kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

フィクションと史実と - 澤地久枝『密約 - 外務省機密漏洩事件』を読む・第4回「澤地久枝さんとナベツネに会った男の告白」

 フィクションと史実と - 澤地久枝『密約 - 外務省機密漏洩事件』を読む・第3回「天声人語と市川房枝」 - kojitakenの日記 の続き。


 小説及びテレビドラマの『運命の人』は、「『ひそかに情を通じた』西山太吉毎日新聞記者の悪行を不問に付す、『(ミンスと)毎日とTBSのご都合ドラマ』だ」という「ネット右翼」(及び当時の事件を知る年配の方々)の批判はどうしても残るだろうから、澤地久枝さんとナベツネ渡邉恒雄)の2人と面会した男の話を書いておきたい。こんなことを書くのは、「沖縄返還をめぐる日米密約」という問題の本質から外れるもの、との批判もあるかもしれないが、ドラマが放送されている今もなお根強い「ひそかに情を通じ」の定説に疑問を呈するためには必要な作業だと考えるからだ。この男は蓮見喜久子氏の「正体」を澤地、渡邉両氏に垂れ込んだ。


 まず、リアルのナベツネが「西山事件」で演じた役割(『サンデー毎日』2/19号のナベツネ「寄稿」より) - kojitakenの日記 でも少し触れた、ナベツネ渡邉恒雄)の『サンデー毎日』2012年2月19日号への寄稿から、以前の記事よりもう少し詳しく引用してみる。

事件直後、ある男性が読売新聞社に私を訪ね、自分も安川審議官の前任の黄田多喜夫審議官の秘書をしていた時の三木秘書(=小説及びドラマの役名。原文ママ)と情交があったと話した。それは彼女の誘惑で、見返りは秘密文書ではなく、両手でぶらさげられないほど沢山のジョニーウォーカーであったという。

 その男性が何故私のところに来たかというと、事件第一報で知った外務審議官を同郷で尊敬する黄田審議官だと誤認し、尊敬する黄田さんのために彼を失脚させた女性秘書のウラの顔を暴き、報復するためであった。

 私は、審議官は黄田さんから安川さんに代わっていたことを告げ、さらに彼女との情交のいきさつ、連れ込み宿で行為した時の様子を聞き出すと、西山君の場合と全くそっくりであった。これでは、西山君の男女関係だけに集中していた事件報道が、いささかおかしくなる。

(『サンデー毎日』 2012年2月19日号掲載 「私は『運命の人』に怒っている!」(読売新聞グループ本社会長・主筆 渡邉恒雄寄稿)より)


 ナベツネは、この男性は澤地久枝著『密約 - 外務省機密漏洩事件』(岩波現代文庫, 2006年)の243頁「第12章 告白2」に登場するX氏と同一人物と思われると書いている。そこで、澤地さんの本から該当箇所を引用する。


(前略)十年近く前のこと(註:書かれたのは1974年だから60年代半ば頃を指す)、X氏は東京に仮住いし、仕事の関係で外務省に出入りをしていた。そしてそこで秘書事務をとっていた蓮見さんと挨拶をかわす程度の間柄になった。実際はほぼ同年代であり、当時蓮見さんは三十を過ぎたばかりだったはずだが、年よりはふけて見え、派手づくりだが相当年上と思っていたという。

 省内の急な人事異動があり、X氏はそのことで蓮見さんに聞きたいことができた。この異動をきっかけにもう外務省に行くこともないと思い、挨拶もかねて会おうとした。蓮見さんの方から、ある喫茶店を指定した。

 用談は二、三十分ですんだが、夕暮れの時分どきで、どちらからともなく、「夕食でも」ということになって食事にいった。酒ものみ、いい友達のような雰囲気が生れた。

 数日後、蓮見さんから誘われて、また外で会った。その夜、「おそくなってもかまわない」と言われ、暗かった青春時代、結婚生活の中での寂しさ、自殺をくわだてた過去など、吐きだすような心情を聞いた。店を出て歩きはじめると、酔うほどのアルコールではなかったはずなのに、酔いがまわったように足元が危くなった。歩けないという。タクシーに乗せると、正体がなくなったように軀をもたせかけてきた。とてもそのまま帰れる状態ではなく、どこかで休んで−−ということになった。

