kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「小泉進次郎氏 回答がポエム?『何言ってるかわからない』の声」(女性自身)

 「安倍王朝」との「両統迭立」を目指す(?)小泉進次郎に対する批判が、最初ネットで、次いで週刊誌、そして今朝のTBSテレビ「サンデーモーニング」でも取り上げられた。週刊誌の中でも「文春砲」として持ち上げられている『週刊文春』で取り上げられたことでTBSも動いたのかと意地悪く勘繰ってしまった。ただ、TBSでは橋下徹松井一郎による小泉進次郎批判を取り上げたり、「汚染水問題で日韓が非難を応酬し合っている」などと紹介して、後者については反自公政権原発推進派人士にして保守派であるコメンテーターの寺島実郎から「日韓関係の問題じゃなくて、日本は世界から厳しい目を向けられている」と番組の伝えからにクレームをつけられる一幕があった。このところ毎週のように目につく、この番組の右傾化を表す一例といえるだろう。今朝はこの件だけではなく、最初に取り上げられたサウジアラビアの石油施設攻撃の件もアメリカ寄りの視点に偏った伝え方をしていた(同様の伝えからは先週末のテレビ朝日報道ステーション」でも見られた)。TBSとテレビ朝日の右傾化はもはやとどまるところを知らない。下記「広島瀬戸内新聞ニュース」からリンクされた改憲派人士の篠田英朗の言説にも見劣りするようでは、報棄てもサンモニももはや括弧付き「リベラル」とさえいえなくなってきたようだ。

 

hiroseto.exblog.jp

 

 小泉進次郎批判に話を戻す。ここでは「女性自身」の記事を引用する。

 

jisin.jp

 

 以下引用する。

小泉進次郎氏 回答がポエム?「何言ってるかわからない」の声

記事投稿日:2019/09/18 16:28 最終更新日:2019/09/18 21:31
 

 

 

小泉進次郎環境大臣(38)が9月17日、除染廃棄物の最終処分にまつわる質問に答えた。ただその内容が意図の読めないものだったため、ネットでは「何言ってるのかわからない」といった声が上がっている。

 

同日、福島県に訪問した小泉大臣。記者から福島第一原発事故で発生した除染廃棄物について「45年3月までに県外で最終処分をすることは大きな課題」「その最終処分場の検討が進んでいない。現状や見通しについて見解をいただきたい」と問われた。「これは福島県民の皆さんとの約束だと思います」「その約束は守るためにあるものです。全力を尽くします」と発言したところ、記者が「具体的には?」と再び訊ねた。すると、こう返したのだ。

 

「私の中で30年後を考えた時に、30年後の自分は何歳かなと発災直後から考えていました。だからこそ私は健康でいられれば、30年後の約束を守れるかどうかという、そこの節目を見届けることが、私はできる可能性のある政治家だと思います」

 

さらに「だからこそ果たせる責任もあると思うので」と続けた小泉大臣は、同県のふたば未来学園について「その思いがなければ取り組んでいません」と発言。「教育というのは、一過性の支援ではできません」「生徒たちが社会に羽ばたいた後の人生も含めて、責任を負うんだという思いがあるからこそ取り組んできました」と語った。そして「この30年の約束もその思いで、ライフワークだと言ってきたことをしっかり形にするために全力を尽くしたい」と結び、会見は終了した。

 

30年後の自身について語り、教育の持論を展開。そして最後まで「何にどう全力を尽くすのか」を明かさなかった小泉大臣にネットでは「言ってる意味がわからない」といった声が上がっている。

 

《ごめん、進次郎のポエムが何言ってるのか全くわからない》
《それっぽい感じで何か語りつつ、実は何も言っていない小泉進次郎。こういう人を雰囲気で持ち上げるのは、いい加減にしたほうがいい。ろくなことにならない》
《自分の意見すら持ってるか怪しいよね》

 

6日、仙台市で「震災からの復興」をテーマに講演をした小泉大臣。そのなかでもこんな漠然とした発言をしている。

 

「支援をされる側でなくて、未来の被災地を支援する側に回るような発想ができれば、私は日本人らしさを発揮できる復興や国づくりができるんじゃないかと思います」

 

また11日の就任会見で原子力発電に対する考えを問われた際も、「どうやったら残せるかではなく、どうやったらなくせるかを考えたい」と返している。

 

小泉大臣は11年3月の東日本大震災以降、復興に精を出してきた。自民党の青年局長だった12年には被災地を巡回する「TEAM-11」を発足。翌年、復興政務官に就任。野党議員から与党議員ともなり、この8年間で様々な立場となって現地と向き合ってきた。しかし前述のように、壮大に聞こえるものの具体性のない返答を繰り返している。

 

朝日新聞が17日に発表した世論調査によると、小泉大臣は「次の自民党総裁にふさわしい」という問いに対して22%から支持。石破茂議員(62)や河野太郎防衛大臣(56)、菅義偉内閣官房長官(70)を差し置いてトップだった。さらに16日の産経新聞でも、最も活躍を期待する閣僚として48.9%がその名を挙げたという。

 

出典:https://jisin.jp/domestic/1778515/

  

 前記サンデーモーニングでは、「私の中で30年後を考えた時に」以降の小泉進次郎の意味不明の返答の映像を流したあと、関口宏が念を押すように水野真裕美アナウンサーにこの小泉の発言を繰り返して読み上げさせたのだった。私も小泉進次郎は大嫌いだから進次郎批判は大歓迎なのだが、これまで進次郎応援の旗を振ってきたに違いないTBSがなぜ一転してここまで執拗にやるのかと訝るとともに、進次郎批判に橋下や松井一郎のコメントを援用したことにドッチラケしてしまった。加えて日韓関係の言及して寺島実朗に批判された。結局番組の迷走化を感じさせただけだった。なお、スポーツコーナーでは昨日の不快なニュースが延々と流されるだろうと思って同コーナーの開始と同時にテレビのスイッチを切った。

 このようにサンモニはもはやどうしようもないが、「女性自身」とそれを発行している光文社に関して、先日下記の記事にコメントをいただいたので、それを紹介してこの記事を締める。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 以下、上記記事にいただいたコメントを引用する。

 

curetraum

 

光文社といえばVERY。

今尾朝子が編集長に就いてから、読者ターゲットを有閑マダムからワーキングママへと方針転換。社会派ネタを多く取り入れ部数を伸ばし、ここしばらくは同タイプの雑誌の中で発行部数トップ。
(本文中の「読者層が変わってきているのか?」は、実はある程度当たったいて、ライトな社会派ネタ目当ての新規/鞍替え読者も少なくないそうです。)

