kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

民主党小鳩派の海江田万里、狂ったか?

いまや「原発維持(推進)の守護神」と化した観のある海江田万里民主党小沢鳩山派)だが、それにしてもこれはあまりにひどい。


asahi.com(朝日新聞社):「線量計つけず作業、日本人の誇り」 海江田氏が称賛 - 東日本大震災

線量計つけず作業、日本人の誇り」 海江田氏が称賛


 海江田万里経済産業相は23日のテレビ東京の番組で、東京電力福島第一原子力発電所事故後の作業に関連し、「現場の人たちは線量計をつけて入ると(線量が)上がって法律では働けなくなるから、線量計を置いて入った人がたくさんいる」と明らかにした。「頑張ってくれた現場の人は尊いし、日本人が誇っていい」と称賛する美談として述べた。

 番組終了後、記者団に対し、線量計なしで作業した日時は確かでないとしたうえで、「勇気のある人たちという話として聞いた。今はそんなことやっていない。決して勧められることではない」と語った。

 労働安全衛生法では、原発で働く作業員らの健康管理に関連し、緊急作業時に作業員は被曝(ひばく)線量の測定装置を身につけて線量を計るよう義務づけられている。作業員らが被曝線量の測定装置をつけずに作業をしていたのなら、法違反にあたる。厚生労働省は、多くの作業員に線量計を持たせずに作業をさせたとして5月30日付で東電に対し、労働安全衛生法違反だとして是正勧告している。

asahi.com 2011年7月24日0時15分)


海江田万里、狂ったか」と言いたくなるが、江川紹子Twitterがまた最低だ。


http://twitter.com/#!/amneris84/status/94773462362632193

菅首相への反感から、経産省の官僚さんたちとより一体化して原発維持にがんばっちゃってる、なんていうことなないのか心配だにゃ? RT @Kurodaya 海江田さんどうしてしまったのか?少なくとも文化放送野村邦丸さんの番組に出ていた頃はまともだったのに。


江川は、小沢一郎への遠慮からか、原子力村の面々と一体化して海江田擁護にがんばっちゃっているように私には見える。百歩譲って擁護までは行っていないとしても、海江田に対する江川の批判はなぜか手ぬるい。

海江田と江川には、一刻も早く視界から消えてくれと思うばかりだ。

今にして思うと、江川をTBSの「サンデーモーニング」から追放した張本勲の行為はGJだったのかもしれない。

「左」側の「脱原発」批判は「被曝労働」の問題について説得力のある主張を提示できるのか

数日前から、原発に関係する記事を書く力が入らなくなってきた。概して「脱原発」側の言論は、現在やや手詰まり状態にあり、それは菅直人のパフォーマンスを利用する作戦の限界が明らかになってきたせいもあるのではないか。もう少し地に足がついた主張でなければ勝てないと思う。

一方、「左」側からの「脱原発批判」も根強い。私はこれまで、「左」側の「脱原発批判」論者が「被曝労働」や「放射性廃棄物」の問題に触れようとしないことを訝っていたのだが、「被曝労働」について、ようやく「左」側の「脱原発批判」派の言い分が見られる記事を見つけた。


光は失われるばかりなのだろうか - 非国民通信

 残念なことに福島の原発事故以降、かつて左派として振る舞っていた人の多くは労働者のことを考えるのを止めたかに見えます。それもまた流行というものなのでしょうけれど、反原発論の盛り上がりの中で、原発を罵り恐怖を煽り立てる姿勢の強弱が競われるような有様です。電力不足の煽りを受けて生活に不自由する弱者は元より(健常者には過剰に見える明るさや便利さも、障害を抱えている人にはどうでしょうか)、深夜や休日の労働に駆り立てられたり失業の危機にされされる労働者について、かつて左派として振る舞っていた人の大半は黙して語ろうとしません。経済的な苦境のために自ら死を選ぶ人が万を数えるにも関わらず、雇用=経済のことを慮るのは原発事故の被災者を軽視することであるかのごとく扱う人の声も日に日に猛々しさを増すばかりです。結局のところ一口に「左派」と言っても必ずしも労働の問題に関心が高いとは限らない、ただ左派コミュニティ内部での流行を追いかけているだけの人も多かったのでしょう。

