては不十分な感が否めませんが、どうもWGIP関連の妄論にどっぷり浸かっているというよりは、多分モラロジー方面で聞きかじった知識を披露したというレベルのように見えます。そちら方面に親和性があるのは間違いないでしょうけど。

 

 舩後靖彦の「釈明」は下記の通り。

 

TBSラジオの番組での私の発言について説明をさせていただきたく存じます。
放送の後、皆様から色々なご意見を頂きました。ひとえに私の不勉強ゆえの発言です。

先の大戦について、「大東亜戦争」と呼んだことについては、この言葉が持っている様々な意味について、あまりに無頓着だったということです。これは私の未熟さであると気づきました。

また、「重度障害者には生産性がない」という考えが生まれた原因について、GHQが導入した戦後教育を要因としていると取られるような発言をしたことについて、まず戦前から戦後まで行われてきた優生思想の問題やその名残を第一に要因としてあげるべきであったのに、自分が理解していない、「戦後教育の影響」について発言する事になってしまったことで、私の本意ではない印象を与えてしまうことになってことについて心苦しく思っています。

言い訳になってしまいますが、取材の具体的な内容を当日の朝に頂いてから、急いで読み上げ用の文章を作ってしまったために、文章的にも意味が通らない内容になってしまい、それを読み上げて頂いてしまったというのが実際のところです。昨今、大きく報道されていますが、優生保護法に基づいた不妊手術やハンセン病の患者に対する扱いなど、障害者に対して戦後も一貫して、国が行ってきたことを振り返れば、あまりに不用意な発言だったと反省しています。

私が重度障害者になって20年以上になりますが、自分がその境遇に置かれるまでは、国の障害者施策の歴史についても考えたことはなく、自分が当事者になったあとも、現在の境遇の改善については施設の運営を通じて熱心に関心を持ったものの、過去の国の誤りの根本にあるものについて深く掘り下げて行く機会がありませんでした。

今後は歴史的な国の障害者政策の誤りについても思いを致しながら、現在の障害者の生活環境の改善について、努力していく所存です。どうか、お見守りいただけますようによろしくおねがいします。
令和元年8月20日 舩後靖彦

 

 最後の日付に元号を用いていることが所属政党名と整合している。この元号の使用を含め、舩後議員のメッセージは正直言って付け焼き刃の感を否めないが、釈明しただけでも前進したとはいえる。

 但し、舩後議員を批判できなかった「山本太郎信者」(ヤマシン)どもは、この「前進」に何の貢献もしなかった事実は改めて批判されなければならない。