となれば、「安倍晋三とその仲間たち」が放っておくはずもなく、何年か前にも特定秘密保護法絡みでキッチリ圧力をかけています。
内閣広報室が告知前の企画(お母さんこそ、改憲の前に知憲!というタイトルの座談会)対して、自分達にも取材するよう編集部に申し入れをしてきたのです。
つまり、「こちらの意見も載せろ」告知前でも知ってるぞ」ということ。
これに対し、編集長および社長が申し入れを拒否、かつ申し入れがあった事実そのものを公表しました。
(で、一時的に世間の話題となり、該当号はむしろ売り上げがよかったとか。これが小学館あたりだと、いったいどんな対応になっていたでしょうか。)

「権力を批判する言説」は、少なくとも光文社のそれは、このような努力(出版社としては当たり前ですが)の積み重ねの上に存在しており、決して同社が非大手だから安倍内閣が「手を抜いて」いるからではない、ということを知っていただきたく、今回は長々と書かせていただきました。

最後に企画タイトル/告知コピーから、両社の現在地を確認してみましょう。

「『きちんと家のことをやるなら働いてもいいよ』と将来息子がパートナーに言わないために今からできること」
(光文社VERY2019年1月号記事タイトル)

「働く女は、結局中身、オスである」
小学館Domani2019年4月号告知コピー)

 

 なるほど。光文社といえば昔は「カッパ・ブックス」、今では光文社文庫版で出ている「松本清張プレミアムミステリー」や、同じ流れで刊行された松本清張短編全集(実際には1962年までの短編の選集)などにお世話になっていますが、骨のある出版社のようですね。もっとも清張の本は文春や新潮からもずいぶん出ていて、清張がもっとも力を入れたのは文春・新潮の媒体に発表する作品を書く時でしたが。

 コメントに書かれた経緯は全く知りませんでした。ご教示どうもありがとうございます。コメントをいただいてからもう1週間になりますが、反応が遅れてどうもすみません。

「何を今さら」感満点の「『丸亀製麺』炎上」騒ぎだが……

 10年前には香川県民だったが、いつの間にか香川県民時代よりその後の東京都民時代の方が長くなった。現在、近所に「はなまるうどん」の店舗があって時々行くが、丸亀製麺は近所にはないので行かない。数日前、N国党の党首と会談して批判されている玉木雄一郎が何やら何やら「参戦」したらしいことは聞いた、というかネットで見たが、私は玉木が大嫌いなので、奴の動画など見に行く気にもならなかった。

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

丸亀製麺*1の炎上。でも、丸亀製麺が「香川県」とも「丸亀市」とも関係のない会社だということは疾うの昔に周知の事実となっていたのでは? だから、何で今更? と思った。

 

出典:https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/09/20/084439

 

 当初「亀坂製麺」(丸亀の亀と坂出の坂を合わせた店舗名)と名乗っていた丸亀製麺香川県1号店は香川肩民時代の自宅から3kmくらいのところに2007年にできた「イオンモール高松」の2階だか3階だかに開店した当時から知っていて、何度か食べたこともある。まあショッピングモールに入るうどん屋だったらこんなものかな、というのが当時の感想で、まさか兵庫県(当時)を本拠地にしていたチェーン店だとはその頃には知らなかった。知ったのは東京に移住してからかもしれない。

 今回の「炎上」騒ぎの発端になったのは「麺通団公式サイト」の「団長日記」、つまり田尾和俊氏の日記だそうだが、田尾氏はある時期から私が長年敵視していた「宿敵」たる故勝谷誠彦とつるみ出したので、それ以降敬遠していた。丸亀製麺兵庫県発祥なら勝谷もまた兵庫県尼崎市出身であって、尼崎を含む阪神間(及び神戸市東部)は大阪文化圏に属するのだから、麺は柔らかくて腰が弱く、その代わりにだしにはこだわりの強い大阪のうどんをアピールすべきところ、すぐに時流に乗りたがる勝谷が讃岐うどんの宣伝に余念がなかったことに腹を立てていた*1

 とはいえ「炎上」騒動になったのだからと当該の「団長日記」を見に行った。

 

http://www.mentsu-dan.com/#diary

 

 以下引用する。

 

2019年9月14日(土)

 

(前略)関テレ(関西ローカル)の『ウラマヨ』というブラックマヨネーズ冠番組丸亀製麺の特集をやっていて、丸亀製麺の社長がスタジオで、ブラマヨをはじめ出演者を前にこうおっしゃっていた。

***

「田舎が香川なんですよ。ちょうど讃岐うどんブームというのが起き始めましてね。名もない小さな製麺所にですね、県外から車で食べに来ているわけです。入り口からお茶碗持って皆さん並ぶわけですわ。そして、恭しく、釜からうどん入れてもらって、醤油だけつけて食べるんですよ。たったそれだけなのに行列ですよね。お客さんは商品のために来てるんだと。だから手作り、できたて、しかも目の前でというのが大事かなと思って、そのコンセプトで作ったのが丸亀製麺

***

 VTRから起こしたのでほぼ間違いなくこうおっしゃっていて、それを聞いたブラマヨをはじめとする出演者の人たち全員が「そうだったんですかー」という感じで番組はそのまま流れていったのだが、ブームの火付け集団(笑)であり、その後つぶさに現場をフィールドワークしてきた麺通団の団長の私が断言する。

 それはウソです。

 「田舎が香川」に突っ込む人もいるだろうが、そこはどうでもいい。そこじゃなくてその後の話。ブーム発祥以来20数年、私は讃岐うどん巡りブームの現場において、「入り口からお茶碗持って皆さん並んで恭しく釜からうどん入れてもらって醤油だけつけて食べる」などというシーンは一度も見たことがないですよ(笑)。

 揚げ足を取るようで申し訳ないが、全国ネットでそんないい加減なことを言っちゃいけません。まず、「入り口からお茶碗を持って客が並ぶような店」とは要するに「飲食業の許可を取っていない製麺所」のことであるが(飲食許可がないから客に飲食のためのサービスができない)、そんな店は当時700軒以上あったうどん屋の中でほんの数軒しかなく(表に名前が出てたのは「道久」と「橋本」と初期の「池上」ぐらい)、しかもそういう店はいずれもマニアしか行かないような激レアの超穴場だったから、一見の県外客がそんな店で「県外から車で食べに来て、入り口からお茶碗持って並ぶ」などというシーンが見られたはずがない。