 むしろ労働に纏わる普遍的な問題が、あたかも原発に特有の問題であるかのごとく矮小化して語られるケースも目立ちます。業務内容が求人時の説明とはかけ離れていたり、下請け孫請けと中抜きされていく過程で現場作業員の取り分が仕事に見合うものでなくなったり、あるいは職場の安全管理体制に不備が多く自分の身は自分で守るしかない状況だったり等々、こういうことは日本の労働市場全般に関わる問題のはずですが、これがどうも原発に固有の問題であるかのごとく語る人もいるわけです。原発にネガティヴなイメージを与えるには、そういうやり口が好ましいのかも知れません。ただ、原発を「犯人」にすることで原発は潰せても、働く人が搾取されたり危険にさらされる状況を変えることが出来るのかどうか、大いに首を傾げるばかりです。

 電力会社社員を犯罪者のごとく罵る人々もいます。まぁ、今までの公務員叩きと構造は一緒で橋下辺りの言う「公務員」「職員」を「電力会社社員」に置き換えただけみたいなところもあって進歩がないなと思ったりもしますけれど、公務員叩きの不合理を指摘する人に比べて電力会社社員への誹謗中傷を批判的に見る人がどれだけいるでしょうか。もしくは、犯罪加害者にも守られるべき人権はあると訴えてきた人の中で、いったいどれだけの人が電力会社社員にも労働者としての権利はあると語れるでしょうか。公務員なり犯罪加害者なりJAL社員なり「嫌われ者」に対するバッシングには異議を唱えてきた人でも、電力会社社員に関してはどうやら見捨てようとしているようです。安易に人員整理や労働条件の不利益変更、年金受給額の削減を認める前例を作ってしまうことは労働者全体にも大いなる不利益をもたらすこととなるわけですが、今や左派も労働者のことを考えるのを止めているとしたら救いはありません。


赤字ボールドの部分が、「被曝労働」問題に関する「左」側の「脱原発」批判派の言い分なのだろう。だが、果たしてこの言い分は正当だといえるだろうか?

私には、「被曝労働」などの原発現場での労働に固有の問題が、むりやり拡大され、一般化して論じられているように思える。ブログ主の言説は、原発の問題に限らず特定の問題に関して、使用者や行政の責任を追及する言説に対して、「他のところだってやっている」と反論する、「体制」(=使用者や行政)側の支持者が愛用するレトリックと何ら変わらないように思えるのである。

あくまで、個別の問題について事実を明らかにした上で、問題点を解消し、労働者が不当にこうむるリスクを軽減する方向に持っていくのが当然の姿勢なのではないか。特に「被曝労働」に関しては、ガンなどを発症し生命を縮めるリスクに直結するものなのだから、具体例に即した主張を行って電力会社を批判するのは当然あるべき態度だ。不必要な一般化は問題の解決を妨害する以外のなにものでもない。こういう言説が、たとえば線量計をつけずに作業を行った作業員を「日本人の誇り」と持ち上げた海江田万里のごときひどい暴論を許してしまうことにつながる。

最後の段落に書かれている、電力会社社員の報酬の問題については、電力会社の正社員と派遣社員、系列会社の社員などとの格差の問題を無視して語ることはできない。電力会社の正社員の報酬は、メーカーの正社員の報酬と比較しても突出して高いものである一方、被曝労働を強いられる人々の報酬は不当に低い。かつては原発の作業員の給料はそれなりに高かったそうだが、近年それは大きく下げられ、安い給料で「被曝労働」を強いられているのが実態だ。正社員の給料を下げ、その分被曝のリスクをとって(とらされて)働いている人たちに多く報いるべきなのは当然なのではないか。電力総連が経団連と同等の「原発推進勢力」であることはいまや周知の事実だが、電力総連は「被曝労働」の問題に関しては口をつぐむ。これでも「労働組合」を名乗る資格はあるのか。

