kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

渡辺喜美氏去就定まらず 比例模索「諦めず努力」(下野新聞)

 渡辺喜美、まだ現役の国会議員だったなのか。この人の存在自体忘れていた。

 

 

 以下、下野新聞の記事を引用する。左記のメディア名を入力する時に妙な抵抗があったが(笑)。

 

渡辺喜美氏去就定まらず 比例模索「諦めず努力」

2022/6/16 05:00 (JST) 6/16 14:20 (JST)updated

© 株式会社下野新聞社

 

 今夏の参院選で改選となる無所属の渡辺喜美(わたなべよしみ)参院議員(70)は15日、去就が定まらないまま国会閉会を迎えた。立候補の意向は変わらず、いずれかの政党から全国比例での出馬を模索している。公示まで1週間に迫る中、渡辺氏は取材に「第三極となる政治勢力をつくるため、諦めずに最後の努力をしている」と語った。

 

 参院本会議後、会派控室で岸田文雄(きしだふみお)首相らの各派あいさつ回りを出迎えた渡辺氏。「景気後退時には必ず政変がある。ぜひ対策を」と迫ると、岸田首相は「渡辺先生の言葉には重みがある。同じ内閣で仕事をした縁もあり、しっかり受け止めて努力する」と応じた。

 

出典:https://nordot.app/909898484727791616

 

 Wikipediaで確認したが、渡辺は2014年の衆院選で落選。これはよく覚えている。しかし、2016年の参院選で維新から比例区に出馬して当選したことは忘れていた。それ以降をWikipediaから引用するが、全く記憶にない。

 

維新では副代表に就任したが、2017年東京都議会議員選挙への対応を巡り党内で対立[13]。維新が小池百合子東京都知事率いる地域政党都民ファーストの会との対決姿勢を示したのに対し、渡辺は音喜多駿みんなの党出身の都民ファーストの会の候補者3名を応援する意向を示し[14]、2017年6月22日に離党届を提出したが、届は受理されず同日除名処分を受けた[15]

2017年10月の第48回衆議院議員総選挙が間近に迫った同年9月に小池百合子による希望の党の設立に影の存在として関わり[16]衆議院栃木3区へのくら替え出馬に意欲を示していたが[17]、小池側の要請で出馬断念し[18][19][20]、代わりに妹の渡辺美由紀を栃木3区から希望の党候補として擁立したが落選[21]。その後、「当面は無所属議員として仕事をやらせてもらう」と述べ、希望の党に参加しない意向を明らかにした[16]。11月1日の首班指名選挙では安倍晋三に投票した[22][23][24]

2019年1月5日には、旧みんなの党解党後に渡辺が設立を届出ていた「みんなの党」(同名の政治団体)から第19回統一地方選挙の候補者を公募・擁立する考えを表明した[25]

2019年7月30日、NHKから国民を守る党立花孝志と共同会見を開き、参議院において院内会派みんなの党」を結成。会派代表には渡辺が就任。

 

出典:渡辺喜美 - Wikipedia

 

 なんと、渡辺は2017年の東京都議選に「都民ファ□ストの会」から出馬した元「みんなの党」の音喜多駿らを応援するために、維新の意向に逆らって都ファを応援し、維新を除名されてたのか。音喜多といえば斎藤美奈子が対談して意気投合した醜態*1が思い出されるが、彼は間もなく小池百合子と袂を分かって2019年参院選東京選挙区に維新公認で当選したのだった。間違いなく渡辺は怒り心頭に発したであろうが、自業自得としか言いようがない。渡辺はその参院選後には立花孝志とつるむに至った。

 Wikipediaの「渡辺喜美」の項には16件のはてブがついているが、コメントは1件だけ。その日付が哀れを誘う。

 

渡辺喜美 - Wikipedia

見所のある人だと思う。頑張って欲しい。

2008/04/05 00:36

b.hatena.ne.jp

 

 2032年には山本太郎の名前なんか誰も覚えていないんじゃないかな。

 