 次に、客がそういう店に持って行くとしたら「丼」かせいぜい大きめのお椀であって、決して「お茶碗」ではない(笑)。

 次に、「恭(うやうや)しく」というのは、蕎麦やラーメンと違って「緩い」ことが最大の特徴である讃岐うどんの世界とは真逆の感覚であって、讃岐うどんの現場を知る者が使う言葉では絶対にない。ご本人が「恭しく」うどんをもらったのかもしれないが、「名もない小さな製麺所」は押し並べて店の人と客との垣根がないのが普通なのだから、特にブーム当初には「皆さん(客)が恭しく釜からうどんを入れてもらう」などというシーンが当たり前のようにあったはずがないし、少なくとも私は見た記憶がない。

 次に、そういう「客に飲食サービスを提供できない店」は玉売りが主であるから、うどんをもらいに行くと基本的に「締めてセイロに載ったうどん玉」をくれるのであって、「持って行った丼に釜からそのまま取った麺(水で締めていない釜あげ麺)を入れてもらう」などという店は、麺通団団長の私でも見た記憶がない。

 さらに、釜から取ってもらった「釜あげ麺」に「醤油だけつけて食べる」などというメニューも、私は見たことがない。それは「醤油うどん」のことを指しているのだろうが、醤油うどんは「醤油をかけて混ぜて食べる」ものであって、「醤油をつけて食べる」という表現は讃岐うどんの世界では聞いたことがない。

 さらに、百歩譲って「醤油をつけて食べる」という表現がただの言い間違いだったとしても、麺がおかしい。醤油うどんの麺は基本的に「水締め麺」であり、社長のおっしゃる「小さな製麺所」で釜からそのまま取った「釜あげ麺」に醤油をかけて食べるような店はほとんどない。そんな食べ方は、製麺所なら常連さんが頼んで出してもらうような「わがままな注文」の食べ方であり、ブームの後で「わざと釜あげ麺を使った醤油うどん」(「釜醤油うどん」?)を出す一般店も数軒出てきたが、それも極めて希な例であるから、一見の観光客がおいそれと目にできたはずがない。

 よって、先の社長のコメントは一般論としても間違いだし、体験談として言ったのなら(そこはスルッとぼかしていたが、流れは体験談風に話していた)、それはウソのストーリーである。

 加えて「お客さんが目の前で手作りするできたて商品のために来ている」というコメントも、「讃岐うどん巡りはレジャーとして当たった」というブームの本質から言えば、明らかに的を外した見立てである。

 以上から推測するに、あのコメントの「体験談」も「ブームの見立て」も全て、おそらく丸亀製麺が今、全国ネットのCMでバンバン流している「丸亀製麺は全ての店で粉から作る」というコンセプトをサポートするために後付けで加えたウソのストーリーとロジックではないかと思う。そして、もしそうだとすれば、それは「自分たちの主張を正当化するために事実を曲げて伝える」という、どこかの新聞がやっているような非常によろしくない行為だと言わざるを得ないのである。

 まあ、成功者が自分のストーリーを美化したり盛ったりするのはよく聞く話だけど、それにしても、いかに関西ローカルとは言え天下の関テレの有名な番組で、誰も知らないと思って「香川ではあり得なかったシーン」を「自らの体験談」としてしゃべれるというのはどういう了見か。誠実な情報発信をモットーとしてきた私(笑)にはちょっと理解できないが、まあ「世の中にはそういう人もいるんだ」ということを学習させていただいたということで、とりあえずこの件に関して我々「誠実な讃岐人と讃岐うどん応援団」としてはただ一つ、「讃岐うどん巡りブームの歴史のウソを全国ネットで広められるのは非常に不本意だ」とだけ申し上げておく。

 

出典:http://www.mentsu-dan.com/#diary

 

 「団長の田尾氏も讃岐人なら兵庫県民の勝谷なんかとつるまなきゃ良かったのに」と思わないでもなかったが、「入り口からお茶碗を持って客が並ぶような店」なんかほとんどない、というくだりに始まる丸亀製麺批判は、まあ仰る通りだとは思った。

 ただ、その稀有な例として「初期の『池上』」*2が挙げられていたので、おおっ、と思い、そこからネット検索にはまり込んでしまった。「池上」こそはわが行きつけのうどん屋だったからだ。自宅からはイオン高松よりもっと近かった。2004年頃からよく行くようになり、翌年からは2週間に1度くらい行っていた。しかし残念なことに、高松空港近くに移転するために閉店してしまった(2007年1月)。

 当時の様子を伝えるブログ記事(2006年9月15日=敬老の日)をネット検索で見つけたのでリンクを張っておく。

 

kamisama358853.livedoor.blog

 

 そうそう、こんな列ができていた。近くのスーパーの駐車場やら川の土手やらに県外ナンバー*3の車がズラリと止まっている。これが高松空港の近くへの店舗移転に追い込まれた原因だろう*4。私は自転車で行っていた。ブログの画像に値段表があるが、当時うどん2玉に卵をつけて170円だった。帰りにはマルヨシセンターという名前のスーパーやらヤマダ電機やらに寄ることが多かった。2006年4月にパソコンを買った時もうどん屋からの帰りで、そのパソコンを使ってブログを始めたのだった。

 このお店が移転のために閉店したのが2007年1月末で、イオン高松に亀坂製麺(現丸亀製麺)が開店したのが同年4月末。しかし、両店を比較の対象として意識したことは一度もなかった。亀坂製麺と同じレベルのうどん屋など讃岐にはいくらでもあって、亀坂製麺はその有象無象の中の一つでしかなかったのだ。

 たとえば下記「日経ビジネス」に興味深い記事がある。

 

business.nikkei.com

 

 以下引用する。

 

丸亀製麺巡る論争、地元組合は「問題は同社以下のうどんが多いこと」

 

 トリドールホールディングスが運営するうどん店チェーン「丸亀製麺」に対して、一部のブログで「讃岐うどんに対するリスペクトが全く感じられない」などと批判があり、ネット上で「うどん論争」として話題となっている。

 

 論争を巡っては、讃岐うどんブームの仕掛け人とされる「麺通団」ウェブサイトの14日付の「団長日記」で、「丸亀製麺のビジネスとしての自らリスクをとったチャレンジとその成功に対しては高く評価している」と前置きしたうえで、「丸亀製麺香川県の会社でもなく香川県でうどん店や製麺業をやっていた実績もないのに『讃岐うどん』を名乗り、『讃岐うどんチェーン』として全国展開を始めた」「讃岐うどんの歴史や文化、技術、そして魂をないがしろにするようなことは、なるべく控えてほしい」などと訴えた。この内容がツイッターなどで拡散し、ネット上で賛否が巻き起こった。