また、上記ブログ記事は「放射性廃棄物」の問題には一切触れていない。

この他にも、都市に住む人々の利便のために、過疎の地に原発という危険な施設を押し付けている問題があり、迷惑料としての「電源三法交付金」(や電力会社の「寄付」)によって不要なハコモノが建設され、それが地域の民の暮らしを良くするのならともかく、「シャブ漬け」になった原発立地自治体の財政を悪化させるなどして、地域を逆に荒廃へと追い込んでいる問題もある。自民党などは再生エネルギー買取法案で電気代が値上げされるとしてこれを批判しているが、電源三法交付金の原資が「上乗せされた電気代」であることは黙して語らない。


「左」側の「脱原発」批判論者は、これらの諸点について説得力のある言説を示すことはできるのだろうか。

小沢一郎や鳩山由紀夫の「マニフェストは守れ」の言葉にはもはや説得力がない

http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-739.html より。

民主党は一昨年の衆院選以来「マニフェスト政治ごっこ」という茶番を演じてきましたが、とうとうマニフェスト放棄を正式に認めざるを得なくなったようです。しかし小沢氏や鳩山氏に岡田氏のマニフェスト誤り発言を非難できる資格があるのかと疑問に思います。


まず鳩山氏。
あくまで初志貫徹、マニフェストに忠実であるべし、と言いたいのであれば、マニフェストの中身を都合良く変えないことです。
一昨年の衆院選の時「普天間基地移設は最低でも県外へ」と訴えて沖縄で大勝しときながら「アレは私の個人的見解であって、マニフェストではない」という苦しい言い逃れをして沖縄県民の怒りを買いました。これは詐欺に等しい行為です。
鳩山氏の公約などかくもいい加減なのですから、「命のように大切なものを投げ出してしまった。そもそも衆院選は何だったのかという話になる。」などとマニフェストにこだわってみせたって、何の説得力もありません。
鳩山氏は菅氏に早期辞任を促していますが、「首相経験者は議員を退くべき」と言ってたくせに「やめるのやめた」と居座り続ける鳩山氏にだけは、菅氏も言われたくないでしょう。


小沢氏に至っては開いた口がふさがらないと言いますか。
大震災で地元が非常事態に陥ったというのに、小沢氏は2週間以上雲隠れ、その後いまだに被災地復興のために積極的に何をするわけでもなければ脱原発姿勢を打ち出すわけでもありません。
こういうときに政治家は素早く具体的な復興の政策を打ち出し実行してこそナンボのものでしょう。
しかし、2万人以上が亡くなり、数多くの人々が苦しい避難生活を強いられ、福島県民が故郷も仕事も失い絶望のどん底にいても、 小沢氏の頭にあるのは菅氏を引きずりおろし政権奪取のチャンスを虎視眈々と狙い続ける策を練ることだけのようです。
これまでの経緯を見る限り仮に小沢氏が菅氏の後釜に座っても、政府を脱原発にハッキリ方針転換させ、財界の利益中心ではなく被災者中心の復興政策に政策転換していくとはとても思えません。政策に変化があるわけでもなく、それどころか菅氏のかろうじての脱原発方針が後退するようでは、国民には何の意味もない首相交代です。単に誰が権力欲を満たすかの闘争劇はいりません。


小沢氏は「国民の生活が第一」ではなく実は「自分の権力が第一」であることが、小沢氏の震災後の行動でごまかしようがないほど明らかになったと思います。特に内閣不信任案提出は被災者置き去りのどたばた政争劇でしかありませんでした。
(これについて、上脇教授の分析に同感ですので、こちらをどうぞ。http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/archives/51587550.html


小沢氏は菅政権はマニフェストに回帰すべしとずっと非難してきたくせに、菅氏の内閣不信任案提出時には野党の力を借りるため、「マニフェストにはこだわらない」と180度手のひらを返したのには唖然としました。要するに、小沢氏にとって「国民の生活が第一」のマニフェストなど所詮自身の権力奪取に利用するただの方便でしかなかったということです。
ところがその舌の根も乾かぬうちに「マニフェスト見直しなど許せん、撤回せよ」と再度手のひらを返すとは。
もうこれは恥知らずと言って良いと思います。
小沢氏自身が「マニフェストにはこだわらない」と変節しておいて、どうしてマニフェスト見直しを言い出した岡田氏を責める資格が自分にあると思えるのか、私には理解できません。
結果として内ゲバを繰り返し震災復興の足を引っ張るだけにしかなってないです。