 後続の人の話はともかく、渡辺は参院選に立候補できるんだろうか。

*1:もちろんこれは斎藤に対する批判。

たかまつなな「"余命投票制度”を導入し、高齢者ほど投票のポイント数を制限して、高齢者の意向が反映されにくくするべき」(呆)

 たかまつなな(1993-)って、一度金曜日だったかのnews23に出ていたことがあった。なんだこのわけのわからない人は、という印象しか持たなかったが、とんでもない人だったんだね。

 

 

 それで、若いと思っていたのにいつの間にか50歳を過ぎていた橋下徹(1969-)をやり込めるつもりでもあったのかねえ。あまりにも軽薄な人だ。

 

 

 「コロナの死亡者が多いといっても死んでるのは老人ばかり。これ事実」などと偉そうに宣ったどっかの知事と同じ発想ですな。

 

 

 

 ああ、それで一時立民支持層が激しくたかまつを叩いていたわけか。

 

 たかまつという人も、大きな流れから見れば時流に乗っかろうとする以外の何もしていないように見える。

弊ブログより少しだけ「右」の視点から内閣不信任案と山本太郎&新選組を考察してみた

 最近は専らプーチンにシンパシーを抱くような「権威主義的な左翼」に対する批判ばかりやっていたが、維新の参院選比例区候補予定者・猪瀬直樹が東京選挙区から立候補を予定している海老沢由紀の街宣でセクハラ行為をやったのではないかと言われている件について、そういや石原慎太郎系列の人間だった猪瀬が「参院自民のドン」とやらを批判した時に、それに乗っかって喜んでいたブログ*1の運営者はどんな記事を出したのだろうかと思って、『日本がアブナイ!』を久々に見に行った。

 猪瀬の件についてはまあ普通の記事だったが、先の通常国会の終わり近くで立民が出した内閣不信任案に関する記事が、同ブログの記事の中では最近もっともアクセス数の多い記事だったようだ。それに注目した。

 

mewrun7.exblog.jp

 

 上記ブログの記事を引用するのは久々でもあるし、上記リンクの記事の中にブログ主のスタンスが表明されているので、まずその部分を引用する。

 

 いつも書くように、mewは基本的には中道系無党派であって、個々の方針や政策を是々非々に判断するタイプだ。

 それゆえ、決してアンチ自民党ではないし。<アンチ超保守・新自由主義ゆえ、アンチ安倍ー菅、維新だけど。>

 泉・立民党の支持者でもない。<基本的に自由主義者なので、共産・社会党も支持していない。>

 

 ただ、どの政党が政権与党になったとしても、常に拮抗した勢力の野党が存在することが必要だと考えている。その方がより多くの&多様な国民の意思が国政に反映しやすいし。政権与党の独裁的な国政運営、暴走などから、国民を守ることができるからだ。(**)

 

与野党が拮抗していないと、与党は野党の声に耳を傾けず、数の力で法案を押し通したり、好き勝手な、時に偏った国政運営を行なおうとするので、できれば6:4ぐらいまでの方がいいかなと。もし与野党がきちんと議論できるなら、衆参ねじれでもいいかも。逆に与党側に2/3以上の議席を持たせるとアブナイと考えている。>

 

出典:https://mewrun7.exblog.jp/29975877/

 

 申し訳ないけれどもコメントさせていただくと、「自由主義者」という自己規定から、ブログ主のスタンスとともに年齢層がある程度推定できる。後者については、2015年にラグビーの五郎丸が注目された時に、かつてプロ野球阪神タイガースからドラフト1位指名を受けた源五郎丸洋選手を思い出したという記述からも推定でき、まあ私と同世代または少し下、あるいは仮に上であったとしてもほんの少しだけ、という世代だろうと勝手に思っているのだが、昔は「社会主義」の対義語として保守の人たちが専ら用いていた用語が「自由主義」だったのだ。