 丸亀製麺を運営するトリドールホールディングス兵庫県が発祥で、現在は東京・渋谷に本社を構える。同社のホームページによると、香川県には高松市に2店あるのみ。香川以外では海外225店を含む国内外1000店以上を運営している。「本場である香川発祥の企業でもないのに讃岐うどんの看板を掲げてもうけてよいのか」というわけだ。同社は「ネットで話題になっている記事をはじめ、私どもはすべてのお客様のお声を真摯に受け止め、より多くの方々に喜んで頂けるように努めてまいります」とコメントした。

 ただ、丸亀製麺に対する本場の視線は意外にも温かい。香川県丸亀市の広報担当者は「丸亀製麺さんとは良好な協力関係にある」と話す。「(トリドールホールディングスの)粟田貴也社長は、市の文化観光大使として、PRをしてもらっている。また、全国の店舗内に丸亀市のポスターを張ってもらっており、昨年の西日本豪雨で市の象徴だった丸亀城の石垣が崩落した際、社長からは補修のための支援金1000万円の寄付をいただいた。うどん作りのチャリティーイベントも開いていただき、収益は市にすべて寄付してくれた」と語る。

 地元からも丸亀製麺の貢献を評価する声が出ている。7月2日を「うどんの日」と称して催しを開くなど、讃岐うどんブランドの向上に取り組んでいる「本場さぬきうどん協同組合(高松市)」の大峯茂樹理事長は、「丸亀製麺は、本来の讃岐うどんの麺を提供しているとまでは言えないが、讃岐うどんを全国的に有名にしたという貢献は一部ある」と一定の理解を示した。

 そのうえで「今、『讃岐うどん』をうたって、ドリンクで有名になっているタピオカ由来のでんぷんを利用してコシを出しているうどんが増えている。確かに、タピオカのでんぷんを少量使うことはあるが、大量に使うのは讃岐うどんではない。そのようなうどんはサービスエリアなどでたくさん出されていて、それよりは自家製麺を使用している丸亀製麺の方がまだましだ。一番の問題は、丸亀製麺以下のうどんがたくさんあること」と憤る。

 そもそも、こうした表示は許されるのか。大峯理事長によると「讃岐うどん=うどん」としての認知度が高いため、国内では名称の使用制限はない。ただ、景品表示法に基づく「生めん類の表示に関する公正競争規約」によると、商品名に「名産」「特産」「本場」「名物」などと表示する場合、讃岐うどんは「香川県内で製造されたもの」「食塩が小麦粉重量に対し3%以上」「熟成時間2時間以上」などと厳しい基準がある。しかし、逆に言えば、「名産」などと表示しなければ、こうした基準をクリアしていなくても「讃岐うどん」として販売してもよいということになる。

 讃岐うどん以外にも、「信州そば」「札幌ラーメン」「出雲そば」「長崎チャンポン」「長崎炒麺」「沖縄そば」「名古屋きしめん」「甲州ほうとう」「盛岡冷めん」で、名産などと表示する場合には同様の基準がある。消費者が本場の味あるいは本場に近い味を楽しみたい場合は、商品名に「名産」「特産」「本場」「名物」という言葉が記載されているかどうかが、一つのポイントとなりそうだ。

 

出典:https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00002/092000706/

 

 「丸亀製麺以下のうどんがたくさんある」との指摘は香川県民時代の実感と合っていてよく納得できる。当たり前の話だが、一口に「讃岐うどん」といってもピンキリなのだ。それをブランドに仕立て上げようとする方が間違っているのではないかと、故勝谷誠彦*5の顔を思い出しながら思う*6。今はなぜかタピオカブームらしいから、記事で引き合いに出されたサービスエリアの店も、「讃岐うどんの中でも特に腰が強いタピオカうどん」とかなんとか銘打って売れば良いのではないか。そういや富士吉田市の「吉田のうどん」を一昨年に食したが、腰の強さだけなら讃岐うどんにひけをとらなかった。いりこだしは使わず、つゆに味噌を入れるから味は全然違うが。

 それに、讃岐うどんでも腰が強いのは丸亀市を含む西讃のうどんだけで、高松のうどんはそんなに腰が強くないし(前述の池上製麺所はむしろ例外かも)との指摘もある。

 

www.halex.co.jp

 

 以下引用する。

 

一口に『讃岐うどん』と言っても、どこも同じ味、食感ではありません。日本の都道府県の中で一番面積の狭い香川県ではありますが、その地域ごとに『うどん(麺)』は微妙に違っています。いや、店ごと、製造する製麺所ごとにそれぞれ特徴があるんです。

讃岐うどん』はコシが強いとよく言われますが、はっきり言って、一番コシが強く美味しいのは西讃地方と言われる一帯の『うどん』の特徴です。私が故郷と呼ぶ丸亀市を中心とした香川県中部地方(中讃)あたりの『うどん』です。綾川と土器川という2つの川の間のあたり、通称“綾川土器川三角地帯”と我々ジモティ(地元民)が呼んでいる「ディープ香川」の『うどん』が一番“世間一般のイメージにある讃岐うどんらしくて”美味しいんです。

このあたりの『うどん』ならどこでも美味しいと考えて間違いないです。まぁ~、地元民は『うどん』に関しては皆さん舌が極度に肥えていて、美味しくなかったら即刻客足が引いて、潰れてしまいますからね。

で、香川県の県庁所在地である高松市あたりの『うどん』は、実はそれほどコシは強くなく、さらに東のほう(東讃地方)に行くと、山梨県名物の『ほうとう』のように柔らかい“煮込みうどん”が主流になります。

(要は、『讃岐うどん』=『コシが強いうどん』は必ずしも正解とは言えず、いろいろあるってことです。)(後略)

 

出典:https://www.halex.co.jp/blog/ochi/20150513-5817.html

 

  記事中に「中讃」という言葉が出てくるが、「東讃」と「西讃」の2つに分ける場合は「中讃」は「西讃」に含まれ、高松市は「東讃」に含まれる。しかし、上記記事のように「東讃、高松市、中讃、西讃」と細かく分ける場合もある。

 ところでまた山梨県が出てきたな。そういや「ほうとう」と「吉田のうどん」は好対照かもしれない。

 あと、上記記事の引用部分の続きには丸亀製麺の話題が出てくるし、さらには池上製麺所が言及されている。池上製麺所は下記の続編でも詳しく紹介されている。

 

www.halex.co.jp

 

 面白かったのは、池上製麺所を含む「ばあちゃん系」のうどんの話。なぜ面白いと思ったかというと、前記山梨県の「吉田のうどん」は「男が打つうどん」として紹介されていることをうどんを食べた時に知ったからだ。

 

gurutabi.gnavi.co.jp

 

 以下引用する。

 

強いコシの秘密は、昼食は男性が作るという地域の歴史にあった!