小沢氏も鳩山氏も、早々に政治の世界から引退すべきだと私は思います。


うんうん、そうだよなあと深くうなずくばかり。私も上記のブログ主の主張に全面的に同感だ。さらに絶望的なのは、ネットにおける「社民主義的勢力」を自称する人たちが、こんな鳩山や小沢などにいつまでも固執していることや(ネットだけではなくリアルでも江川紹子のような人がいる)、いつまで経っても民主党から「社民主義的」主張や「脱原発」の主張をする人たちがいっこうに出てこないことだ。もちろん、小鳩派のような「なんちゃって社民主義」は論外*1

やはり民主党とは新自由主義政党であり、原発推進政党(百歩譲っても「原発維持政党」)なんだなと思う今日この頃。だから、胸焼けがしつつも菅直人の8月末までの居座りを容認するしかない。


なお、小沢一郎が不信任案政局の際に「マニフェスト修正に柔軟」な姿勢を見せたというのは、時事通信が報じていた*2。当該記事はもはやリンク切れだが、当ブログが記録しておいた*3。以下再掲する。

民主公約、大幅修正へ=小沢氏も柔軟姿勢


 民主党は7日の常任幹事会で、衆院選マニフェスト政権公約)の見直し作業を本格化する方針を決めた。自民党が求める子ども手当などの撤回に応じなければ、2011年度予算執行に不可欠な特例公債法案の成立に協力が得られないためだ。公約堅持を主張していた民主党小沢一郎元代表も柔軟姿勢に転じ、同党の政権公約は大幅修正される方向。党内最大勢力を率いる小沢氏が公約修正を容認する姿勢を示したことで、菅直人首相の後継選びや大連立論議の行方に影響を与えそうだ。
 岡田氏は常任幹事会で、東日本大震災で休眠状態にあったマニフェスト検証委員会を「再起動させる」と表明した。同氏や仙谷由人代表代行(官房副長官)は震災対応を優先する立場から、公約の柱である子ども手当や高速道路無料化などを柔軟に見直す考えを示していた。政策面で自民、公明両党などと歩み寄ることで、両党などとの大連立に向けた機運を高める狙いもある。
 一方、小沢氏は7日、自身を支持する若手議員と意見交換し、次期代表について「野党の協力が得られる人でないと駄目だ」と述べた。首相の早期退陣を求めるとともに、次期政権での重要法案処理に向け、公約修正を容認する考えを示したものだ。(2011/06/07-22:10)

*1:原発問題に関しては、小鳩派は「なんちゃって脱原発」ですらない。海江田万里が鳩山派であることを想起すべし。

*2:http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2011060700694

*3:http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110607/1307455854

飯田哲也氏のTwitterでは「地球温暖化」が議論になっている

以下Twitterの紹介のみ行う。


http://www.tweetdeck.com/twitter/iidatetsunari/~Tvabm

どうしてそういう歪んだ理解になるのか理解不能。「周知の事実」は真逆。ほとんどが否定されており、日本語だけで閉じた日本村だけの井戸端会議レベルでしかない。 RT @zen_chip: 温暖化人為説は、捏造・改竄も発覚し、学会のピアレビューも、様々な圧力があり人為説以外の学説を排斥してきたこと、公平な場には程遠いことは、その筋の人たちには周知の事実です。 http://deck.ly/~SFICx


http://www.tweetdeck.com/twitter/iidatetsunari/~xcsL5

それもまったくウソ。温暖化主因説の歴史と原発推進は無関係。1990年代後半の京都議定書あたりから原子力ムラが利用してきただけ。環境政策の歴史を正確に勉強した方がいいですよ。 RT @show_you_all: 原発推進の背景に「CO2温暖化」説がある。そもそも、このCO2犯人説が誤りであることは、クライメート・ゲート事件でも明らか。それでもなお、地球温暖化は定説とされ、原発反対波の中でも正しいと信じている人が多くいる。