 しかし、今では保守層の間でも(政治を語る場合での*2)「社会主義」の対義語は「資本主義」だ。現に首相の岸田文雄自身が「新しい資本主義」と言っている。

 かつてはそうではなかった。中には「資本主義」の用語を嫌って「自由主義と言え」などと怒り出す人もいた。しかしそんな人もほとんどいなくなった。

 この件で私がいつも思うのは、元号と西暦の関係と似ていることだ。

 日本では1980年代末頃まで年数を元号で表記するのが一般的で、西暦ばかり使っていると「左翼ではないか」と警戒された。しかし、今では元首相・安倍晋三が国会の答弁でしばしば西暦を用いた事実にも反映されている通り、西暦を使う方が当たり前で、元号は某政党(組)の名前か役所に出す書類くらいにしか使われない。元号と西暦との関係は「自由主義」と「資本主義」との関係に似ている。

 なおブログ主が用いる意味での「自由主義」は「経済自由主義」というべきものだ。純粋な経済自由主義は「市場原理主義」として新自由主義の一つの側面になるが、それに縛りをかけて「資本の暴走」を制御しなければいかな保守政権であっても政治はできない。これを左側の言葉では「修正資本主義」といい、より一般的な言葉を用いれば「福祉国家を目指そうとする動き」等になる。

 蛇足ながら、自由主義の対義語は権威主義であって、最近弊ブログにキャンキャンとうるさく吼えかかる某暴犬のブログやブコメの数々が権威主義的言説の典型例だ。その特徴は、いかに「左翼」や「左派」を装っていても実際には大国の侵略行為をろくすっぽ批判できなかったり、ロシアや中国で行われている少数民族の抑圧について、抑圧された側が西側に支援を求めただけで「友敵論」に基づいて少数民族側をサディズム剥き出しで批判するという、反吐が出る醜悪さにある。

 すっかり脱線したが、今回リンクしたブログ主氏は「自由主義者」つまり資本主義者を自認していることと、いかにも都市部の人らしい感覚の記事が多いので、しばしば氏のスタンスを「都会保守」と評している。

 しかし、枝野立民時代には相当な立民シンパだったと思われた氏が「泉・立民党の支持者ではない」と明言していることから、立民の中でも泉健太のような右派とは一線を画していることがわかる。2016年の参院選では小川敏夫に投票したと書いていたはずだ。私もこの選挙では維新公認の田中康夫山本太郎に応援された民族主義系右翼・三宅洋平を共倒れさせるために小川敏夫に投票した。この時には期待通りの結果になった。

 以上にみる通り、社民主義的な立場に立つ私から見ればブログ主は私より「少し右」の立場の方なのだが、その方から先の不信任案提出劇がどう見えたかということが興味深かったので、以下に引用する。

 

 先週9日、立憲民主党が、細田衆院議長と岸田内閣の不信任案を提出した。(・・)

 

 共産、社民などは賛成したものの、ニセ野党(ゆ・よ党)の維新の会は賛成せず。反対多数で否決されてしまったのだが。

 実際に、細田議長の言動や岸田内閣の政策には信任し難い面があるわけで。mewは、立民党が可決されないことがわかっていたとしても、一部議員&国民の意思として、不信任案を出したことは評価したいと思っている。

 少なくとも、批判されるようなことではないと・・・。(@@)

 

 ところが、与党ならともかく、表向きは野党(ニセ野党、隠れ与党?)の国民党や維新の会は、不信任案に賛成しなかっただけでなく、立民党が不信任案を出したこと自体を次々と批判。

 しかも、先週も少し書いたのだが、本来なら政府与党の問題点を追及すべきメディアの多くが、立民党が不信任案を提出したことに関して「パフォーマンスだ」「野党に溝」などと批判的なタイトルの記事を出していたことに、唖然とさせられたし。ある種の危機感を覚えた。(~_~;)

 

 健全な民主政治を行なうためには、与党&野党が様々な国民の意思を反映できるように国会で議論することが重要な要素になるのだが。

 いまや、本来、与党と対峙する野党であるはずの維新の会や国民党が、国会活動(改憲含む)でも与党側に立つ機会が増えている上、自公与党と共にえげつないほど「立民党叩き」に力を入れているような状況に。(-"-)

 