昭和初期から織物の産地として知られ、繊維業を営む家庭が多かったと言われている富士吉田市。当時、織物の機械を動かす重要な働き手であった女性の負荷を減らす為、昼食づくりは男性の役目だったそうです。男性の大きな手で力強くこねて打ったうどんは、仕事の合間の短い時間で食べられ、尚かつ腹持ちが良いとして広く知れ渡るように。これが吉田のうどんの始まりです。

現在でも富士吉田市周辺では昼食にうどんを食べる人が多く、市内だけでも60近い店舗で吉田のうどんを提供しています。
 
 
強いコシのある太麺と、馬肉やキャベツなどのトッピングが入った一杯を、醤油と味噌の合わせスープでいただく「吉田のうどん」。これに、お店独自の「すりだね」と呼ばれる唐辛子や山椒、ゴマなどが入った薬味をお好みで入れて食べるのが定番のスタイルです。
 

 

 確かに「吉田のうどん」の腰の強さには驚かされた。また昼食にうどんを食べる習慣も讃岐と似ていると思った。讃岐うどんの店は平日の昼が営業の中心時間帯だが、富士吉田でも同様だった。

 「吉田のうどん」と讃岐の「ばあちゃん系うどん」と同じく讃岐の「タピオカうどん」とで「腰の強さ比べ」でもやったらどうかと思う今日この頃。

*1:大阪生まれ・兵庫県育ちの私自身も香川でうどん屋めぐりをしていたのだが、そこは「郷に入っては郷に従え」の教えに従っているだけだと屁理屈を捏ねて自分のことを棚に上げていた(笑)。

*2:もっとも、池上製麺所は1950年代の創業だそうだから、田尾和俊氏は「初期の『池上』」をリアルタイムでは知らないはずだが、かなり遅くまで丼を持ち込むスタイルだったのだろうか。

*3:大阪・兵庫・岡山、遠くは愛知などが目立った。さすがに首都圏からは少なかった。

*4:他に見つけたブログ記事を挙げておく。https://sanukiya.at.webry.info/200612/article_4.html 2006年12月12日の記事。ブログ主は「讃岐屋」を名乗っているが北海道出身で(だからサッカーのコンサドーレ札幌を応援している)、2008年12月に転勤で米子市に引っ越し、以後鳥取県民の方のようだ。やはり店舗移転の原因は路上駐車だった。

*5:もっとも、勝谷が讃岐うどんブームを盛り上げたわけではなく、既に盛り上がっていた流れに勝谷が乗っかっただけであることはいうまでもない。

*6:このあたり、特定の政治家を信奉する「信者」(山本太郎信者、小沢一郎信者、枝野幸男信者、安倍晋三信者などなど)を連想してしまい、それにも気持ち悪さを感じる。

プロ野球・読売が5季ぶりセ・リーグ優勝

 タイトルの通り。決まっちまいやがった。あっけなかった。

 ヤクルトはとうの昔に最下位が確定しているが、DeNAも広島もともに2桁連敗があったし、終盤の読売との直接対決にも負けた。完全な力負けといえる。特に広島は中日か阪神に抜かれてクライマックスシリーズ進出を逃す可能性さえある。今季セ・リーグで読売に勝ち越したのは広島だけだから、CSは広島に出てもらわないと困るのだが。

 まあどうしようもなくつまんないシーズンだった。ヤクルトの小川淳司監督は、結局第1次の時と同じで代わった直後は良かったが最後はダメだった。同じ監督が復帰しても同じ結果になるというのが私の持論だから、いずれ最下位に落ちて監督が代わるだろうとは予想していたが、2年目で早くもその時がきた。後任は高津臣吾だと日刊スポーツが書いていたようだが、高津ならおそらく今年よりは良くなるだろう。今年はなんといっても救援投手陣がボロボロすぎた。今年の救援投手陣ならリーグ優勝した4年前の打線と組み合わせても最下位になったに違いない。今年のヤクルトにはセーフティーリードがなかった。

 他球団では、DeNAの監督が三浦大輔に代わるとの噂があるようだ。あと広島も昨年までのポストシーズンで3年連続4連敗を記録するなど、勝負弱い体質が目立つから、そろそろ監督を代えた方が良いと思うのだがそうはならないだろう。中日と阪神は監督が代わって良くなった。阪神は前の監督(金本知憲)がダメすぎたのと新人最多安打を記録した近本光司の活躍の影響が大きいと思われるが、中日は次々と若手先発投手が出てきたので、野手でも根尾が出てくるであろう来季はさらに手強くなる可能性が強い。この球団はここ数年ヤクルトの5位争いのライバルだったが、久々に強くなりそうだ。ヤクルトはこのままでは水を開けられる一方だから来季が正念場になる。

 以上、2位から5位までの順位は確定していないが今季の総括。読売が優勝でヤクルトが最下位なんて、こんなつまらないシーズンはない*1。そういやヤクルトは今日中日に大量リードされているから、このまま負ければ(負けるに決まってるけど)、交流戦で戦ったパ・リーグ6球団を含む全11球団に対する負け越しが決定する。まさに「完全最下位」だ。

*1:前回の小川監督時代の最後の2年だった2013年と2014年も読売優勝・ヤクルト最下位だった。真中満が監督になった2015年のヤクルトのリーグ優勝は前年最下位からの優勝という、1960年大洋、1975年広島、1976年読売と同じパターンだった。セではこの4度だけでパ・リーグでも2001年の近鉄の一例があるだけ。2001年の日本シリーズ近鉄を破ったのはヤクルトだった。

「非正規」と「フリーター」と階級社会と

 「非正規」と「フリーター」の話。

 

 

 

 いや、「『組織に縛られない、新しい若者の自由な生き方』的な、もっと先鋭的にポジティブな打ち出し」があったのは、就職氷河期の1999年頃よりもっとずっと前、バブル時代の話だよ。Wikipedia「フリーター」に書かれている通り。

 

フリーター - Wikipedia より

 

語源

1985年(昭和60年)頃から音楽分野で散見されていた「フリーアルバイター」という言葉は、翌1986年(昭和61年)3月31日朝日新聞に「フリーアルバイター」という造語が紹介されたのを機に各新聞社が取り上げ全国的に流行語となっていく。

1987年(昭和62年)にリクルート社のアルバイト情報誌「フロムエー」の編集長道下裕史が、新聞・雑誌テレビなどでも頻繁に使われていたフリーアルバイターをフリーターと略し、映画『フリーター』を制作し公開した。当初は、フロムエーにフリーアルバイターというカテゴリが設けられていたが、フリーターという言葉のほうが言い回しが良く定着した。