苦しくなると「お前は共産党支持者だろう」と言い出す小沢信者(爆)

どうして小沢信者ってこうなんだろうか。「きまぐれな日々」にいただいたコメントより。


http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1201.html#comment12421

個人的な感想ですが、「西松事件での検察の大久保氏だけの逮捕・起訴は不当」、「陸山会事件での期ズレの記載解釈だけで現職国会議員(石川氏)や他秘書2名の逮捕・起訴は不条理」、「検察審査会での2度に渡る起訴相当の議決は理解不能」、「岡田執行部による推定無罪を無視した党員資格停止は不正義」などと考えている小沢支持者と、管理人さんの「脱原発」に積極的に賛同しない政治家の評価は同質だと思っています。ある意味橋下氏や前原氏の評価を見る限り小沢ファンよりも過激(攻撃的)だと感じます。

マスコミ世論の風向きが変われば、貴方がしているように『小沢信者』と侮蔑するのと同じように、貴方も『愚脱原発信者』とか『共産党信者』として侮蔑されると思いますよ。無党派層の振りをしていますが、貴方は共産党支持者なのがミエミエですよ。

2011.07.24 17:33 FK


小沢信者っていつも、苦しくなると「お前は共産党支持者だろう」と言い出すのだ。あたかも、「共産党」および「共産党支持者」が「絶対悪」であることは自明で、「共産党支持者」というのが最大級の軽蔑語であると思い込んでいるかのようだ。


この傾向は、特に「小沢左派」に著しい。「FK」氏が「小沢右派」なのか「小沢左派」なのかはっきりしないし、私の橋下徹評や前原誠司評を快く思わないということは、「小沢右派」の可能性が高いが、「共産党支持者」という言葉の用法に関する限り、「小沢右派」も「小沢左派」もさしたる違いはなさそうだ。そう、

「右」も「左」もない、オレは「小沢信者」や

というやつである。

1976年に朝日新聞の大熊由紀子が「地球温暖化」論を「原発推進」論の口実に用いていた

またまた飯田哲也氏のTwitterより。


http://twitter.com/#!/iidatetsunari/status/95065628095950848

言及はあったかもしれませんが、政策で強く出してきたのは京都会議以降なのは、飯田は当事者として証言できます RT @watawata52: ぼくも温暖化と原発は無関係だと思っていますが、口実として利用してきたのは80年代後半からだと思います。当時の原子力白書などでそういう記述を


政策にリンクさせたのはともかく、「地球温暖化」論を「原発推進」論の口実に用いる行き方は、1970年代には既にあった。
その証拠は、あの元朝日新聞科学部記者(のち論説委員)・大熊由紀子の迷著『核燃料―探査から廃棄物処理まで』である。
1976年に朝日新聞が連載した大熊由紀子の原発推進記事「核燃料―探査から廃棄物処理まで」 - kojitakenの日記 でも紹介したが、再掲する。

原子力は人類絶滅の危険をはらむ」というタンブリン博士たちの論法をまねることが許されるなら、その二酸化炭素は「全人類を絶滅される危険がある」と主張することもできる。なぜなら、大気中の二酸化炭素は、地球の表面から外へ向かって逃げようとする熱を吸収して、そのまま蓄え、地球の気温を上げるからだ。「二酸化炭素温室効果」と呼ばれる現象だ。

(大熊由紀子『核燃料―探査から廃棄物処理まで』(朝日新聞社、1977年)172頁)


当然これは大熊由紀子の独創ではなく、取材対象の誰かから聞いたか何かで読んだかした話を記事にしたものだろう。だから、既に70年代にはこうした言説はかなり原発推進派に浸透していたのではないかと思う。私は大熊のこの記事を知って、「地球温暖化論を原発推進の口実にする言説はこんなに古くからあったのか」と驚いた次第。

もちろん、これと実際に政策決定の際に「地球温暖化論」を出してきた時期とはズレがあって当然だろう。また、「本当に原発地球温暖化防止に役に立つのか」という点についても検証が必要なのではないか。そもそも原発はそれを動かすための電力を必要とするし、大量の温排水を海に垂れ流す存在でもある。