 しかも、メディアまでがそれに便乗して、何かにつけて立民党批判の記事を掲載するようになっていて・・・。(あまりニュース記事を読まないネット民のことを考えてか、タイトルで立民党がダメ政党であることをアピールするのよね。>

 このままだと日本は、まともな野党勢力が存在せず、偏った民主主義の危険な国(=戦前の大政翼賛会みたいに、ほぼ独裁制の国)になってしまうかも知れず。

 マジで「日本がアブナイ!」と、強い危惧感を覚えている。(ノ_-。)

 

出典:https://mewrun7.exblog.jp/29975877/

 

 上記引用文でまず思ったのは、不信任案に賛成しなかった野党は維新や民民だけではなかったんじゃないかということだ。×××新選組も不信任案に賛成しなかった。

 さらに、立民の不信任案提出を「パフォーマンスだ」と評した、本来なら政府与党の問題点を追及すべき立場にあるのは、何もメディアだけではなく、×××新選組にも当てはまる。新選組は不信任案提出を「茶番」だと評したのである。

 ブログ主の書く「このままだと日本は、まともな野党勢力が存在せず」、「戦前の大政翼賛会みたいに、ほぼ独裁制の国」になってしまうとの危機感には共感する。

 新選組はロシアに対する非難決議に反対した自らの立場をアピールする際、大政翼賛会云々を言っていた。自分たちこそ「大政翼賛会化に抗う政党だ」と言いたいのだろう。

 しかし実際に新選組がやっていることは、上記ブログ記事が指摘する(既成)野党叩きなのだ。とんでもない欺瞞である。

 ブログ記事を読んだ感じたことがもう一つある。それはブログ主が×××新選組を批判の俎上に挙げるのを慎重に避けていることだ。これは「リベラル」系政治ブログに働く同調圧力のなせる業だろう。このような惰性力の上にあぐらをかいているのが山本太郎新選組であるように私には思われる。彼らのやっていることこそ、時流に阿(おもね)った既成野党批判と、自らが目立つための「茶番」としての不信任案棄権、そして誰だかわからない*3新左翼系の人間に吹き込まれたであろう「ロシア非難決議への反対」なのだ。ふざけるなと言いたい。

 今回リンクしたブログ記事にも、時事通信の記事の引用の形で新選組の名前は出てくる。以下引用する。

 

『不信任案への賛成票は立民、共産、社民3党の計105。定数465の4分の1にも満たなかった。ただ、反対票を投じた政党も自公両党のみ。維新や国民、れいわ新選組などは棄権した。主導した立民を「参院選に向けた対決アピール」と批判する一方、セクハラ疑惑が事実なら、細田氏の「信任」は自らへの打撃となりかねないためだ。

 

 維新の山本剛正氏は討論で「議長本人から真実が語られることを期待する」と強調。国民の玉木雄一郎代表は記者団に「十分な判断材料がないため欠席したが、(細田氏は)説明責任を果たしてもらいたい」と促した。(時事通信22年6月9日)』

 

出典:https://mewrun7.exblog.jp/29975877/

 

 引用文中の赤字ボールドは引用者によることはいうまでもない。

 

 なお、不信任案をめぐるブログ主のスタンスはいたって妥当だと思ったので以下に引用する。

 

 正直を言えば、mewも、特に大きな問題もないのに、会期末にやたらに不信任案を出すのは、いかがなものかと思うのだけど。<自民党が野党の時は、議長どころか、委員会の委員長の解任動議まで出していなかったっけ?>

 今回は、細田議長にも、岸田内閣にも、不信任案を出すに値するような問題があったのではないかと思う。(++)

 

* * * * *

 

 立民党が細田衆院議長の不信任案を出したのは・・・

1・国政には中立的立場で臨むべき衆院議長の立場でありながら、アチコチで衆院選議員定数是正(10増10減)に反対する発言を行なっている

2・「国会議員は給与が少ない」「会社社長は1億以上もらえるのに、衆院議長は100万しかもらえない」などの問題発言を行なった

3・週刊誌に複数の女性記者へのセクハラ発言を報道されているが、本人のクチからきちんとした反論や説明がなされていない<おまけ・その後、週刊誌で衆院選で買収を行なっていたの報道も>