 そういうときの男がどんな気になるものか、わかりますか。そうX氏は聞いた。

(中略、以降X氏の告白)

 「思いがけない間柄になってから、ある日外務省に呼ばれてゆくと、あのひとは気さくな口調で『ウイスキーがあるのよ、もってゆく?』と聞いたんです。上司へきたお歳暮がだぶついていて、そのお裾分けだといっていました。『私がもっていても仕方がないから』とごく自然に言われて、私もまったく彼女の好意として受け取ったのです。ジョニイ・ウォーカーの黒ラベルで、当時はいまよりずっと高級品でした。このとき、七、八本もらったのではないかと思いますね。それから何度か、ウイスキーをもらっています。

 今度事件が起きてから、あのひとの言うのをきいていておそろしく感じたのです。あの酒が横領事件にでもからんだら、私の方が下心をもって関係を迫り、その関係を利用してウイスキーを盗ませたと彼女は言ったのじゃないですか。

 男がそそのかしたのではなく、そそのかされるような状況、そして呼び出しては会いつづけるつなぎのように、贈りものをする。私も若かったんですね。西山さんの場合どうだったか知りませんが、それが秘密文書だったということも言えるんじゃないですか。

澤地久枝『密約 - 外務省機密漏洩事件』(岩波現代文庫, 2006年)248-250頁)


 ナベツネ澤地久枝さんが書いたこの話を、私は全く知らなかった。読んでびっくり仰天した次第だ。ドラマでは、三木昭子元事務官は「あなたが本当に男性を好きになったのは、弓成記者が初めてだったんじゃないですか」などと聞かれていたが、リアルの蓮見喜久子元外務省事務官はそれどころではなかったのかもしれない。前の記事で蓮見さんのことを「事実は小説より奇なりを地で行っている」と評したのは、上記のナベツネと澤地さんの文章を踏まえて書いたものだ。

 もっとも、いくらなんでも蓮見喜久子元事務官が一方的に西山太吉元記者に秘密文書を押しつけたわけではよもやあるまい。とはいえ、検察が描いた「ひそかに情を通じ」も実態を反映した表現とは言いがたく、おそらく西山・蓮見両氏はウィンウィンの関係にあったと見るべきだろう。

 それを思うと、『週刊新潮』に掲載された蓮見さんの「手記」はあまりに不誠実なものと言わざるを得ない。

 明後日放送されるドラマでは、あの「手記」の一部がもしかしたら読み上げられるのだろうか。「手記」は新潮文庫でも読めるし、山崎豊子著『運命の人』第3巻にも、固有名詞だけを書き換えてそっくり転記されている。私が読んだのは後者で、その時点ではまだ澤地さんの『密約』は読んでいなかったが、おそらく『週刊新潮』の記者の手になると思われる「手記」の品性下劣さには反吐が出る思いがした。これを読んで、蓮見喜久子さんに対する私の心証は決定的に悪化してしまったのだった。

 それでも38年前には同情された。しかし、2000年に我部政明琉球大教授が日米密約の機密文書をアメリカの公文書館で発見し、2006年には北海道新聞のインタビューに答えた吉野文六元外務省アメリカ局長が密約の事実を認め、2009年には自民党政権が倒れた。そして、同年出版された「事実を取材し、小説的に構築したフィクション」が3年後にテレビドラマ化され、それをきっかけにナベツネおよび澤地久枝さんの文章を通じて、蓮見さんの一面を知って驚いた。

 何度も書くが、この件で真に裁かれるべきは佐藤栄作だったと今でも私は考えている。それだけに、当時蓮見喜久子さんがとった言動が残念でならない。なんともいえないやり切れなさを感じるが、それでも、日本政府による問題のすり替えが言語道断であることはもちろん、「ひそかに情を通じ」と書かれた起訴状までもが怪しいしろものだったことは広く知られるべきだと思い、こうして駄文を書き連ねる次第である。

(この項続く → 第5回「我部政明教授と西山太吉元記者と澤地久枝さんと」