1991年(平成3年)、フリーター(フリー・アルバイターの略)の見出しで広辞苑(第4版)に記載された。

語源は

  1. 英語のフリー free(「時間の自由な」という意味の略)
  2. ドイツで労働を意味し、日本語では非正規雇用を意味するアルバイト Arbeit
  3. 「~する人」という意味の英語 er、または同じ意味のドイツ語 er

の3つをつなげた和製の造語(「フリー・アルバイター」の略称)である。

入国審査の際に「職業欄」に「フリーター」と記入しても受理されない。英語圏では「恒久的な部分時間労働者」を意味する「パーマネント・パートタイマー[5]」と呼ぶことが多い。

 

増加の要因と社会構造の変化

バブル期フリーターの小発生

1980年代後半のバブル経済の時期、コンビニエンスストア飲食店等のチェーン店の発達や建設ラッシュに伴う建設業界の人手不足によって、それまではマイナーな雇用形態であったアルバイトの求人が急増し始めた。アルバイトマガジンが発行され、若者の間でアルバイトが身近なものとなった。空前の好景気が要因となり高給のアルバイト求人が急増し、就職せずとも生計を立てる事すら可能なほどだった。また、景気が良好であったため、正規就職の意志があれば比較的簡単に就職が可能な時代でもあったので、人生設計上の問題も生じなかった。こうして、各人の都合による時間帯に労働をすることができる“新しい雇用形態”として、学生のみならず一部の社会人の間でも重宝された[6]。 また、1986年(昭和61年)7月1日労働者派遣法(通訳、航空機操縦士、プログラマーなど専門技術を持つ者のみ対象)が施行されると、一つの会社に所属するのではなく、不特定多数の会社と契約を締結して労働をするというフリーエージェントのような生活をする若者が発生した。

これが当初のフリーターの発生経緯であり、初めの頃のフリーターは“不安定な雇用”ではなかった。フリーターの状況が一変したのは、アルバイトの賃金が急速に落ち込んだバブル崩壊後である。

氷河期フリーターの大発生

バブル経済が崩壊すると、アルバイトの賃金は急落し、同時に大多数の企業が正社員の雇用自体も抑制し始めた。1993年(平成5年)以降、新卒の求人倍率は低下し、企業側の新卒を厳選する態度は厳しくなった[7]。そのため、新卒の求人倍率が一倍以上に保たれていながら、学生たちは「数十社回って内定が一つ取れるか取れないか」という状況へと陥った。いわゆる「就職氷河期」の到来である。2000年~2005年の超氷河期と呼ばれた時期は過酷さを極め、大学卒業者ですら、半数近くが就職すらできないという状態であった[8]

さらに、ハローワーク中途採用枠も、求職者数(就職希望者)に対して求人数(雇用口)が半分近く不足状況であったため、新卒の段階で就職できなかった者の何割かは、フリーターになる以外に選択肢のない状況へと追いやられた。これが後に深刻な社会問題となる“氷河期フリーター”の発生経緯である。

 

Wikipedia「フリーター」より)

 

 業種が限られているのであまり知られなかったが、1996年の派遣法改正で派遣労働が認められる業種が拡大した。それで翌1997年には当時私が務めていた会社にも派遣社員が入ってきた。生物学系の修士課程を修了したけれども希望する会社に入れず、止むを得ず派遣社員の道を選んだ若者だった。当時から「派遣」が労働者を安く使う目的で導入されたことは知る人は知っていた。もちろんその背景には1995年に日経連が出した「新時代の『日本的経営』」があった。

 しかし、政界では派遣労働に対して至って鈍感だった。だから1999年の派遣法改正時には日本共産党除く*1野党は、民主党はもちろん社民党に至るまでみな賛成した。社民党はのちの「コイズミカイカク」をも当初後押ししていたような鈍感な政党だったから、絶滅危惧種となった現在の惨状を招いたのだろう。社民党にせよ民主党系政党にせよ、当時の総括がどれくらいできているかは甚だ疑わしい。もっともこの件は以前にも書いたことがあって、枝野幸男は「誤りだった」と認めているらしいが。

 下記は2011年11月17日にこの日記に書いた記事。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

  民主党小泉政権時代の2003年に行われた、派遣労働の対象を製造業にも拡大する2004年改正派遣法の採決時には反対に回った。製造業への派遣労働の解禁も問題が大きく、私は四国在住時に勤めた企業で、雨宮処凛氏が著書で紹介したのとそっくりの事例に直面させられたことがある(これも何度か書いたので今回は書かない)。2003年の時点ではさすがの民主党も派遣労働の問題に気づいていたようだが、気づくのが遅すぎた。

 また、「国民の生活が第一」をスローガンにしていた小沢一郎が、派遣労働拡大の反省や総括を今に至るまで一切していない(ように思われる)ことも指摘したい。

 話が飛んだが、1999年頃には「非正規」という言葉はあまり使われなかったのは確かだが、一部の業種では「派遣」という言葉がアンダークラスの階級に属する労働者を指して使われ始めていた。一方、「フリーター」という言葉は、バブル期には肯定的な意味で使われていたが、就職氷河期においてはもはや肯定的な意味合いは失われていた。しかし、「非正規」という階級的な言葉が普及したのは今世紀に入ってからだろう。安倍政権が「非正規」という言葉を消したがっているらしいが、いうまでもなくこれには階級社会の実像を不可視化したいという政権の強い動機から発しており、類例として安保法制を「平和安全法制」と呼び変えていることが挙げられる*2

 「非正規」が階級を指す言葉として使われている例として、星野智幸の短編小説「地球になりたかった男たち」(「文藝」2013年冬号掲載;短篇集『焰』(新潮社2018)収録)から以下に引用する。

 

(前略)岸川の性格がねじくれているのは非正規上がりだからだとかいった話になる。そう聞いたときには、森瀬も思わず納得してしまったものだ。あいつが非正規の連中に厳しいのは、自分はあいつらとは違うってことを証明したいからで、その卑しさがいかにも非正規上がりそのものって感じなんだよね。後ろ暗いやつほど、マイナスの痕跡を消したがるからな。そのくせいつも非正規上がりだって馬鹿にされているんじゃないかって気にしてる感じだし。でもそれって正しくない? 実際馬鹿にされてるわけだから。いずれにしても、非正規上がりのせせこましさっていうのは内面からじわじわとにじみ出てくるから、隠しようがないよな。

 飲みの席では深く同意し納得していた森瀬だが、帰って一人になってみると、自分の毒に脳が侵されていくのを感じた。あんな寒々しい中傷をいとも簡単に信じ込んでしまう自分は病気だと思った。(後略)

 

星野智幸「地球になりたかった男」より。『焰』(新潮社,2018)122-123頁)

 

www.shinchosha.co.jp

 