 ・・・など「議長としての資質に問題あり」「信任し難い」と主張する根拠があったからだ。(++)

 

 実のところ、自公幹部の中からも、「細田氏は自ら説明すべきだ」「議長を辞職すべきでは?」という声が出ているし。

 維新の会も国民党も、本当は細田議長に問題ありだと考えているので、さすがにこの不信任案には「反対」はできず。でも、自民党への配慮もあって「賛成」はしにくいからか、何と議決を棄権するという(姑息な?)手段に出た。(`´)

 

(中略)

 

 また岸田内閣も、ここに来て物価高、悪い円安(by財務大臣)が続いているのに、まともに対策を講じておらず。安保防衛の方針も経済政策も、安倍元首相らの圧力に押され、昨年、首相就任した時に表明した考えとは、どんどんかけ離れているわけで。

 野党として、その姿勢を批判して、内閣不信任案を出すことは、生活に困窮する国民の意思にもかなっていることだろう。(・・)

 

出典:https://mewrun7.exblog.jp/29975877/

 

 下記はブログ記事の末尾からの引用。

 

 しかも、メディアもこそって、『「求心力ゼロ」「茶番」 不信任案で立民批判続出 野党』(時事通信)、『自らを窮地に…不信任案の“宝刀”不発、野党の溝あらわ』(西日本新聞)、『立憲民主党の“自爆”…「不信任決議案パフォーマンス」で露呈した“薄っぺらさ”』(現代メディア)など、あたかも立民党が不信任案を出したのが悪いことであるかのようなタイトルをつけた記事を掲載。

 

 最近は、テレビ離れが進んで、ニュースをまともに見ない人、ネット・ニュースのタイトルだけ見る人(関心のあるものだけ開く人)が増えているようなのだが。

 タイトルだけ見ていると、「あ、立民党は問題のある行動をする政党なんだ」

ダメな政党なんだ」というイメージ付けがされてしまうのではないかと懸念する。<昨年の衆院選の時には、そのようなケースが多かったしね~。^^;>

 

 メディアについては、また機会があったら書きたいのだが。最近「与党に都合の悪いニュースは控えめに」「維新のイメージをあげるように」「立民党の報道は、批判を中心に」という傾向が見られることには、大きな問題があると思うし。

 日本の未来を大きく左右する大事な参院選を前に、心あるメディアは中立的立場で、政権与党の政策や改憲などの重要な問題をきちんと伝えて欲しいと心から願っているmewなのだった。(**)

 

出典:https://mewrun7.exblog.jp/29975877/

 

 私が朝日新聞を宅配で読んでいたのは2018年4月末までなので、最近の同紙が「民民の提案路線を絶賛して立民を腐している」とか「維新寄りだ」などと立民支持層と思われるTwitterアカウント等から評されているのを見ても、果たしてそこまで劣化したのかは今でも正直半信半疑なのだが、以下にいくつかのツイートをリンクする。

 

 

 上記ツイート及びそこからリンクされた記事を受けた論評が下記。

 

 

 安倍晋三に叩かれた朝日が白旗を掲げたのが2014年だった。あの年には毎日までもが朝日叩きの尻馬に乗っていたので「くたばれ」と思ったが、本当ににくたばりつつある現状は間違っても喜べない。なお朝日は第1次安倍内閣成立前年の2005年にも、安倍晋三と当時まだ生きていた中川(酒)こと中川昭一に屈服したことがあった。そういえば最近は以前ほどネトウヨの朝日叩きを目にしなくなった印象がある。

 

 

 そうだなあ、私は第2次安倍内閣の頃からNHKの右傾化というより安倍政権への迎合に歯止めがかからなくなったのを見て、テレビのチャンネルをNHKに合わせることはほとんどなくなったが、以前からずっとNHKを見続けていると思われる人たちの考え方が急速に右に傾いたことは実感したものだ。