もちろん、当ブログで繰り返し意見を表明してきたように、私自身は「地球温暖化懐疑論」ないし「地球温暖化陰謀論」には与しない。

「経産省に情報開示を要請した菅首相に不快感を示した」海江田万里に不快感

海江田万里の暴走はもう止められそうにもない。


http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110723dde007010027000c.html

菅首相経産省に情報開示を要請 海江田氏、不快感


 菅直人首相が経済産業省に対し、電力需給などに関する情報を適切に開示するよう文書で求めていたことが23日、明らかになった。海江田万里経産相は同日、東京都内で記者団に「なんでそういう文書になっているのかよく分からない」と述べ、不快感を示した。

 文書は東京電力福島第1原発事故以降、電力需給が逼迫(ひっぱく)する中、経産省が提出してきた資料について、水力発電や自家発電の設備容量などをより詳細に示すよう求める内容で、首相の指示を受けて、国家戦略室が作成したものだ。首相が個別省庁に文書で指示するのは異例。同省の姿勢を問題視したもので、菅首相の不信感が表れたものと言えそうだ。

 海江田経産相は、「全部、資料を持って行って(菅首相への説明を)やってきた」と反論した上で、「(求められているのは)特に(自家発電などの)『埋蔵電力』のところなので、その資料を持ってしっかり菅首相と話してきたい」と、追加説明に応じる姿勢を示した。【和田憲二】

毎日新聞 2011年7月23日 東京夕刊


なーんか海江田って「わがままな『空き菅総理』にイジめられてかわいそうなボクちゃん」という構図*1が国民に受け入れられていると思ってつけあがっているようだな。この間、掌に「忍」の文字を書いてそれを高々と掲げている件など実にひどかった。海江田の行為自体が「忍」という文字と矛盾している。

毎日が報じたこの件に関しては、「政権交代」の前、「情報公開」は民主党のウリだったはずなのに、海江田はそんなことさえ忘れているのかと呆れた。私もこの記事を読んで不快感を持ったが、不快感の対象は菅直人ではなく海江田万里だ。

*1:一説によると田原総一朗や読売・産経両新聞などが広めたらしい。

四国でも東京でも「地デジ大使」を務めたNHK・鈴木奈穂子アナ

5年前、NHKの女性アナウンサーは四国から出世する? - kojitakenの日記 で取り上げたNHK鈴木奈穂子アナが、「地デジ大使」の総仕上げでもあるのか、「地デジ」宣伝番組の司会を務めていたのが昼間の番組で目に入った。

上記記事を書いた頃には、鈴木アナは愛媛・香川・岡山のNHK3放送局の「地デジ大使」を勤めていたらしい。伝聞形で書いたのは、あまり強い印象がないからである。鈴木アナは当時松山放送局勤務で、四国全域のローカルニュース番組に出ていたが、上記記事にも書いたように、その前には彼女は高松放送局にいた(新人時代の2004〜06年)。だから、鈴木アナの新人当時のアナウンスを私は知っている。当時NHK高松放送局の横を通りがかったことは数知れないが、残念ながら鈴木アナと接近遭遇をしたことは一度もない。上記記事に書いたように、松山放送局のさる女性キャスターを、たまたま訪れた松山の繁華街で見かけたことはあったのだが。

それから5年、鈴木アナは朝のニュース「おはよう日本」のキャスターを務めるまでに出世した。昨年には、島津有理子アナのあとを継いで、東京キー局の「地デジ大使」に就任したとのことだ。四国でも東京でも「地デジ大使」を務めたことになる。

NHK高松からは、上条倫子アナが松山をすっ飛ばしていきなり東京に異動した。やはり「NHKの女性アナウンサーは四国から出世する」という伝統は生きているのか。彼女らのあとを追ったわけではないが、私も東京に出てきた。

鈴木、上条両アナはともに首都圏の出身。彼女らと同じように都市部(関西)出身の私が書くのもなんだが、彼女らは初任地で抱いたであろう初心をいつまでも忘れずにいてくれるだろうかとふと思った。