 また話が逸れるが、この小説を収めた星野智幸の短篇集『焰』には、「半島系クレーマー」への差別意識を込めた陰謀論をかつての友人が語る「木星」(「新潮」2014年6月号掲載)も収録されているが、現在日本で猖獗を極める「反韓」言説とは、「ニッポンジン」が脳内ででっち上げた国際社会の階級において、自国より「下」の階級だと「ニッポンジン」が勝手に決めつけている韓国に対する妄想的「アッパークラス」からの差別意識ではなかろうか。しかもこの場合は、現実にはそんな階層関係は存在しないだけになおさら救いがない。しかし、この集団的妄想に「深く同意し納得」させられている人たちが増えていて、彼らが安倍内閣の支持率を高止まりさせているのだろう。

 星野智幸については、2013年末に下記記事を書いた。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 上記記事は、朝日新聞オピニオン面に掲載された星野氏の寄稿について書いたものだが、「宗教国家日本」のタイトルで、エッセイ集『未来の記憶は蘭のなかで作られる』(岩波書店,2014)に収録されている。 

 

www.iwanami.co.jp

 

 先週土曜日に図書館で上記2冊の本を借りて、エッセイ集の方は既に読み終え、短篇集『焰』は9篇中6篇まで読んだ。星野氏の『俺俺』は大江健三郎賞を受賞したが、かつて筒井康隆大江健三郎にずいぶん接近していたことを思い出す。しかし、筒井の偽悪性は安倍晋三を頂点とするマジョリティの「本音」になってしまう倒錯の時代になってしまったのに、それに気づかない筒井が「反韓」の言説を発して批判された事例が先年あった。筒井の偽悪性は「断筆宣言」前の1990年代前半までは通用したが、時代の変化に合わせて自らを変えられなかった筒井は、晩節を汚したとみるべきだろう。あれがマジョリティになってしまってはダメなのだ。差別的言説がマジョリティの意見として通用する悪夢のような時代。それが「嫌韓」の言説が跳梁跋扈する今の日本だ。

 話が完全に逸れたが、時間が来たので今日はここまで。

*1:最初の公開時に「日本共産党を含む」と書いてしまいましたが、これはもちろん「日本共産党を除く」の誤記です。事実とは正反対の誤記をやらかしてしまったことについて、日本共産党とその支持者の方にお詫びします。

*2:TBSの「サンデーモーニング」が、安保法制を「平和安全法案」と呼ぶ岡本行夫をコメンテーターとして重用していることは、この番組の右傾化を端的に示すものだろう。

千葉県の「南北問題」と昭和期の林業政策のツケ・新自由主義・「崩壊の時代」などなど

 台風15号による千葉県南部の被害の報に接して真っ先に思ったのは首都圏内での格差の問題だった。それを原武史は鉄道の観点からツイートしていた。

 

 

 

 上記はだいぶ古いツイートで、その後まずJR内房線外房線、次いで9月14日にはいすみ鉄道が完全復旧した。しかしJR久留里線は今なお全線で運転を見合わせており、小湊鐵道も完全復旧には至っていない。

 

https://response.jp/article/2019/09/17/326575.html

 

JR久留里線は依然、全線で運行見合せ…小湊鐵道は今週末の全線再開を目指す 台風15号

 

台風15号の影響で被災した千葉県内の鉄道は、9月17日時点で、JR久留里線(木更津~上総亀山)全線と小湊鐵道上総山田~上総中野間で依然、運行見合せが続いている。

内閣府の9月17日7時時点の発表によると、久留里線は袖ヶ浦市内の東横田駅と横田駅で発生した屋根の損傷のほかに、久留里~平山間でのり肩(のり面とのり面上の平らな部分との交差部)の一部崩壊や倒木も確認されているという。

また小湊鐵道では、市原市内の馬立(うまたて)~上総牛久間や上総牛久駅構内で送電線や通信線が断線。月崎~上総大久保間では土砂崩壊が確認されている。

同鉄道は9月13日に特別ダイヤにより五井~上総山田間で運行を再開。代行バスは上総山田駅~里見駅間の運行に変更しており、今週末の全線再開を目指すとしている。

なお、上総中野駅で小湊鐵道と接続しているいすみ鉄道(大原~上総中野)は、停電が解消されたため、安全確認後の9月14日17時に上下線が再開している。

東京電力パワーグリッドが14時29分に発表した情報によると、同鉄道沿線のいすみ市は約600軒、大多喜町は100軒未満の停電となっており、大幅に解消が進んでいる。一方、小湊鐵道で大半を占める市原市は約6000軒で停電が解消されていない。

《佐藤正樹(キハユニ工房)》

 

(「Response」2019年9月17日(火)15時19分)

 

  房総半島での倒木に関しては、戦後の林業の行政に問題があったとの指摘がある。

 

news.yahoo.co.jp

 

 以下、記事の後半部を引用する。

 

捨ててしまった歴史的な森の育て方

 房総半島、とくに山武地方はなだらかな丘陵地が多いが、土質は砂岩と粘板岩の風化した痩せた土壌である。乾けばホコリが舞い、雨が降れば泥になる。

 そこで江戸時代から独特の農林業技術が発達した。最初は、小麦やナタネ、落花生など畑作を行いつつ、痩せ地に強いアカマツクロマツを植える。十数年経ち、マツの一部を薪として販売しながら、その下にスギを植栽する。スギはマツに保護される形で育つ。次第にマツとスギの落葉が溜まり、土地は肥えてくる。スギが育つと間伐しながら、その跡地にヒノキを植える。マツも大木は残しておく。

 つまり農業と平行しながらマツ、スギ、ヒノキと環境に合わせて植え継ぎ多様性を築く。落葉が土壌を保護するから、皆伐せずに森を維持し続ける。このような技術で、健全な木々を育ててきたのだ。

 しかし、戦後は長い時間をかけて多様な木を育てることが嫌われた。木材が高く売れたため、残されていたアカマツの大木も伐られてしまった。そして政策的にスギの一斉林づくりが奨励された。補助金によって全国画一的な1ヘクタール3000本の苗の植え付けが強要されたのである。

 だが皆伐してスギの苗だけを一斉に植えたのでは、土壌保全能力が失われてしまう。それに一斉林は、適切に間伐をしないと林内の風通しが悪くなり、樹木が健全に育たない。そんなスギは、溝腐れ病に罹患しやすくなった。すると芯が真っ黒になるうえ、腐って溝ができると材としてまったく価値はない。