 このように、日々眺めている山本太郎と×××新選組をめぐる「プロとコントラ」の言い合いから少し視点を変えて、私よりほんの少し右に位置するだけの方のブログ記事から現在の政治状況とその中での新選組のありようを考えてみて、権威主義的な一連の流れの中で、自身権威主義的な性格を持つ山本太郎と彼の政党が、一見大きな流れに抗するかのようなパフォーマンスをしているにもかかわらず、実際には大きな流れにすっかり乗っかって「アブナイ」役割を演じているに過ぎないのではないかと思う今日この頃なのだった。

 

 そういえば「きっこ」が山本太郎と×××新選組を応援してるんだってね。最近は奴のツイートを見る機会など全くといってないけど、いかにも相性抜群だと思う。「きっこ」が山本や新選組を批判したなら大きな驚きだが、そうではなかった。

*1:当時ブログ主が露骨に小池百合子へのシンパシーを連日表明していたので、私は大いに腹を立ててしばしばそれらのブログ記事を批判していたのだった。

*2:一般的な意味としては「社会主義」には「個人主義」が対置される等の議論もあり得ようが、それらは棚に上げておく。

*3:党代表である山本太郎は、ブレーンまたは影響を受けている人の名前を全然公表しない。

田中龍作が陰謀論に傾斜した山本太郎を叱った

 田中龍作が「王様は裸だ」と言った。そう思った。

 以下、「田中龍作ジャーナル」の記事より、その後半部を引用する。

 

 

 陰謀論は馬脚を現す。山本太郎が「ロシアを擁護するわけではない」などと前置きしても「NATOの東方拡大」と「ウクライナ東部の人権問題」を持ち出せば、プーチンは大喜びだ。ロシアにとっていい所取りだらけで、誰から吹き込まれたのかと勘繰りたくなるほど一方的な情報である。

 

 これまで山本太郎に好意的だったある法曹人も「山本太郎はあそこまで陰謀論に傾斜して大丈夫か?」と深く憂慮する。

 

 結果としてロシア擁護となるスタンスを取り続ける山本太郎に対して、根っからの支持者から失望の声が次々と私のもとに届く。中には山本太郎衆院選に初挑戦した2012年から選挙を手伝ってきた人もいる。

 

 「●党や●●と同じレベルの危険な政党」
「まともな政党として発展してくれることを願う」
「東西冷戦思考から脱却できていない」・・・

 

 コアな支持層が離反する政党は危うい。

 

 山本太郎よ。ウクライナまで行かなくていいから、北欧のバルト3国や東欧のポーランドを見て来い。そして民族の話を聞いて来い。ロシアがどんな国なのか分かるから。もっとしっかりしろ。

 

(『田中龍作ジャーナル』 2022年6月16日付記事「ウクライナ戦争と参院選挙」より)

 

 なお、山本陣営の選挙戦の戦術としては、下馬評で有利とみられているらしい共産党の山添拓から票を奪おうとしているとの見方が多い。下記は神子島慶洋氏のツイート。

 

 

 今回もまだチャンスはある。山本太郎と、ウクライナ戦争に関してはOBの橋下徹や現役の鈴木宗男が暴言を発し続けている維新の海老沢由紀、それにファ□ストの会の荒木千陽の3人に全滅してもらうことだ。そのためには山添拓と松尾明弘の当選が必要だ。

 鍵は2つある。1つは参院選の選挙戦でウクライナ戦争に関するスタンスを議論して有権者に注目してもらうことができるかどうか。もう1つは、立民が蓮舫の票を松尾に思い切って大量に流し、改選前と同じ2議席の確保を本気で狙いに行くかどうかだ。

 残念ながら、2点ともそうはならないのではないかと思えてならないが。ことに後者には共倒れのリスクや蓮舫のプライドの問題もあろうし、圧倒的に松尾よりも蓮舫に流れるであろう無党派層の票は制御できないから、よほど極端な票の流し方をしない限り成功できないと思われる。前回の蓮舫小川敏夫の得票差の実績を見てもほとんど期待できないというほかない。今回もおそらく泉健太は最初からそんなことをやるつもりもないだろう。