防災にも重要な林業政策

 一銭にもならないため森林経営の意欲は低下し、大量の放棄山林が生じてしまった。それがより溝腐れ病を蔓延させた。そんなスギが今回バタバタと折れているのだ。

 森にも歴史がある。試行錯誤を経てよりよい状態を築いてきたのに、目先の木材生産だけを考えて伝統を崩すと、どこかに齟齬が発生する。

 今回の災害は、風があまりに強かった台風が引き起こしたものだ。しかし地域に合わせた林業技術を捨て、多様性を失わせた末に放置を招いた林業政策も、処理の難しい倒木を大量に発生させた一因かもしれない。

 ともあれ倒木処理は、二次被害を出さないよう慎重に行ってほしい。そして、今後の林業行政も一考していただきたい。林業は防災にも深く関わっているのだから。

 

出典:https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakaatsuo/20190917-00142951/

 

 新自由主義者たちが大好きな「身を切るカイカク」によって公務員を減らしすぎた悪弊も指摘されている。下記記事はリンクのみ示す。

 

news.yahoo.co.jp

 

 そして安倍晋三の問題、それに安倍を批判できない「崩壊の時代」の問題がある。

 

 

 

 後者のツイートを発した米山隆一は、自身がかつて日本維新の会に所属していたり、新潟県知事を突如投げ出したりするなど問題の多い人物だが、問題点の把握と批判にはすぐれている(さすがは元「受験秀才」というべきか)。

 特に、安倍晋三とその政権が「『何でも擁護』で守られて批判されない」(=批判する言説の絶え果てた「崩壊の時代」)弊害は、ここにきてますますひどくなっている。

 数年前にさる芸能人候補が国政選挙に立候補して「批判なき政治」なるスローガンを標榜して当選した時には唖然としたが、それは時代の空気を敏感に反映したスローガンだったのだ。この元芸能人は内閣府政務官に「抜擢」された。そのうち誰かさんを見習って「八紘一宇」とか言い出すかも知れない。そういやこの「誰かさん」は入閣を見送られたが。

 しかし、アレが入閣しようがしまいが「崩壊の時代」の泥沼は、ますます深さを増すばかりだ。

玉木雄一郎(民民)、立花孝志(N国)と「党首会談」をやらかして批判を浴びる(呆)

 数日前のことだが、同じ日に、山本太郎(山本元号党)と志位和夫共産党)、玉木雄一郎(国民民主党)と立花孝志(N国党)の2件の「党首会談」が話題になった。前者は議論を呼んでいるが、後者には批判しか聞こえてこない。何しろ自民党に行った長島昭久にまで批判されている。ここでは政治家ではなく嶋﨑量弁護士のツイートを挙げておく。

 

 

 私には、いかにも玉木のやりそうなことだとしか思えない。この人は単に「軽い」だけではなく「右」が大好きなのだ。ネトウヨ根性の持ち主だと言っても過言ではない。

 今でも不快感をもって思い出すのは、「希望の党」設立騒ぎの時に浮かれまくっていたことだ。これがこの政治家の正体だと考えている。

 民進党が分裂して希望の党の単独代表に収まってからも、玉木は「右へ右へ」とウイングを広げて、「『政党支持率3%』だとか言われている」支持を拡大すると抜かしていた。玉木の「『右』志向」の強さがうかがわれたが、その後希望の党及びその後身である国民民主党政党支持率が3%に届いたことは一度もなく、小沢一郎が加入しようが何をしようが支持率には全く影響せず、政党支持率1%前後でずっと推移している。

 

 ところで、私には全く理解できないのだが、「右」が大好きな人たちには「N国党」はそれなりに魅力のある政党らしい。2週間ほど前には下記の指摘もなされていた。

 

 

 山本党の「コアな支持層」にN国に親和的な一定の人たちがいることは私も感じる。そしてそれは、「アンチ立民」や「アンチエリート」に加えて、「右」への親和性の高さが起因しているようにも思われる。

 ずっと前からこの界隈では「『右』も『左』もない」を合言葉にしていたし、小池百合子に積極的にすり寄ったりもした*1。また、極右政党・日本のこころにかつて属していた鈴木麻理子を自由党に引き入れるなどの動きを、同党の支持者たちは批判してこなかった。さらに小沢一郎は2012年頃には「私の考えは橋下市長と同じだ」と口癖のように言っていたが、これに対する支持者からの批判も全くといって聞かれなかった。

 そして、小沢一郎玉木雄一郎とは以前からなぜか馬が合ったのだった。 

 今回玉木雄一郎が見せたような「安易にN国党にすり寄る体質」は、山本党の支持層にも相通じるのではないかと思えてならない。

*1:ただ、都市部の「リベラル」にも小池百合子に積極的にすり寄る傾向があった。小池百合子には右翼的な心情を持つ人たちに対する吸引力と、それとは相容れないはずの「都市部『リベラル』」に対する吸引力の両方をなぜか持っていて(小池百合子民進党の連携に『ワクワク』した人たちが後者の典型例)、それを利用して一昨年の都議選で「都民ファーストの会」を躍進させたのだが、衆院選前の「排除」劇で後者の離反を自ら招いて自滅したのだった。

災害への無関心・無神経が常軌を逸している安倍晋三政権と、それを批判できない「崩壊の時代」の人々

 台風15号が千葉県(特に南部)や神奈川県・静岡県などに大きな被害を出しながら、安倍晋三は台風被害などどこ吹く風で平然と内閣改造を進め、テレビも内閣改造、ことに小泉進次郎のニュースに明け暮れていた(もちろん、その間に韓国叩きを挟むことだけは忘れなかった)。

 台風襲来から何日か経ち、それにもかかわらず停電その他がなかなか復旧しない事態が知られるようになるにつれ、ようやく安倍政権への批判が出てきた。

 それにしても、昨年の「赤坂自民亭」騒ぎといい、今回の台風無視の内閣改造といい、安倍政権の災害に対する無関心・無神経は常軌を逸している。下記ツイートが簡潔に言い表している通りだ。

 

 

 こんな安倍政権を批判できない、テレビや新聞に代表される言論状況は、まさしく「批判する言説の絶え果てた『崩壊の時代』」そのもの。

 御用文化人の高橋洋一に至っては、下記の恥知らずなツイートを垂れ流した。

 

 

 このツイートに実に1万5千件以上の「いいね」がついていることも心胆を寒からしめる。もちろん高橋のツイートに対する批判的な反応はそれなりに多いが、1万5千件以上の「いいね」が強烈な同調圧力になっている。

 高橋洋一に関していつも腹が立つのが、松尾匡を筆頭とするいわゆる「リフレ派左派」が高橋洋一を全然批判できないことだ。これもまた「批判する言説の絶え果てた『崩壊の時代』」ならではの風景といえるだろう。リーダーがこのていたらくだから、先の参院選で「薔薇マークキャンペーン」は功を奏さなかったのだ。