日本の新自由主義的政策は何も小泉純一郎や竹中平蔵が始めたものではない

 下記記事にコメントをいただいた。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 ヒトシ

初めてコメントします。
1995年は自民社会さきがけ連立の村山富市内閣の二年目で、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件が起きた年だったのではないでしょうか。小泉内閣は2001年からですよ。
1995年も2001年も、ヤクルトが日本一になったのは同じですが。

 

 それは十分承知しています。

 日本の新自由主義は何も、小泉純一郎竹中平蔵が今世紀に入ってから始めたものではありません。1970年代にはその萌芽は十分見られましたし、日本に先駆けてイギリスで1979年にサッチャーが、アメリカで1980年にレーガンが相次いで最高指導者になったことで、新自由主義への流れは確かなものになりました。「保守本流」(宏池会)の大平正芳が総理大臣として「小さな政府」を標榜したのはサッチャーが首相になった1979年で、大平は世界の潮流をよく知っていたわけです。大平よりもっと露骨だったのは1982年に総理大臣になった中曽根康弘ですが、中曽根の場合はネオリベの経済思想よりもサッチャーレーガンネオコンを真似たものかもしれませんが、経済政策でも「民活」(民間活力の活用)や規制緩和が合言葉とされました。

 1989年の海部俊樹内閣成立時に自民党幹事長になった小沢一郎は、旧田中派にありながら、同派には珍しく強烈にネオコンネオリベ路線を志向する政治家でした。彼が推進した1990年代の政治改革が衆院選小選挙区制導入により各政党の執行部独裁化を招いたことは非常に罪深いですが、小沢の「著書」とされる『日本改造計画』のゴーストライターの一人が竹中平蔵だったとも言われています。その小沢の剛腕で1993年に成立した「非自民」の細川護煕内閣は、自民党政権と比較しても新自由主義志向の強い政権でした。翌1994年に成立した自社さの村山富市内閣も、こういった強いネオリベ化を押しとどめることはできませんでした。

 2001年に小泉内閣が成立した時には、社民党までもが「コイズミカイカク」を支持していましたから、小泉政権は1970年代以来ずっと強まってきた新自由主義の流れに本格的に乗ったに過ぎなかったわけです。5年続いた小泉政権の末期になって、ようやく新自由主義への反発が「右」からも「左」からも強まりましたが、昨年の衆院選でも維新の松井一郎が「まだカイカクが足りない」などとほざいているのを聞き、「なんだ、まだそんなことを言っているのか」と呆れたものです。しかし、選挙結果はその維新を大きく押し上げるものでした。そこで弊ブログは「維新主要打撃論」を標榜することにしましたが、維新を倒すよりも野党陣営内を攪乱してのし上がろうとする某小政党が、折しも起きたウクライナ戦争で安倍晋三橋下徹を思わせるロシア寄りのスタンスを取り、弊ブログにいただいたコメントの表現を借りれば同党が「劣化版維新」に過ぎないことを露呈したので、ここ数か月は同党に対する批判を強めている次第です。同党のさる構成員(陰謀論者ですが)の告発によると、同党内の統治に働く原理は「自己責任」であり、党内は極めて新自由主義的だとのことです。

 昨年成立した岸田文雄内閣が「小泉政権以来の新自由主義的政策を見直す」と言い出したことなどから、あたかも日本のネオリベのルーツが小泉であるかのような理解が流布しているかと思いますが、それは大きな誤りです。

 そ岸田の言う「新しい資本主義」が新自由主義の脱却を目指すどころか「貯蓄から投資へ」などという新自由主義そのものの路線にあっという間に固まってしまったことは、新自由主義を志向する惰性力がいかに強いかを物語るものです。あれだって、最初は金融所得課税の税率引き上げを目指していたはずでしたが、それは早々に潰され、岸田は何の抵抗もできませんでした。国の最高指導者といえどもその程度だということです。

 1995年の政策はその数年前には下地が作られていましたし、それはさらに国内では1970年代、世界的には1960年代にミルトン・フリードマンが暗躍した時代に遡れます。第一、「新時代の日本的経営」は時の政権ではなく日経連が発表したものであることを見落としてはならないでしょう。

田中龍作曰く "ロシアの軍事進攻を非難しながらも- 「NATOの東方拡大」「ウクライナ東部の人権問題」を持ち出す。 これらは現地で確認すれば正しくないことが分かる。"

 昔から大嫌いだった田中龍作のツイートに注目した。

 

 

 下記は上記ツイートへの反応の一つ。

 

 

 上記呟きの主は「アンチ山本、アンチ新選組」では全くなく、その逆に新選組の支持者であることに注目したい。このようにまっとうな支持者も「中には」いるということだ。残念ながら変な奴ばかりが目立っているけれども。

 田中龍作に対しては、2013年の参院選三宅洋平の落選に怒ってだったか彼が発した比例代表制に対するディスりぶりがあまりにも悪質だったので以後一貫して嫌ってきたが、ウクライナ入りして現地で取材しての意見発信には一目置かないわけにはいかない。

50年ぶりの歴史的円安の主な原因は日本だけ給料が上がらず世界は給料も物価も上がっているから(「広島瀬戸内新聞ニュース」より)

 この件に関しては新選組構成員・さとうしゅういち氏の指摘が全面的に正しい。

 

hiroseto.exblog.jp

 

 簡潔にして要を得た良い文章なので短い記事を以下に全文引用する。

 

実は円の実質実効為替レート(日本円がどれくらい強いかの指標)は1995年を頂点に下がってきており現在は1970年代前半並みです。主な原因は日本だけ給料が上がらず世界は給料も物価も上がっているから。

20年ぶりどころか50年ぶりの歴史的円安です。

労働条件の引き上げ、くらし底上げの財政出動。そして、中長期の福祉・教育、エネルギー、食料への投資。こういう思いきった転換が必要ですね。

 

出典:https://hiroseto.exblog.jp/29976782/

 

 上記の指摘が正しく、立民が言っているらしい「岸田インフレ論」は誤りだ。上記記事の通り、至ってシンプルな話だと思う。

 何度か書いたことがあるが、私はスワローズが連覇した1993年秋に2か月間アメリカに長期出張で滞在していたので、当時の実感と現在伝えられる状況とを比較して、本当に上記記事の通りだと思う。

 1993年当時、アメリカのハンバーガーや、当地のスーパーで売られていたカリフォルニア米のあまりの安さに驚いたものだ。しかし、今では日本の物価の安さに惹かれて世界中から日本に観光客がやってくるという。

 1995年といえば日経連が「新時代の日本的経営」を発表した年だ。何もあの提言ばかりのせいではないが、日本はあの頃に政策を決定的に誤り、「身を切る改革」とやらに熱狂した。小泉・竹中の悪夢の時代である。「コイズミカイカク」には社民党までもが賛同したため、当時ブログ主のさとう氏は共産党を応援したと記憶している。中でも恥さらしだったのは、当時の民主党代表・鳩山由紀夫であって、鳩山は国会で小泉に「抵抗勢力に対する共闘」を申し出るぶざまさだった。

 弊ブログは一貫して、給料を払えない企業には市場から退場してもらうべきだというのが持論で、このことをしばしば記事に書いてもきた。ある時、その主旨の記事がさる常連コメンテーターを怒らせ、当該の人物は私を新自由主義者と認定し、故ヘンリー・オーツ(大津某, 2015年没)なる事実上のネオナチ人士が運営していた汚らしいユダヤ陰謀論ブログのコメント欄で私の悪口を書くに至った。現在も某(暴)犬に日々キャンキャン吼えかかられて鬱陶しいが、ブログにはこういう雑音がつきものだから仕方がない。

 平河エリ氏が発信した下記の一連のツイートが言う通りではなかろうか。

 

 

 

 

 

 2008年初めに『週刊東洋経済』が北欧特集を組んだことがあったが、当時北欧の社民主義が結構もてはやされた。その北欧諸国は、給料が払えなくなった企業には積極的に市場からの退出を促し、その代わりに個人に対するセーフティネットを手厚くする政策をとっていたと認識している。